2014年5月27日火曜日

オレンジ世代酒場 オープン前夜。

串屋横丁  新橋西口店が
オレンジ世代酒場 by  串屋横丁
になる前日の準備風景
  



振り返ると実は・・・・。

今年て゜22周年のキイストン。
紆余曲折あったものの落とし込んで考えると
小さな夢が一つ一つ叶ってます。

振り返ってみると
創業まもなくバブル崩壊もあり武田と2人でスタートしたキイストンに従業員って採れるかな?って
→採れました。

一緒に仕事できる仲間(社員&ブレーン)増えるかな?って
→増えました。

求人広告代理の仕事はハード業務の薄利多売、定着率も悪い環境のなか人が辞めない職場になりたいな…って
→定着率良くなりました。

社内の平均年齢がアップしてきたので若手ほしいな…って
→20代の有望な人材が来てくれました。

同業他社とは差別化した違うことしたいな…って
→エム採用が生まれ、飲食の戦士たちも立ち上がりました。

書籍って出したいな…って
→個人で2冊、キイストンで5冊出版しました。

コツコツ積み上げていくと、その過程て多くの夢が叶ってきている。
そう考えると多くの幸せを手にしてる。

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

株式会社タウンクライヤー 代表取締役 嶋 啓祐氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社タウンクライヤー 代表取締役 嶋 啓祐氏登場。
文より~

北海道砂川市、生まれの少年。

北海道砂川市は、札幌市と旭川市を直線で結び、その線を二等分したような場所に位置する。炭鉱町、そして上砂川や歌志内に行く起点として古くから栄えた町で、嶋家は曾祖父の代から移り住み、駅前で旅館を経営されていた。
この駅前旅館に、嶋が生まれたのは1963年のこと。市のHPを調べると、嶋が生まれる数年前の、1959年に人口が3万2495人となり、これが市制開始後の人口のピークということだった。
嶋家が経営する旅館も、炭鉱の町とともに衰退したはずだが、それでも数年前まで経営を続けられていたそうである。
しかし、ご両親は、3人の子どもらには「早く町を出られるように」と言われていたらしく、長男である嶋も家業を継ぐことなく、明治大学への進学に合わせ東京に出てきている。

明治大学に進学。

「中学からサッカーをはじめ、高校の2年まで続けていました」と嶋。
それ以降は、勉強に精をだした。「ただし、いくつか受験したものの、合格したのは明治だけ」といって笑う。
「学生時代は、とにかくアルバイトに明け暮れた」と嶋。その言葉通り入学式を済ませた翌日から弁当屋でバイトを開始している。「渋谷の大衆キャバレーとか、スキーのインストラクターもしました」。
ちなみに、高校時代の得意科目は、英語と世界史。All Aboutのプロフィール欄を観ると趣味・特技として、「洋食調理と日本神話探求」が挙げられていた。

マルチなタレントの持ち主、経営者嶋ができること。

1986年、明治大学を卒業した嶋は、リクルートの関連会社である「東京リクルート企画」に就職する。アルバイト誌のフロム・エーなどの営業を務めていた。もう、その当時には30歳で起業という目標も念頭にあったそうだ。
東京リクルート企画で1年2ヵ月営業を経験した嶋は、「電通国際情報サービス」に転職することになる。
電通国際情報サービスは、1975年に電通と米国のGEが共同で立ち上げた会社である。
「人事の枠がぽっかり空いたらしくて」と嶋。まだ23歳、経験よりも、将来を嘱望されてのことだろう。
「それから37歳まで勤務しました。電通の子会社でもあるわけですが、電通より先に上場も果たしました。上場を経験できたという意味も含めて、この会社に転職して良かったです」。
嶋が37歳ということは、2001年のこと。電通国際情報サービスを退職した嶋は、その年の10月「大手町サンケイビル」6階に本格的なブリティッシュパブを開業する。これが嶋の飲食人生のスタートである。
ところで、それよりも10年前、つまり1990年から嶋は、副業でブライダルコーディネーターや式場での司会、また式のビデオを撮影・編集し、販売していたそうだ。「だいたい1年で30~40組を撮影しました」と嶋。
多彩なタレントを発揮するのは、この頃からだろうか。ともかく、多彩。いまの現在の話になるが、All Aboutで行っているフレンチのガイドもそうだが、今度、島根県雲南市が作成する、カレンダーのデザイン、コピーライティングも社長業のかたわらで行っている。これ一つからも、マルチタレントぶりが伺い知れようというものだ。
1985年、フランス旅行でワインとフレンチにのめり込み、独立した2000年には、「フランスワイン完全ガイド(小学館)」も監修出版している。ちなみに、これらすべての経験が、ブリティッシュパブの開業につながったことはいうまでもないだろう。・・・続き
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夕刊フジ、やっぱりスゴいメディアだ!!

