2007年9月23日日曜日

場の空気

最近、場の空気を読めない人が増えた気がする。



商談や人の集まるところで、場の空気を読めるかは大変重要ポイントである。



特に営業で新規の企業様とお会いする場では、その一回きりの機会にもなり得るだけにその場が読めないと一流クラスはもちろん、売れる営業マンにもなれない。



そのためにはどんなトレーニングが必要か?



簡単である。営業マンなら新規飛び込み社数を増やし、多くの人に会うことが一番である。



そこでコミニュケーションをどれだけ取れるかが重要である。少しでも長く話できるか日々やっていると知らない間に場になじむようになるはず。



2007年9月3日月曜日

セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

最終回 『器が大きい人に人望が集る』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■人を変えようとするより自分を変えよ



 私が親しくしている会社のFさんから「訪問してもよいか」という問い合わせの電話がありました。「いいです」といったら「すぐ行きます」ということでした。
それからしばらくして、その会社の社長から電話がありました。「私はFさんに『考え方を変えなさい』といいました。そのため、伊吹さんの所へ行ってきなさいといってあります。よろしく頼みます」ということでした。私は安うけ合いをしましたが「考え方を変えなさい」という言葉に引っかかりました。私は、名社長といわれる人々の研究をしていますが、そういう人々は「人を変えようと思っても変えられないものだ。自分を変える方が簡単だ」といっているものです。そういう実例をいくつも知っています。
 私自身の失敗体験においても、同じことでした。「自分は正しい。人が悪い」と思っているうちは、すべてがうまくいきませんでした。(うまくいかないのは、私が考え違いをしているのでは



ないか?)と気づいて反省していると不思議に、どんなこともうまくいくようになったものです。Fさんが私の事務所についたとき「何があったのですか」とたずねました。そうしたら、せきを切ったように、いろいろないきさつを話してくれました。そこで私は、いいました。「ありがとう。よくわかりました。でも安心してください。今、聞いた話は、ぜんぶ忘れましたから。社長に会ったとき、あなたから聞いた話は、いっさいいいません」数日たってから、その社長がやってきました。「どうだったですか」と聞かれたのですが、私はそれには答えないで別の会社の部長が部下を連れてきて、私の目の前で部下の批判をした実例を話しました。そうしたら、その社長は「私のことをいわれているような気がします」というのです。私は、なぐさめるようにいいました。「お互い、こういうことをやるものです。私も若いころは、そうでした。前にも、ある社長の話をしたことがあるでしょう。『社員の悪口をいうのは自分の悪口をいっているのと同じことだ。そのことにやっと気づいたときには、頭の髪がまっ白になっていた』ということを。だれでも、そんなものです」「いやぁ。頭ではわかっていたつもりですが、だめだったんですねぇ。恥ずかしいです」と頭をかいていました。ハッピーエンドになることでしょう。


■思いこみがあると行きづまる


 私たちはだれでも、「自分の考えが正しい」と思いやすいものです。そういうことを「思いこみ」とか「先入観」といいます。思いこみ、先入観があると、行きづまってしまうものです。思いこみというものは、ささいなきっかけでできるものです。私は学生時代に主任教授のT先生から「私は議論をして負けたことがありません」という話を聞いたことがあります。T先生は私が好きな先生でしたし、私は幼稚でもあったので、その言葉を正しいと思いこみ、私の理想像にしてしまいました。
そのため議論をしたとき勝つことはよいことだと、思いこんでいたのです。そのことが大きな間違いだと気づいたのは四十七歳のときでした。私の周りは敵ばかりになっていました。今思い出すと恥ずかしい限りです。だから、名社長の研究をしていると私の生きざまとまったく違う実例に出会って感動することがよくありました。
アパレル・メーカーである㈱ワールドの畑崎社長(前)も、その一人です。畑崎さんはいっています。「私も初めて社長になったときは、若げのいたりで、社員の欠点を直してやろうと思ったものです。社員は私のいうことをよく聞いて欠点を直そうと努力してくれました。しかし、いざというときになると、その欠点が出てきてしまうのです。そういうことをくり返しているうちに『社員の欠点を直そう』とするのはムダなことだと気づくようになりました。欠点は、なかなか直らないのです。
そこで、その欠点をカバーし合うよう社員を組み合わすことを考えました」「欠点を責めないで、長所を使え」とは、このような体験の中から生まれた知恵なのだと思います。ところが「君たちの長所を探そうと思ってはいるが、一つも長所が見つからなんではないか」とぼやく社長がいます。そういう社長に出会ったことがあります。私は彼に「あなたが悪い」と直言しました。そうしたら怒ってしまって、一言もいわずに帰って行きました。でもいつか、私がいったことの意味に気づいてくださるだろうと思っています。


