2018年12月17日月曜日

12月7日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」は、「小松庵」様です。

60代〜70代で頑張ってる人を応援!(キイストン寄稿)

12月14日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」第10回(10社/30社)は小松庵様(小松社長)です。
「現在、全従業員は49人で、そのうちシニアの従業員は製粉担当者とドライバーなどをお願いしている2人ですが、今後は積極的に採用していこうと考えています」と語って頂いています。

今回ご搭乗は製粉の責任者である黒澤昌宏氏(60)です。
(夕刊フジより)
「over60(ロクマル)世代応援企業30」の取材を70歳の元編集プロダクション社長の土金さんにお願いしております。
ライター


【氏名】土金哲夫(ツチガネテツオ)
【生年月日】昭和23(1948)年9月25日
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(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2018年12月14日金曜日

12月4日(火)発行の週刊写真誌『FLASH』に焼肉店“牛将”の橋本羅名さんが載りました。

12月4日(火)発行の週刊写真誌『FLASH』の“われら中年転機をつかむ”に焼肉店“牛将”の橋本羅名さんの記事が掲載されました。
Yahoo!ニュースにも載りました。
(われら中年転機をつかむより)
(FLASH)
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2018年12月11日火曜日

モンテステリース有限会社/株式会社花たぬき 代表取締役社長 星山真也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”モンテステリース有限会社/株式会社花たぬき 代表取締役社長 星山真也氏登場
本文より~

兄の背中を追いかけ、プロのドラマーをめざす。

「兄が始めた『ドラム』に興味を持ち、中学校3年生からバンドを組んでドラムを担当しました。高校生になると、学業よりも、バンドのほうがメインになります」。
今回、ご登場いただいた「花たぬき」の創業者、星山氏の回顧である。「高校2年生のときに、バンドはいったん解散しました。私は年上のバンドのメンバーとなり、活動をつづけます」。
ホームの京都はもちろん、大阪、兵庫、ときには千葉にまで遠征していたというから、ホンモノだ。ちなみに、兄は、そのままプロの道へと進み、有名アーティストのバッグでドラムを叩くまでになっている。
「一方、私のほうは悩みます。20歳のときです」。
二者択一。
「東京にいくか、バンドをやめるか」。
ずいぶん迷ったことだろう。ただ、答えは、ひょんなことから導き出される。
「当時、お好み焼き店でバイトをしていたんですが、絶妙なタイミングで正社員のオファーをいただいたんです」。
背中を押された格好だった。
「プロのミュージシャンをめざしていたんですが…」と星山氏。つよく思っていた。
逆説的な言い方だが、だから、きっぱりと、卒業できたのかも知れない。本人も「真剣にやればやるほど、厳しさを実感した」と語っている。
ともかく、ここまでが第一章。おそくなったが、生年月日は、1975年9月5日。京都市出身。

お好み焼き店で手にした、もう一つの目標。

「合計2年くらい」と星山氏。だから、独立はちょうど22歳のとき。たいていの大学生が、卒業する年齢だ。
「特別、何かをやりたくて、社員になったわけじゃありません」。
ほかに適当な道がなかったから、進んだにすぎない。しかし、それが星山氏のターニングポイントになる。
「いま思えば、20歳の選択がいまにつながっているのですから、たしかにターニングポイントです。アルバイトの時もそうでしたが、社員になってからは益々、信頼いただき、仕事も任されます。そうこうしているうちに、私でもできるんじゃないかと思ったのが独立のきっかけです。若かったから、できたことでしょうね。まったくの見切り発車です/笑」。
できるんじゃないか、という単純な思いつき。事業計画ひとつわからないし、みたこともない。ただ、走り出したら止まらない。資金を確保する前に、いさみあしで物件を押さえてしまった。「銀行からなんとか融資をいただき、周りの方にも助けていただいて、なんとか、なんとかオープンできました」。
むろん、オープンが起業の目的ではない。スタートラインに立ったばかりだ。そういう意識はあったんだろうか。
「そこからが、たいへんでした。創業店は『四条大宮』といって、繁華街から少し西に行ったところでオープンしました」。
チェーン店化をめざしていた。だから、創業店にもかかわらず、わざわざ「四条大宮店」と銘打った。
しかし…。

