2011年12月29日木曜日

2011年もあと4日、基盤を作るのに精を出した1年だった。

激動の2011年も残すところあと4日となった。


おかげさまで、この1年で飲食経営者を取材した「飲食の戦士たち」は、259社と250社突破した。


この調子で行くと3月までには、取材総数300社は達成できると思う。


営業スタッフがコツコツ取材依頼をお願いし、ほんと顔ぶれもグレードアップした。


よく、これだけの社長様に登場頂けたもんだ。本当に感謝!!


この多くの社長様との接点が、各営業個人の成長にもつながり、いい商材&いいパートナー企業様とのご縁を授けてもらった。


2012年、大爆発しそうな予感がする!!


年賀状1
一足お先に、2012年の年賀状とは別バージョンを公開!!



2011年12月28日水曜日

株式会社柿安本店 代表取締役社長 赤塚保正氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社柿安本店 代表取締役社長 赤塚保正氏登場。


柿安
本文より~


高級フレンチレストランで流した涙の味。


父と母は、忙しい合間を縫って子ども達をよく外食に誘い出した。一つのエピソードがある。「家族で初めて銀座の高級フレンチレストランに食事に行った時のことです。フランス料理に連れていってあげるからお行儀よくしなさいと言われていたんです。どんな店かと思っていたら、フォークやナイフがやたらテーブルにならんでいる。どうやって食べていいかわからない。食べ方もわからず私はじっと下を向いていたんですが、それとは反対に妹はむしゃむしゃ食べ始めて、『おいしぃ、こんなの初めて』なんて歓声を上げるんです。その妹のハシャギぶりも恥ずかしくなったんでしょうね。泣き出してしまったんです(笑)」。恰好付けだったから、と赤塚はいうが、感性が豊かな証左だろう。負けず嫌いの片鱗も伺える。「でも、あのおかげで、店や食事にはルールがある、それだけのことなんだとわかり、どんな店に行っても物おじしなくなりました。そして、あれから父の食育がはじまったんです」。どんな食育だったのだろうか。・・・・・。


株式会社柿安本店 代表取締役社長 赤塚保正氏


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2011年12月21日水曜日

ウェンディーズ・ジャパン合同会社 最高経営責任者 アーネストM.比嘉氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にウェンディーズ・ジャパン合同会社 最高経営責任者 アーネストM.比嘉氏登場。


比嘉
本文より~


父とは異なるチームプレイ重視の経営者をめざして。


比嘉に父親のことを尋ねると、ビジネスで最も影響を受けた一人という答えが返ってきた。ただし、偉大な父はワンマンな経営者でもあったそうだ。だから比嘉にとって経営者とはワンマンな人間とイコールだった。
おもしろいエピソードがある。「東京にいた時です。ある世界的な企業の大株主をホテルオークラに迎えにあがったんです。お顔を存知あげなかったことが問題なんですが、それ以上に経営者はワンマンでいかつい人っていう刷り込みがありましたから、父より凄い人なんだから<父よりワンマンでいかつい人>を勝手にイメージしていたんです。ところが、そんな人は約束の時間になっても現れない。ビジネスマンは時間にうるさいのにと首を捻っていたんです。更に15分待っても現れない。その時になってようやく思い込みだったのではないか、と気づき始めるんです。だって、目の前に容姿や風貌が父親とは正反対の男性がずっと座っていたんですから」。
比嘉には笑い話では済まなかった。「経営者は父のようにワンマンなタイプしかなれないと思い込んでいたものですから、父と正反対の性格だった私に企業経営は無理だろうなと思っていたんです。でも、この時、出会った経営者のおかげで初めて私も経営者になれるのではないかと希望が湧いてきたんです」。それまで性格ゆえに抑えていた起業家の血がたぎり始める。この時から父とは異なる<チームプレイ重視の経営者>をめざした比嘉の旅が始まった。・・・・。


ウェンディーズ・ジャパン合同会社 最高経営責任者 アーネストM.比嘉氏


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2011年12月19日月曜日

まさに、ひょうたんから駒。

この11月より、元リクルートで創業15年のお花屋(フラワービジネス)の高原社長率いるグリーンロードさんとキイストンと組んで、他社にはない付加価値を付けたサービスの強化図っていきます。


キイストンのスタッフがコツコツ社長取材のアポイントを取り、300社以上の飲食企業と接点作ってくれたことで人材サービス会社(求人広告&人材紹介)や飲食専門メディアのなかで社長との接点の数は断トツになりました。


また、グリーンロードさんは2,000社ものクライアントがあり、なかでも大手・有名企業が多く、すごい企業財産をお持ちです。


そのキイストンのクライアントの飲食企業様とグリーンロードさんのクライアントの企業様と接点を設けるとどうなるでしょうか?


