2017年10月17日火曜日

株式会社FS.shake 代表取締役 遠藤勇太氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社FS.shake 代表取締役 遠藤勇太氏登場。
本文より~

ロボットから飲食。

島根県の安来市は県の東端に位置し、鳥取県との県境にある。遠藤氏が、この安来市に生まれたのは1983年。3人兄弟の長男。
「親戚も含め、みんなお堅い仕事をしています。祖父が国鉄、父も普通のサラリーマン。叔父さんの1人が飲食をやったそうですが、失敗して店をたたむことになって。だから、私が飲食の道に進むのは、みんな反対。とくに祖父が大反対していました」。
子どもの頃は、優秀な生徒だった。父の勧めで剣道をする。中学時代のスポーツは、テニス。理数系が好きで、ロボットに興味津々。高校は、松江工業高等専門学校に進んだ。5年制のいわゆる高専である。
「そこを4年で辞めちゃったんです。ロボットより、興味がわくものができてしまったから」。
それが飲食だった。
「3年時にモンテローザさんの白木屋で調理のアルバイトを始めました。その時のエリアマネージャーに憧れるんです」。
もともと料理好きだったこともあってか仕事も楽しくなってくる。「こりゃ、飲食がいいや」。それで、モンテローザに就職。とたんに、大反対を受ける。しかし、反対を押し切った。

彼女の怒り。

「入社したとたん転勤です。岡山とか、いくつか回りました」。
店長にもなる。ハタチの時には給料も30万円を超える。
「そうなっても、祖父とかからは反対されていました。『いまからでも遅くはない。消防士になれ』って(笑)」。結局、アルバイト時代を含め3年。退職のきっかけは、その時のエリアマネージャーと合わなかったからだそうだ。
「それからいったん島根に帰ります。その時、母から『それだけ料理が好きなら本格的にやってみたら』と言われて、『服部栄養専門学校』へ進みます。ただ、『服部栄養専門学校』を選択したのは『東京に行きたい』という下心があったからなんです」。
島根から東京。距離で言えば1000キロくらいは離れているだろうか。
「東京ではむろん、独り暮らしです。1年間、『服部栄養専門学校』で勉強して、有名な割烹に就職しました。ただ、心が定まってなかったんでしょうね。1年で、逃げ出してしまいました」。
それから、転々とする日々がスタートする。入社しては、数日で辞める。そのたびに、なにか言い訳を探した。
「そういうのをみかねて、今のカミさんで、当時、付き合っていた彼女に真剣に怒らるんです(笑)」。
彼女の怒りで、お尻に火がついた。

師匠は、本の中にいる。

「ちゃんと怒られたことで、奮起して『外食計画株式会社』へ就職します。こういっては外食計画さんに申し訳ないんですが、当時、気づいたのはどこでもいっしょだってことでした。つまり、私自身の問題ってことに気づいたんですね。それで、逃げずにちゃんとやっているうちに、5年半が経ちます」。
もともと飲食で独立とは思ってもいなかった。しかし、いつしか30歳で独立と思うようになっていたそうだ。「外食計画さんには感謝しています。飲食の面白さはもちろんですが、何もできなかった私にいろいろなチャンスをくれた会社だったからです」。
最初は、魚もちゃんと下せなかったらしい。それでも、料理長にしてくれた。「とにかく『やってみろ』っていうタイプの会社だったんです。ま、バックに総料理長がいましたから、そういうこともできたんでしょうが」。
有名な割烹で勤務したと書いたが、仕事といえば「野菜を洗う」ことと、「煮物をタッパーに詰める」ことだけだった。それで1年で辞めた。だから、正直、何もできない。
「でも、なんとかしないといけないと思って。ええ、総料理長にも助けていただきましたが、独学です。実は、スッポンの下し方まで、私は本から学んでいるんです」。
独学は、ある意味つよい。試行錯誤しながら、独自の「水炊き」も開発する。これが、独立後のメイン料理となる。
・・・続き

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2017年10月16日月曜日

夕刊フジの“トップ直撃”に「株式会社プロジェクトМ」村山 有志社長が掲載されました。

本日10月16日発行の夕刊フジの“トップ直撃”に24時間居酒屋酔っ手羽など経営されている「株式会社プロジェクトМ」村山 有志社長が掲載されました。
(夕刊フジの“トップ直撃” by著 細見昇市)

夕刊フジと酔っ手羽がコラボ! 
夕刊フジとのコラボメニューとしまして10月より酔っ手羽でコラボセット販売中。

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9月7日からはじまった渋谷クロスFM『Lavocのハッピー経営塾』に出ました。