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 人の長所を見つければ見つけるほど、波長の合う人がふえ、好きな人がふえ、尊敬できる人がふえていきます。こういう人のことを「器が大きい」というのです。
しかし、体験のない人にはこの話を、空想的な話としか思わないかも知れません。
そう思いやすいものだと思いますが、商売上手の二大秘訣(苦情法・着眼法)を実行していくと、人間の器量は自然に大きくなるのです。二大秘訣は単純なことですが、それを実行しつづていると偉大な効果がつぎつぎと生まれてくるのです。


■うまくいかないときは自分が悪いと考えてみよ


 私たちはだれでも「私の考えていることは正しいのだ」と思いこんでいるものです。人間は自己中心にできているし、思いこみやすいからです。ことがうまくいっているうちは、それでもよいのですが、ことがうまくいかないときには(私が何かを間違えているからではないのか?)と考えてみることが大切です。これは、いわば「逆転の発想」。逆さまに考えてみることです。
 私がコンサルタントの仕事を始めた最初のころは、なかなかうまくいきませんでした。それはお得意先の社長が、自分の好みでしか考えていないからです。それでいつも私は衝突してしまい、「売れる商品開発」をスローガンにしているのに成功例をつくれずに行きづまっていました。私の話を信じている友人が待ちくたびれて「いつになったら成功するのか」と聞くのですが、私はいつも「つぎは成功する」といっていました。そのようなことをくり返しているうちに十年がたってしまいました。さすがの私も(なぜだろう?)と疑うところまでは来ていましたが、そこで行きどまりになっていました。
 あと一押しのところで気づくチャンスを与えてくれたのが、K食品㈱のK社長でした。その会社は、私のコンサルティングが成功してヒットした唯一の会社でした。
それは、ある企画を企画課の人たちの前で説明して社長室へもどったときでした。
「伊吹さん。うちのような中小企業で今日の話のように難しいことをいっていてはいけませんよ」K社長の顔は、おだやかでした。しかし、私は電気ショックを受けたかのように驚きました。十年間悩んでいたなぞが解けた瞬間でした。そして、これが一つの原体験になって、何かに行きづまると(自分が悪いのではないか?)と自分を疑ってみる癖がつきました。
 そういう体験から思うのですが「逆転の発想」は、なかなかできないものです。
「私が悪いのだ」とは、なかなか気づけないものです。それは「人間の宿命」とでもいいたいくらい難しいことです。しかし、一度気づくと大きな可能性が拓けてきます。そして、雪が太陽に当たってとけるように難問が解けるようになります。そういうことを何回もくり返しているうち、私は子供のころに流行していた狂歌を口ずさむようになりました。「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、すべて私が悪いのよ」
 うまくいかないことがあったら、自分を疑ってみることです。そういうことができるようになると、急に人生はうまくいくようになるのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第十二回 『君の嫌いな人とも交際せよ』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■人のことを思っていると波長が合うようになる



 私が「人を思う」という話を初めて聞いたのは遜悟空(本名 藤田文夫)コンサルタントが私の事務所に入社した直後(私が独立して間もなく)のことでした。
「私は部下のA君をどのように育てようかと思いつづけていました。そういう思いで書店へ行ったとき、ある本を見つけ、その本をA君にプレゼントしたいと思って、その本を買いました。そして『本屋でこの本を見つけたとき、君に読ませたいと思ったんだ』といってプレゼントしました。それからもう五年にもなりますが、年賀状に『あの本は私のバイブルです』と書いてくるのです。うれしいですね」こんな話でした。私は感動しました。私には、そのような体験が一度もありませんでした。自分のことで頭がいっぱいで、人のことを思う余裕が少しもなかったのです。私はそのとき、すでに五十歳になっていました。大きな忘れものをしていたような気がしました。



