2019年6月19日水曜日

夕刊フジの新連載「飲食FCで第2の人生」が5月17日(金)より連載開始。

夕刊フジの新連載「飲食FC(フランチャイズ)で第2の人生」を17日よりスタートしました。
5月17日、24日、31日の3連載でフードフォーラムの千葉哲幸氏にFC(フランチャイズ)について語っていただきました。
zakzakにも同時掲載します。
  (No.1)
zakzak
 (No.2)
zakzak
 (No.3)
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株式会社にっぱん 代表取締役社長 近藤洋一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社にっぱん 代表取締役社長 近藤洋一氏登場
本文より~

1周たった4キロの小さな島。

父親はかっこいい漁師だった。イセエビ、アオリイカ、鯛、カサゴ…海の恵みは豊かだったが、生活は裕福ではなかったようだ。
「私は、宮崎県の小さな島生まれです。1周、4キロ。島の分校の生徒数は9人で、私の同級生はたった1人です。とにかく、台風が多かったですね。遊びっていったって、海と山しかないでしょ。だから、男子はだいたい野生児に育ちます」。近藤氏は3歳で泳ぎ、5歳の時にはモリで魚をついていたそうだ。
父親は島育ちだったが、母親は東京生まれ。東京で父親と知り合い、父親を追いかけるようにして、この島に嫁いだという。
「東京の祖父は、石油会社の役員です。母は、2人姉妹の長女。たいそうなお嬢様で、料理もしたことがなかったそうです/笑。もちろん、こちらでお嬢様なんて通用しません。母も父を手伝い、まっくろに日焼けします。そうですね。お金がないもんですから、東京の祖父母のところに行くのは、3~4年に1回くらいですね。小学生の4年の頃に一度妹と2人だけで行ったことがあります。母のぶんまで、切符が買えなかったんでしょうね。ええ、東京は、島とはぜんぜんちがう風景でした/笑」。
妹の手をにぎり、東京の街をみる。小学4年、10歳、1983年の東京。バブルの芽が育ちはじめた頃である。

島から来た野生児は、運動神経抜群だった。

もともとガタイがでかい。しかも、野生児である。わんぱくなイメージに思えるが、案外そうでもなかったらしい。母親に勧められたこともあって本好きで、じつはかなり勉強もできた。中学校には、船と自転車で通った。1クラス25人。同級生の数は25倍になったが、笑うほど少ない。
それでも、バスケットボールは県の大会で準優勝。卓球でも市の大会で準優勝している。「ハッキリ言って、運動神経だけは抜群でしたね。水泳でも、じつは大会新記録を更新しています。まあ3歳から海で泳いでいますからね。泳ぎは得意中の得意です」。
何をやらしても、誰よりも巧くできた。バスケに、卓球に、水泳に…、ただ本人はプロ野球選手になりたかったそう。「野球部がなかったんです。だから、カベあてが日課でした」。
もし都会でもおなじようなガタイになっていれば、才能ある選手として高く評価されていたにちがいない。
実際、名門の日南高校に進み、チームで野球をするのは初めてだったが、すぐに頭角を現している。背丈は183センチ。大学へ進学すると、堂々たる体躯から143キロのスピードボールを放った。

オーストラリアへ、ニュージーランドへ、波を切り進む。

「祖父母が東京だったこともあって、はじめから東京に行こうと思っていました。進んだのは、東京水産大学(現:東京海洋大学)です。大学では1年からエースで4番。3部リーグですが、奪三振王でした」。
東京に来て活躍する孫に、祖父も、祖母も目を細めておられたことだろう。
「ただ、2年の秋に肩を壊してしまいます。それが原因で3年の途中で野球から離れました。バイトは、1年の時から色々やりました。当時から鮨屋でもバイトをしていました」。
水産大学だから、1年間船にも乗った。オーストラリアやニュージーランドへ。マグロを追いかけたこともある。星で位置を確かめる訓練もした。
「大学を卒業する時には飲食を狙っていました。『にっぱん』に入社したのは、1997年です」。
2期生だったそう。同期は7名。「当時は、10店舗で売上は10億円くらいだったでしょうか。私は2年で本社勤務になります。経営企画室です」。
システムの導入、データの分析や数値管理…、経営陣からも高く評価された。上場の準備も中心となって進めた。何事も、順風満帆。しかし、落とし穴があった。

