2021年4月19日月曜日

30代の若手シェフ、売り出しを計画中です。

 我こそは天才と思う若手シェフ求む!

メディア(番組)で取り上げます。

第二の川越シェフ探してます。

件名に「我こそは天才シェフ」とし、自己PRください。

info@keys.ne.jp

楽しみにお待ちしてます。

2月13日(土)~3月20日(土)、日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる店”に「麺屋武蔵」の矢都木二郎社長が推薦の5店舗が紹介されました。

2月13日(土)~3月20日(土)の5連載の日刊ゲンダイ “飲食のプロが見つけた、バッカスがいる店(旧 グルメ社長の食い倒れ日記)”に「麺屋武蔵」の矢都木二郎社長が推薦の5店舗が紹介されました。

(2/13発行)
(2/16発行)
(2/27発行)

4月16日(金)発行の夕刊フジ「飲食FCで第二の人生」にて“北海道ラーメンみそ熊”を運営されてるグラスト様を掲載しました。

4月16日(金)発行の夕刊フジ「飲食FCで第二の人生」にて“北海道ラーメンみそ熊を運営されてるグラスト様を掲載しました。

(4月16日発行 電子版/カラー)

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2021年4月18日日曜日

株式会社カームデザイン 代表取締役社長 金澤拓也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社カームデザイン 代表取締役社長 金澤拓也氏登場。


本文より~

幼稚園児、大工をめざす。

ご両親はベーカリショップを経営されていたらしい。ベーカリショップと横文字でいうと格好いいが、いわゆるパン屋である。
「私の親族は、ほとんどみんな商売をしているんです。そういう意味では、私も、おなじなんでしょうね。昔からサラリーマンになるなんて思ってもいなかったです」。今回、ご登場いただいた株式会社カームデザインの代表取締役社長、金澤氏はそう言って笑う。
「へぇ、そうなのか」と聞いていたが、それを思っていた年頃を聞いてビックリした。中学生時代には、具体的な就職先を決め、「独立に至る工程表までつくっていた」というのだから、尚更、驚いた。
「裕福じゃなかったし、親もパン屋でしょ。早くから仕事に対する意識はあったほうだと思います。パン屋はしんどくて、イヤやみたいな/笑」。
なんでも小学校に上がる前から、将来は大工になろうと思っていたらしい。「うちの家はボロボロで、風呂もない。そういうのが、いやで。大工になれば、なんとかなるだろうって/笑」。
この一言からは早熟じゃなく、素直な少年時代が浮かび上がる。しかし、もう一つ驚くのは、この時の思いがジャンルはちがっても、いま実現しているということだ。
昔の園児が、ほほ笑んでいる。

ともだちは、紙と鉛筆。

「子どもの頃は、いわゆるカギっ子です。今でもそうですが、昔は、もっと根暗な奴でした。遠足に行っても隠れて絵を描いているような笑」。
ただし、隠れていたかったから絵を描いていたわけじゃない。絵を描くのが、ただ単純に大好きだったから。紙と鉛筆があれば、時間を忘れた。ともだちは、紙と鉛筆、そういう少年だったようだ。
「もっとも、中学になってからは、ちょっと悪ぶったりもしたんです。でも、中学2年だったか、3年の時だったか、就職したいなって思う会社がでてきて…。もちろん、『今のままじゃ到底、無理』とわかっていました。少なくとも『就職実績のある高校くらいには進学しなくちゃ』です」。
それで、進学したのが大阪市立工芸高校。専攻は、建築デザイン科。偏差値は高い、高い。「そうなんです、中2の時の、私の偏差値は40くらいでしたからね。行けるわけもなかった。だから、1年くらい教科書や問題集にかじりついて。ええ、なんとか60オーバーの工芸高校に進学できました」。
ところで、金澤氏がその時、希望し、高校卒業後、実際に就職したのは、「三座建築事務所」という会社である。1941年設立の老舗の建築事務所だ。
「公共工事とかを得意にされていました。学私は、こちらで4年勤務させていただきました。退職理由ですか? じつは、まずは大手で4年と、昔から決めていたんです」。
昔というのは、中学生の頃のことだ。
しかし、金澤氏は、凄いことをサラリという人だ。工程表をつくり、それに沿って進むなんて、なかなかできる芸当ではない。しかも、だれかに教わったことがないから、またまた驚かされる。
とはいえ、いまだ、工程表の道半ば。この先、どうなっていくんだろう。

