2020年11月30日月曜日

10月17日(土)より5連載で日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる店”に「ティーケーエス」斎藤浩司社長が推薦の5店舗が紹介されました。

10月17日(土)~11月14日(土)の5連載で日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる店(旧 グルメ社長の食い倒れ日記)”に「ティーケーエス」斎藤浩司社長が推薦の5店舗が紹介されました。



9月12日(土)より5連載で日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる”に「神楽坂くろす」黒須ゆきこ女将が推薦の店舗が紹介されました。

9月12日(土)~10月10日(土)の5連載の日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる店(旧 グルメ社長の食い倒れ日記)”に「神楽坂くろす」黒須ゆきこ女将が推薦の5店舗が紹介されました。

2020年11月24日火曜日

株式会社つばめ 代表取締役社長 石倉知忠氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社つばめ 代表取締役社長 石倉知忠氏登場。

本文より~

創業1930年。

「特急 つばめ」が走る。デビューは1930年。「つばめグリル」と同い年。名に、由来がある。
ホームページによれば、もともと「特急 つばめ」は「新橋」駅にも停車していたそう。それが停車しなくなったことで、「つばめ」の名を惜しむ声があがり、同駅ちかくにあった小さなレストランに、その名が刻まれたということだ。
ちなみに、「特急 つばめ」は、東京・大阪間を8時間20分で走破している。はるか昔の話。
この超特急の名を受け継いだグリルにも年が流れ、いまや4代目の店主となる。その4代目が、今回ご登場いただいた石倉知忠氏。社長に就任したのは2020年の5月。このインタビューが同年7月のことだから、まだ1年も経っていない。どんなお話が聞けるだろう。
「今年で弊社は90周年になります。創業者は曾祖父です。2代目の祖父は戦時中にシベリアで抑留されていて、シベリアから帰国した際に2代目になったと聞いています。ただ、色々な理由が重なり、比較的すぐに父にバトンタッチしています。私には兄がいますが、兄は子どもの頃から『継がない』と公言していまして、おかげで私にお鉢が回ってきたということです」。
もっとも子どもの頃になりたかったのは、「つばめグリル」の4代目ではなく、アナウンサーか、化石発掘者か。
「ただ、食には関心があったほうだと思います。日曜になると、よく外食に連れて行ってもらいました。銀座のお店が多かったように思います」。
英才教育?
「今思えば、そうかもしれないですね/笑」。

1998年、つばめに、入社する。

子どもの頃、どんな少年でしたか?という質問には、「トゲトゲした子ども」という回答。
学校は小学校から慶應。
「英語と美術以外はあまりできませんでした。スポーツは軟式テニス、バドミントン、また、グライダーもやりましたが、特段はハマったものはない。大学時代は、カヌーをしていました。その一方で、映画にはハマりました。年間400本は観ていたと思います」。
高校3年の時には、アメリカにも行っている。今も年2回はフランスなどのヨーロッパや20年来の付き合いがあるワイナリーを視察するため、チリ、アルゼンチンにも行っているそうだ。
ちなみに大学を卒業して、就職したのはサッポロビール。サッポロビールで3年間、勤務している。
「私がつばめグリルに入社したのは、1998年のことです。それからもう22年になります。今年、社長に就任したわけですが、10年くらい前から、すでに自由にハンドリングしていましたので、社長になったことでなにか違いがあるわけでもないですね。あるとすれば、やはり新型コロナウイルス。リーマンショックといった世界的な不況は経験してきましたが、今回はそれ以上にやっかいですね」。
たしかに、いままでの不況ともちがう。予測がつかないのも、その一つ。
「現在26店舗あり、そのうち6店舗が惣菜店です。レストランのほうは4月から自粛しましたが、惣菜店に関しては社会のインフラの一つだと思い、営業をつづけてきました」。
「レストランの営業を再開したのは6月1日から。だんだんとお客様も戻ってきてくださって、この調子でいけばと思っていましたが、7月に入り感染者数の増加と共にまた急下降です」。
たしかに、7月に入り、出口はまだ先の先ということを思い知らされた。
「BSEの問題とかもありましたが、その際は今思えば比較的短時間で解決しました。ただ、今回は先が長い。だとすれば、時間が解決してくれるのを待つのは最悪の手です。どうすればいいか、問題はそこにあります」。

