2013年9月30日月曜日

武蔵大学の海老原ゼミにて若月氏に講演して頂きました。

先日9月27日(金)、スイートスタイル(麻布十番モンタボー、元町珈琲)の前社長(8月退任)の若月光博氏に、武蔵大学海老原ゼミにて講義して頂きました。
今回、初めて武蔵大学にて講義の機会を頂きましたが、生徒の皆さんも大変熱心なんでビックリしました。
若月前スイートスタイル社長、海老原崇先生、ならびにキッカケを頂いた武蔵大学名誉教授の一樂先生に感謝申し上げます。
 (海老原ゼミにて)
 (元銀行出身の若月氏だけあってゼミ生も関心が高い)
 (前スイートスタイル社長 若月光博氏)
 (皆さん熱心なのにビックリしました)
(学生からの質問も多く出てました)
96x96

2013年9月26日木曜日

24日に、フジテレビ系列『めざにゅ〜』にSERVERS様登場。

今度は、24日(火)に、フジテレビ系列『めざにゅ〜』にSERVERSの“100-001(ヒャクゼロゼロイチ)”が取り上げられました。
 (100-001の店舗)
 PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2013年9月25日水曜日

社長直轄の特命課は、大正解!!

社長直轄の特命課を新たに設置しましたが、大正解でした!!
大変、細かなことを水面下で動いてくれてるので、
いろんなことが同時進行で進んでいます。

海外ルート、メディア関連、大学講義、新サイト構築、取材先グレードアップ、業者拡販などなど。

自ら考え、自ら行動し、ミッションを全うしてくれています。
いい人材、これに尽きる!!
96x96

“刀削麺 唐家(からや)”、今度は「やじうまテレビ」のニュースに・・・。

24日(火)の朝、テレビ朝日「やじうまテレビ」のニュースで取り上げられました。
今スゴい数の取材オファ来てる様です。
 
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2013年9月24日火曜日

株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー飲食の戦士たち株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏登場。
本文より~

フランスとパンと。

女優でいえば、カトリーヌ・ドヌーヴ、男優ならアラン・ドロン。中学生時代、フランス映画の世界に憧れた。「あれがフランスというのを意識した始まりかもしれない」と藤森。高校時代にはカナダに半年、留学した。「ホームステイ先の親父さんが、丸太みたいな腕で休みともなればパンを焼いてくれたんだ。あれも格好いいと思ったなぁ」と言っている。
帰国した藤森はカナダの親父さんを真似て土・日になるとキッチンに立ってパンを焼いた。「翌日、焼いたパンを抱えて学校に行って休憩時間に教室の端っこでパンを配ったんです。もちろん、タダ。もちろん、女の子だけ(笑)」。
学校中の人気者になった。
「そうだね。最初はクラスの子だけだったんだけど、いつのまにか全学年の女の子が列をつくっていましたっけ」。褒められれば、悪い気はしない。パンづくりにも熱がこもったことだろう。フランス映画を観てフランスを意識し、女子を意識しパンづくりをはじめ、料理のたのしさを知っていったに違いない。
「でも、そうそう、バレンタインの時のこと。チョコをつくってくれっていうリクエストがあったんでつくってあげたら、なんとそのチョコを男子に渡しているんです。あれには、ちょっと参った。藤森は男子にはつくらない主義。だから、藤森のお店は閉店、となってしまったわけです(笑)」。
タダと言っても、繊細な女の子たちが列をつくるぐらいだから見た目も、味も良かったのだろう。ともあれ、いま考えれば、その時の女の子たちは「世界でも有名な藤森のパン」を最初に食べた幸せな人たちである。

