2022年12月29日木曜日

「飲食の戦士たち」再現動画版1~3話、見てください。

「飲食の戦士たち」再現動画版


 
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よろしくお願いします。






戦略型総合人材採用会社キイストン

2022年12月28日水曜日

【第三話】飲食の戦士たち 〜社長たちの原点が、ここにある〜 株式会社田(でん )代表取締役 内田克彦編。

「飲食の戦士たち」再現動画版第3弾は、“
もつ焼きでん”を運営されている株式会社田(でん)代表取締役の内田克彦編です。

内田社長は佐渡島出身。専門学校で上京。ゲイバーで仕事をつづけたあと、元つぼ八創業者の石井誠二氏が率いる「八百八町」に転職。石井氏の下で、修業を重ね独立し、カフェを立ち上げるがうまくいかず、44歳の時に「際コーポレーション」の門を叩く。代表の中島武氏の下でも就業を重ね、49歳の時、もつ焼「でん」をオープンし、2度目の独立を果たす 。(「飲食の戦士たち」より)






戦略型総合人材採用会社キイストン

株式会社けむり 代表取締役社長 小松大地氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社けむり 代表取締役社長 小松大地氏登場。

本文より~

満場一致でバイトに降格。

大学を卒業し、新卒で入社したのは、グローバルダイニング。
「4年で卒業できていたら、大手の不動産会社に就職していた気がします」と、今回ご登場いただいた「けむり」の小松社長。
大学時代4年間つづけたのはキャッチのバイト。飲食とはその時からの付き合い。
「だからといって、飲食というよりキャッチですから営業に向いているかなと」。たしかに、歌舞伎町を舞台に4年間キャッチをつづけたのは一つの才能だ。
「単位がひとつたりなくて、留年してしまいます。そのとき、暇だったこともあって、図書館で偉人の本を読み漁ったんです。私にとってターニングポイントの一つ。当時のグローバルダイニングの給料はハンパなかったんですね。もともと親父が、大学教授だったもんですから、公務員の様な安定した仕事に魅力を感じなかった。グローバルダイニングを選択した理由の一つです」。
グローバルダイニングさんはいかがでしたか?
「新卒者にも試用期間があるのは珍しくないことだと思いますが、何しろ、当時のグローバルダイニングですから笑。3ヵ月の試用期間、終了後、アルバイトを含めた全員に諮られるんです。『正社員にしていいかどうか』って」。
どうでした?
「笑っちゃうんですが、風見鶏のバイト君をのぞいて、全員一致で反対です笑。それで、アルバイトに降格です。けっこうきつかったです」。
それは、そうだろう。何がいけなかった?
「『接客もできる。優秀かどうかといえば、優秀にちがいない。実際、お客様からの評価は高い。でも、小松君はチームで仕事をしない。どこかで、できない人をバカにしている。そんな人に正社員になってもらいたくない』というのが、みんなの総意です。そういわれて、『たしかに』と反省するんですが、むろん、心のなかでは、『いつかみていろよ』って」。
しかし、満場一致で、反対とは、辛い。新卒者にとって強烈な先制パンチ。月給が時給になった。時給900円。こちらも満場一致の結論の一つ。