 それにしても私は、人を思うということが下手でした。そのため人に嫌われていたのですが、四十七歳のとき、「人の欠点の裏に必ず長所がある。その長所を見つけてほめよ」ということに気づきました。そういうことで私に「人を思う」という素地が少しできていたので、遜悟空さんの話に感動したのだと思います。
 人の長所は、努力しないと見つからないものです。でも、三年間、呪文のようにいいつづけていた効果があって、私はたくさんの人にほれることができるようになりました。「人を嫌うと嫌われる。人を好くと好かれる」といいます。友人が一人もいないほど孤立していた私に、急に友人が増え始めたのは、そのころからです。このごろでは、波長の合いそうな人が、ひと目でわかるようになりました。波長が合う、合わないということは、どうしようもないことです。
 あるトップ・セールスマンも「波長が合わない・・・と思ったら、そのお客様は他の人にまかすようにしている」といっています。それほど波長が合うということは影響するのです。


■人と波長を合わせる三つの秘訣


 「波長が合う」ということは大切なことです。しかし、ともすると「波長が合う人なんかいない」という気持ちになるものです。私など、若いころは特にそうでした。
このごろになって気づいたのですが「波長」というものは「合う」のではなくて「合わせるもの」です。意地を張っていたらだれとも合うことはないのです。トップ・セールスマンになるような人は、いろいろな人に波長を合わせることが上手いのです。
 お客様と波長を合わせるポイントは、三つあります。


第一 売りたいという気持ちを押さえるようにすること
 売りたいという気持ちがあると、お客様とすぐ対立してしまうことになります。お客様は財布のひもをしめているのですから。


第二 相手の長所を見つけてほめること
 どんな人にも欠点があります。そして、どんな人にも長所があります。残念なことに、欠点はすぐ気づくのですが長所はなかなか見つからないものです。欠点にしか気づかなければ(嫌だな)と感じます。そういう気持ちが反射的に相手に伝わるので嫌われてしまうのです。そういうことでは波長が合うはずがありません。
 相手の長所を見つけると尊敬できます。尊敬すると好きになります。相手を好きになると、自然に心がやわらぎ、波長が合ってきます。だから、相手の長所を見つける努力をすることです。


第三 聞き上手になること
 自己主張ということは、すればするほど相手の考えとズレてくるものです。相手の話を聞いてそれに合わせるようにすれば、いくらでも話の波長を合わせることができるようになります。だからこそ「聞き上手」ということが大切なのです。でも、相手が話をしてくれなければ、聞き上手にはなれません。そこで「問い上手」ということが必要になります。しかし、問い方が下手であれば無視されたり、嫌われたりするでしょう。
 どのようなことを問うとのってくれるのかということは「察し上手」でないとできません。このように考えると「話し上手」には、「察すること」と「問うこと」が必要だということがわかります。特に、察することが重要です。
 それでは察するとは、どういうことでしょうか。察するとは、観察することです。
観察力は、たくさんの人に会い、話をし、怒ったり、笑ったりするたびに育っていきます。だから、人間好きな人は観察力が鋭いものです。その点で現代の若い人は不利です。少子家庭で育ち、学習塾通いのため遊ぶことが少いからです。その上、遊ぶときにはテレビ・ゲームなどで一人遊びをしているからです。