都会に、荒波が立つ。

「最盛期の売上は、55億円です。それが、35億円まで落ち込みます。資金の問題もあったし、無理な出店もあったんだと思います。いちばんは、いろんな計画が曖昧に進んでいたことですね。私は、財務も長く担当することになるんですが、異動した時には、ほぼドン底まで落ち込んでいましたから/笑」。
資金不足。銀行との交渉もうまくはいかない。組織もいつしか緩んでいた。「再生するのに5年かかりました。取引銀行も4行から30行にして、金利も大幅に下げます。人事でも大鉈をふるいました」。
「そうですね。いつからか『再生』という仕事をつづけてきたように思います。いま私が社長なのも、この時の経験を評価いただいた結果だと思っています」。
常務からいきなり社長に抜擢されたそうだ。それが2017年、この取材から2年前のこと。「6月19日に魚がし日本一30周年のイベントをやります。それが目下の大事な仕事でしょうか?」。近藤氏は、そう呟く。
また、働き方改革にはいち早く取り組み、定着率もぐんと良くなった。
・・・続き
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株式会社TGK 代表取締役 安藤隼人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社TGK 代表取締役 安藤隼人氏登場
本文より~

立教大学までの話。

ふわとろ~。黄色い衣が「ふわり」と映え、一口食べれば「とろり~」とした食感が、幸福とともに口いっぱいに広がる。
オムライスの話である。
オムライスは、ごはんが用いられることからもわかる通り、フランス発祥のオムレツを日本人がアレンジしたものだ。もともとはケチャップをかけるのが一般的だったように思うが、いまはソースのバリエーションも数多くある。むろん、オムライス自慢の店も少なくない。そのなかで、あまたの競合を乗り越え、オムライス界の頂点を狙っているのが、今回、インタビューさせていただいたTGKの安藤隼人氏である。
安藤氏は、1980年、池袋に生まれているが、すぐに埼玉県所沢に引っ越している。性格はおとなしく、小学校~中学校までは喘息をわずらっていた。
「だから、走るのがキライだった」と笑う。
もっとも当時からスイミングに通い、中学では柔道をはじめているから、喘息以外に問題はなかったのだろう。教科のなかでは英語がいちばん得意だった。
「高校は立教高校に進み、バレーボールをはじめます。1ヵ月間ですが、イギリスにも留学しています」。ファミリーレストランなどでバイトをはじめたのもこの頃。大学はストレートに立教大学に進学。
「大学時代を表現すれば、のほほ~んですね。スノーボードのサークルに入り、大学には行かず、バイトに明け暮れていました。長期休暇になれば、バイトでもらったお金をもって、湯沢でスノボーばかりしていました」。
どこにでもいる大学生といえば、そうなる。
起業するとは本人もまだ思っていなかったことだろう。

2007年、独立開業。

「就活では、リゾート開発の企業を何社か受け、ホテル開発などを行っている会社に就職しました」。社名を伺い、検索してみると、ホテル事業、カラオケ事業、パチスロ事業など多岐に亘る事業を展開されていた。
「私は、カラオケ事業に配属されます。新卒では珍しいんですが、キッチンからのスタートです」。
カラオケといっても、料理は本格派。実際、キッチンで安藤氏を待っていたのは、レッキとしたフレンチ出身のシェフだった。「でも、料理はともかく、馬が合わない。おかげで1年半くらいは、まったく面白くなかったですね/笑」。
どんな料理を任されていたのだろう。
1年半くらいしてから、マネージャーが異動。代わりのマネージャーとは、いい具合に馬があった。
「ここから俄然、仕事が楽しくなってきました。合計3年半くらい在籍しています。上野、御徒町、六本木で勤務しました」。
それから、独立?
「そうです。2007年、25歳で独立します。9月に神田に1号店オープンしました」。

めざすのはオムライス業界ナンバー1。


「ま、正直にいうと、最初はノリみたいなものですね」。
儲かるみたいな?
「そうです。最初の出店が神田。だから、『神田たまごけん』です」。
坪数15坪、初期投資は1500万円。
どうでしたか?とうかがうと、「結構、難しかったですね。スタートした時は前職の同僚や知り合いなどに声をかけて。法人化したのは、2011年です。その年の1月に池袋店をオープンし、6月に神田店を閉店しています」。
そして、2015年2月に秋葉原に新店をオープン。「2017年からFCをはじめます。それで、現在8店舗です。もともとは、2020年までに50店舗の目標をぶちあげていたんですが、今は、現実的な目標としてあと5店舗はいきたいな、と」。
もちろん、めざすのはオムライス業界ナンバー1。
それはいまも昔もかわらない。
メニューをもう一度みてみる。酸味の利いたさっぱりとしたスタンダードなトマトのソースの「トマトオムライス」や、特製ハヤシソースの「ハヤシオムライス」などがあり、チーズなどのトッピングも楽しめる。全メニューにコンソメスープが無料でついてくる。さらに、卓上に置かれた自家製スイートピクルスは、食べ放題! このピクルス、グルメサイトでも評判がよかった。
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株式会社千吉 代表取締役社長 長縄竜彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社千吉 代表取締役社長 長縄竜彦氏登場。

