2013年11月27日水曜日

故郷の京都・京北の山林視察に行きました。

25日(月)、木材チップ活用したバイオマスの件で、
早稲田環境研究所の小野田先生を
私の故郷でもある京都・京北の視察のためお連れしました。
京北商工会の植田さんにアテンド頂き、
かなり内容の濃い有意義な1日でした。

日帰りでしたが帰る前に、
京北銘木生産協同組合の一瀬君とも会えよかったです。
一瀬君とも、そういえば高校卒業以来だ。
田舎にも行動力ある人材がいるので、うれしい。
皆、自分のためだけでなく町のために頑張っている。
創立40周年、赤字無しの北桑木材センター創業者の中坂会長と
アポイント頂きいろんな話が聴けました。
85歳にも関わらずゴルフもまわられすごくお元気です。
素晴らしい財務内容の経営者です。

森林から発生する間伐材を原料とした、
「木質ペレット」を製造されています。

高校卒業以来でしたが、同級生の小原君とも会えてよかった。
組合でのポジションも偉くなり、うれしいもんです。

道の駅“ウッディー京北”にて買わせて頂きました。

これでなんと1,000円です。
しかも田舎の食材満載。


2013年11月26日火曜日

少しずつ頼もしくなってきている。

入社時全く未経験だった社員たちだが、
成長してきている。

フリーター、主婦、営業未経験者などなど
キイストン入社当時は
営業とは無縁だった彼ら彼女らが
今はなんと各飲食の社長様に
提案してくれている。

やはり、向上心ある素直な人材はいい。
この世の中、素直が一番!

来月からインターンの学生たちも合流する。

とにかく、業界のためにも、
もっともっと実力付け、
業界ダントツナンバーワンにし、
社員が輝けるよう環境にしたい。

将来のキイストンのためにも・・・・・・。

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戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

ロバート・デニーロと共同経営されている世界のNOBU、松久信幸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”にあのロバート・デニーロとの共同経営されているNOBU TOKYO オーナーシェフ 松久信幸氏登場。
本文より~

世界の、「ノブ」。

ハリウッドスターであるロバート・デ・ニーロ氏。日本でも有名なこの映画俳優が、松久をスターダムにのしあげた。1987年にビバリーヒルズに「Matsuhisa」をオープンした松久は、たちまちハリウッドの著名人たちを魅了する。そして7年後、ロバート・デ・ニーロ氏に誘われ、共同出資でニューヨークに「NOBU New York City」をオープンするのである。この店が、松久をスターダムにのしあげるきっかけとなった。
ちなみに2000年10月にはデザイナーのジョルジオ・アルマーニ氏とパートナーシップを組みイタリア・ミラノに「NOBU Milan」をオープン。その後も、世界各国の著名なローカルパートナーと組み、出店。いまや「ノブ」の名は世界中で知れ渡っている。
今回は、この「世界の」という冠も大げさには聞えない「ノブ」こと、松久信幸氏にインタビューさせていただけるという「幸運」に出会った。

おばあちゃんに育てられ。

「私は、4人兄弟の末っ子。長男とはひと回り離れていました」と松久は語る。父は木材商で、もともとは深川で仕事をしていたが、戦時中に家族とともに埼玉に疎開。そこで、松久を授かった。ところが、松久が小学校に上がるとすぐに父は他界。4人の兄弟と、母と祖母が残されてしまった。
「長男が大学進学をあきらめ、父の代わりに仕事を切り盛りします。私にとって長男は怖い兄で、ある意味では父のような存在でした」。
父の事業は長兄と母に引き継がれ、かたちは残したものの、けっして裕福ではなかったようだ。母はもちろん兄弟たちも、まだ幼い少年に目をかけている暇もなかったことだろう。
「私は、おばあちゃん子なんです。おばあちゃんに育てられたようなもんですから」。この祖母は、明治生まれ。優しい人だったが、厳格で、松久にとっては怖いおばあちゃんでもあった。
「当時は、靴というのがなくって、裸足か下駄なんです。で、しょっちゅうケンカもして。私がケンカに負けて泣いて帰ってくると、祖母が怒りだすんです。『どうして、おまえは下駄を履いているんだ』って。最初はなにを言っているのかわかりません。つまり、こういうことだったんです。『何故、ケンカをして泣かされているのに下駄を履いて帰ってきたんだ。どうして、その下駄をぶつけて帰ってこないんだ』と(笑)」。
祖母は負けずぎらいの人だったのだろうか。それとも、父のいない松久を思っての、切ない怒りだったのだろうか。
この祖母は、松久に「影、日なたのある人間にはなるな」とつねに教えてくれた。「ごめんなさい」「ありがとうございます」を大事にすることも、口酸っぱく諭してくれたそうだ。ともかく少年の日々の記憶にはいつも祖母の姿がある。