神かもしれない、おっさんズ。

「京都の幹線道路沿い。13坪・25席です。まぁ、だめでしたね」と星山氏は、苦笑する。むろん、当時は、笑うこともできない。
「中・高からのともだちが来てくれたおかげで、暮らしてはいけましたが、売上はぜんぜん立たないし…。現金商売なのに、現金がない/笑」。
カードローンにも頼った。
「今思えば、すべてが甘かったですね。お好み焼きをちょっとかじっただけ。鉄板料理いうたかって何も知らん素人ですよ。流行るわけもあらへん/笑」。
「だけど、ヘンな自信だけはあった。だから、たたむこともできへんかったんです」。
そんな日々が、5年間つづいた。
星山氏のねばりにも感心するし、通いつづけたともだちらの友情にも頭が下がる。ただ、その一方で、これが「粉もん」のちからだと思った。
もともと関西人は、「粉もん」との親和性が高い。いわゆる「粉もん」好きである。毎日はオーバーだが、つい食べたくなる。しかも、毎日、通ったとしても、財布はそれほどいたまない。
そのぶんライバル店は少なくないが、繁盛する素地はあるということだ。あとは、どう工夫するか。創業して5年、青息吐息でつづけた店に、春が来る。
ちなみに、春をよびこめたのは、神かもしれない、おっさんズのおかげである。
「どこの町でもそうやと思いますけど、京都にも『お好み焼きの通』みたいな人がいるんですわ。で、うちの店にも何人か、そういう方がいらっしゃるわけです。店主が20そこそこでしょ。だから、あれ、これと、アドバイスっていうかね/笑」。
「○○ちゅう店が旨いでぇ。行ってみぃ」。
週1回のやすみ。言われた通り、店を探す。
「そうやって、べた焼きを知るんです」。
「あの口数のへらへん、おっさんたちがいたから、いまがある。少なくても、『べた焼き』はしてへんのとちゃいますか。もっと恰好ええのんしてたと思うな/笑」。
・・・続き
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2018年12月10日月曜日

12月8日(土)、日刊ゲンダイの “グルメ社長の食い倒れ日記”は「SFPホールディングス」佐藤 誠社長が掲載されました。

日刊ゲンダイの “グルメ社長の食い倒れ日記”は12月8日(土)よりSFPホールディングス」佐藤 誠社長が5回にわたり掲載スタートしました。(取材協力 キイストン)

(日刊ゲンダイより)
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12月7日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」は、カフェ・ド・クリエを展開されてる「ポッカ・クリエイト」様です。

60代〜70代で頑張ってる人を応援!(キイストン寄稿)

12月7日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」第9回(9社/30社)は、カフェ・ド・クリエを展開されてるポッカ・クリエイト様(上野社長)です。

社員の定年は60歳ですが65歳まで延長されていますがその中で、シニアの方は現在5人ほど。
そのシニアの1人が東京・大森山王店で働いているパートの田中初美さんです。
(夕刊フジより)
「over60(ロクマル)世代応援企業30」の取材を70歳の元編集プロダクション社長の土金さんにお願いしております。
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2018年12月4日火曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」2回も観てきました。

中学の時、親友のマックの影響で雑誌『ミュージックライフ』を不定期で見てましたが、クイーンは、よく表紙に載ってたな・・・・。
そんなこともあってボヘミアン・ラプソディ」をフレディ・マーキュリーの命日の日の11月24日と先日は4DXでも観に行きました。
超感動しました。

株式会社シャノアール 代表取締役 中村成佑氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社シャノアール 代表取締役 中村成佑氏登場
本文より~