「明治学院大学法学部」入学。

「女の子がたくさんいるところを選択しました」。
大学受験の話である。
「大学はバラ色生活だと思っていたんですね。バラ色に染まるためには、やっぱり女子でしょ。だから女子が多い大学を狙って戦略を立てて、傾向も対策も整えて受験に臨みました。立教も受けたし、そうそう早稲田も受験しました。ただし、早稲田は記念受験。1時間目の英語の長文読解がまるでわからず、それで失礼しました(笑)。立教は惜しくもダメで、結局、明治学院大学法学部に進みました。こちらは結構楽勝でしたから」。
「そうですね。もしこの時、早稲田や立教に合格していたら、いまの藤森はいなかったかもしれません。そういう意味では受験に失敗して良かった。案外、人生とはこういうもんです」。
早稲田や立教なら、就職にも不利ではない。ただ、明治学院だとレベルは下に見られてしまう。それがイヤで、リクルートスーツを着るのもイヤで、就活もせずにツテを頼って、とある横浜のパティスリーに就職した。
学生生活はバラ色だったかどうかは別にして、楽しい時代だったのはたしかである。一方、就職してからは過酷な修業時代が幕を上げる。しかし、そちらのほうが藤森にとっては楽しい時代だったかもしれない。大好きなお菓子やパンづくりに没頭できたからである。
このパティスリーを経て、かねてから憧れていた「フィリップ・ビゴ」の下へと神戸に向かった。
「フィリップ・ビゴ」はいうまでもなく、フランスパンを日本に広めた有名なブーランジェ(パン職人)である。当時、パンと言えばアメリカから来たふわふわしたものが主流だった。フランスパンもあるにはあったが、塩味がきつく、堅いコッペパンと思っていた人が多かったそうだ。
しかし、「フィリップ・ビゴ」が焼いたフランスパンは皮がパリッとして香ばしく、なかはしっとりやわらかいと、それまでのイメージを払しょくするものだった。
「フランス映画には良く、食事のシーンが登場するんです。そのなかで、主人公たちが食べていたフランスパンがそれだったんですね」。中学の頃に憧れたフランス映画と、食卓に上ったパンが一つになる。藤森は、ビゴ氏が焼くフランスパンはもちろんだが、改めてフランスというものに惹かれたのではないか。ともかく、ビゴ氏の下で、新たな修業の時代がスタートする。当然それは、ブーランジェ(パン職人)へと転身を意味する。・・・続き
株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

株式会社船橋屋 代表取締役 渡辺雅司氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー飲食の戦士たち株式会社船橋屋 代表取締役 渡辺雅司氏登場。
本文より~

武士も、町民も、舌鼓を打った「くず餅」の話。

江戸文化2年、1805年に「船橋屋」は創業する。以来、200年以上の歴史を「くず餅」ひと筋に研鑽をかさね、いまに至るそうだ。
200年を超える歴史と聞けば、たしかに驚かされるが、さすがに文化2年と聞いてもイメージがわかない。調べてみたところ、将軍は11代徳川家斉。文化人では杉田玄白や伊能忠敬らの名前が出てきた。
この文化2年に生まれた「船橋屋」。創業の地は、いまの江東区亀戸3丁目、「亀戸天神」のすぐ側である。
ホームページに創業当時の様子が書かれているので抜粋する。
<初代の勘助の出身地は下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地でした。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げました。それがまたたく間に参拝客の垂涎の的となり、いつしか『くず餅』と名づけられ…江戸の名物の一つに数えられる程の評判をとりました。>
続いて、明治初頭に出たかわら版「大江戸風流くらべ」において<江戸甘いもの屋番付に『亀戸くず餅・船橋屋』が横綱としてランクされた>とも記されている。
近年になっても本店には、芥川龍之介、永井荷風、吉川英治ら文化人がしばしば足を運んだそうだ。
さて、現在の「船橋屋」は、「亀戸天神前本店」のほか4店舗(季節限定営業店舗も含む)を擁し、百貨店などに15の売店を構えている。東京都内が中心だがオンラインショップもあるので全国から購入可能だ。
この、現代の「船橋屋」を統率しているのが、今回、ご登場いただく渡辺雅司氏である。歴史が長い分、前置きもまた長くなってしまった。では、いつも通り渡辺氏の足跡を振り返り、老舗中の老舗のいまを追いかけてみよう。