プロの職人とプロの世界。

「たしかに、凹みましたがグローバルダイニングに就職したのは、私にとって一つの財産です。当時は、すごい先輩たちがいましたしね。ただ、長くは在籍していません。あるとき、お客様に声をかけていただき、あるお店を創業からお手伝いします」。
それが、「いやま」さんですね?
「そうです。焼鳥業態にも関心がありましたし、お店を立ち上げから経験できるわけですから、お声かけいただいて、すぐに『お願いします』とご返事させていただいたんです」。
客単価7000円の焼鳥業態。客を虜にするプロの職人は、小松社長の心もわしづかみにする。
「かっこよかったですね。グローバルダイニングとはまた違ったプロの世界です。私は、こちらを辞め、『けむり』を創業するわけですが、焼鳥業態を選択したのは、『いやま』で勉強させていただいたから。もっとも客単価はまったくちがいますが笑」。
「けむりは、住宅エリアということもあって、格安です。とにかく、お客様においでいただきたかったから」と創業当時について話す小松社長。
ビールはキリンのハートランド500円。旨い焼鳥が1本190円。キャベツとウーロン茶は飲み放題。
「お通しもなかったから、キャベツとウーロン茶だけなら、無料です笑」。
キャベツ無料はなくはないですが、ウーロン茶も無料って
「そうなんですが、お酒が飲めない人にも、うちの旨い焼鳥を食べてもらいたかったんです」。
ホームページをみると、驚くのが、「まずければお代は頂きません」の一言。絶対的な自信の表れ。サブキャッチは、≪毎朝、山梨県産、朝引き健味鳥を丸で仕入れ、自ら解体する最高の鮮度! フォアグラの様にとろける鳥レバーや刺身用の内蔵類を絶妙なレアーで焼き上げる≫とつづいていく。
「賃料は高かったですし、スケルトンからなんで投資もけっこうな額かかりましたが、ロケーションも抜群で、おかげ様で初月から好調。2号店をだすのも早かったです」。
資金は、独立のため、たばこもジュースもやめ貯めた数百万円と父親が結婚式のためにとっておいてくれた数百万円、そして、金融機関からの借り入れ。
返済も無事、うまくいった。

一喝とスキップと。

「じつは、『いやま』で仕事をさせてもらっているとき、今も付き合いがあるんですが、ある店のオーナーに『とっととでてけ!』って一喝されるんです」。
酒を飲みながら、そのオーナーにぐちっていたそうだ。「何にもわかってない若造が、いやまの方針にぐちぐち文句を言っていたんです。そしたら、その店のオーナーに『お前よりオーナーのほうが100倍偉いわ。ぐちぐちいっている奴はとっととでてけ!』って店を追い出されてしまったんです。今思えば、私の間違いをただし、そして、背中を押してくれた一言でした」。
「いやま」のオーナーは、絶対的なお手本でもある。しかし、小松流でいくなら、独立するしかない。
「儲かりましたが、たいへんでしたよ。10時から仕込みをスタートして、最初は24時までだったんですが、だんだん長くなって、けっきょく朝5時まで。始発が動き出した頃に自転車で自宅に帰り、またすぐに『いってきます』です。それでも、ちかくの同業さんから、『小松さん、めちゃくちゃ楽しそうだね』って言われるんです。『なんでわかるんですか?』って、いうと、『だって、だって朝からスキップして仕入れで八百屋に行っているオーナーなんてみたことないもの』って」。
「そうそうなんです。たしかに、スキップしていた気がします。店に行くのが楽しみで仕方なかったから」。お客様の笑顔は、小松流が、賞賛された証。楽しくない人間は、まずいない。 現在、「けむり」は6店舗、代々木鳥松、魚きんめ、和食ごしき、鮨かんてら、三茶貝介の直営店合計11店舗と暖簾分け6店舗のグループで17店舗。小松社長が、仕事を楽しみ、スキップをつづけてきた結果でもある。
ちなみに、グルメサイトでは、いずれの店も高評価されている。「ただし、」と小松社長。新たなチャレンジを宣言する。

・・・続き

株式会社けむり 代表取締役社長 小松大地氏

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2022年12月20日火曜日

株式会社おすすめ屋 代表取締役CEO 加藤誠庸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社おすすめ屋 代表取締役CEO 加藤誠庸登場。