夕刊フジのスゴさ改めて感じてます。

さすが中高年サラリーマン(=オレンジ世代)のバイブルだけある。
今回、夕刊フジ初の飲食店とのコラボ実施されましたが、
初日こそ、空きがあったものの、その後連日大盛況です。
さすがです!!

夕刊フジと飲食店との相性はやっぱりスゴい!
なぜなら世の中高年男性は飲食店の浮気あまりしないから。

女性なら、やれテレビに出てた、やれハワイで流行の○○、
コラーゲンの○○メニュー、誰々がよく行くお店など
ことあるごとに飲食店を開拓します。

世の中高年男性皆さんは総じて、
一旦認知してもらうと固定客になる確率高いですよ。

2014年5月24日土曜日

吉野家の安部社長が退任され、河村泰貴社長中心とした新体制に移行。楽しみ!!

飲食の戦士たちより
株式会社はなまる 代表取締役社長 河村泰貴氏 2009年06月02日掲載) 

人の教育は厳しすぎてもダメ。ゆるすぎてもダメ。


株式会社はなまるうどんは吉野家グループの一企業である。河村社長ももともと「吉野家」にアルバイトから入り、現場からの“たたき上げ”で株式会社はなまるの経営者にまで登りつめた。二世経営者でもなければ、創業者でもない。実力だけでトップになった。「でも経営者願望のようなものが特にあったわけではありません」と氏は謙虚に話す。
河村氏は23歳の時に、それまで勤務してきた「吉野家」の社員に登用された。学生時代から吉野家でアルバイトしていた河村氏にとって、店舗運営に関することはすべて、“できて当たり前”だった。それが気負いになったのか、店長になって一店舗目はスパルタ教育を敢行した。
「初めて店長職につき、“バイトとは違う”と力みすぎたのかもしれません。バイトがどのように手を抜くのかを、過去の自分の経験からよく知っていたので、部下をとことん厳しく教育しました。でもそれでは人がついてこなかった」
そこで2店舗目では、河村氏はその真逆を実践してみたという。
「楽しく働けることをモットーに、ムードメーカー的な役目を果たしながら店長を務めました」。しかしまたしても失敗。“人は易きに流れる”の法則で、全体的にルーズな店になってしまったのだ。
“三度目の正直”で、3店舗目では“アメとムチ”を採用した。叱る時にはスタッフをすぐにその場で叱り、ほめる時にはみんなの前でできるだけ具体的にほめた。こうしてようやく店長としての手腕を十分に発揮できた。河村氏が25歳の頃である。


異動を命じられ、うつうつとした日々。それでも…。


店長職でめきめき頭角を現した河村氏は、かなり早い段階でSV職に大抜擢された。しばらくは順風満帆な人生が続くように思われた。しかし28歳の時、突然、転機が訪れた。
「関連会社のシンクタンク部門に出向になったのです。毎日ただひたすら新聞や雑誌を読むだけで、店長のような充実感を味わうことができませんでした。自発的にレポートを書いて提出したりしましたが、それでもつらくて…(苦笑)。自分が貢献している実感があまりにもなく、うつうつとした日々を過ごしていました」と河村氏。
 当時、河村氏は“辞めよう”とこそ思わなかったが、「水銀電池のように生きよう」と考えていたという。「だらだら迷いながら働くのだけはやめよう。水銀電池のように、頑張るだけ頑張ってみて、それでもダメな時は、またその時…」と腹を据えていたのだ。
 このような割り切りが、「逆に良かったのかもしれない」と河村氏は振り返る。環境の変化に対応する能力や、“何とかなる”と前向きでタフな姿勢が身についたのだ。また、膨大な情報が流れ込んでくるシンクタンク部門に籍を置いたことで、情報感度が一気に高まり、「情報の嗅覚のようなものが研ぎ澄まされた」と河村氏は話す。
「無駄な時間ではなかった。この時期の経験が後に生きてきた」と河村氏は念を押す。