そうなんです、双方のクライアントがメリット出る、おもしろい展開生まれました。


これからは協業の時代。


グリーンロードさんのようにお客様から信用あり、取引先の多い異業種の企業様とは一緒にやっていきたいです。


2012年、キイストン創業20周年を迎え、人材ビジネスとは別の柱を構築していきます!!



2011年12月16日金曜日

14日、フジテレビ“とくダネ”にリブセンス村上社長登場(密着取材で・・・)。

14日、フジテレビ“とくダネ”でリブセンスの村上社長の密着取材が放送された。


リブ上場


リブ街歩きリブ自宅

(この数メートル先で会ってました/ほんとに質素な自宅)


取材当日、2人で定例のランチミーティングしましたので、少し・・・・、いやかなり期待していましたが、映りませんでした(笑)


でも、いい内容だったんで、株価も大幅アップ。


インタビューでも話しましたが、「求人の革命のひとりはリクルートの江副さん、もうひとりはリブセンスの村上さん」とリクルートもリブセンスも知ってるので言える!!


リブ社内
いつも柴崎さんが映ってたんで思わず入れました。左が柴崎本部長



2011年12月13日火曜日

株式会社壱番屋 代表取締役社長 浜島俊哉氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社壱番屋 代表取締役社長 浜島俊哉氏登場。


浜島社長
本文より~


CoCo壱番屋、オープニングに参加。


高校時代からお金ができると洋服代に使ったというからおしゃれなんだろう。たぶんに生き様にも表れている。「専門学校からは独立するために、いままでとは違った喫茶店でバイトをさせてもらったり、珈琲の卸会社でもバイトをさせてもらったりもしました。転々としていたと言ってもいいかもしれません」。3時間でケンカして、辞めたこともあった。「潔し」といえば恰好がいいが、忍耐不足と言われてもしかたがない。
「そんな時、高校生のバイト時代に知り合った先輩から、ある店を紹介されるんです」。それが、CoCo壱番屋の1号店だった。浜島はアルバイトといえど、創業メンバーの一人。だが、CoCo壱番屋は通過点に過ぎないと心に決めていた。「まずは3年。カレービジネスのノウハウも将来、きっと役立つだろう」と思い仕事を始めた。ところが…。「6ヵ月で退職しちゃうんです」。・・・・・・・。


株式会社壱番屋 代表取締役社長 浜島俊哉氏


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2011年12月8日木曜日

リブセンスの皆さんマザーズ上場おめでとうございます。

リブセンス様が、本日12月7日(水)に無事マザーズに上場されました。


リブセンス1リブセンス2
(7日放送のワールドビジネスサテライトより)


リブセンスの皆さんマザーズ上場おめでとうございます。


私も社員の皆さん同様、大変うれしいですし、すごく自慢です。


リブセンス社長の村上太一氏は、史上最年少の25歳1ヶ月で上場しましたが、
親の力やベンチャーキャピタルなどバックの力は一切無し。
自らのビジネスモデルとパッションで上場まで持っていったんで、本当に大したもんです。


前職はリクルートに在籍し、独立してキイストンを立ち上げましたが、
求人市場を築き上げたリクルートの江副さん、
その求人市場に成果報酬型を取り入れ、
今までの常識を覆したリブセンスの村上さんといい、
本当にいい環境に恵まれています。



2011年12月7日水曜日

株式会社大台フードプロジェクト 代表取締役社長 貝谷祐春晴氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社大台フードプロジェクト 代表取締役社長 貝谷祐春晴氏登場。