創業90周年目の大波乱。

「昨年、消費税が10%になってから雲行きが悪くなってきましたが、それでもオリンピックがあると思っていました。しかし、コロナウイルスでその望みもなくなりました」。
まさに、創業90周年目の大波乱。
「5月の就任ですからね。年始は、こんな事態をまったく想像していませんでした。とくにうちのようなつくり方のハンバーグだと原価が高くなります。そのため、売上が前期比70%に戻ったと言っても、経営的には赤字です。これが50%やそれ以下になるわけですから大変です」。
とはいえ、手をこまねいているわけではない。じつは光明もある。やはり老舗のちからだ。
インタビューの冒頭で、石倉氏は「つばめグリルによく行っていた」というお客様からの言葉について、「何故か過去形の方が多い。そこが課題」と言っていた。「よく行っていた」ではなく「たまに行っている」と言われたいというわけだ。
しかし、このコロナ下において「よく行っていた」というお客様の存在と価値があぶりだされている。
「今までは売上の比率はレストランがメインで、総菜の比率は15%くらいだったんですが、この総菜の比率を大きくしていこうと計画しています。実際、レストランがほとんど前年比50%なのに比べ、総菜店は90%くらいまで回復している店舗もあります」。
総菜。なるほどレストランに「よく行っていた人」が購入されるのだろう。
「ええ、もちろんそれもあるんですが、じつは総菜のノウハウを活用し、通信販売を進めていこうとしています。その時に、自社でSNSなどの情報発信ツールをつくろうと、遅ればせながらインスタグラムに力を入れはじめたところ、数ヵ月でフォロワー数が約2万人近くになりました」。
ハンバーグの作りかたの動画なども投稿したそうだ。
「これが思いのほか、けっこう話題になりました。大阪や北海道といった地方からの反響が大きかったです。そう、全国から『昔よく行った、あのつばめグリルの味を』というわけです。ありがたいですね。これがたぶん、うちの商売を永く続けてきた飲食店のパワーであり、そんなお客様が大事な財産なんでしょうね」。
これを活かす。通販には早々に着手したいとのこと。つばめグリルの味が簡単に家庭で楽しめるとなれば消費者にとってはありがたい限り。

・・・続き

株式会社つばめ 代表取締役社長 石倉知忠氏


新型コロナウイルスの「第3波」に備えて、キイストンでは・・。

新型コロナウイルスの「第3波」の到来で、全国の新規陽性者数が過去最多を更新なか、

キイストンは社内の忘年会&新年会取りやめにしました。

出勤時の検温、アルコール消毒、手洗いに加えて、今回席と席の間にパーテーション設置しました。

少数精鋭でやっているため、もし社内で誰かが感染すると全面的に営業活動停止の可能性のありますからね・・・。

自分たちの身は自分たちでも守る。

また、関わる皆さんにも安心していただけるよう、事前にやれることから対応していきます。


11月6日(金)より夕刊フジ「飲食FCで第二の人生」に肉汁餃子のダンダダン(ナッティースワンキー様)を3連載で掲載しました。

11月6日(金)〜20日(金)の3週に渡って夕刊フジ「飲食FCで第二の人生」に肉汁餃子のダンダダン(ナッティースワンキー)を掲載しました。

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2020年11月17日火曜日

株式会社浪漫家グループ 代表取締役 福井将一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社浪漫家グループ 代表取締役 福井将一氏登場。


