2018年10月16日火曜日

株式会社BE FREE 代表取締役 林 卓氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社BE FREE 代表取締役 林 卓氏登場
本文より~

14歳、旅のはじまり。

ある年の夏。三重県の伊賀上野市にある、近鉄線の駅のホームで1人の少年が電車を待っていた。「中学2年の夏のことです」。向かうのは、終着駅でもある「近鉄難波」駅。
「夏休みですから、旅行者だと思う人もいたと思いますが、ぜんぜんちがいます。大阪で暮らそうと思っていたんです。ハイ。あては何もありませんでした/笑」。
貼り紙でみつけた中華料理店に住み込みでやとってもらった。
「正体は、薄々、気づいていらしたようですが、黙認してくださったようです。仕事はホールじゃなく、キッチンでした」。この時から、料理の世界に入るのだが、それは、たまたまの話。異なる貼り紙をみつけていたら、違う仕事をしていたかもしれない。
「私が大阪に来たのは、音楽がしたかったからです。小さな頃は野球が好きで、小学3年くらいからは、四番でエース。実は、中学でも評価していただいて、1年の時から四番で、エース。スカウトの目にもふれていたようです。私自身も、プロ野球選手にって思っていたんですが/笑」。
何気なく観ていたテレビで、「X JAPAN」を観る。それが、すべてのはじまりだった。「YOSHIKIさんを観て、突然、何かが弾けて。まだ、野球もつづけていましたが、小学6年生からドラムも独学ではじめます。音楽への思いが、だんだん大きくなって」。
その思いを抑えきれなくなったのが、中学2年の時。
「このまま『伊賀上野』ではあかんだろうと、大阪に出るんです」。
それが、14歳。旅のはじまりである。

14歳の、ドラマー。

中学2年。ご両親も、よく許してくれたものだ。
「長男ですからね。私も反対されると思っていたんですが、ぜんぜんOKでした。ほんまにええんか?ってこっちが心配になるほどでした。でも、『行くからには、一切援助しない。ぜんぶ1人でやれ』と言われました」。
きびしくされたのは、息子の覚悟を大事にしたかったからだろう。その一方で、一度、言い出したら聞かない性格も、わかっていらっしゃったはずだ。
「学校には、時々、顔をだしました。ええ、先生も公認です。無事、卒業はできて、卒業証書は郵送されてきました。もちろん、高校なんて考えません」。
肝心の音楽のほうはどうだったんだろう。
「こっちもライブハウスの貼り紙でメンバーを募集しているところをみつけて。そうですね。特定のファンの方はいらっしゃいましたが。まぁ、そんな感じだったですね。なんといっても、大阪ですから、音楽の世界ではローカルです。メジャーなんて話になるには、やっぱり東京だと、19歳の時に1人、新幹線に乗りました」。
当時のメンバーは5人いたそうだ。全員18歳、オーバー。
年下の14歳の林氏をみんなが、かわいがってくれた。林氏のパートは、ドラムと、ボーカルだったそう。練習は、真夜中から朝まで。「独学ですね。楽譜を買うお金もなかったですから、耳で聴いて、それで楽譜をつくって」。

メジャーデビューをめざして、上京。

せっかく出会ったメンバーと別れてまで、上京する。それが、19歳の時の覚悟。
「まず、新宿ですね。もともと大阪でも、中華以外に少しだけイタリアンをやっていたもんですから、新宿のウエディングイタリアンのレストランで。そうですね、1年半くらいはたらきます。1年もいると東京のこともわかってきて、そりゃ、やっぱり渋谷だろう、と、渋谷のイタリアンカフェに移ります。ここで、すべてがかわりました」。
どういうことだろう。
「あくまで仕事は音楽のためです。ただ、その一方で、料理が好きになっていきます。14歳から中華でしょ。そして、イタリアンです。キャリアも、それなりにあるわけですから、自信も少しばかり出てきます」。
そんなある日のことだったそう。
「1人のお客さんが、『このパスタをつくったのは、だれだって』って凄い剣幕でキッチンまでずかずかやってくるんです。もう、怖くって。渋谷っていうのは、こういう怖い客がいるんかって/笑」。
ただ、すぐにわかったことだが、林氏が「客」といったのは、そのカフェを経営する会社の部長で、2代目社長候補だった。しかも、その会社は、林氏いわく「でかい会社」で、実際、日本の食に大きな影響力をもつ食品会社だった。
「こわごわ、『ハイ』っていうと。『そうか。ちょっとうえに行って話そうか』と言われて」。
一口のパスタが、林氏の、もう一つの人生の、はじまりだった。「その部長さんは、なんでも私のいうことを聞いてくれました。音楽のことにも理解を示してくれて。そのうえで、いろんな便宜を図ってくださいました。1人ではいけない高級なディナーを食べに連れてくれたり。いや、とんでもない待遇でした」。
・・・続き
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2018年10月12日金曜日