本文より~

ごく普通だった子が夢中になったものとは。

料理70品・ドリンク70種を揃え、2000円で食べ放題・飲み放題で知られる“おすすめ屋”13店舗(2022年11月に2店舗新規開業の予定)を率いる加藤氏。
「生まれは神奈川県横浜市戸塚区です。公務員の父と専業主婦の母との3人家族で育ちました」。
「小学校・中学校の頃は、あまり勉強はしませんでしたね。当然ですが、成績は良いとはいえなかったです」。
高等学校は、1903年設立の神奈川県下で最も歴史のある私立男子校・逗子開成高校へ進学。加藤氏が進学した時代は高等学校からの生徒募集があったが、現在は、完全中高一貫校で代表的な進学校でもある。
「小学校から高校まで通して、ごく普通の子だったと思います。一方では一人っ子だったこともあり両親は大学に進むことを希望していましたが、学校へはあまり行かず進級も落第しない程度にギリギリでした」。
では家で何をしていたのか。
「パソコンでオンラインゲームに夢中になっていました」。

PCとの出会い。夢中になったオンラインゲームが人生を変えた。

「高校1年のとき、初めて触れたPCが人生を変えたように思います」と振り返る加藤氏。加藤氏が高校1年生といえば2000(平成12)年。当時のPC普及率を調べてみると、“Windows98”の登場も相まって世帯普及率が急速に伸びた時期に重なる。
「友だちの一人がやっていたのがきっかけになったんですが、ほぼ独学でハードやソフトを調べオンラインゲームに夢中になりました」。
ゲームでは作戦を立案しチームに指示を出しながら戦うなど、ゲームを通して会社経営の要素やノウハウを学んだと同時に学校では得られない知識や社会人との交流も生まれた。
「同世代には、こうした人はほぼいませんでしたね。これまで接してきた世界とはまったく異次元の領域でしたし、新鮮でした。先ほども言いましたが、一人っ子だったこともあり、決して押し付けではなかったですが、大学に進むことを言われていました」。
高校3年の頃、将来的な独立を考えていた加藤氏が入学したのは東京理科大学。
「現役のときはセンター試験を受けた程度で受験せず浪人。一浪して受験したもののどこにも受からず。二浪して東京理科大学に合格、入学しました」。
余談ですが東京理科大学の歴史は古く、1881(明治14)年に創立した“東京物理学校”が前身で、自然科学教育を行う高等教育機関としては国内で2番目の歴史を持ち、私立の理系学校としては国内最古の歴史を持っている。ちなみに、明治の文豪・夏目漱石の“坊ちゃん”に登場する“物理学校”は、東京物理学校のことを指している。いずれにせよ加藤氏が進んだ東京理科大学は、歴史と伝統のある超難関大学なのである。
「大学では、統計工学や生産管理を学びました。一方で、地元と新宿の飲食店でアルバイトをしながら、同時に税理士になるための勉強もしていました」。大学卒業後の2015年、31歳のときに八王子に“おすすめ屋”1号店をオープンするのだが、この時点では、“飲食業で独立・起業”ということは考えていなかったようだ。
ただ、学生時代のこの時期、情報がアナログからデジタル化へと移行する変化が目に見えて顕著になり、このタイミングをうまく捉えたことが、今日の礎になった。

“機をみるに敏”。アナログ情報からデジタル情報へ

「この時期、“ホットペッパー”がフリーペーパー(印刷物=つまりアナログ)からWEB(デジタル)に切り替わるタイミングでした」。
アルバイト先の飲食店でWEB系広告媒体を編集しながら成果を出すために“SEO対策”を独自に行い、自ら周囲の店舗や企業にアプローチ、予約客の売上から10%の手数料を貰う仕組みを構築した。
ちなみに“SEO対策”とはマーケティング手法のひとつで、検索エンジン上で自社サイトを検索結果に上位表示させ、検索流入を増やすための対策のことで、そのサイトが達成したい最終目標(飲食業であれば予約数や来客数など)に繋げることが最終的な目的となる。
「ひと言で言うと、“WEB集客とコストコントロールを提供するサービス”ということになります。先ほども言いましたように学生時代にアルバイトをしていた店舗から始めたので当初は個人事業主として取り組んでいました。月100万円ほどの収入がありましたが、あまり遣わずに貯金していましたね。ケチだったんでしょうね」。
大学卒業後、飲食店に特化したコンサルタント会社を設立、近隣の飲食店への営業、アプローチを通して成果を得ることになる。「多いときで50社ほどの企業と取引しました」。
アナログからデジタルへの移行期。好都合な状況や時期をすばやくつかんで的確に行動することで、加藤氏は新たなビジネスチャンスとより大きな可能性を掴みとった。