大台
本文より~


目覚ましはキャベツの千切りの音


1945年、大阪で食堂を営む両親の元に生まれた貝谷氏の思い出は、キャベツの千切りの音だ。「朝目覚めると両親は揃って食堂で仕込みをしていました。そこから聞こえてくるキャベツを刻むまな板の音が朝一の定番でした」。幼少時代、食事のほとんどをその食堂で食べていたという貝谷氏の思い出の一品はやきそば。特に小学生の頃には本当に父親がよく作ってくれたという。
そんな貝谷氏の幼い頃からの変わらない趣味は読書。特に純文学といわれるジャンルが好きで、時間さえあれば本を読んでいたという。「いずれは自分でも書いてみようとネタ帳を作ってストーリーを書きつけていました」。本に関わる暮らしを夢見ていた貝谷氏は、家業を継ぐでもなく、会社員になるでもなく社会人となっていく。「人に雇われたり雇ったりという関係性の中で生きていくのがうまく想像できなかった」というように、どこかおっとりとした文学青年であったのかもしれない。
収入は市場や飲食店、印刷会社のアルバイトで稼いでいたが、組織やそこでの出世にはまった興味が持てなかったという。しかし26歳の時、転機が訪れる。父親の友人がスナックの経営に行き詰まり、貝谷氏に店を任せたいという話が持ち上がったのだ。・・・・。


株式会社大台フードプロジェクト 代表取締役社長 貝谷祐春晴氏


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2011年12月3日土曜日

12月中旬より被災地(宮城)での就職支援スタート。

被災地ポスター1
上記のポスターを20ヶ所、別で作成したチラシを各ヶ所に設置し、少しでも多くの被災地の若者の就職支援をスタートします。



2011年11月30日水曜日

株式会社ティオスグループ 代表取締役 石橋隆太郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ティオスグループ 代表取締役 石橋隆太郎氏登場。



石橋さん
本文より~


親子2人の旅の始まり。


まだ1歳の頃だった。石橋は母に連れられ、東京都大田区の大森のアパートに引っ越した。両親が離婚し、離婚した石橋の母を厳格な母方の祖父、祖母が勘当したからだ。「当時は理由はともかく離婚なんて、考えられなかったんでしょうね。一応、名家だったこともあったんだと思いますが」。
親子2人。石橋を保育所に預け、母は飲食店で朝から晩まで働いた。「私が小学校に上がる頃に、母は自分の店を開きました。<クラブ ラ・ジョロナ>です。モーニングから、ランチは名物のハンバーグランチ、夜は夜でラテンギターの弾き語りがあるようなお店です。当然、母はずっと店にいますので休みの日以外は夕食も私一人です。学校から家に帰るとテーブルに千円札が置いてあって、それで中華、とんかつ、そばをローテーションで食べていました」。
すれ違ってももちろん親子。心はつながっていた。自分のために母ががんばってくれている。そう思うと無理もいえなかった。朝は母を起こさぬよう、一人準備して学校に向かった。朝ご飯はどうしたんですか? と聞くと、「食べたことがない。だから、いまでも朝飯は苦手」との答え。「ホテルに泊まったときに朝食が出てくるじゃないですか、すると、どうしたもんかなと思っちゃうんです」と石橋は笑う。・・・・。


株式会社ティオスグループ 代表取締役 石橋隆太郎氏


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2011年11月27日日曜日

天丼てんやが贈る~エビメタ・バンド~。

あの天丼てんや(テンコーポレーション)が作成した、「えびはも冷やし天茶」のオリジナルソング!!


 夏を乗り切るおすすめメニュー、冷やし天茶をエビメタ・バンドがアツくシャウト!!



意外とも言える天丼の会社のこの遊び心がおもしろい。


髙波社長には“飲食の戦士たち”で取材させて頂いたのであとは掲載を待つだけ。



2011年11月26日土曜日

本日、玉海力の河邉社長、オイスカ高校に・・・・。

ちゃんこ鍋の玉海力河邉社長は、人材教育にも大変熱心なんで、この社長ならっとオイスカ高校の就職希望者との面談に行ってもらった。


玉海力3

玉海力2玉海力

河邉社長は、オーラと存在感あるため、全生徒の前で紹介され、なんとクラスで生き様を語って頂き、そして就職希望者にアドバイスしてもらった。


オイスカ食堂オイスカ

若者は日本の財産。だからこそ、玉海力の河邉社長のような飲食業界の人のもとで頑張ってほしい!!