■嫌いな人とも交際してみよ


 本田技研の創業者である本田宗一郎さん(故人)がいった、すばらしい言葉があります。
「君が嫌いな奴を採用しないと、君を越える人材をとれないぞ!」
私は、この言葉をある本で読んだとき(すごいことをいう人だ!)と思いました。私たちはだれでも自己中心で、わがままなものです。自分の好き嫌いの感情だけで決めたがります。私の友人で、かなりおおきなデザイン会社を経営していた人が、ある時、ぼやいていいました。「ふと気がついたら血液型がA型ばかりで、営業をできない奴ばかりです。気づかないうちにそんな人間ばかり採用してしまいました」血液型の問題は別として、自分の好みで選ぶと、とかくこのように片寄った選び方になるものです。同じことが友人関係にもいえます。努力して交際の幅を拡げるようにしないと人間の幅が狭くなってしまうのです。
 「喰わず嫌い」といいます。食べてみたら、おいしかったということはよくあるのです。だから私欲や先入観を捨てることが大切です。私欲を捨てるということは、なかなかできることではありません。私も長い間、失敗しつづけてきましたが、そのためにトコトン行きづまってしまい、大反省をし、やっと脱皮できたのでした。そういう経験をしたあとで気づいたのは、成功をした人たちが早くから「私欲を捨てる」ということに気づいていたということでした。
 私が親しくしている㈱アヴァンティの水嶋洋社長は、高校生のとき友人に「バカになれ!」といわれて、こつぜんと悟ったといいます。また、ある会社に勤めていたとき、彼はトップ・セールスマンであったのですが、ロマンを求めて別の会社に転進しました。
そして(業界が一つ違うと、これほど何も知らないのか!)と気づき、謙虚になることを覚え、どんな人にも質問するようになったといいます。
 「バカになる」とは、私欲を捨てることであり、また、謙虚になることでもあります。
私欲を捨てると、素直に人の心が見えるようになります。そしてそれまでは、強い色メガネで見ていたことに気づきます。黒い色メガネで見ていたら、すべての人が黒い顔に見えてしまいます。それでは、すべての人が嫌な人に見えて、よいおつき合いができなくなってしまうでしょう。
「人と波長が合わない」と考えてるうちは、いつまでたっても合わないでしょう。人との波長は「合わせる」ものです。そのことに気づきさえすれば、人生は限りなく拓けていくのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第十一回 『第六感の強い人、弱い人』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■面白い第六感の世界



 いろいろと書いてはきたのですが、カリスマ・セールスは、どのように説明しても納得しにくいものです。でも、カリスマ・セールスに関係する言葉はいろいろあります。それは、重要で不可欠なことだからです。重要な言葉の一つに「カン」があります。そして、カンは、また、さまざまな言葉につながっています。
 カン→直観(力)、判断(力)、観察(力)、洞察(力)→発想(力)→指導(力)→説得(力)→企画(力)
すぐれた人は、すばらしいカンを持っており、そのすばらしさに接すると、思わず尊敬して、うっとりとしてしまうものです。商売においても成功する人は、尊敬されているものです。それは、カンが鋭くて客の心をすっかりとらえているからです。このように考えると、商売上手とカリスマ性は、同じような性質を持っていることに気づかれるでしょう。
 そういえば日本では「商売の神様」「経営の神様」という言葉が使われることがあります。カリスマ性という言葉は「神様」の別の表現ととらえることができます。でも、このような表現は神秘主義におちいる危険性を持っています。私は、神秘主義で片づけてしまうことは好きではありません。だから私は長い間、感覚、感情というものを具体的につかみたいと努めてきました。その結果、面白い現象の実例をたくさん見つけました。そして、そういう実例に共感しているうちに、人間の感覚の世界が鮮やかに見えてきたような気になりました。そういう実例の一つを紹介しましょう。



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 十四年におよぶ刑務所ぐらしの経験をもつジム・フェランは、その著書のなかで、次のように記している。
「刑務所に入れられた人間は、新しく外国語を習うように刑務所の言葉を覚えるが、それだけでなく、新しい感覚を発達させる。私は、暗やみの中で遠方からでも看守の一人ひとりを息づかいや体臭によって、また、関節が鳴るかすかな音によって見分けることができるようになった。私は二メートル離れた所から他人のポケットの中にあるタバコの匂いがわかるようになり、また礼拝の最中にくちびるを動かさないようにしてそっとささやかれる秘密の会話を聞きとることができるようになった。長期囚は、人間ではない。彼は敏しょうで有能な一頭の猛獣なのだ」(『動物の第六感』モーリス・バートン 文化放送 筆者要約)


