2010年8月31日火曜日

iphone4購入。

仕事の業務効率を上げる意味でも、前からiphoneを考えていましたが、ようやくiphone4買いました。


使い方がイマイチわかりませんが、徐々に学んでいきます。


ただ、以前よりもブログに写真増えると思います。


Iphone



2010年8月30日月曜日

TBSの“クイズ☆タレント名鑑”に武田が・・・。

TBSの“クイズ☆タレント名鑑”に弊社の武田あかねが出ました。


真矢みきに 
↓ ミストラル(代表取締役)兼キイストン(取締役) 武田あかね


あきらめないで 
ミストラル(代表取締役)兼キイストン(取締役) 武田あかね


あきらめないで!! 
ミストラル(代表取締役)兼キイストン(取締役) 武田あかね


武田あかねの転職相談 ここだけの話


武田あかね(ミストラル 代表取締役) 



2010年8月29日日曜日

「才職兼美」(livedoorがお届けするお仕事ガールのための情報マガジン)。

Livedoor 
Livedoor運営の「才職兼美」(働く女性のための情報サイト/2010年6月 320万PV/月間)が熱い。


女性に人気のグルメ情報も充実!!


キイストンからも積極的に情報提供中(約20社ほど)。見た人も掲載された飲食企業様もきっと喜んでもらえると思う。



2010年8月28日土曜日

ホルモン焼肉縁(えん)がテレビ収録されたのでお得キャンペーン今から実施。

本日、27日(金)の深夜1時25分よりTBS“あいまいナ!”に
弊社が応援している“ホルモン焼肉縁(えん)”様が出ました。


なんと記念キャンペーンとして


9種盛りホルモン1,480円→100円(超ビックリ価格)で提供!!


「あいまいナ!」を見たがキーワード


キャンペーン期間 8月28日・29日・30日の3日間


ホルモン焼肉縁(えん) 全12店舗
http://www.ensyouji.co.jp/campany/shop.html


9点盛り100円
店長 100円


真矢みきに似ている武田 胸が小さくても 武田 あきらめないで 武田 誰かに似てない

弊社の武田あかねも登場!!


お店100円
 
 
  



2010年8月25日水曜日

株式会社夢笛 代表取締役社長 高橋英樹氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社夢笛 代表取締役社長 高橋英樹氏登場。


夢笛
本文より~


おかんは、息子をよろしくと、専務に預けた。逃亡をたくらむが、その機会がみあたらなかった。


新大阪駅で在来線に乗り換え、神戸にいた唯一の知り合いだった先生宅に向かった。福岡までのキップが買えるお金を借りようと思ったからだ。泊まっていけ、その一言に甘えたのがいけなかった。翌朝、目が覚めると鬼のような形相をした母の顔が目の前にあった。連絡を受け、福岡から駆けつけてきてくれたのだ。だが、息子を連れ、福岡に戻る…というシナリオは、母にはなかったようだ。職安に行き、面接を20社ほど受けさせ、唯一、OKをだしてくれた「魚菜」という飲食店に息子を託した。当時の高橋は、アフロで、前歯もなく、顔はバイクでコケて、キズだらけ。採用してくれただけでもありがたいのに「寮もあり、給料は15万円」と15歳のヤンチャな少年には悪くない条件まで出してくれた。ところで、高橋の記憶は、高校を退学してから「魚菜」に入社するまでがもっとも曖昧だという。まるで辛い記憶を脳が勝手に忘れさせようとしているかのように。「魚菜」に入社してからの記憶は逆に鮮明だ。「寮はたしかにありましたが、6畳1間に6人。部屋の左右に2段ベッドがあり、新人のオレたちはベッドとベッドの間に寝るという有様。給与は6万5000円。うそばっかりでした(笑)」。「ここもすぐに逃げ出してやろうと、思っていました。・・・。


株式会社夢笛 代表取締役社長 高橋英樹氏


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2010年8月24日火曜日

根室食堂、FNNスーパーニュースで特集!!