母親十三回忌と父親の三回忌無事済ませることが出来ました。

足首骨折したので春に予定していた母親の十三回忌と父親の三回忌でしたが、無事済ませることが出来ました。
なかなか実家に帰れなかったのですが、よく実家の夢見ました。
墓参りしろって先祖から言われてたと思います。

無事終えた時、ふと見ると墓石に、なんとカエルが・・・。
もう両親はこの世にいませんが、なにかほのぼのしました。

夕刊フジ『 OVER60(ロクマル)世代 応援企業 30 』第2回はトリドールホールディングス様です。

60代・70代で頑張ってる人、働きたい人を応援!
社員とパート数合わせると延べ3万人が働かれてるこの会社は、定年は65歳ですが、健康に支障なく意欲あれば1年更新で70歳まで延長できます。
やはり通勤時間も年齢重ねてくると近い方が良く、今回取材した岡さんも自宅近くにあった丸亀製麺で頑張っておられます。
また、10年勤めると永年勤続を表彰する制度もあり、皆さんの励みになってます。
しかし従業員延べ3万人っていうことは、私の田舎の旧北桑田郡(京北の人口が5,600人、隣の美山の人口が4,000人)でも人口1万人の弱たがら、単純に3倍強!
スゴい雇用創出企業ですね。
ライター
【氏名】土金哲夫(ツチガネテツオ)
【生年月日】昭和23(1948)年9月25日
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2018年10月6日土曜日

10月7日、焼肉 牛将OPEN。

ラーナ復活!!
ラーナ氏のこの数年の大変さを誰よりも悔しさ知ってるがゆえ、10月7日のOPENは『嬉しい!!』の一言です。

焼肉 牛将
住所 東京都葛飾区堀切3-9-6
最寄り駅から 京成堀切菖蒲園駅下車、
左に出てすぐ線路沿いに、お花茶屋方面に直進していただき徒歩約2分、
堀切せんべいの先で平和橋通り出る手前です。

是非とも食べに行ってあげてください。
道畑社長、川上社長、小川社長、他関係者の皆様ありがとうございました。

10月5日より夕刊フジにて『 OVER60(ロクマル)世代 応援企業 30 』スタート。

10月5日より夕刊フジにて『 OVER60(ロクマル)世代 応援企業 30 』60歳以上の雇用に積極的な企業様を30社キイストンがご紹介していきます。
第一回はティオスグループ(石橋隆太郎社長)です。

従業員の平均年齢は44歳だがシニアの雇用率も高い。89歳の最高齢者をはじめとして、60歳以上の社員とパートは25人ほど。全従業員の約2割を占めています。
その筆頭が、前述の経理を担当している89歳の滝川千枝子さん。
その滝川さんに続くのが、ホテル支配人として日々フロントに立つ65歳の伊東美代子さんです。

また、この記事も弊社ライター土金氏(元編集プロダクション社長)、70歳です。
https://www.zakzak.co.jp/eco/news/181006/eco1810060001-n1.html

ライター
【氏名】土金哲夫(ツチガネテツオ)
【生年月日】昭和23(1948)年9月25日
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9月26日発行の日刊ゲンダイに「株式会社ポッカクリエイト 」の上野 修社長の記事出ました。

9月26日発行の日刊ゲンダイの“社長の私生活”に「株式会社ポッカクリエイト 」(展開される『カフェ・ド・クリエ』)の上野 修社長の記事出ました。

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9月26日発行のFLASHに「株式会社シゲキッチン」の間宮茂雄社長の記事掲載されました。

9月26日発行のFLASHに和牛焼肉 食彩和牛しげ吉を経営されている株式会社シゲキッチン」の間宮茂雄社長の記事掲載されました。

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