■感覚は超能力的なものである


 モーリス・バートンの『動物の第六感』という本には、動物の世界における感覚の不思議な話が、目がくらめくほどたくさん紹介されています。その数例を紹介してみましょう。


1 こうもりの超音波感覚
 こうもりは暗やみの中を飛ぶが、それは耳から超音波を出し、その反射を利用して“見て”いるからである。私たち人間は目で見ているが、こうもりは耳で見ているのである。


2 ミズナギドリの帰巣本能
 イギリスのウェールズの沖にあるスコクホルム島から外が見えないかごに入れて飛行機でアメリカのボストンまで運ばれたミズナギドリは、それまで飛んだことのない5400キロメートルの道のりを越えて十二日半で帰ってきた。


3 犬の嗅覚は人間に比べて百万倍
 人間の鼻の奥にある匂いを感じる膜(嗅上皮)は、その大きさが小さい切手くらいである。それに対して中型の犬の嗅上皮は平に拡げたとすると、同じ切手を五十枚並べた大きさになる。人間の嗅上皮には五百万個の感覚細胞がある。最も優秀な追跡犬の嗅上皮には二億二千万個の感覚細胞がある。しかも、その一つ一つの感覚細胞の機能は人間のものよりすぐれている。だから、犬の鼻は人間の鼻よりも百万倍も敏感なのだ。(注.前に犬の嗅覚は人間のより二百万倍から二千万倍という説を紹介したが、それくらい不可解な世界だということであろう)


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 私は、モーリス・バートンの本を読んで「感覚」というもののすばらしさに魅いられました。そこで、いろいろな動物行動学の本を買いあさり、読みふけりました。そして、動物の感性の偉大さに感動しました。その感動を噛みしめているうちに「人間も動物であるのだから人間にも人間ならではのすごい感覚があるはずだ」と思うようになりました。そのように考えているうち、人間の眼力に注目するようになったのです。
 人間の目は単なる目ではありません。スーパーコンピューターともいわれる頭脳につながっています。この頭脳にはたくさんの知識がつめこまれており、見たことを即時に情報処理し、判断するのです。その結果が「見たらわかる」ということになるのです。
見たらわかる能力が特別に高い人は「判断力がある」といわれます。判断力がある人は信頼され、人気を集めます。だから不思議なくらい成功していくのです。そういう人が、カリスマ経営者といわれたりするのです。
 このように考えると、カリスマ性の本質は動物的なもの、本能的なものであることがわかるでしょう。本能的という言葉を嫌う傾向がありますが、それは誤解だと私は考えています。


■美女と野獣


 人間の顔には、野性的な顔と理知的な顔の二種類があります。私はある裁判所の裁判官四十名の研修会をしたことがありますが、四十名ともそろって理知的な顔でした。そのとき、わたしは、元暴走族のボスで体重百キロの経営コンサルタントと、中小企業の社長で体重八十キロの社長の二人をつれていっていました。裁判官四十名と私がつれていった二人を見比べると、人間とゴリラを見比べているような気持ちになりました。
 創業者のような人に会うと、動物的な匂いを持った人が多いものです。また、どういうわけか「美女と野獣」という言葉があります。これは、野性的な男が女にもてるということを象徴しているのでしょうか。また「英雄、色を好む」ともいいます。このように見てくると、人を引きつける魅力には、野性的なものがあるような気がしてなりません。
 人間の顔は、理性的になればなるほど表情が乏しくなります。理性が感情を抑圧するからでしょうか。喜怒哀楽の表情表現が少なくなるからでしょうか。顔がのっぺりと平板なものになります。笑ったり、怒ったりしていると顔の筋肉がよく動いて発達し、顔にふっくらとした丸みが出てくるのです。