いつもメディアに登場される根室食堂(平山徳治社長)様が24日の新宿店オープンを控え、昨日レセプションをやられた。


それと同時期に、なんとフジテレビのスーパーニュースに約15分以上取り上げられた。


根室 
スーパーニュースより


根室2 
根室の業者の方と打ち合わせする平山社長


根室3


根室4 根室5
24日オープンの根室食堂新宿店 


今日も、日頃から大変お世話になっている遠山さん(前日経レストラン編集長)とお会いしました。  



ホルモン焼肉“縁(えん)”、TBS『あいまいナ!』に出ます!!

ホルモン・焼肉“縁(えん)”/縁商事様が、8月27日深夜1時25分よりTBS『あいまいナ!』に登場します!!


視聴者に期間限定サービスあり。※詳細は見てのお楽しみ。


画像1 
内容のチェック中



画像2
店長と打ち合わせ



画像3 
収録中



画像 5 
無事終了



Enmeeting3
武田も出ています。お楽しみに


一緒に出ていただいたお二人にも感謝です



画像 06
収録場所のホルモン焼肉 縁(エン) 新宿歌舞伎町店


縁商事様です



2010年8月18日水曜日

株式会社外食文化研究所 代表取締役社長 水口憲治氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社外食文化研究所 代表取締役社長 水口憲治氏登場。


外食文化研究所
本文より~


クリエイティブの世界から飲食の世界へ。


19歳のとき、ある転機が訪れた。飲食店のオープニングスタッフとして入った水口は、開店前にやってきたその店舗担当のインテリアデザイナーの姿に目を奪われた。白髪で、60歳近いにも関わらず、なんとも表現しがたいカッコよさが漂っている。「衝撃的だった。こういう大人になりたいと思った」。その瞬間、水口はインテリアデザイナーになることを決意。アルバイトとかけもちしながら夜間の専門学校に通い、24歳のとき、代官山の有名なデザイン事務所に就職した。ここでも水口は、必死に働いた。徹夜や泊まり込みは当たり前。家に帰るのは週1日ぐらい。深夜3時から打合せが行なわれることもあったという。そんな生活サイクルを余儀なくされていたため、同僚は続々と体を壊し、退職。気づけば水口は、経営者の右腕的ポジションになっていた。仕事の多くは、飲食店のインテリアデザイン。多くのオーナーと向き合いながら、繁盛店をつくるにはどうすればいいか、を日々考えていた。そんな毎日を送るにつれ、入社当初の「30歳までにデザイナーで独立したい」という夢が、次第に「飲食で独立したい」に変わっていった。そして26歳のとき。デザイナーでの成功が見えていたものの、3年勤めた会社を退職。飲食への第一歩を踏み出すこととなった。・・・。



株式会社カスタマーズディライト 代表取締役社長 中村隆介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社カスタマーズディライト 代表取締役社長 中村隆介氏登場。


カスタマーズ
本文より~


24歳、会社経営


建築現場において基礎工事などに携わるうち、必要に迫られ大型特殊免許やクレーン運転者(国家資格)等の資格を取得していった中村氏は、その仕事ぶりを認められ次第に現場管理責任者に抜擢されるようになっていく。汗を流して給料を得、そのお金で友人たちと飲みにいく。その楽しさは次第に「自分自身でもっと何かを成し遂げたい」という活力にも発展していったという。
また、どうしても学歴コンプレックスがつきまとう中、資格取得は自分を変えるきっかけともなった。勉強して知識をつけ、できることが増えていく楽しさを知ると、さらに上を目指すようになり学ぶことに貪欲になっていく。「勉強しておけばよかった」と実感すればする程、資格は自身を守る確かな武器と考えるようになり資格取得にも積極的になっていった。
そうして仕事にしっかりと軸足を置くようになり約5年が経った頃だった。お世話になった方が経営する建設土木会社を解散することを知り、中村氏は譲り受けを申し出る。「自分で会社をやりたかったけれど一からでは大変だしそもそも作り方を知らななかった(笑)」。絶妙なタイミングだったと言えるだろう。中村氏は自ら手を上げ、1500万円の分割払いを条件に“司興業”を買い取った。経営者への転身。若干24歳の社長が誕生した。 ・・・。