だったら、オレは独立だ。27歳のこと。

「まずは大手で、つぎは小さな事務所という計画です。今度は、小さな事務所で、仕事漬けの日々を送ります。その頃ですね。『飲食店って面白いな』と思いはじめたのは。その頃から、飲食店の設計やデザインを手がけはじめます。2社目でも4年勤務させてもらって、27歳で独立します」。
これも、いえばプラン通りだが、正確には、おなじ事務所のスタッフが引き抜かれたことがきっかけだったようだ。「結構、負けずぎらいなんです。あいつが引き抜かれたんだったら、オレは独立だ、みたいな/笑」。
不安はなかったですか? と聞いてみた。
「もちろん、ありました。飲食店だったら、とにかくオープンしたらお客様が来るでしょ。設計事務所はオープンしたからって、お客が『こんにちは』って来るわけじゃない/笑」。
「2~3年は下積み生活ですね。私1人です。そのうち、チラホラと依頼をいただいて。幸いだったのは、お手伝いさせていただいたお店が繁盛して、2号店、3号店と出されるケースが多かったこと。それで、だんだんと評判になります」。
金澤氏にターニングポイントを一つ挙げていただくと、31歳の時、「ダイヤモンドダイニングの仕事をさせていただいたこと」だという。その時の話も伺った。

・・・続き

株式会社カームデザイン 代表取締役社長 金澤拓也氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

GOSSO株式会社 代表取締役 藤田建氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”GOSSO株式会社 代表取締役 藤田建氏登場。


本文より~

中米の「楽園」。

はるか上空からみると北米と南米をつなぐ、細長い道にみえる。「赤道直下にあるのがコスタリカです」と藤田氏。今回ご登場いただいたGOSSO株式会社の代表だ。
「4、5回は向こうに行ったかな」とのこと。じつは、お母様は、コスタリカ出身。
「父とはシカゴで出会ったそうです。だから、私はシカゴ生まれ。もっとも3歳の頃から日本で暮らしていますので、シカゴ生まれ、日本育ちってところでしょうか」。
身長は、190センチ。もっともこれは父親ゆずり。
「母も一緒に日本で暮らすんですが、日本語が出来なかったので大変だったと思います。私も、日本語が苦手というか、19歳くらいまで、うまくしゃべれず劣等感がいつもどこかにあったように思います」。
日本では祖父宅の離れで暮らした。「父親が建築技師で世界を駆けまわっていましたので、私は、祖父の管理下といいますか/笑」。
おじい様は孤児から1人、事業を興し、都内に自社ビルを持つまでになった事業家。ただし、息子家族に経済的な支援はしないような人だったらしい。
「厳しい祖父でしたね。ただ、祖父の背中を見ていろいろなことを学んだのも事実です。『社長になりたい』と思ったのも、祖父の影響です。仏教徒で、儲かったお金はお寺に寄付するような人でした。そうそう、お正月には私もお寺の修業に連れていかれて」。
熱湯にからだを浸す修業をさせられたそうだ。ちなみに、お母様はクリスチャン。その点でも、ご苦労されたんじゃないだろうか。
「最初の頃はお風呂も無くって、週に2回くらい祖父宅にお風呂を借りにいきます。濡れタオルでからだを拭くだけの時もありました。社長になりたかったのは、祖父の影響はもちろんですが、祖父のようにお金を儲けて母を幸せにしてやりたいという思いがあったからだと思います」。
興味本位で調べてみると、コスタリカには、地球上の生物の、種の5%が生存すると言われているそうだ。それだけ種が多様な国だからだろうか。国土の25%以上が国立公園だそう。
中米の「楽園」と言われている。