飲食業とは感動を産み出すドラマ。そのドラマを演出してくれる社員を求む。


その後、吉野家に復帰した河村氏は、まさに“水を得た魚”のようだった。はなまるに出向してからも、さらに仕事に対する情熱に火がつき、飛躍的な成長を遂げている株式会社はなまるを第一線で牽引してきた。2010年には株式上場も目指す。
中でも特筆すべきは、東京の渋谷センター街の店舗。連日、大行列ができる繁盛ぶりで、しかもお客のほとんどは女子高生というから驚きだ。“学生のデイリーユーズの店”としてポジションを確立し、他チェーン店の追随を許さない勢いで、いまなお成長しているのだ。
「飲食業は言ったもん勝ち。やったもん勝ち」と話す河村氏。部下に対しても、手を挙げた人にはとことんチャンスを与える方針だ。完全実力主義の世界を作り出し、99%を中途で採用している。業界未経験者でも活躍できるように、さまざまな教育制度を用意している。
「お客様が店に入ったら、そこから“お客様とスタッフとのドラマ”がスタートする」と緊張した面持ちになる河村社長。スピーディーに商品を作り上げ、最高においしい本場の讃岐うどんを堪能してもらう。その瞬間はもはや単なる外食ではなく、感動を生み出すひとつのドラマ。「素敵なドラマを演出してくれる若手社員を募集したい」と河村氏は意欲的だ。

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2014年5月23日金曜日

5月23日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”に「オステリア・ルッカ(マーシュ)」の桝谷周一郎オーナーシェフ登場。

5月23日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”(細見連載企画)に
オステリア・ルッカ(マーシュ)」の桝谷周一郎オーナーシェフ
取り上げさせてもらいました。 
よく料理関連のTVメディアなどにも出演されている人気イタリアンシェフです。
余談ですが、奥様は北陽の虻ちゃんです。
オステリア・ルッカ(マーシュ)」の桝谷周一郎オーナーシェフ】 

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2014年5月22日木曜日

株式会社人形町今半 代表取締役社長 高岡慎一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社人形町今半 代表取締役社長 高岡慎一郎氏登場。
本文より~

明治28年創業の老舗の名店。

牛鍋とは「すきやき」のこと、と言っていいのかどうか判らないが、ともかく牛鍋は、今の「すきやき」の原型ではあるようだ。森鴎外の著書のなかにも「牛鍋」という作品がある。小説にも登場するくらいだから「牛鍋」は昔から尊ばれていたのかもしれない。
調べてみると、牛鍋は幕末の頃に初めて登場している。
「今半」が創業したのは、明治28年。曾祖父が牛鍋屋を開業したのが始まりである。
「当時の牛鍋は、ビール1本よりも安かったそうです。今のように高級ではなく、大衆食だったんですね。曾祖父が開いた『今半』は、かなりの人気店だったようで、金メッキの鍋で提供したりしていたと聞いています」。
「食」は、その時代の文化なり、思想なり、経済なりを極めて正確に映し出す。明治から大正にかけ、日本の食文化がほどよくこなれてきた様子が、今半の当時の様子からも伺える。
曾祖父が、開業した「今半」は、祖父の代で「浅草今半」を生み、次男だった高岡の父が「人形町今半」を設立したそうだ。その意味でいえば、高岡は、「今半」の4代目であり、「人形町今半」の2代目店主となる。
今回は、この「人形町今半」の2代目店主、高岡慎一郎の足跡を追いかけた。