株式会社カスタマーズディライト 代表取締役社長 中村隆介氏


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2010年8月17日火曜日

靖国神社にて。

靖国
戦後65年。


こうやって平和に仕事できることも幸せ。


なかなか帰れてなく親不孝しているが、ぜひ秋には父親を連れていってやりたい。 



2010年8月15日日曜日

中学の同窓会参加できず残念。

この7日に中学の同窓会を企画してくれていたが、参加できず大変残念であった。


約30年ぶりだったのに・・・。


今度は前職のOB会がある。


こちらは約20年ぶりか。



2010年8月11日水曜日

株式会社スプラウトインベストメント 代表取締役社長 高橋誠太郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スプラウトインベストメント 代表取締役社長 高橋誠太郎氏登場。


高橋

本文より~


大学時代、海外旅行が高橋を育てる。


高橋の人生を語るとき、一つのターニングポイントとなるのが、大学時代だ。大学に入り、弁護士を志望する。だが、「同じ弁護士を志望している学生たちをみていると、ほんとに勉強が好きなんです。オレは、ここまで好きじゃないな」と、距離を感じる。代わりに留学生たちと親しくなった。彼らが国に帰るときに、一緒について彼らの国を巡ったのが海外旅行の始まりだった。最初に行った「韓国」で衝撃を受けた。「お隣の国なのに、何から何まで違う」。韓国でこうなのだからほかの国はどうなんだろう。好奇心が止められなくなった。中国にも行った。フィリピンやタイ、メキシコやケニアにも出かけている。オススメはベトナム。もとフランス領のこの国は、「料理がとてもおいしい」らしい。一人旅より、2人で出かけることのほうが多かったというが、バックパッカーのような貧乏旅行だ。香港でメイドインジャパンの時計を安く買い、その足でケニアに行って、現地でみつけた品と物々交換もした。まるで沢木耕太郎氏の「深夜特急」に登場しそうな一コマである。「一度、行けば1~2ヵ月帰ってこなかった」。学生の長い休みが始まると、高橋はいつも空港に駆け込んだ。 ・・・。


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株式会社モトックス 取締役社長 平岡篤氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社モトックス 取締役社長 平岡篤氏登場。


平岡


 本文より~


平凡なサラリーマンになるつもりで入社した大手アパレル会社を3年で退職。
中堅企業で、経験のない酒類の卸営業を始める。


平岡が生まれたのは、1949年6月。出身は大阪府八尾市である。四人兄弟の末っ子。実家は、戦後から繊維会社を営んでいたが、のちにガソリンスタンドを経営するようになる。
実家が事業をしている場合、子ども達もそれを見習うかのように事業を興すケースが多い。むろん2代目や3代目として事業を引き継ぐケースも少なくない。しかし、平岡は、「平凡なサラリーマンでいい」と思っていたそうだ。実際、大学卒業後は、大手アパレルメーカーに就職。ごく普通のサラリーマンとして社会人生活を送り始めた。
平岡が社会に出た1972年といえば日本中に活気があり、経済も急上昇していた頃である。平岡が就職したメーカーも、入社当時360億円程度だった売上が、3年で1000億円を超えるまでになったそうだ。1970年に開催された万国博覧会が幕を閉じ、経済が立ち上がるにつれ生活が豊かになり、日本人の多くがファッションに目覚めた頃だった。海外ブランドも輸入され、色鮮やかな時代を迎える。平岡の営業数字も気持ちよく伸びていったに違いない。
そんなファンションの黎明期。大手アパレルメーカーで、誰もが憧れるような先端を走る仕事をしていた平岡だったが、会社が大きくなるにつれ、将来に疑問を抱き始める。平岡の言葉を借りれば、「先が見え、つまらなくなってしまった」のである。いまでいうなら、ベンチャー志向といえばいいのだろうか。ともかく平岡は、巨大組織で自己が埋没してしまうことを怖れ、小さくても自らが舵を取る可能性の高い企業にこそ、己の未来を託すべき何かがあるのではないか、と思うようになるのである。
むろん父親は猛烈に反対した。それはそうだろう。誰もが認める大手企業をわずか3年で辞め中小企業に転職するなど、当時でいえば信じられない冒険である。父の目には愚行以外の何物でもないと映ったのだろう。・・・。



2010年8月6日金曜日

テレビでの仕掛け開始!!