2011年11月23日水曜日

母校の3年生対象のゼミ講演。

本日、14日に講演を聴いた学生の皆さんからのアンケートが送られてきた。


少しは役に立てたような気がした。


アンケート


別に難しい話でもなく、学生の時からリクルート時代の経験を話ただけ。


言えること。


やりたいことドンドンやったらいい。年齢いくとできないことも沢山ある。


まだ親のことなんて考えなくていい。親も大学生の息子・娘のことがまだまだ心配なのに・・・・・。


もっと挫折したらいい。どちらにせよ社会人、また管理職になったりすると多かれ少なかれ挫折はつきもの。


早い時期にしてると免疫できるんで・・・。


画像 002画像 006
大卒予定者の就職内定率59.9%  過去2番目の低さのなか、ダメもとで自分らしさ、個性をもっと出してほしい。


3流大学は学歴では勝てないんでね・・・。(by 自分の経験から)



株式会社ル・クール 代表取締役 橘 秀希氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ル・クール 代表取締役 橘 秀希氏登場。


ルクール
本文より~


TVドラマ「ライスカレー」でシェフの道へ


話は高校時代まで進む。高校は県内でも有数の進学校だった。「不良とも、生徒会の連中とも付き合えるバランスのいい人間」だったそうだ。公立高校だったが、学内推薦があり、ある程度の大学なら推薦で進学することができた。もちろん成績がいいことが前提だが、橘の場合は、推薦を受けられるだけの内申点があった。だから、3年の夏、担任の先生に言われたことも、「推薦で進学できるから、とにかく何も問題を起こさないでくれよ」の一言だった。橘も、その気でいた。受検間近の高校生だが、勉強をしないでいいのだから、気楽なものだ。
ところが、あるTVドラマを観て橘の人生は、180度転換する。ドラマの名は、「ライスカレー」。カナダでライスカレーショップを開業しようとした青年たちのお話である。「ライスカレーを観ましてね、そうだ、料理人になろう、スイッチが入ってしまったんです」。高校3年の秋のことである。
「大学に進学せず、料理人になる」、料理人になる決意を告げると父は怒った。「もともと父はサラリーマン志向の人なんです。兄弟はもちろんですが、従兄弟まで使って辞めさせようとしました(笑)。いったんは大学に進んで、料理人になるにはそれからでもいいじゃないかなど、いろんな説得をされましたが、大学に進んでもやりたいことはなかったし、時間も無駄にしたくなかったんです。それで反対を押し切って辻調理師専門学校に進みました」。橘青年、18歳の決意だった。・・・。


株式会社ル・クール 代表取締役 橘 秀希氏


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2011年11月18日金曜日

就職情報マガジン“in-職hyper<新卒・第二新卒版>”営業開始!!

フードビジネスの社長に特化した就職情報マガジン“in-職hyper<新卒・第二新卒版>”営業開始!!


新卒


若手の人材(新卒・第二新卒+グローバル人材)採用をメインにした就職情報誌をキイストン単独で11月21日から営業開始します。


コツコツと水面下で2ヶ月かけて首都圏の大学を1校1校まわらせ、2月には現地シドニーの飲食企業様との提携で行き海外事情を見に行ったり、また9月にはフィジーに行き直接語学学校を視察し、若手の人材、しかもグローバル人材確保とリサーチをやってきました。


あわせて大学にて3年生対象に講演、高校では就職希望の3年生の就職相談などこの半年の間で下準備し、ようやく本格的に動かします!!


キイストンが働く人の視点で企業を選び、こだわりの経営者、ここならお奨め企業様だけ掲載依頼します。


是非、キイストンから掲載依頼させてもらった企業様、ご協力ください。



本日、IT系企業様呼んでのホメオストレッチ体験実施。

バランスセラピーUniv.(BTU)様とキイストンと協力し、


企業向けメンタルヘルスに関係するテストマーケティングとして計2回実施。


前回の1回目は飲食経営者限定10社で実施。


今回は2回目でIT関連企業様対象に限定10社で 「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」(学術名で筋肉応用覚醒伸展法)のバランスセラピー学の理論と技術、それにホメオストレッチ体験を実施しました。


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(セミナー風景)


やはり、IT関連のお仕事には、このホメオストレッチは効果的だと思います。皆さん帰られるとき、頭がぼーっといい感じっておっしゃってました。



2011年11月17日木曜日

2011年11月15日火曜日

株式会社ROT 代表取締役 田子英城氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ROT 代表取締役 田子英城氏登場。


