2011年10月25日火曜日

株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏登場。


龍馬
本文より~


人気の中華料理店を経営する父の背中。


後藤が生まれたのは1970年10月3日。父は新宿の一角で中華料理店を開いていた。生粋の料理人で、旨い料理をつくるのだが、客と揉めることも少なくなかったそうだ。「流行っていたほうだと思いますよ。でも根っからの職人で、とにかく瞬間湯沸かし器のような人。母やボクにとっては絶対的な存在でした。父がいるだけで、ビクビクしていたぐらいです。一方、母は温厚でホールに出て店を手伝いながら、経理もすべて母が担当していました。客とのトラブルを止めていたのも母です。母がいなかったら、店は上手くいってなかったでしょう。うちの父は秋田の生まれなんですが、小学校も出ていなかったんです。字も書けない人です。だから相手に気持ちをうまく伝えきれなかったんでしょうね。それで、スグ怒ってしまう。息子の私には、その分、口うるさく勉強しとろと言っていました。たしかに怖い父でしたが、愛情はたっぷり感じて育ちました」。
後藤は、そんな父の背中を見て育った。・・・・。


株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏


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株式会社幸楽苑 代表取締役社長 新井田 傳(ニイダ ツタエ)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社幸楽苑 代表取締役社長 新井田 傳(ニイダ ツタエ)氏登場。


幸楽苑
本文より~


原点は父、司氏が始めた「味よし食堂」


「幸楽苑」の歴史を辿れば、ある小さな食堂に行きつく。1953年、福島県の会津市に開業された「味よし食堂」だ。創業者は新井田司氏。新井田傳の父親である。「父は電力会社に勤めていました。55歳で定年を迎えましたが、子どもたちはまだ学校に通っていました。末っ子の私はまだ小学3年生。だからまだまだ引退はできないと、退職後に大衆食堂をオープンしました。それが“味よし食堂”です」。
オープン当初は、父と母の二人。深夜営業に目をつけた両親は、真夜中まで働いた。「雪深いエリアですから、冬の深夜になると膝まで雪が積もる。雪を踏みしめ、2キロの距離を父と母は毎晩、歩いていたそうです」。
「深夜帯でなければ、素人が始めた店にわざわざ来ない」という父、司氏の判断だった。それが功を奏して、客が増えた。研究熱心な司氏は、人気メニューも開発。従業員も次第に増えた。店で働く父母をみて、新井田は育った。いい印象ばかりではない。「店を開いてからは母も仕事をしていましたので、私は祖母と姉たちに預けられたようなものでした。忙しい父と母をみて『絶対、店などやるものか』と思っていたように記憶しています」。・・・・。


株式会社幸楽苑 代表取締役社長 新井田 傳(ニイダ ツタエ)氏


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2011年10月19日水曜日

株式会社未知インターナショナル 代表取締役 水本弥知秀氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社未知インターナショナル 代表取締役 水本弥知秀氏登場。


未知
本文より~


ドラマ「HOTEL」の主人公に憧れて。


中学2年生になった水本は、メンバーを集めバンド活動を始める。担当はギターか、ベース。「私は、とにかく最初に憧れがあり、その憧れを追いかけるようにスタートする性格なのでしょう。この時、バンドを始めたのも、きっかけはC.C.Bのベースに憧れたことでした」。もちろん、単なる憧れではなかった。本気でミュージシャンになろうと思っていた。そんな水本の気持ちを変えたのは「HOTEL」というTVドラマ。「18歳の時にTVで『HOTEL』を観てホテルマンってカッコいいと思ったんです。高校も地元だったので、都会への憧れもありました。それで二兎を追いかけて堂島ホテルに就職したんです(笑)」。「田舎者ですから、フォークとナイフで食べたことなんてない。そんなまったくの素人からホテル業スタートです」。・・・・。


株式会社未知インターナショナル 代表取締役 水本弥知秀氏


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2011年10月18日火曜日

日本サブウェイ株式会社 代表取締役 伊藤 彰氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に日本サブウェイ株式会社 代表取締役 伊藤 彰氏登場。