参入障壁を高く設定することで、他社との差別化を図る。

“SEO対策”を活用し飲食店に特化したコンサルタント会社で積み重ねた業務経験は、加藤氏に次なるステップ~飲食店の経営~という次への飛躍をもたらした。
「会社経営も軌道に乗った頃、資金も溜まり、お店を出しても勝負できるなという確信が得られました」。
2015年、八王子に“おすすめ屋”1号店を開店。31歳のときだった。ただ居抜き物件だったこと、原価率が高かったことなどもあり決して順調だったわけではなかったと振り返る。試行錯誤を繰り返し、ビジネスモデルを探った。そして約3年、独自の結論を得る。
「昨今の飲食業界は、路面店は人気で空中階は不人気。また居抜き物件は人気でスケルトンは不人気というようなセオリー(?)があるようですが、すべて“逆”をいきました」。
「“空中階”+“スケルトン”で場所を選ばず参入障壁の高いビジネスモデルを確立しました。つまり、こうしたビジネスモデルであれば競合はいませんし、たとえば流行りの路面店で勝負する低価格居酒屋は仲間ではありますが、競合はしないんです」。すなわち、参入障壁が高ければ競合は存在せず、無駄な戦いをする必要はない。
こうした“おすすめ屋”のビジネスモデルに基づき特化した内装、最低限の人数で最大限のパフォーマンスを発揮できるよう人間工学に基づく超効率設計などが生まれ、2017年に上野店開業に続き、池袋店、大宮店など順次、開店に漕ぎつけた。

“直観”や“感覚”に委ねた時代からデータを活用する時代に。

「コンサルをしていて思ったことがありました。それは、多くの飲食店は過去の経験に基づく“直観”や“感覚”で大事な経営判断、意思決定をしているということでした」が、
こうした方法だと、“商い”が経営者個人の判断や価値観に左右され、従業員との共有がなされない傾向がなきにしもあらずだ。極端な言い方をすれば、これは大きな損失だ。そこで加藤氏は考えた。
「データ分析に基づく科学的根拠による意思決定を重視する、ということを徹底しました」。
データを収集・蓄積することは、誰だって可能だ。問題は得られたデータを分析、解析したうえで、どのような対策を施し結果(成果)に結びつけるかということだ。
加藤氏がこうした発想、結論に辿り着き実施したのは、高校1年で触れたPCとその可能性、大学で統計工学や生産管理を学んだことが背景にあったのかもしれない。これは課題の発見、高度な知識や先進性、将来展望など幅広い視野が必要で真似ができそうでできない領域のことのように感じる。