田子社長
本文より~


母に贈ったダイヤモンド。


田子が生まれたのは1978年7月。板橋区で生まれ、3歳の時に両輪が離婚し、母と弟と3人で母の実家がある埼玉県戸田市に引っ越している。父親の記憶はほぼない。離婚して以来、会ったこともないからだ。
離婚してスグに母は仕事にでた。6時まで事務をやり、夕食を子どもたちといっしょに食べてからレストランではたらいた。帰宅は10時。2人の息子はお行儀よく、母の帰りを待っていた。
さみしくなかったですか?と問うと、「ぜんぜん」という答え。「子どもの頃にも、事情を知った大人たちからたいへんねと言われました。でも、ぼくたちはぜんぜん、そう思っていなかった。片親だけど、その分、母親から愛情をたっぷり注いでもらいましたから」。 
田子にとって、母親の存在は大きい。もっとも影響を受けた人だという。感謝の気持ちも尽きない。母を喜ばせてあげようと思った。中学を卒業し、初めてもらったバイト代は、母の指を飾る小さなダイヤモンドの指輪にかたちをかえた。・・・・。


株式会社ROT 代表取締役 田子英城氏


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11日は静岡の高校で、14日は母校の大学で就職アドバイスの講演を・・・。

「かなりの社長様の取材をしてきた」


「かなりの求人を扱ってきた」


「他ではやってない訪問数や苦しい経験もしてきた」


ここ最近講演はしばらくお断りしていましたが、可能性のある若い人材が元気と自信が出る就職に関係するものだけはこれから受けて行こうと考えています。


早速、11日(金)は静岡県浜松にあるオイスカ高校にて就職希望の男女学生10名の就職相談。


オイスカ高校
(静岡県浜松市の浜名湖畔に位置し寮を完備した高校)


また、14日(月)は名古屋にて、母校の大学の水野ゼミ・河原林ゼミ合同で42名の学生の皆さん相手に講演。微力ではあるが、日本の若者、特に男子諸君がもっと挑戦、好奇心持ち元気発信してもらえればうれしいです。


就職がなければ会社作ったらいい、なかなか就職決まらなければもっと個性出し、目立つことしたらいい。枠にはまり過ぎなんで発想変えてほしいですね。


画像 001
(名古屋学院大学日比野校にて)


来年2月には一歩踏み出し留学でフィジーに行ってる学生の前でもやる予定です。


授業風景
(フィジーの学校で授業を聞く学生たち)


今の10代、20代が日本をもっともっと元気にする担い手にならないと世界競争で負け組に落ち着いてしまいます。


ガンバレ日本の若者たち!!



2011年11月10日木曜日

17日(木)、うつが多いと言われるIT関連の企業様限定でお試し体験。

前回の10月は、飲食業界の社長10人に限定して実施した「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」(学術名で筋肉応用覚醒伸展法)。


大変好評を得た。


今度は角度を変え、この17日(木)に、バランスセラピーUniv.(美野田代表)様が考案された心と身体の限界疲労を脳の疲労と捉え、その脳疲労を解消・軽減するストレスケアを今回(はうつが多いと言われるIT関連の企業様限定でモニターリングの体験を実施します。


企業の人材育成面や従業員の心身のフォロー、うつによる離職者減少に役立てばうれしい。


実はキイストン、意外と飲食業界以外の人脈も沢山あるんです。



2011年11月9日水曜日

被災地&飲食業界&ニッポン応援プロジェクト~就職編~、始動!!

仙台に本社のあるエスツーの須藤社長のところと一緒に


今度は本業である人材採用で、


“被災地&飲食業界&ニッポン応援プロジェクト”を再始動する。


大震災のあと飲食業界は


企業によってばらつきはあるものの


だいぶ戻ってきた。


今はまだ被災地の緊急処置で


失業保険等支給されているが、


年明け以降厳しくなってくるはず。


そのタイミングで、


少ししか力になれないかもしれないが、


東北の若者の就職支援をやっていく。



株式会社スパイスワークス 代表取締役社長 下遠野 亘(わたる)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スパイスワークス 代表取締役社長 下遠野 亘(わたる)氏登場。