本文より~

飲食は儲かる。

「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー♪」「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー♪」
福井氏の歌がこだまする。テーブルには、福井氏の渾身のスイーツ。「最初はうちのアルバイトもモジモジやっとったんやけど、だんだんみんな調子でてきて」。小さな店がバースデイソングに包まれる。「本人らは、ボロボロやったんちゃうやろか」。
30年以上も前の、小さなお店での話。
「24歳の時に『低資金でも開業できる』が謳い文句の、あるフランチャイズに加盟して、京都伏見にある赤字店をひきつぎます。そりゃ、赤字ですからね/笑」。
最初から、全力。
「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー♪は、『今日、彼女のバースデイやから、なんかしたってな』っていう一言のリクエストからはじまります。まだ、お客さんもついてない頃やったからね。そりゃ、心込めますわ」。
いまもそうだが、なんでも、全力。
「口コミで、『おもろい店長がおる』って広がったんかな。県をまたいでぎょうさんお客さんがきてくりゃはるようになって。ありがたいことに、赤字はどこへやらですわ」。
「飲食は儲かる」。これが、最初の体験。
フランチャイズの研修店にもなって、本部のスタッフになり30店舗だったFCを126店舗まで広げたそう。「うちの店は遠隔操作でカバーしながら、私自身は今日は名古屋、明日は金沢みたいな、もう寝る間もない。睡眠いうたらサービスエリアでウトウトするくらい。で、さっきいうたみたいに、『2年で126店舗まで広げる』わけです。その126店目が、じつは、うちの京都、赤池のお店なんですけどね」。

フルーツ・パーラーは儲からへん。

「独立から2年で5店舗まで拡大しました」と、福井氏は笑う。「採算はぜんぜんあいませんが、『オレは、できる』という自信が確信にかわったのは、この時ですね/笑」。
 福井氏が生まれたのは、1963年。京都市中京区。
「親父はもともとサラリーマンだったんですが、独立して染工場をはじめます。親父の、社員にやる気を与えている姿がめっちゃ格好よかった。こうやって仕事するんやぞ。そんな姿を見て『オレも社長になろ』と思っていました」。
そんな父親からは、小さい時から「やるなら、現金商売」と言われていたそう。「昔は、おとなしい子やったんです。でも、中学で陸上やるようになって性格がかわって。高校は、ラグビー、工業高校です」。
 ハナから、大学進学は頭にない。「ただ、これをやるというのもなかった。最初に就職した会社は1年半しかつづけへんかった。あとは、フリーター。あの頃は、転職のオニでしたね、まさに」。 
 自身でみつけた、最初の未来は、「フルーツ・パーラー」。「19歳の時ですね。とつぜん、フルーツ・パーラーをやっている夢をみるんです」。
 思い立ったら、行動は早い。
 「すぐ、中央市場の仲卸の果物店で社員として働かせてもらいます。そりゃ、フルーツを極めなあかんから。ただ、これもまた、あほみたいに頑張りましてね。19歳で市場の世界に入って、20歳の時にはもうセリに立っていました。たぶん、最年少記録です/笑」。
 21歳になると、軽トラックにフルーツを積んでビジネスを開始。「定期便みたいになって、飲食店からも注文をいただきます。もちろん、フルーツ・パーラーをするための軍資金獲得が目的ですかね。でもある時、ふと、コーヒー飲んだり、パフェ食べたりしてもろうて、いったいいくら儲かるんやろって」。
計算機をたたいた。「でね。結論は、利益がない!みたいな/笑」。
 つまり、起業のきっかけはフルーツ・パーラー。だけど、やったのはフルーツ・パーラーじゃやないってことですね?
 「そうそう。いろいろ準備を進めているうちに、フルーツ・パーラーは儲からへんという事実に思い至ったわけです」。