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 冷い顔をしていると、人が寄りつかなくなります。私の中学生時代の同級生に金森善五郎君という人がいました。いつも暖い顔をしている人でした。野性的な顔でした。あるとき、金森君がいうのです。「バスに乗っていたら見知らぬ女性が話しかけてくるんだ。そしていうんだ。話しかけてもいいという顔をしていらっしゃるって」そのような経験が一度もない私はビックリしました。だから、ささいなことなのに、忘れられないのです。
 ここに魅力というものの秘密があります。人には「近寄りがたい人」と「近寄っていきたい人」との二種があります。当たりまえのことですが、冷い顔をしている人には近寄りたくありません。暖い顔をしている人には近寄りたくなります。その暖さが強いと、話しかけたくなるのです。冷い顔の人は自己中心で、気づかないうちに人を嫌ったり、無視したりしているものです。暖い顔をしている人は、人のことを気づかい、常に暖い目で人を見ようとしているのです。つまり、そこには心がけの違いがあるのです。私たちは、心の中でイメージしていることが、気づかないうちに表情や脳波となって人に伝わるのです。それが不思議なカリスマ効果を生むのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第十回 『二大秘訣は秘訣はカリスマへの近道』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■二大秘訣でなぜ売れるのですか?



 「商売上手の二大秘訣(苦情法・着眼法)」を実行すると不思議なくらい売れます。
私は指導先で、半年のうちに売上げが二倍になったことや、私の本を読んで感動した人が二大秘訣を信じて実行し、二年半で売上げ四倍、六十二億円になったと報告してくれたことなど、いくつもの実例を体験しています。しかし、二大秘訣そのものは実に平凡なことです。説明すると、あほらしくなるほど単純です。



・苦情法ー「何かぐあいの悪いことはありませんか」「何かご迷惑をおかけしてませんか」などと折を見つけては問いかけるようにしていると一年で二倍は売れるようになる



・着眼法ー売れる人(店・商品)をよく見る(観察する)ようにし、気づいたこと、感じたことを素直に実行するようにしていると、一年のうちに二倍売れるようになる



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 このようにいうと「なぜか?」と質問する人が出てきます。ある会社の千葉支店長は、苦情法の話に感動して半年、一生懸命やってくれたら売上げが二倍になりました。その支店長がいうのです。「伊吹さん。私は苦情法を一生懸命やったということはできます。しかし、なぜ苦情法をやると、こんなに売れるようになるのですか」私は、しまったと思いました。その質問は、私が先にするべきでした。それなのに先を越されてしまったのです。しかたがありません。そこで私はいいました。
「私の方こそ質問したいですよ。やったあなたにわからないことが、やっていない私に、なぜわかりますか。私にいえることは、苦情法を一生懸命やりさえすれば、だれでも売れるようになるということだけです」
 着眼法にも同じことがいえます。業種によって指導の中心を苦情法にしたり、着眼法にしたりしています。いずれにしても、二大秘訣を使うと必ず売れるようになるのです。私は、それだけで充分に満足していました。
 私はたまたま、そういう実例にたくさん出会い、二大秘訣と名前をつけて本に書いたらベストセラーになり、指導の依頼をたくさん受けるようになったのです。
そしてどこででも「二大秘訣で、なぜ売れるのか」と質問されたものです。そのため、長い間、困り続けてきました。そして最近になって、やっと気づきました。
「二大秘訣を実行すると、カリスマ・セールスになれるのだ!だから説明しにくいのだ」と。


■売ることは催眠現象である!?


 現代人は、すべての人が精神分裂症的性格を持っています。それは、あまりにもたくさん知っているので理解できないことは受けつけないのです。それなのに、自分が何かをするときには、、まったく感情的に行動しているのです。
 数年前に、東京電力のOLが殺されるという事件が起きました。一流大学を出て一流企業の課長までしていた女性が、夜は娼婦になって働いていたのです。そして無残な死に方をしたのです。この事件は、氷山の一角にすぎません。世の中は、合理主義、管理主義で限りなく人間を追いつめています。しかし、人間は機械ではないのです。理性的になればなるほど、無意識のうちに感覚的、本能的、動物的に行動するのです。そういうときの感情を理性で説明することはできないのです。
 カリスマ型の人は、そういう人間の心を、直感的に読みとれる人なのです。あるコンサルタントはいいました。「トップ・セールスマンは、客を催眠術にかけているのです」私は、その言葉を初めて聞いたときには、心の中で反発していました。
しかし、私が電話器のセールスにまんまとのせられた事件のあとで気づきました。
(あのときの私は催眠術にかかっていたのと同じではないか)と。
 売れるときには、客は一種の催眠状態になっているものです。カリスマという言葉は、もともと宗教の教祖に使われていたものです。教祖は信仰されます。信じると疑わなくなるものです。疑わないのは、頭が停止状態になっていることです。そのことを催眠現象といってもよいでしょう。そういう意味で、商売上手の二大秘訣には、催眠効果があるのです。