監督は、鉄拳、信者。

祖父は、仏教徒。母は、クリスチャン。監督は…。「祖父も、母も、そうですが、監督にもかなり影響されていますね」。藤田氏が監督というのは、バスケットボールの監督。
藤田氏は、小学生からバスケットボールを始め、「全日本ジュニア」にもなっている。中学は、日本一を狙う強豪で、藤田氏はセンターフォワード。高校は千葉県の私学で当時、偏差値がトップの「市川学園」に進む。当初、弱小で部員5名のバスケットボール部を引っ張り、千葉県で三強入りを果たしている。
「小学校の頃もそうですが、中学の監督は特に厳しかったですね。今では口にもできない言動で/笑」。
監督は、鉄拳、信者?
「そうですね。高校の監督も厳しかったです。ただ、そういう人の下ですから、殴られるのが日常みたいな/笑。人の育成はそうやってやるんだ、みたいなね」。
大学時代は、新宿の「いろはにほへと」でバイトをした。面白い話がある。
「バイト先に『いろはにほへと』を選んだのは、人脈をつくろうと思ったから。だから、希望は当然、ホール。でも、ユニフォームがぜんぶちっちゃくって」。
入らない?
「そうです。で、しかたなくキッチンです/笑」。この話をうかがって、もしホールだったら?と、ふと、そんなことを考えてみたりした。

克服は、幸福につながる道。

ターニングポイントを一つ挙げてもらうと、学生時代の「ビラ配り」という返答。
「店前で声をかけてご案内するような仕事です。雑居ビルの小さな、パブといえばパブかな。水道もなかったから、アルミホイルで、やきそばドン!みたいな/笑」。
ビラ配りをやれば、高時給だと思っていたが、客が引っ張れない。「オーナーに文句を言うんです。こんなお店だから客も引っ張れないって。そしたらね」。
そしたら?
「『お店を売っても売れない。自分の生きた人生を売れ』って言われるんです。この一言が衝撃でした。そうか! みたいな」。
誰が聞いても理不尽だが、藤田氏にとっては、天啓だったそうだ。
「それからですね。不思議なことに、次々、ご案内できるんです。店は、毎夜、お客さんで一杯になって。ちっちゃい店だったから、みんな一緒にアルミホイルのお皿で 料理を食べて。みんな、心の底から楽しんでくれて。その様子が ビラ配り冥利と言いますか。たしかに、『店じゃないんだな』と思いました」。
店も、藤田氏の財布も、かつてないほどふくらんだ。「5時間で、2万円くらい」とのこと。貯まったお金でニューヨークにも行っている。
ただし、藤田氏がターニングポイントに挙げるのは、金銭的な理由だけではない。
奥が深い話。
「もともと日本語はうまくなかったし、『会話は苦手』と思いこんでいたんです。この苦手意識を克服できたことが、私の人生にとって、いちばんのプラス材料となりました」。
「アクティブになった」と藤田氏。
会話が楽しくなれば、語る人生はいくらでもある。
・・・続き

GOSSO株式会社 代表取締役 藤田建氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

株式会社アントワークス 代表取締役社長 早川 淳氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社アントワークス 代表取締役社長 早川 淳氏登場。


本文より~

最初の肩書は、営業部長。

早川氏がアントワークスに入社したのは、2008年12月。大手ファミリーレストランなど、数社で要職を務めてきた早川氏の、入社時の肩書は営業部長。
「当時は直営店もまだ14店舗くらいです。社員もまだ30~40人。私が入社したタイミングで社長(現会長)が、『全国制覇100店舗』というビジョンを打ち出します。私のミッションは、このビジョンを達成するための組織づくりでした」。
早川氏は、大手企業で取締役も務めていた実力派だ。飲食のキャリアも長い。壮大なミッションも、早川氏にとっては想像の範囲内だったかもしれない。
早川氏は、入社を決意した時の様子を以下のように話している。
「最終的には社長と面談して、私の経験が活かせると思って入社を決意しました。当時、『すた丼』が都心にも出店してやっと認知されはじめたタイミングです。ただ、すでに出店している多摩地区では学生やガテン系の人、またマニアックな人には、もう充分に知られていたんです。これはいうなら可能性のかたまりだな、と思いました」。
とはいえ、十数店舗の時に「100店舗」は大胆な構想だ。むろん、出店すれば、それでいいというわけではない。100店舗を機能させなければならない。だから、組織作りが重要になる。相当な時間がかかるはずだ。
「今までとは異なる発想や行動はもちろん、新たなルールもつくっていかなければならないわけですから、反発する人も少なくありませんでした。無理に進めても溝が深くなるだけ。私は、時間をかけて一人ひとりと対話して、『全国制覇』『100店舗』というビジョンについて語り、溝を埋めるよう心がけました。最初の2年間は、社長まで不安だったようですね/笑」。