1965年、創業の老舗カフェ。

4代目になる。今回、ご登場いただいた株式会社シャノアールの代表取締役社長、中村氏のことである。創業は1965年。中村氏が生まれる20年近く前の話だ。
「祖父が蕎麦屋をしていたんですが、そちらが立ち退きになり、代わりに不動産事業をスタートし、その時、もう一つ開始したのが、現在につづく飲食事業です」。
1号店は、今の『あきる野市』にオープンしたそうだ。
当時は、経済成長期。「シャノアール」も、次々、出店を重ねていく。ところが、1990年代に入ると、バブルが破綻し、経済の雲行きが悪くなる。ダウンサイジングが起こり、淘汰の時代がスタートする。
「最盛期は、245店舗ですね。私が生まれたあたりから出店が加速したんじゃないでしょうか。ただ、時代とともに、シャノアールの立ち位置もかわってきます」。
スターバックスなど、米国スタイルのコーヒーショップも台頭する。「シャノアール」もけっしてすべてが順風満帆ではなかったはず。なかでも、創業者である、中村氏の父親が倒れた時は、最大のピンチだったはずだ。
「そうですね。2004年に父が倒れた時は突然で、母が継ぐことになりました」。
いったん、社長の座を譲ったこともあったが、中村氏が社長に就任するまでの13年もの間、母がシャノアールを守り、育てたのは事実である。
ちなみに、中村氏が社長に就任したのは、2017年のことである。

めざすは、ビリヤードのプロ。

「中学受験して、私立中学に進みます。最初は、バスケットボール部に所属する、ふつうの生徒だったんですが」。そう言って中村氏が笑うのは、中学時代、スイッチが入ったように、ビリヤードにハマってしまったからである。
ビリヤードにハマったことで、バスケットボールも退部。「プロ」を目標にかかげ、一目散に突っ走る。
高校に進んでも、ビリヤードの熱は冷めない。
「ビリヤードの大会は、夜なんですね。それに合わせて、昼・夜逆転の生活をしていました。そんな生活ですから、高校に行くのもたいへんで。一度進んだ私立高校を辞めて、通信制高校に編入します」。
プロの道を進むための、覚悟の一つだった。

アメリカで知った世界の広さ。

高校を卒業すれば、いうまでもなくプロ試験を受ける。これが、中村氏の想定だった。ところが、試験の前に父親が倒れて亡くなってしまう。これが、2004年のことで、当時、「シャノアール」は、アルバイトだけでも3000人、抱えていたという。
むろん長男の中村氏も、もう「ビリヤードのプロ」とは言っていられなくなる。
「翌年の2005年です。新卒者といっしょにシャノアールに入社しました。それから2年間、店長も務めましたが、いったん、シャノアールを退職するんです」。
どういうことだろう。
「実は、店舗の運営だけではなく、マーケティングやファイナンスなど経営者にとって必要な知識を身に着けるためにニューヨークにある市立大学に留学したんです。あの時、様々な国の価値観と、その違いに驚き、世界の広さというのをリアルに体験したのは、いまでも私の大きな財産です」。
それ以外にも中村氏は、ニューヨークで日本とは違う「食」に関する価値観やカフェのあり方に出会う。現在の商品開発やマーケティング活動に活かされているのも、ニューヨークで得た経験だ。
モーニングメニューで採用しているカイザーパンやホットドッグで使用しているライ麦パンもまた、ニューヨークで得た知識がヒントになっている。
・・・続き
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2018年12月3日月曜日

11月30日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」は、「フォーシーズ」様です。

60代〜70代で頑張ってる人を応援!(キイストン寄稿)

11月16日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」第8回(8/30社)は、フォーシーズ様(浅野社長)です。

フォーシーズ外食事業本部のアルバイト・パート従業員数は2000人。そのうちシニアは、「吉祥庵」の瀬尾京子さん(61)と「本場香川 宮武讃岐うどん」の久須美順一氏(61)の2人を含む77人も在籍。
(夕刊フジより)
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