もう、とまらへん。

タイミングもあった。ある喫茶店のオーナーが「いまどき、喫茶店は儲からへん」と、串かつ店をオープンする。
「オープン前から話を聞いていたもんですから、もう興味津々なわけです。ええ、毎晩、出勤です/笑。だいたい観てたらわかるんです。サラリーマンばかりやったんですが、食べて、飲んで、『ごちそうさん』いうて、帰らはる。だいたい1人3500円。フルーツ・パーラーの3.5倍の客単価です。こりゃ、儲かるやん!って/笑」。
 「この時、はじめて、本を読んだ」と笑う。ワタミフードサービスの渡邉美樹さんの自叙伝「青年社長」だ。「最初は、パーラーやったんが、これで完全に方向転換です。でも、ぜんぜんお金がない/笑」。
 でも、もうとまらない?
 「そうですね。とまらへん。そんな性格ですから/笑」。
そんな時に、知人から「大吉」の独立システムの話を聞く。「ええやん、これやと思うんですが、京都でやりたかったから、私は大吉さんとは異なる会社と契約します。あとは、さきほどお話した通りです。けっきょく、私の店は研修店になって、私自身は本部スタッフともなって、126店舗まで店を広げます」。
 父親は「現金商売をしろ」といった。じつは、福井氏だけではなく、弟も、おなじやきとりで独立し、現金商売をしている。京都駅にある「きんぎょ」という店舗らしい。
 「焼き鳥の本部スタッフとして出店を伸ばし11年で退職、1998年10月に有限会社 浪漫家グループを創業しました。これが、ドル箱。13坪、40席で、月商500万円。スタッフは4人に。月商の1/2が残ります。ええ、毎月です」。
 けっきょく、創業から2年で5店舗まで拡大。
「経営の神かもしれへん」。
自信は、やはり確信にかわる。しかし…。

・・・続き

株式会社浪漫家グループ 代表取締役 福井将一氏


2020年11月11日水曜日

有限会社モグモグ 代表取締役社長 中村保和氏登場。

 in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社モグモグ 代表取締役社長 中村保和氏登場。

本文より~

1966年、生まれ。

ホームページを観ると、色鮮やかなページが目にとびこんでくる。「アロハカフェ カウカウ」「ブルーウォーターシュリンプ」「スマイルカフェ」「Go!Go!Crepe」などなど、目にも鮮やかな料理や商品が並ぶ。
その一方で、いぶし銀のように光る、たい焼き、たこ焼き、と日本人の定番も、いい色を醸しだしている。
今回、ご登場いただいたのは、有限会社モグモグの中村 保和氏。1966年、千葉県富里市生まれ。この、いい色のカンパニーが育つまでの軌跡をお伺いした。
「実家は、酒屋を営んでいました。千葉の田舎だったんですが、私が小学6年生の頃に、近くに成田空港が開港します。もともと1学年が2クラスだったのが、卒業する頃には6クラスになり、人も一気に多くなりました」。
ネットで調べてみると、中村氏が生まれた富里市は、成田市に隣接する市だとわかる。スイカが有名なようで「富里スイカ」は、皇室献上品となっているそうだ。人口推移もみてみたが、たしかに1970年代半ばから急拡大している。
「小学校の頃は野球、空手、中学からはバスケットボールに夢中になっていました。外食には小さな頃から興味がありましたね。転機をひとつ挙げるとすれば、高校受験に失敗したことでしょうか」。
もともと公立の高校を希望していたが、そちらが不合格。進んだのは私立の学校。どんな転機がやってきたんだろう?

転機と、子ども時代から決めた道と。

「コンプレックスっていうか」と中村氏。
「先生も受かると言っていましたし、私もまぁ、いけるだろうと。勉強はしなかったんですが、頭は悪くないと思っていましたから、そういう意味で自信はあったんです。だから、不合格の時はけっこうショックでしたね」。
ただ、落ちたことよりも、私立に進んだことが、転機ということ。
「そうですね。私にとって転機になったのは、その私学に進んだことでしょうか。クラス委員長を3年間勤めましたし、成績も、勉強はやっぱりあまりしなかったんですが、それでも常にトップクラスでしたし。その後、推薦で大学に進むんですが、結局高校受験の失敗が、私が進む道を決めたといってもいいと思うんです」。
たしかに、そうだ。人生はわからない。
「ただ、道という意味では、実は子どもの頃から父親の事業を継ぐつもりでいましたから、ゴールは決まっていた。高校時代から、酒屋の手伝いもしていますし、大学を卒業してからも酒屋を継ぐことを想定し、流通系の会社に就職します」。
その流通系の会社では、2年間、勤務している。奥様とも「こちらの会社で出会った」と、笑う。