データ分析を活かした次世代型居酒屋の姿とは。

“おすすめ屋”では、データをどのように収集し、どのようにデータを活用しているのか。具体的な施策をみてみよう。
「まず、自社で予約センターを運営しています。さらにすべての店舗の来店情報をセールスフォース(米国カリフォルニア州に本社を置く、顧客関係管理(CRM)ソリューションを中心としたクラウドコンピューティング・サービスの提供企業のこと)を使いクラウド管理していて、瞬時に必要なデータにアクセスできます。その結果として店舗毎のリピート率、時間帯、曜日別のリピート率やLTV(顧客生涯価値)を算出することができます」。
飲食店にとって来店客の動向が最重要課題。こうした来店客動向の把握が店舗運営に直結することはいうまでもない。次にメニュー選定についてみてみよう。
「お客さまが何回同じメニューを頼むかを集計し、その結果を踏まえメニュー構成画面に変更を加えます」。
「すべてのメニューの注文データを集計し消費者のプレファレンス(簡単いえば“好み”)を理解した結果として在庫管理の最適化へと結びつきます。また自社で設定した厨房内の4つのポジションごとの負荷率(たとえば焼き物だったら〇分、煮物だったら□分というような)を計算しメニュー構成を最適化。こうすることでお客さまへの提供時間(客にとっては待ち時間)の短縮をはかり顧客離脱を防ぐことに繋がります」。
「また、食材などの発注数量の最適化や、メニュー変更がオーダーに与える影響を分析する、あるいはリピート率にどう影響するかなど検証することができます」。
こうしたデータ分析は、販促面や人材面などでも効力を発揮している。
「販促面でいえば、1回あたりの来店の費用対効果に加えLTVをだし、1回あたりの来店価値を算出、1組あたりの平均来店人数や平均離脱回数を把握することで最小コストで最大の効果が得られます」。
「人材面、つまり採用面では、スタッフが足りなくなったから慌てて募集するのではなく、過去の離職データを基に何カ月後に何人減るのかを予測し、スタッフが足りなくなる前に募集することで、人材不足を解消しています」。
このようにデータの収集と活用は多岐にわたり、今後も斬新な活用方法が考えられそうな印象を受ける。

・・・続き

株式会社おすすめ屋 代表取締役CEO 加藤誠庸

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2022年12月16日金曜日

2022年12月15日木曜日

2022年、あと半月になりました。

2022年もあと少しになりました。

月日が経つのが早すぎる(涙)

そして、あと1ヶ月後はなんと還暦!

そんな中、丸30年の2022年はしっかり賞与も出せ無事、2023年を迎えること出来ます。

コロナ禍で厳しい状態が続きましたが、こうして何気なく当たり前に過ごせるのは本当にありがたいです。

日々感謝の気持ちでいっぱいです。

来年は卯年で年男!

周りに恩返ししながら、1日1日頑張るぞ!!

そして良い形でバトンをつなぎたいです。






戦略型総合人材採用会社キイストン

株式会社レストランイノベーション 代表取締役 小澤圭一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社レストランイノベーション 代表取締役 小澤圭一氏登場。

本文より~

高校卒業までの小澤氏。

小澤氏は1982年東京板橋区に生まれる、父親は伊豆大島出身。夏休みや冬休みになると、大島へ渡った。母親は板橋区出身。なんでも曽祖父は一代で木材店を築かれたそうだ。
「やんちゃで落ち着きがなくエネルギッシュ」というのは、小学校の頃の自己評価。中学はバスケット部。あの人気漫画の影響だそう。
「ただ、漫画は熱心に読んでいましたが、クラブのほうはユルユルとつづけていたって感じですね笑」。
当時の小澤氏は、まだ何者でもなかったということだろうか。
「たしかに、そうですね。進んだ高校も夏休みの前には中退してしまいます」。
朝からともだちとつるんで、そのまま学校をさぼるようになったらしい。
「親から就職するか、自衛隊に入るか、学生の本分として学校に通うかの選択を迫られて、翌年からもう一度、通信制の高校に進みます」。
「いろんな人がいましたね。年齢は気になりませんでした。通信ということもあって時間は山ほどあったのでスキー場のアルバイトや海の家でライフセーバーなどをしていました」。
自然とは小さい頃からの長い付き合い。体を動かすのが大好きだったらしい。