【Lavocのハッピー経営塾】2017.09.07放送分 

MC 平田啓 (株式会社Lavoc 代表取締役)・ 溝口夕子 ・砂野安里 

ゲスト 細見昇市 (株式会社キイストン 代表取締役)

2017年10月11日水曜日

株式会社キングス ノウ 代表取締役 山田一希氏登場。

本文より~

飲食の遺伝子。

小学生の頃の作文には「パン屋さんやコックさんになりたい」と書いていた。
パン屋さんになりたいと書いたのは、父親がパン屋さんに勤めていたから。コックさんになりたいと書いたのは父親が弁当屋を開いたからである。
「弁当屋は、ほっかほっか弁当が登場する前に、惣菜と手作りのお弁当をお出ししていたんで、かなり儲かったそうです」。
店の前には行列ができた。いまでも「兄妹2人が私立に行けたのは、その時に儲かったからだ」と口酸っぱく言われるそうである。飲食の遺伝子も刷り込まれる。

遺伝子がいざなう。

「アルバイトもとにかく飲食ばかりでしたが、まだ『飲食で』とは決めていたわけではありません。大学2年の時にグローバルダイニングでアルバイトをするようになって、意識がかわります。きっかけは知人に代官山のレストランに連れていってもらったことです」。
「代官山」「レストラン」「アジアンテイスト」。
連れていってもらったレストランには、当時の先端が詰まっていたようだ。
「アジア料理にももちろん魅了されたんですが、何より接客です。気遣いといいますか、そういうのに感銘を受けたんです」。
いままでとはまるで違う世界観だった。アルバイトといえど、飲食経験が長いだけに違いは一目でわかる。次の日に履歴書をもって押しかけた。
「ええ、相当、厳しかったですね(笑)。ただ、アルバイトでも時給が1500円とか。当時の話ですから、相当高かったんじゃないですか」。
ハードだが、楽しかった。遺伝子がふるえた。大学を卒業できたのは、不思議なくらいである。

グローバルダイニング。観たこともない世界。

月1のミーティングにはアルバイトも参加できて、意見もする。むろん、肩書がものをいう世界ではない。これもまた山田氏にとって観たこともない世界である。
「大学で没頭したことを一つ挙げれば、このアルバイトです。3年時には、お台場に異動します。もともといたのは世田谷の店だったわけですが、お台場は、おなじ系列でも客層も違うし、ある意味、ショッキングでした」。
21歳の心は、益々、わしずかみにされた。就職したのは、むろん、グローバルダイニングである。
グローバルダイニングは、いわゆるコンセプトレストランである。「モンスーンカフェ」「ゼスト」「ラ・ボエム」「権八」など、知らない人はいないだろう。
「社内は、いわゆる実力主義です」。
実績の良し悪しにより、評価にも天と地の開きがあった。そのなかで山田氏はめざましい実績を残していく。さすが、飲食のサラブレッドである。
「独立という思いを固めたのは、26歳の頃にゼストで統括のポストになり、経営者にちかい仕事をさせていただいたから。それで、経営に興味を持ち始めたんです」。
「オレがしたいことはこれだ」。心が定まった。「30歳で独立しよう」。

いよいよ独立。ただし、資金なし。

「グローバルダイニングを卒業したのは、29歳の時です。といっても資金もないので、最初は運営受託や業務受託を行い、資金を貯めました。私自身の店をオープンしたのは、独立して3年目の2009年です」。
店名は『串だおれ』。いまも主力ブランドである。
「それからイタリアンの店や、中華も出店します。でも、いちばんは、この串カツメインの居酒屋でした」。「串だおれ」が生まれた背景も伺った。グローバルダイニングで運営してきたコンセプトレストランとは、いささか趣が異なるからだ。
「はっきり言うと、社員のアイデアなんです。社員に『何がいい?』って聞くと、『串カツでいきましょう』っていうんですね。ちょうどハイボールが流行っているから、『串カツとハイボールだ』と」。
「半信半疑だった」そうである。それでも、本場大阪まで足を伸ばしてみた。「東京には、そういう文化がなかったから、最初、串カツと聞いて、『二度付け禁止のアレ?』って聞いたくらいです。で、大阪まで行ったんですが。、それでもぴんと来なかった(笑)」。
だが、御徒町の駅前。相手はサラリーマン。しかも、2階。レストランで勝負できるとも思わなかった。「2階だったのは、むろん家賃が安いからです。それで、立ち飲みスタイルにして『串だおれ』をオープンします。この店が、うちの基盤をつくってくれたんです」。
・・・続き
株式会社キングス ノウ 代表取締役 山田一希氏

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10月10日発行の日刊ゲンダイに「株式会社FOOTOP」山本優輔社長の記事出ました。

10月10日発行の日刊ゲンダイの“社長の私生活”に北の国バルを展開されている「株式会社FOOTOP」山本優輔社長の記事が掲載されました。
(日刊ゲンダイより)

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2017年10月4日水曜日

ひなた株式会社 代表取締役 辻 英充氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”ひなた株式会社 代表取締役 辻 英充氏登場。
本文より~

やんちゃ坊主。音楽に夢中になる。

今回、ご登場いただくのは「やきとん ひなた」などを8店舗展開する「ひなた株式会社」の辻 英充氏である。出身は長崎。物心がついた頃には、すでに父親はいなかったという。
「姉弟は4つ上の姉1人です。母は縫製工場とかではたらいていました。小さい頃、ぼくらは祖母、祖父にも育ててもらっていました」。
「勉強はキライだった」と辻氏は笑うが、代わりにスポーツは大好き。小学生の時から野球部に入り、副キャプテンを務めている。もっとも同年代の子どもをいじめているのを監督にみつかるなどして、いつも怒られていたそうだ。「やんちゃだったんですね。昔は」と笑う。
中学でも野球をつづけたが3年になる前に退部した。「小学生の時の監督よりおっかない監督で、殴る蹴るは当たり前。3年になると本気モードになるのがわかっていたから、その前に逃亡したんです(笑)」。
高校は工業系に進む。その頃から音楽に傾倒し、かなりマジメに音楽に打ち込んだ。20歳くらいまでは、真剣モードである。

音楽。その熱、なかなか冷めず。

「高校を卒業して、東京の企業に就職しました。東京に行ったのはバンドをつづけたかったから。ボーカル以外のメンバーみんなで上京しました」。
高校生の頃は、九州大会に出場するなど評価を集めた。自信はあったが、東京ではなかなか芽がでなかったそうである。会社には2年勤め、退職。バンドは自然消滅する。
「それでいったん長崎に戻り、白木屋とライブハウスではたらきました。この時が最初ですね。飲食っていいなと思いったのは」。
ただし、まだバンドへの思いは捨てきれていなかった。それで、福岡へ。
「福岡でも、飲食の仕事をはじめます。もちろん、食べていくために。ところが、就職した会社の社長がパワフルな人で、益々、飲食っていいな、格好いいなと。関門海に転職したのは、21歳の時です。ふぐ料理をやりたくなって、転職したんです」。
音楽の代わりにみつけたのが、「飲食」というもう一つのライブ。

ふぐ料理人に。


「最初は、大阪でと思っていたんですが、ちょうど関門海が東京に進出していた時で、就職したら『東京に行ってくれ』と。私にしたら『また、東京かよ』って感じです(笑)」。
当時は関門海がもっとも勢いがあった時でもある。配属は新橋。ところでどうして「ふぐ」だったんだろう。「なんとなくかな。これだっていう理由はありませんでした。免許を取ったのは、関門海に入社して2年目です。こちらに10年間いました」。
関門海ではすぐに料理長をやらせてもらったそうだ。長崎の先輩もいて可愛がられた。今まで人のいうことを聞かなかった辻氏が、心酔する。「ただ、料理長になるとやっぱり我が出てきて、マニュアルを守らず左遷されちゃいました(笑)」。
マニュアルがうるさかった。それが性に合わなかった。だから、守らない。シンプルな理由である。しかしそれがバレて、左遷だったそうである。いかにも辻氏らしいエピソードである。
「それで、ちょっと頭を打つんです。料理も客観的にみればパッとしなかったし(笑)」。ただ、それで改心する辻氏ではない。「ちょうど上場を控えて小型店を出店していた時です。中板橋店を立ち上げる時に立候補して、店長になったんです」。料理長から店長へ。なんでも、辻氏が初、だったそうだ。
小型店だからか社員は、店長1人。だれも注意する者はいない。
「結構、やる気になって、今度も好き勝手しました」。本気になればなるほど、我が強くなる。「酒も銘柄モノを仕入れて、売上は小型店のなかで1、2位だったんですが、原価とか経費がかかり過ぎて(笑)」。
小型店では、業務委託の道を選択した。業務委託となれば雇用関係はなくなる。企業にすれば、負担が軽くなる。ただ、報酬となり収入は多少上がったが、あくまで給料制である。「固定で40万円くらい」だったそう。その後、社内FC制度ができ、手を挙げた。今度は正真正銘の店主である。しかし、儲からない。そういうしくみだったといえばそれまでだが、だんだんやる気までなくなっていく。
・・・続き

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