人形町今半2代目店主への教育。

大人しく、目立たない性格だったと高岡は、幼少期を振り返る。高岡が生まれたのは1958年11月6日。四谷生まれ 荻窪育ちだそうである。2人兄弟の長男で、次男はいま副社長を務めているとのことだ。
「両親とも仕事をしていましたので、私はお手伝いさんに育てられたようなもの。私が小学4年生の頃からでしょうか。母が初の支店である有楽町店の責任者となり、、ますます忙しくなりました」。
「両親共忙しい仕事の合間を縫って、外食にはよく連れて行ってくれました。今でいうなら星付きのレストランです。私や弟の舌を鍛えるためと言っていましたが、父本人が、旨いものを食べたかっただけだったかもしれません(笑)」。
まだ子どもである。旨いかどうか判断する材料はない。それでも、子どもの頃の味覚は、生涯を決定すると言ってもいい。
父にすれば、これも「食育」の一つであったのだろう。ただ、この時、高岡が魅せられたのは料理よりも接客だったそうで、「クオリティの高い接客を受け、幼いながらにも憧れた」と言っている。
母からは「勉強しろ、塾に行け」と、よく尻を叩かれた。父は、特段何も言わない人だったが、テーブルマナーについては、色々言われたそうである。
かけっこが不得意。運動音痴だと思っていたと笑う。
それでも小学生の時には、スケート、剣道をかじり、高校では柔道を少し経験している。「高校生になって人並み程度には走れるようになって。ちょっとスポーツにも自信がついた」と高岡は大声で笑う。・・・続き
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2014年5月19日月曜日

本日5月19日、夕刊フジ+串屋横丁『オレンジ世代酒場』 新橋にオープン!!

本日5月19日、夕刊フジ全面協力の居酒屋が
新橋にオープンします。
その名も『オレンジ世代酒場』!!

串屋横丁を展開されている“ドリーマーズ”との
コラボ企画で
7月26日までの期間限定です。
 (『オレンジ世代酒場』)
(新橋駅前にてチラシ配布を)
(石毛もハッスル・ハッスル!!)
(オープンし、石毛も自慢顔です)

2014年5月17日土曜日

テレビ東京『未来世紀ジバング』にて、 ドバイ特集ありました。

先日、4月28日にテレビ東京『未来世紀ジバング』にて、
ドバイ特集ありました。

2020年の万博はドバイでの開催も控えたり、、
中東のUAE(アラブ首長国連邦)は、
4年半の前のドバイショックで落ち込んだものの
現在は経済も復活しさらなる飛躍もくろんでるんですね。



ということは、これから日本食店も流行るのは間違いないな!!

2014年5月16日金曜日

5月16日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”に「ドリーマーズ」の中村正利社長登場。

5月16日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”(細見連載企画)に
夕刊フジとのコラボで誕生した「オレンジ世代酒場」を5月19日(月)からオープンされる「ドリーマーズ」の中村正利社長取り上げさせてもらいました。 
「ドリーマーズ」の中村正利社長】 

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夕刊フジ 号外版?! 新イベントスタートします。

あのサラリーマンのバイブル“夕刊フジ”と
美味しくて安い“串屋横丁(ドリーマーズ)”との
夢のコラボが、
サラリーマンの街“新橋”で実現しました。
その名も『オレンジ世酒場(串屋横丁)』
※オレンジ世代=40~60代の元気な中高年

店内に、夕刊フジ創刊(1969年)以来の懐かしい紙面も壁いっぱいに貼られ、
それだけでもスゴいかも価値あります。
もちろん特別メニューも用意し、
それ頼むとお通し代わりに夕刊フジ出てきます。

キイストンも関わらせてもらってるので、
とても今からワクワクしています!

ドリーマーズHP
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お墓参りも出来ました。

母親の命日が3月19日でした。
亡くなったのが、2006年だったので、もう8年か。
早いです、月日が経つのは…。

かなり遅れてましたが無事墓参り出来ました。

今は実家に父親がひとりで住んでいますが、
ヘルパーさんや近所の皆さんにサポートしてもらいながら
元気に暮らせているので
うれしく、感謝の気持ちでいっぱいです。

庭もしばらくの間手入れしてなかったので伸び放題ですが、
田舎の同級生からやってやろうかと言ってもらい、手入れしてもらう予定です。
本当にありがたいものです。
(実家の庭)
だからこそ、高校卒業から離れている田舎にいろいろ貢献したいですね。