本文より~

おかずは、漬物。

吉野家ホールディングスには、様々な企業が連なっている。「吉野家」「はなまるうどん」「京樽」…、そして、カレーうどんの「千吉」。
昔からこうだっただろうか。久々に「千吉」のホームページをみると、カレーのバージョンがマシマシになり、おばんざいメニューの種類も同様に、マシマシになっている。
今回は、吉野家グループのなかでも「カレーうどん」を切り口にした独自メニューで注目の「千吉」。その代表取締役、長縄氏にスポットをあててみる。
小さな頃の話をうかがうと、長縄氏は「極貧だった」と笑いながら切り出した。「もともとは兵庫県で、親父のほうの家族5世帯で住んでいたんですが、父親のギャンブルが原因で岡山へ引っ越します。ま、『引っ越す』ではなく、『逃げる』がただしい表現です」。
1週間、ご飯と漬物だけ。そんな時もあったそう。「貧乏といったって、子どもの頃はそれが当たり前ですからね。辛いとかそういうのではなかった気もしますが、まぁ、強烈な生活でした。ただ、漬物だけでも、人間、なんとか飯は食えます/笑」。
飯は食えたが、家族の間はどうだったんだろう。両親は、長縄氏が高校を卒業すると、離婚。長縄氏も、高校を卒業してから飛び出すように家をでている。
「たぶん、私が高校を卒業するまで離婚を待ってくれていたんでしょうね」。
長縄氏は小さな声で、そう呟いた。

自立は、貧乏からの脱出を意味している。

「いちばんうえの姉はやんちゃですが、2番目は大人しい。私もじつは、高校生までは大人しい性格だったんです。得意な科目は算数に美術に図工…、体育とかはそう得意ではなかったですね」。
高校は18キロ離れていたから、バイク通学が許されていた。
「私が、かわったのは高校2年の時。思春期だったんでしょうね。三角関係みたいなかんじで、親友と泥沼化しちゃうんですね。そういうのが重なって。ある意味、ふっきれたんでしょうね。もう、だれかを気にするのはやめよう、やりたいように生きよう、と」。
「そうですね。あの頃は恋愛も友情もなんなんだって。その一方で、貧乏から抜け出すことは頭から離れていません。だから、大学にも行かず就職しました。靴屋です」。
昔の話だ。休日は少なく、残業は山盛り。4年つづけて退職した。
大学に進んでいたら、卒業する時だ。もちろん、長縄氏に新卒の肩書きはもうない。

最初の、はなまる。


「あの頃は、とにかくハードな時代でしたからね。とはいえ、人間ですから、休みも欲しいし。それで、転職を考えたんです」。
それが、「はなまる」さんとの出会いですか?
「そうです。当時は、エイジェンスという社名です。エイジェンスはもともとアパレルの会社で、『はなまるうどん』は、会社の一事業部としてスタートします。店名の「はなまる」は、創業者が子どもの頃から『はなまる』をもらったことがないので命名したのは有名な話ですね。この創業者とお会いして、『この人と一生、仕事をするんだ』って。ハイ、運命的な出会いでした」。
「はなまるうどん」の1号店は、香川県の高松市にオープンする。
「当時は創業者と、もう1人の方と私の3人です。本業は、アパレルでしたから、事業部をわけて実験的に讃岐スタイルのセルフうどんを始めました」。
創業者に惹かれ、創業メンバーの1人として、長縄氏の「はなまる」人生がスタートする。
「最初は一杯180円だったんです。だいたい周りのお店もそうでしたから。コーヒーチェーン店の、コーヒー1杯分ですね」。
どうでしたか? 
「そうですね。正直にいうとだめでした。思っていた以上じゃなかった。それで、ある程度、ノウハウがたまった1年後に思い切って勝負にでたんです」。
それが、100円?
「そうです。2000年に1杯のうどんが100円です。そうしたら、朝10時開店で、12時には完売。もちろん、100円ですからね。利益もそうはでない。私らの人件費を正確に計算したら、どうなっていたでしょうね/笑」。
もっとも、この時からスタイルは確立している。うどんをオーダーし、てんぷらをチョイスし、おにぎりを取る。
「お1人様の単価はだいたい500円くらいでした」。
あっという間に「うどん」がなくなる。それは長縄氏たちの未来がひらけていくのとおなじ意味だった。
ともかく、消費者が最初に「はなまる」に「はなまる」をつけたのは、この時だろう。
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2019年6月18日火曜日

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2019年6月16日日曜日

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