飲食企業の最大のPRとしてやはりテレビは欠かせない。


8月、ある会社の仕掛けを仕込んでいる。


これがうまくいけば、さらにキイストンのサービスが内容拡大する。


併せてテレビ制作会社が作るweb動画も同時進行中。


こちらは9月から試作品の作成開始。


楽しみ!!



2010年8月5日木曜日

大阪プロレス参上。

大阪プロレスのブラックバッファローとタイガースマスクがキイストンに乱入?


大阪プロレス


8月20日、18:30試合開始 「大阪プロレス後楽園大会」 ~後楽園ホール~ チケットはこちら


大阪プロレス



2010年8月4日水曜日

有限会社WEEDS(ウィーズ) 代表取締役 小西正英氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社WEEDS(ウィーズ) 代表取締役 小西正英氏登場。


ウィーズ 


本文より~


オーナー人生の幕開け


2002年6月、小西氏は千葉中央駅から歩いてすぐの場所に『辛辛』という韓国料理の店を出す。きっかけは前職で構築した人脈だった。元同僚が福岡で経営する『辛辛』は、専門性と特色に富み「これなら首都圏でもイケル」と感じた小西氏は、さっそく出店交渉を行なったという。もちろんFC契約などといった堅苦しいものではなく、謝礼を払っての出店。同じ看板を掲げる兄弟店として元同僚も全面バックアップしてくれた。
しかし店長経験は豊富にあれど、社長業、新規店をゼロから立ち上げる仕事は初体験。2カ月の準備期間の出来事はすべてが手探りだったという。
まず立地。ゴミゴミした繁華街を避けたかったため、あえて駅の逆側に着目。T字路の角という目立つ場所に“坪を埋め込んだユニークな外壁”の店を作ることで店舗自体に広告宣伝効果を出した。そしてスタッフ採用の求人誌広告掲載、面接も一人で行なった。仕入れ先などの業者も電話帳で調べ、信頼を得るまでは現金商売を続けたという。オープニングスタッフは18名。もちろんオーナー本人も毎日フロアに立ち、接客の陣頭指揮をとっていった。
小西氏は人に恵まれている。家出直後に迎え入れてくれた先輩、独立出店をサポートしてくれた元同僚、出店資金のすべてを引き受けてくれた父上などなど…。節目に必ず大切な人の助けがあるのだ。小西氏は今も社員と共に遊び食事をするというが、ポケットマネーを使うのだろう。それは前職の店長時代も同じだったのではないだろうか。周りのためにお金や神経を使い、それが常に自分に帰ってきている。情けは人のためならず、なのではと思うのだ。そうするとサラリーマン時代に独立資金の貯金が殆どできなかった理由も想像できるし、人との関わりでオーナーとして成功の階段を着実に登っていけていることも理解できる。・・・。


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2010年8月3日火曜日

株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏登場。


イチラン 
 本文より~


19歳。新規開業の店舗で、アルバイトを始める。


1964年12月5日、福岡県北九州市に生まれる。4人家族の長男。姉が一人いる。サラリーマンの父。母は専業主婦。ごく一般的な家庭のなかで育っていく。小学生の頃にはソフトボール。中学時代には野球に取り組んだ。運動神経はよく、とにかくスポーツならなんでもできるタイプの少年だった。一方、小学生の頃からリーダーシップに長けていたそうだ。とはいえ、10代の頃はたいした目標もなくその日暮らし。とくに何かに打ち込んだこともなかった。そんな吉冨に一つの転機が訪れたのは19歳。父が病魔に侵され闘病生活を始めたのだ。当時、吉冨は、第一経済大学の学生。仕送りがなくなったため、食堂でアルバイトを開始した。これが飲食業との出会いである。新規開業の、オープニングスタッフの募集に応募して採用される。店主とチーフと吉冨の3人が立ち上げメンバーだった。「開業の企画からその後の運営までを経験することができた」と吉冨。「けっして楽ではなかったが、この間に経営をまなび、ラーメンビジネスにも興味を持ち始めた」とも言っている。・・・。


株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏


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2010年8月1日日曜日

今こそ、人材確保する時、出来る時。

求人ニーズが増えだしてきた感じが、求人業界のものと話していても実感がある。


あと1年後には、飲食業界は今よりももっと採れなくなるはず。


今こそ、チャンス!!