1枚の写真と鮨屋と。

祖母とは別に、松久のなかにはもう一つ鮮明な記憶がある。すでに書いた通り、父の写真をみながら、いつか海外へと思った思考の記憶である。
松久が小学生というからには10歳ぐらいのことで、1959年前後のことである。為替はまだ1ドル360円で、海外に行く人は数少なかったはずである。そんななか、海外で現地の人と映る父の写真は、少年にとって何よりも誇らしいものだったのかもしれない。
ともあれ、少年松久はまだ自然が豊富に残る埼玉で、土手を駆け、山を走るわんぱくな坊主でもあった。「まぁ、埼玉でも有数の健康優良児だったわけです」と松久は、昔を思い出し笑う。
そんな松久に一つの転機が訪れたのは、1軒の鮨屋ののれんを潜った時のことだった。「長兄にはじめて鮨屋に連れていってもらった時のことです。鮨屋という別世界に、魅了されたんです。そう、きれいなカウンターにも、ガリという用語にも…」。異次元に迷い込んだ気がしたのかもしれない。ほどなく「鮨屋になる」というのが松久の目標になった。・・・続き
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2013年11月22日金曜日

11月22日、夕刊フジの連載『波乱万丈 起業家列伝』に、くらコーポレーションの田中邦彦社長登場。

10月より夕刊フジにて連載中の『波乱万丈 起業家列伝』毎週金曜)。
11月22日(金)の第8回目は、くら寿司のくらコーポレーションの田中邦彦社長です。



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ナチュラ河合社長教壇に立つ(フィクション編)

こちらはフィクションです
ちょっとドラマ仕立てにしてみました(笑)

登場人物:ナチュラ河合社長


青山学院大学に到着の河合先生、
いやナチュラ・河合社長


構内に入り、多少緊張気味か・・・


でも時間があったので、堀内先生らと一緒に記念写真でも
うちの高嶋もちょい写り



15時05分
いよいよ講義開始!!




初めの緊張はなんだったのか?
いよいよエンジン回転してきた
(  よしよし、ウケてるぜ!・・・・)

聞いてる、君?
どうだい



じゃ~、最後に・・・




1曲歌っちゃおうかな・・


いいかな?


 行っちゃうぜ~



ちなみに、ここは教室です


はじまりました

 時間よ~♪止まれ~、いのちの・・・・♪


どう、よかった?
熱血 河合先生、学生に質問
(ちょっぴり小指立ちかけです)


河合さん、本当に飲食経営者? 
先生と錯覚しそう




今日は、楽しかったな~
(こんな笑顔見たことありません)




 みんな~ありがとうよ~

 こちらは全てフィクションです
河合社長の許可を得て作成してました
河合社長ありがとうございました

事実はコチラです

11月21日(木)、青山学院大学にて、株式会社ナチュラ 河合倫伸社長が講義されました。

昨日11月21日(木)青山学院大学の総合文化政策学部・堀内ゼミにて
株式会社ナチュラ 河合倫伸社長講義されました。

企業PRの動画もすごくいいものを作られました。
また、講義は生き様から格好つけずお話され、大変学生も興味持つ内容でした。

2013年11月21日木曜日