酒屋の経営。

「2年で退職したのは、親父から『もどってこい』と言われたからです。ただもう、私の子どもの頃とはわけがちがう。事業を取り巻く風景はすっかりかわっていました」。
<ディスカウントストア、コンビニですね?>
「そう、昔は免許があれば、それで守られもしたわけですが、もうそんな時代じゃない。酒屋だけでは生きていけない、そんな時代だったんです」。
それでも、3年くらい酒屋の経営を続ける。しかし、さすがに選択に迫られる。
「平成7年に決断します。酒屋を辞め、飲食事業を開始しました。この年が今のモグモグの創業年です。最初に出店したのは、『ジョイフル本田』に出店しました。たこ焼きやラーメンやアイスクリームの、何でも屋的なショップです」。
会社の経歴をいただいたので、そちらを見ると、たしかに、「平成7年ジョイフル本田富里店内に「MOGMOG富里店」をオープン」とある。翌年、有限会社モグモグを設立と続き、平成9年には長崎屋成東店内に「天たこ成東店」をオープン。その後は、毎年のように出店を重ねている。
「2号店の『天たこ』をオープンした頃から、たこ焼きがブームになり、業績が拡大します。ただ平成13年あたりから今度は、たい焼きがきます」。
たこ焼きに、たい焼き。日本人なら、だれもが大好きな食べ物だ。しかし、ハワイとはかなり離れている。

たこ焼き、たい焼き、ブームに乗る。

もう一度、経歴に目をむける。平成12年までは「天たこ」のオープンが続いていたが、翌13年からは、たい焼きの「あんたろう」のオープンラッシュが始まっている。
「たい焼きも、おかげさまでブームになり、業績が拡大します。平成12年には、『m cafe』というカフェの出店も行いました。一つのものを掘り下げつつも、常にあたらしい発想で挑戦する、それがうちのDNA。かたちになるのは、このあたりからですね」。
「酒屋」というブランド価値が低下するなか、生き残りをかけ飲食事業を開始した時から、このDNAは生まれ、育ったと言っていいだろう。
ただ、ふつうなら、どこかで躓くはずだ。しかし、年表を観る限り、「停滞」の二文字がみあたらない。冒頭で書いた通り、いまやハワイアンカフェもある。
右から左までならべれば、それこそ色鮮やかで、バラエティ豊かという表現がぴったりになるに違いない。

飲食も、経営も、スピードのちからが大事。

「『アロハカフェ カウカウ』もそうですが、正直言って、緻密な計算というより、ひらめきです/笑。『ブルーウォーターシュリンプ』も、計算ありきではスタートできなかったブランドです」。
どういうことだろう?
「『ブルーウォーターシュリンプ』っていうのは、文字通り、シュリンプ、海老ですね。海老をガーリックソースで食べるハワイで大人気のショップです。日本では、うちが独占しているんですが、そもそもはイオンさんのテナントでスタートするっていう会社さんがあって。そちらさんが、オープンの直前に降りられてしまうんですね」。
<イオンさんにとってはたいへんですね?>
「そうなんです。『ハワイアンタウン』って名称でオープンされるつもりだったから、尚更ですね。とくに『ブルーウォーターシュリンプ』は、目玉の一つです」。
「かわりに手を挙げる会社さんもあったそうですが、海老って日本じゃ高い。だから、計算が立たないとぐずぐずしておられたんですね。で、じゃあ、うちがやろうじゃないかと。ハワイの本部にメールを送って、翌日にはハワイの本部にうかがっていました/笑」。
<それが功を奏した?>
「その通りです。すぐに契約が済み、正確には、『横浜ワールドポーターズのビブレ1Fのハワイアンタウン』にオープンするんですが、そちらが成功したことをもって日本でうちが独占することになります」。
「スピーディ」。
飲食のキーワードもそうだが、経営のキーワードも、たしかに、スピードだ。その意味で、中村氏の行動力と決断のスピードが、成功のキーとなっているにちがいない。
一言でいえば、「スピード力」とでも、いえばいいのだろうか。それが波に乗る力にもなる。

・・・続き

有限会社モグモグ 代表取締役社長 中村保和氏