サブウェイ
本文より~


リトルリーグで白球を追いかけた少年。背丈が足らず断念。


伊藤が生まれたのは1958年の横浜。いまの新横浜駅近く。当時はまだ開発が進んでおらず、田畑が広がっていたそうだ。「私も小さな頃、畑仕事を手伝ったことがある」と伊藤。1958年といえば、まだ新幹線が通る以前の話である。
横浜は母の出身地で、母方の親族に囲まれ少年期を過ごしている。「祖父が建設会社を興しました。母方の親戚が集まって、会社を運営。私の母を含め、3家族が、徒歩圏内に住んでいました」「私も、良く祖父の家に行きました。いまでもいちばん影響を受けたのは祖父だと思っています」。祖父は厳格だが、優しかった。大人たちと区別することなく、対等に接した。それが嬉しかった。
伊藤の父は、中小メーカーのサラリーマン。大の野球好きで、暇があると熱心に伊藤に野球を教えた。父の勧めもあったのだろう。小学2年生から野球を始めた伊藤はリトルリーグに入り、主将を務めるまでになっている。スポーツ好きな父から遺伝子を受け継いだのだろう。運動神経は抜群だった。「でも、背丈が足りなかったのです。小学校6年生ぐらいになると、170や180センチの奴もいました。私は140センチ足らず。とても敵わないと思って中学に入ると卓球に転向します。現ジャイアンツの原監督とも同世代で、小学校の頃に1度だけ対戦しました」。選手層が厚かったのだろう。草野球とはレベルも違えば、この決断も当然だ。普通の軟式チームなら、伊藤のこの時の決断はなかったはずである。・・・・。


日本サブウェイ株式会社 代表取締役 伊藤 彰氏


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10月17日(月) 「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」体験実施。

本日、キイストン後援という形で飲食経営者10社限定で「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」についての話と体験を実施させて頂きました。


素人の私には、「ホメオストレッチ」といってもなかなか説明が難しい。


ストレスケア、ストレッチが先行し、もうイメージが出来上がっている。


うまく説明できないので、ストレスケア教育のパイオニアBTUの皆さんに「ホメオストレッチ」についての


セミナーと体験をやって頂きました。


日本の外食が元気になれば、もっと日本に活気と元気が出てくるはず。


そのためには飲食の経営者が元気でないと・・・・。


テーマ:「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」について  
(1)「たまっている脳疲労の正しい解消法」
(2)「無理なストレスとつきあう方法」


ホメオ勉強会
(美野田代表 バランスセラピーUniv.)


「ホメオストレッチ」(学術名:筋肉応用覚醒伸展法)とは


→筋弾性の左右差やバランス、全身の筋肉のミリ単位まで計算して
 「脳幹」を活性化させて、深い精神的リラックスを得るものです。



ホメオ体験2ホメオ体験1
(Q&Aとホメオストレッチ体験。今回は体験のみでした)



ホメオ資料
(資料)

ストレスケア教育のパイオニアBTUの皆さま、ありがとうございました。


飲食の経営者の皆さま、ご苦労様でした。


マスコミ関連の皆さま取り上げてくださいませ。


もし、ご体験希望者あればキイストン細見までご連絡ください。



2011年10月15日土曜日

今日は、出社土曜の日。

今日は、出社土曜の日。


12月までにやることを皆で共有し、一歩一歩前に進んでいきたいと思う。


2~3年前は、営業マンも本当にスキルも無く、


対お客様への対応も決して満足できるものではなかったが、少しずつ力を付けてきた。


 キイストンの旧ビルロゴ


「売るのではなく、聴くこと」


「会うなら経営者に会うこと」


「きめ細かい対応をすること」


キイストンならでは、つまり独自のことをすること」


だいぶ、各営業マンがやれるようになった。


次は継続力とスピードを付け、今までやってきたことの集大成にしたい。


そのためにもコツコツ今までやってきたことに加速を付けよう。


そして、この3Q(クォーター/10月~12月)に、大きなアクションをいくつか起こそう。


キイストンしかできないこと」もやっていく!!