飲食へ。

「体を動かすのが好きで、トレーナーなどにも興味があって専門学校へ進学します。その頃、アルバイトをしていたクラブで飲食に惹かれます。クラブから独立する先輩たちをみて、独立にも興味がわいてきます」。
「カルフォルニアやラスベガスの旅行でエンターテイメント系に興味をもって、『監獄レストラン』などのエンターテインメント系の店舗でアルバイトをしたこともありました」。
何者でもなかった小澤氏の輪郭が少しずつ明瞭になる。
しかし、まだまだ明確な目標があったわけではないだろう。エンターテインメント系には関心があったが、そちらに全力でウエイトを乗せることはなかった。
「そういうこともあって、専門学校を卒業して就職したのは、オペレーションファクトリーです。飲食とエンターテインメントがいいぐらいに融合しているように思ったからです。その頃から起業に興味をもち、プランを描き始めていました」。
「オペレーションファクトリーに在籍したのは、2年くらいです。なかなか芽がでなかったのも事実で、その時、クラブ時代の先輩に声をかけてもらって、今はもうありませんが、ワイズフードシステムという会社に転職します。こちらでも2年在籍しました。その時出会ったのが石井社長。石井さんが会社を辞め、自身の会社を起業する際、創業メンバーとして、参加させていただきます」。
小澤氏が石井社長というのは、株式会社クロスピレーション、代表取締役の石井康浩氏のこと。石井氏は現在、銀座エリアを中心にスペイン料理・バルなどを6店舗、展開されている。 小澤氏の人生にとって石井氏との出会いは、一つのターニングポイントだった。逆に石井氏にとっても、小澤氏は貴重な仲間の1人にちがいない。
「クロスピレーションを立ち上げる時、私と、もう1人が参加し、石井さんと3人で起業します。石井さんの評価ですか? お客さんへの対応や人に対する姿勢が良かったから、お誘いいただいたんだと話してました」。
たしかに、インタビューをしていても、返答の一つひとつから小澤氏の誠実な人柄が伝わってくる。

独立、銀座に出店す。

「私が、独立したのは28歳の時です。なんとか20代で独立することができました」。
自己資金400万円。石井氏からも手厚いサポートを受けたという。初期投資を抑えたと言っているが、出店したのは東京のど真ん中の銀座、居抜きといってもそれなりに高い。
店名は「ZION銀座」。カジュアルダイニングだ。
「最初の1~2ヵ月はむちゃくちゃ苦戦しました。ただ、そうですね、3ヵ月経った頃からようやくお客様も増え、少ないですが利益もでるようになりました」。
2店舗目は、銀座店創業から2年ほど経った頃に、八重洲にオープンしている。
現在、ZIONを5店舗展開。いずれの店舗も評価が高い。順風満帆のように思えるが、横領事件など辛いこともあった。「いっしょに立ち上げてくれたメンバーだったので、へこみましたね」と言っている。
ただ、その一方で、小澤氏は経営者として、ひとの人生に少しでも関わることができているのがうれしいという。
ホームページをひらくと、そんな小澤氏の思いが伝わってくる。
「いつも小さな挑戦を。かかわってくれる全ての人たちの歓喜と感動のために。」
いつも小さな挑戦を。
その一言が原寸大の小澤氏を表していて、ここちよい。

・・・続き

株式会社レストランイノベーション 代表取締役 小澤圭一氏

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2022年12月9日金曜日

株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏登場。

本文より~

中学生の麺職人。

今回、ご登場いただいた株式会社遊鶴の代表取締役社長である橋本氏は、食材の宝庫でもある北海道小樽市に1961年に生まれている。
小さい頃は海が遊び場だったというから海からも近かったのだろう。
「ただ、私が6歳の頃に札幌に引っ越しています。もともと小樽で製麺業を営んでいて、札幌の製麺工場を買い取って札幌に移ったようです」。
当初は業績も順調だったそうだが、次第に厳しくなる。
「私が、中学に進学した頃からでしょうか、大型スーパーや学校給食など大量生産能力が必要となってきましたが、設備投資もままならず経営が厳しくなっていったようです。今の基礎となる蕎麦屋の第一号店もこのころ開店しました。私も、家業を手伝うために厨房に入り仕事を始めます。学業との二足の草鞋ですね笑」。
父親について橋本氏は職人気質で厳しかったと言っている。幼少期は母子家庭みたいなものだったとも。ただし、中学を卒業する頃には一人前の麺職人、父親ともいっしょに過ごす時間が増えた。
しかし、中学生の麺職人とは、ちょっとイメージが追い付かない。