スパイスワークス
本文より~


建築関連の専門学校に進学。アルバイトで限界を知る。


高校に行ってもサッカー部に所属。レギュラーの座を獲得した。兄と比較すればまだまだだったが、強豪校ではなかったから巧い選手の一人に選ばれた。小学校から続けたサッカーに終止符を打つのは、専門学校に進んでからだ。
「建築関連の専門学校に入学しました。一方、アルバイトで飲食店の内外装を手がける建築工務店で働き、実践を通しながら建築のノウハウを学びました。もっとも、設計やデザインではなくもっぱら施工のほうで、その当時から現場でも寝袋一つあれば眠れるチカラを身に付けました(笑)」。「規模はそれほど大きくありませんでしたが、新宿の有名店も手がけるような会社で、先輩たちはできる人ばかりでした。彼らの仕事ぶりをみて、自分との差を強烈に感じてしまうんです」。
勉強にはなったが、限界を知ることにもなった。モノづくりを行う人間にとって、能力の違いを見せつけられることほど辛辣なことはない。「どうして、こういう風にできるんだろうって、諦めの境地です。凄いから学ぼうというんじゃなくて、オレにはできないと後向きの思考に陥っていたのかもしれません」。ある意味、逃げるように退職。好きなバイクに乗って日本中を駆け回った。「もともと旅行も好きだったのですが、その時は、買ったばかりのハーレーを乗り回したかっただけだったかもしれません。何かスカっとしたい、そんな気持ちだったんでしょうね」。・・・・。


株式会社スパイスワークス 代表取締役社長 下遠野 亘(わたる)氏


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2011年11月7日月曜日

お花(季節の生花、観葉植物、ウェディング、パーティー装花)部門をカテゴリーに追加。

おかげさまで、数多くの飲食企業様と接点ができました。


飲食の経営者を取材させて頂いた「飲食の戦士たち」だけでも既に250社突破し、その店舗総数だけで1万4,000店舗になってきました。


それだけ多くの接点ができたがゆえ、少しでも多くの飲食企業様に喜んでもらえればと、また一つ別のカテゴリーである、お花(季節の生花、観葉植物、ウェディング、パーティー装花)に関して飲食企業様に深く入っていこうと考えています。


もちろん、キイストンで新規ビジネスとしてやる訳ではありません(笑)、あくまで提携です。


社長が元リクルートと私の前職と一緒、しかもゼロから創業され14年の実績と信頼があるグリーンロード様との提携です。


花屋はいろいろありますが、大事なお客様をご紹介する以上、何よりも信頼とサービスがポイント。


グリーンロードの強み】


1.会社のロゴを札入れできます


 事例


花
(写真例はコチラ)


2.フラワー業界では珍しい営業スタッフ10名在籍、かつ専門スタッフが丁寧に受注管理


3.お届け商品の写真をメールでお知らせ 事例2


4.選べる決済方法(クレジット決済・請求書発行・銀行振り込みなど可能)


5.午後5時までのご注文で翌日お届け可能


是非ともキイストンまでご連絡ください。 → お問い合わせ先 info@keys.ne.jp


きっとご満足いただけると思います。



2011年11月2日水曜日

祝 史上最年少上場社長登場、リブセンス上場!!

先ほどリブセンスの村上太一社長から連絡頂いた。


『東証マザーズに上場の承認おり、12月7日に上場予定です』っと。


しかも史上最年少の上場社長。


今までの若手経営者とは違い、なんのバックアップもペンキゃーキャピタル等も全く頼らず自力のみ。


村上社長、ならびにリブセンスのスタッフの皆さんの実力で勝ち取った上場。


本当におめでとうございます。


もう付き合いは4年ほどになるが、村上社長からみたら、上場はほんの第一通過点のようなもの。


世界を動かすほどの人材かも・・・。


とにかく、私個人、またキイストン一同、感謝とうれしさいっぱいです。



2011年11月1日火曜日

クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社 代表取締役 上田谷真一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社 代表取締役 上田谷真一氏登場。


クリスピー
本文より~


父とおなじ大学へ。


中学になって、上田谷は水泳部に入る。高校ではラグビー部に所属した。高校は県でも有数の進学校。とはいえ、スポーツにも力を入れている学校で、自由奔放な教育スタイルだったようである。ラグビーに明け暮れていた上田谷は、仲間同様、高校時代はクラブ一本、1年浪人して大学に進むんだろうなと思っていた。「勉強しないから成績はふるいませんでした」と上田谷。ところが2年になって大きな怪我をする。その怪我がもとでラグビーを断念しなければならなくなった。それが上田谷に火をつける。「クラブを辞めたんで、これで浪人はまずいなと。最後の半年間は、人がかわったように勉強しました」。猛勉強したといっても、わずか半年。不安がないといえばウソになる。しかし、上田谷は見事、赤門を潜った。一方、この高校時代を含め、中学3年から高校2年まで一人暮らしを続けている。「父が海外転勤となり、母と弟はいっしょに行ったんですが、行き先がバーレーンということもあって私は日本に残ることにしたんです。一人暮らしといっても母の実家が近くにありましたから、洗濯とか、掃除は祖母がまとめてしてくれました」。「元々、両親から何かをしろと言われて育ったわけではありません。自立しているところもあったんでしょう。一人暮らしといっても抵抗はなかった気がします。それに高校に入るとクラブ漬けで、寝に帰るだけの毎日でしたから寂しさを感じている暇もありませんでした」。高校3年になって、家族が日本に戻って来た。それに合わせ、上田谷も合流する。ただ、しばらくするとまた一家は、ロンドンに旅立ってしまった。・・・・。


クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン株式会社 代表取締役 上田谷真一氏


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2011年10月25日火曜日

株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏登場。


龍馬
本文より~


人気の中華料理店を経営する父の背中。


後藤が生まれたのは1970年10月3日。父は新宿の一角で中華料理店を開いていた。生粋の料理人で、旨い料理をつくるのだが、客と揉めることも少なくなかったそうだ。「流行っていたほうだと思いますよ。でも根っからの職人で、とにかく瞬間湯沸かし器のような人。母やボクにとっては絶対的な存在でした。父がいるだけで、ビクビクしていたぐらいです。一方、母は温厚でホールに出て店を手伝いながら、経理もすべて母が担当していました。客とのトラブルを止めていたのも母です。母がいなかったら、店は上手くいってなかったでしょう。うちの父は秋田の生まれなんですが、小学校も出ていなかったんです。字も書けない人です。だから相手に気持ちをうまく伝えきれなかったんでしょうね。それで、スグ怒ってしまう。息子の私には、その分、口うるさく勉強しとろと言っていました。たしかに怖い父でしたが、愛情はたっぷり感じて育ちました」。
後藤は、そんな父の背中を見て育った。・・・・。


株式会社レッツジャストドゥーイット 代表取締役 後藤 隆氏


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株式会社幸楽苑 代表取締役社長 新井田 傳(ニイダ ツタエ)氏登場。

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幸楽苑
本文より~


原点は父、司氏が始めた「味よし食堂」


「幸楽苑」の歴史を辿れば、ある小さな食堂に行きつく。1953年、福島県の会津市に開業された「味よし食堂」だ。創業者は新井田司氏。新井田傳の父親である。「父は電力会社に勤めていました。55歳で定年を迎えましたが、子どもたちはまだ学校に通っていました。末っ子の私はまだ小学3年生。だからまだまだ引退はできないと、退職後に大衆食堂をオープンしました。それが“味よし食堂”です」。
オープン当初は、父と母の二人。深夜営業に目をつけた両親は、真夜中まで働いた。「雪深いエリアですから、冬の深夜になると膝まで雪が積もる。雪を踏みしめ、2キロの距離を父と母は毎晩、歩いていたそうです」。
「深夜帯でなければ、素人が始めた店にわざわざ来ない」という父、司氏の判断だった。それが功を奏して、客が増えた。研究熱心な司氏は、人気メニューも開発。従業員も次第に増えた。店で働く父母をみて、新井田は育った。いい印象ばかりではない。「店を開いてからは母も仕事をしていましたので、私は祖母と姉たちに預けられたようなものでした。忙しい父と母をみて『絶対、店などやるものか』と思っていたように記憶しています」。・・・・。


株式会社幸楽苑 代表取締役社長 新井田 傳(ニイダ ツタエ)氏


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2011年10月19日水曜日

株式会社未知インターナショナル 代表取締役 水本弥知秀氏登場。

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未知
本文より~


ドラマ「HOTEL」の主人公に憧れて。


中学2年生になった水本は、メンバーを集めバンド活動を始める。担当はギターか、ベース。「私は、とにかく最初に憧れがあり、その憧れを追いかけるようにスタートする性格なのでしょう。この時、バンドを始めたのも、きっかけはC.C.Bのベースに憧れたことでした」。もちろん、単なる憧れではなかった。本気でミュージシャンになろうと思っていた。そんな水本の気持ちを変えたのは「HOTEL」というTVドラマ。「18歳の時にTVで『HOTEL』を観てホテルマンってカッコいいと思ったんです。高校も地元だったので、都会への憧れもありました。それで二兎を追いかけて堂島ホテルに就職したんです(笑)」。「田舎者ですから、フォークとナイフで食べたことなんてない。そんなまったくの素人からホテル業スタートです」。・・・・。


株式会社未知インターナショナル 代表取締役 水本弥知秀氏


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