中学までの渡辺

渡辺は1964年2月16日、東京都江東区亀戸に生まれる。父親は、慶應大学卒の元証券マン。5人兄弟の次男で、婿養子として「船橋屋」に入っている。
「父はまじめな性格の人で、何より厳しかった。ふつう、私たちのような老舗では店と住まいが一つになっているんですが、それでは私が店の者に甘やかされると、店を離れ、私が小学6年生までは千葉県の船橋市に住んでいました」。
昔のことなので、亀戸もいまとは違うが、船橋はいっそう自然に囲まれていた。渡辺もまた、「毎日、田んぼを駆けまわっていた」そうである。
当時の自己評価は、ガキ大将。スポーツが得意で、地元軟式野球クラブに所属していたそうだ。
もちろん、勉強もできなくはなかった。しかし、勉強は二の次というのが正直なところ。だから、中学に上がるなり、現実を見せつけられた。
「妹がぜんそくだったこともあって、中学に上がるときから、妹の学校が至近にある麹町で暮らしはじめたんです。中学は麹町中学校。当時から公立でも有数の進学校で、わざわざ越境してくる生徒がいたほどなんです」。
そんな進学校に千葉の田舎の少年が1人紛れ込んだ。結果はすぐに表れた。
「中学になると試験の成績が発表されるでしょ。最初の中間テストで、330位中306位だったんです(笑)。これには、父も驚きました」。
「さっきも言ったように、父は婿養子で、祖父も実は婿養子だったんです。私が、店と離れた船橋や麹町で育ったのも、ボンボンに育ってはかなわないと思っていたからなんです。しかし、そんな風に育てた息子が、330位中306位を取ってきたもんですから、もう放っておけないと思ったんでしょう。父自ら、仕事の合間を縫って私の勉強をみるようになるんです。一方、私のほうといえば冷静で、周りの大部分が中学受験をしていたような連中ですから、最初は負けても仕方ないと思っていました。何しろ、こっちは勉強らしいことをいっさいしてこなかったんですから」。
結局、3年生の時には、その進学校で26位まで這い上がった。
「やれば、できる」という教訓を得たのはこの時。
「成績が上がれば、先生も可愛がってくださって。調子に乗って、在学中はほとんど勉強していました」と笑うまで勉強も好きになった。・・・・続き
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

『めざましテレビ』に、グランルーフにオープンした“東京米BARU竹若”登場。

23日(月)の『めざましテレビ』に、東京駅八重洲のグランルーフにオープンした“東京米BARU竹若”が取り上げられました。
(竹若特製海鮮丼ぶり)
キイストン・メディアPR部、頑張っています。
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

『スーパーJチャンネル』に“刀削麺 唐家(からや)”が登場!!

23日(月)、今度はテレビ朝日系列『スーパーJチャンネル』に“刀削麺 唐家(からや)”が登場!! 
スゴい数の取材とメディア露出しています。
ロボットで目を引いてますが、実は“刀削麺 唐家(からや)”様、味に超自信ありなんです!!
 (スーパーJチャンネルに登場)
 (錦糸町駅徒歩5分)
 
(刀削麺ロボ大活躍)
キイストン・メディアPR部、頑張っています。
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2013年9月23日月曜日

21日(土)の情報7daysニュースキャスターに竹若様また出た。

21日(土)のTBS系列の『情報7daysニュースキャスター』(安住紳一郎とビートたけしがあらゆる旬な情報を番組独自の切り口で料理する新情報エンターテインメント番組)に、東京駅八重洲口にオープンしたグランルーフに店舗出店された“竹若”様が取り上げられました。
 (グランルーフ内にオープンした東京米BARU)
(龍の瞳を東京名物にしたいです)
キイストン・メディアPR部、頑張っています。
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

またまた、“刀削麺 唐家”がメディアに。

“刀削麺 唐家(からや)”立て続けに新聞メディアに登場してる。
スゴいな〜。
(夕刊フジ)
(日経MJ)
http://youtu.be/zES8Wh7MUDQ

PRバナー

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)