製麺業から飲食業へ。

「家業の手伝いばかりではなく、大学にも進みました。地元の大学に進学したんですが、じつは、飲食のアルバイトが楽しくなって途中でリタイアしています」。
それで、どうされたんですか?
「若かったこともあって、『東京だ』と思って、東京でロシア料理のコックになりました。当時は家業を継ぐ気持ちはぜんぜんなかったですね」。
ただ、そうは言っていられない事態になる。
「ちょうど自社新工場を建設するということになって、住居といっしょに、今の本店ですが、蕎麦店もオープンしようと。ただ、その計画が動きだした頃に、父親が倒れてしまい、私も急いで実家に戻ります。父親は亡くなり、母親が社長に就任しますが実質の運営は自分でした。その頃、負債は2億円くらいだったと思います」。
マイナスからのスタートですね?
「そうです。でも、危機感はそうなかったですね。投資のための2億円だから、うまく回転させれば、当然、2億円以上の利益を生むわけですから。もうちょっといえば、母親が社長だったこともあって、私自身、お金のことまで危機感がなかったというのが正直なところですね」。
億単位の借金があり、父親という羅針盤もないなか、先の見えない製麺事業からの撤退を決意する。
「もう、製麺では立ちいかないと思っていましたから。だから、飲食業に舵を切るんです。私自身、いわば麺職人でしたし、ロシア料理の経験もある。ただ、なんとかなるとは思っていましたが、ここまで繁盛するとは、まったくの想定外でした」。
蕎麦づくりは、橋本氏の仕事。むちゃくちゃ目がまわった。
「うちの店がヒットしたのは、当時の蕎麦屋では珍しいセットメニューを数多くお出ししたからだと思っています。私自身が東京でそういったお店を経験していたものですから、その方法を北海道にインポートしたわけです」。
本格蕎麦の旨さと多彩なセットメニューが、口コミで広がった結果、オープンして数日で目がまわる、うれしい状況になったそうだ。

麺職人の矜持。

橋本氏は、クリエイト・レストランツ・ホールディングスのHPに掲載しているTOPインタビューで、当時を振り返り、次のような趣旨の話をしている。
「大量消費の時代が訪れたことで食品添加物が流行りだします。添加物を入れれば、長持ちし、ロスも少なくなります。利益だけ追い求めれば、それが正解です。ただ、そうしたくなかった。だから、市場に卸すのではなく、直接、消費者の皆様にという思いこそ当社が飲食店に転身した理由でした」。
メインは「ごまぞば」。同インタビューで、「当時全国では全く存在しない、札幌でもまだまだ珍しかった『ごまそば』を選択した」と言っている。
「ごまそば」はいまも看板メニューだ。
もっとも、負債もある。経営手腕が問われるところだ。「とくかく財務体質を立て直すのが喫緊の課題だと思い取り組み、社長就任から5年後には改善しました」。
「旨い」だけでは、もちろん生き残れない。だが、旨いの一言を追求する志は消費者に伝わった。消費者の信頼があったからこそ、財務体質もまた改善できたに違いない。言い換えれば麺職人の矜持が、すべてを凌駕したということだろうか。
「財務状況が改善していくなかで、もう一つ、人材という飲食にとっては本質的な問題がクローズアップされてきました。いまから大きくなるためには、どうしたらいいか。やはりそこには『人』という問題が立ちふさがります」。
じつは問題は、それだけではなかった。
「家族で温泉に行った時に脳梗塞を発症し倒れ、入院の手続き諸々で自宅に戻った時にもう一度倒れます。いまは、まったく不自由もなく毎日10キロ走っているのですが、後遺症で1ヵ月ほど、左半身が麻痺。息子はまだ大学を卒業して間もない頃だったので、M&Aかなと思ったんです」。

・・・続き

株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏

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