最初に着手したのは、評価基準の作成。つまり、人を活かす基準づくり。

早川氏が、最初に手をつけたのは、「評価基準」。なんでも、あいまいな評価基準がもとになって退職する人が多かったそうだ。
「改善点がいくつかあって、それがわかっても、ぜんぶいっぺんには無理。私がアントワークスで最初に取り上げたのは、『評価基準』でした。これを、最優先事項に挙げ、問題点を洗い出し、明確な基準づくりを開始しました」。
できあがったのは、5項目5段階の「評価基準」。3ヵ月に1度、評価する体制も取り入れた。だが、打った手は、それだけではなかった。
「評価面談を自ら実施し、昇進時には、『昇進の理由』をしっかりと全社員に話すことまでしました。いままでのマイナスを打ち消すためには、制度だけつくっても意味がないと思ったからです」。
たしかに、ともすれば「制度」は足枷になる。「ルール」も同様だ。その「制度」や「ルール」の根底にあるものをどう共有するかが、問題であり、重要な点。
その意味でいえば、社長の言葉は、制度に命を吹き込んだことになるのではないだろうか?
ともあれ、早川氏が新たにつくった明確な基準は、不平不満をやわらげ、逆に指標となって現れることになる。

ロケーションの見直しで、店舗数の拡大を図る。

「私が入社した当時は、大学などの近くに出店していました。学生などをターゲットにしていたからです。これは、これで、間違いない戦略です。ただし、100店舗を前提にすると、不十分に映ります。私は、再度、出店計画を洗い直し、立地調査を重点的に行いました」。
その結果、フードコートなどにも出店が進む。学生やガテン系以外にも、「すた丼」が広がることになる。「ロケーションを増やすことで、30店舗のカベをクリアすることができたと思います。これが、入社して1~2年に取り組んだことです」。
その一方で、労働環境の改善にも着手。新卒採用を始めたタイミングで月6日だった休日を、月8日にしている。また、新しく朝食のメニューもスタートしたそうだ。「これは、あんまりうまくいかなかったですね/笑」。
ただし、サービスエリア内では、まだ朝食メニューは健在。「談合坂エリアでは朝ごはんはかなり売れている」と早川氏は笑う。

・・・続き

株式会社アントワークス 代表取締役社長 早川 淳氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

1年半ぶりのDRADITION後楽園ホ-ル大会観戦!

1年半ぶりのDRADITION後楽園ホ-ル大会を観戦しました!

久々のプロレス、楽しかったな。
コロナ対策も万全のなかでの観戦でしたが、早く日常が戻ってほしい。
「プロレス・ドラディション」

アリス・矢沢透、コロナ禍を乗り越えるべく団結した飲食店経営者 「オーナーズ11 ~飲食の戦士たち~」 とラジオを通じ飲食業界を活性化!

コロナ禍で闘う飲食店経営者ら8人が、14日、都内で、会見を行い、飲食店経営者11人でチーム「オーナーズ11 ~飲食の戦士たち~」を結成し、コロナ禍で苦境に立たされている飲食店業界に勇気と元気を与えることを旗印に活動すると発表した。まずは、11人がスポンサーとなり、Shibuya Cross-FMでアリスの矢沢透をMCに迎えた新番組「ALICE矢沢透の飲食応援団!」(15日スタート、第1、第3木曜午後7時)を放送する。

矢沢透、番組アシスタン緑川ちひろ、オーナーズ11のメンバー相川和大・石川瑛祐・内田克彦・遠藤勇太・小川博行・大山淳・坂田敦宏・須藤剛・森田隼人。
ALICE矢沢透さんと番組アシスタン緑川ちひろさん

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン