2014年10月31日金曜日

30日発行の夕刊フジの波乱万丈起業家列伝は、ベビーピュアの渡邉敏行社長登場。

10月30日(金)の夕刊フジの“波乱万丈 起業家列伝”(細見連載中)は

中国福建省出身の健康中華庵“青蓮”のベビーピュアの渡邉敏行社長を取り上げました。

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『夕刊フジ×ゆで太郎』コラボの“オレンジ世代酒場”第3弾、11月4日よりスタート。

「ゆで太郎」でオレンジ世代キャンペーン 「セット」でぜいたくな晩酌を


キャンペーンの目玉は、ゆで太郎自慢のおそば(冷または温)に、てんぷら4品、冷ややっこ、ビール(またはウーロン茶)をセットにした1000円の「オレンジ世代セット」。このセットには、“お通し”として夕刊フジが1部付くニクい特典も用意しました。各店舗30食限定で午後4時からの提供。
ぜひ、お近くの「ゆで太郎」に足を運び、いつもより少しだけぜいたくな晩酌を楽しんでください。
■ゆで太郎「オレンジ世代キャンペーン」実施店
【東京・神田】(3店)「神田橋店」(千代田区神田錦町1の27の4)「淡路町店」(千代田区神田須田町1の8の16)「錦町店」(千代田区神田錦町1の8の11)
【東京・五反田】(5店)「西五反田本店」(品川区西五反田2の30の5)「東五反田店」(品川区東五反田1の11の8)「大崎広小路店」(品川区大崎4の2の2)「五反田TOC店」(品川区西五反田7の22の17五反田TOCビル地下1階)「西五反田2丁目店」(品川区西五反田2の11の20)

【神奈川・川崎】(2店)「川崎小川町店」(川崎市川崎区小川町15の9)「川崎砂子店」(川崎市川崎区砂子2の10の7)

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2014年10月30日木曜日

2014年10月29日水曜日

武田あかね主催のハロウィンパーティー!!

29日、いつもなにか縁が拡がる武田あかね主催の通称“あかね会”が数年ぶりにハロウィンパーティーとして復活!!
なんと15人程度の予定が40人近くに膨れ上がり、私も便乗しました。











なぜかルパン三世が・・・・?!
あっ、うちのE教官こと江川でした(笑)
なんでおるねん!
 E教官

2014年10月28日火曜日

27日、俳優の榎木孝明さんと旧北桑田郡(京北&美山)地域に・・・。

弊社の武田がつないでくれた縁で、俳優の榎木孝明さんを私の故郷の旧北桑田郡(現京都市右京区京北&南丹市美山)にお連れしました。
京都の過疎地域に時代劇のロケ地、また昭和初期から対象、明治、江戸時代含めた時代村をという榎木さんの大構想と生まれ故郷(京北&美山)の町おこしになればという想いから、京北トップの片山京北出張所長と美山トップの弓削美山支所長とセッティング。
京北の方、美山の方は救世主の榎木さんの登場に興奮気味でした。
やはり違いますねいらっしゃっただけけで元気になります。
いいご縁になれば…。

榎木さんの時代劇を継承しようというスゴイ意気込みが人を地域を行政を動かしそうです。
その候補に京北と美山を考えて頂き光栄です。

株式会社HATARAKU 代表取締役 伊藤清孝氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社HATARAKU 代表取締役 伊藤清孝氏登場。
本文より~

少年時代の伊藤清孝。

愛媛県今治市。造船やタオルで知られるこの町に、伊藤が生まれたのは1978年のこと。
父親は、元々サラリーマンだったが、伊藤が生まれて少しして、独立。3~4人と、けっして大きくはなかったが、会社を興し、事業は順調に推移する。伊藤家も、それなりに裕福な家庭だった。
「私は、小さい頃から母と姉に甘やかされて、ぬくぬくと育ちました。スポーツでは、水泳とかもやっていましたが、基本、遊び呆けていました。勉強も、全然しなかった(笑)」。過保護だった、と言って伊藤は笑う。
もっとも小学生時代から、農業に興味を持つような純朴な少年だった。動物や漁業にも関心があり、水産高校に行くかどうか迷った時もある。「結局、隣町の工業高校に進学しました。機械いじりも好きだったからです」。

社会人スタート。

「高校を出たら就職しよう」と中学生の頃に、そう決めていた。だから、「工業高校」に進んだ。機械を勉強し、予定通り、大手農業機械・器具関連の会社に就職する。
これが伊藤の社会人生活のスタート。といっても、今治。「のんびりしていますよね。危機感もない。ある意味、過保護な環境なわけです。だからじゃないですが、仕事は楽しかったですよ。バイクで農家を回ってね。機械いじりが好きだから、エンジンを直すのも楽しかった。でもね、田舎ということもあって、給料が安かったんです(笑)」。
「私は、給料にそれほど執着する方じゃないんです。でも、当時はまだ何かできる、オレならと思っていたわけです。まだ少年ですから。それで20歳の時に、退職させてもらいました。ただし、何かをやってやろう、と思って退職したんですが、退職したからって、そうそううまく何かがスタートするわけじゃありません」。

「起業」の二文字を追いかけて。

「転職したのは、若者向けのアパレルショップでした。ショップは5~6店舗ありました。こちらは、こちらで楽しかったですね。社長が、韓国に行って安い服を大量に仕入れてくるんです。それを日本で売る。『商売って、面白いな』と思ったのは、この時ですね。で、3年くらいお世話になって、『よし、オレも』と資金獲得に動き出すわけです」。
資金獲得と書いたが、当時の伊藤にとっては、働いて貯める以外に選択肢はなかったし、それ以外は思いつきもしなかった。「だから、効率がいいと思って、深夜勤務もある交替制の工場で働き始めました」。こちらでも2年間、勤務しているが、お金は貯まらなかったそうだ。それだけではないが、敢えて理由を問えば、バイク好きが高じて、部品にもずいぶんお金を使ったからだろう。もっとも、この2年間のうちに伊藤の心境も変化している。
「最初は、起業への思いはあったものの漠然としたものでした。資金づくりのために転職したのに、全然貯蓄できなかったのも目標が漠然としていたから。まだまだ何かに甘えていたんでしょうね」。「でも、だんだん年は取るわけで、そんな時、バイク仲間がログハウス借りて飲食店を開くんです。それで、こいつでもできるんだったら、と私も『飲食』をやろうと思うんです」。
もっとも経験はない。やろうと思っても、そうそうできるものでもないし、今の生活との決別にも、そう簡単に踏み切れるものでもなかった。・・・続き
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2014年10月21日火曜日

武田、いろいろ出てます。

キイストンの役員(兼ミストラル代表)の武田ですが、最近いろんなのに出てます。
10月20日発行の『旭化成ヘーベルハウス』秋のカタログや、『第一三共リクシアナ錠』 のポスター・パンフ・動画等にも・・・。
(『旭化成ヘーベルハウス』)
(『第一三共リクシアナ錠』)
株式会社ミストラル

Bistro Q オーナーシェフ 山下 九氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”Bistro Q オーナーシェフ 山下 九氏登場。
本文より~

漫画「美味しんぼ」に魅了され。

山下は、1975年3月15日に生まれる。料理との出会いは、小学生の時。父が持っていた漫画「美味しんぼ」が最初。「美味しんぼにハマって、小学生ながら料理にチャレンジしたこともある」とのこと。本人いわく、活発だがテレビやラジオなどが好きなちょっと変わった子どもだったらしい。
中学生になると、興味は更に広がった。「バントもその一つで、興味が湧くと何にでもトライした」と語っている。一方、食に対する興味もますます旺盛になり、新聞や雑誌に掲載されている料理店情報をチェックし、クーポン券を持って食べにいったりもした。
ご両親についても伺った。
「父は芸能プロダクションのジャズバンドマネージャーでした。忙しく働いていましたが、テーマパークや外食などに良く連れて行ってくれました。私が中学に上がるまえに、父の会社が倒産。その後は、保険の代理店などをしていました。母は、父の会社の倒産をきっかけにブティックを始めます。今でも、この店を経営しています。父は頑固、母はのんびりした性格ですね」と山下。2人兄妹で、3つ離れた妹がいるそうだ。
仕事について考え始めたのは中学3年生というから、同年代の少年と比較して少し早い。「派手で、目立って、格好いい仕事」ということで、「広告代理店がいい」と思っていたそうだ。思っているだけではなく、調べもした。すると、高学歴が必須。今まで勉強はできるだけやらないで済ますタチだったが、これをきっかけに勉強にも精をだすようになる。

バーのカウンターで、もうひとつの仕事に出会った。


広告代理店に就職すべく、勉強にも精を出し、高校にも進学したが、その目標を軌道修正することになる。高校になって、バーでバイトを始めたことがきっかけだ。
「1000円という時給も良かったんですが、マスターやお客様と過ごす時間が、なんともいえず濃厚で、それですっかり『飲食という仕事』に興味を持ち始めてしまったわけです」。
かつて読んだ「美味しんぼ」の影響も多少はあるのかもしれない。
マスターは40代。カウンター4席、4人掛けのテーブルが3つ、6人掛けのテーブル1つ。マスターと2人。山下はカウンターで、接客を担当していた。
「親父の友人も来て、焼肉屋に連れて行ってもらったり…。まだ高校生でしょ。とても、可愛がってもらいました」。
料理の道を目指そうと思ったのもこの時で、その動機に、山下の仕事に対する考えかたが良く表れていた。
「マスターと2人でしょ。私が料理をすることができれば、マスターがもっとカウンターに出られると思ったんです。もちろん、マスターに言われたわけではありません。そうするほうが、店にとってもお客様にとってもいいだろう、と考えたからです」。
バーやマスター、お客様との時間が過ぎていった。
給料は、何に使っていたんですか、と聞いてみた、
「洋服かなぁ」という返事。
両親は、受験を頑張れば良いというスタンスで何も言われなかったそうだ。しかし、大学受験は理工を受けるも、失敗。浪人し、さらに予備校時代の夏休みに原付の交通事故で、正面衝突。3か月の入院を余儀なくされる。
そういうこともあり大学受験を断念した山下は、このバーで「社会人の一歩」を歩み始めている。ずいぶん長いバイトとなった。


・・・・続き

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