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 前にものべたように、人間は嫌なことに数万倍敏感です。だから普通は用心をし、警戒をし、スキを見せないようにしています。それは筋張しているということです。
それなのに「何かご迷惑をおかけしたことはなかったでしょうか」と下手に出られると、ホッとして安心し警戒を解いてしまうのです。
 人を疑い警戒するということは疲れるものです。本当は、人を疑いたくないのです。だから安心してよいと思うと急に安心し、人を好きになり、だらしなくなってしまうのです。警戒しているうちは相手を疑って見ており欠点探しをしていますが、警戒心を解くと欠点が見えにくくなります。人を好きになると「あばたも笑くぼ」といいますが、このことわざは私たちの感覚の盲点をみごとに表現しています。そのことを「催眠術をかけるのだ」と表現しているのです。
 このように考えると苦情法がカリスマ・セールスの効果を上げることが納得できるのではないでしょうか。


■セールスという名のすばらしいドラマ


 つぎに着眼法がカリスマ・セールスの効果を上げるメカニズムを説明することにしましょう。セールスにおける着眼法というのは、トップ・セールスマンについて行ってセールスの実際を観察し、感動したこと、気づいたことをマネすると、不思議に売れるようになるのですが、説明のしようがありません。やはり「催眠術にかかったようなものだ」ということになるのでしょうか。
 あるトップ・セールスマンが新人をつれて、飛び込みセールスをしました。そのトップ・セールスマンは初めての会社を訪問しているのに、慣れた感じで入っていき、挨拶をしました。あとになって新人がたずねるのです。「先輩、本当にこの会社へくるのは初めてだったのですか」「初めてだよ。どうして、そういうことを聞くのか?」「はい。あまりにもさわやかに慣れた感じで、すぅっと入っていかれるので、何回も来ておられるのではないかと、つい・・・」「そうか。たくさん飛び込みをやってきたからなぁ。慣れだよ。慣れ。人間、何にでも慣れというものがあ
るのさ。慣れるといちいち筋張しなくなるのだ」といったのですが、新人は感心していたそうです。
 トップ・セールスマンが飛び込みセールスで、さわやかに入って行って挨拶するのは、相手に不愉快さを与えないための一つの条件にすぎません。相手に(あっ、素人だな)と思われるようでは軽べつされてしまいます。相手に軽べつされたり、不愉快さを与えていては嫌われてしまいます。トップ・セールスマンの接客態度を見てると、挨拶のしかた、おじぎのしかた、話のしかた、話の聞き方、もの腰、表情、声の調子など、すべてが、さわやかで心地のよいものになっているものです。それは、楽しいドラマを見ているようなものだといえるでしょう。
 テレビ・ドラマを見ているとき、つまらないと思ったら、すぐスイッチを切ってしまうものです。それと同じことです。セールスというのは、一つの演技であり、ドラマなのです。そのドラマのテーマは「顧客満足」。どのようにお客様を喜ばせるのかのシナリオは、一人ひとりのセールスマンが、そのとき、その場に合わせて考え、演じなければなりません。
 演技がうまいと客は、うっとりします。好きになります。警戒心を解き、安心し、信頼するようになります。だから、催眠効果が出てくるのです。そういう事実を目の前で見ていると「百聞は一見にしかず」で、大きな効果が出てきます。つまり、着眼法も、カリスマ・セールスを実現する技法なのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第九回 『カリスマ性の心理学』  ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■人気者にはカリスマ性がある



 最近の、ある雑誌の広告の中に「ザ・カリスマ」というタイトルが目につきました。
その下を見ると、ソニーの出井伸之さんの名前が出ていました。また、日本経済新聞
(2001.8.7 夕刊)を見ていたら「カリスマ社長の父から経営継ぐ」という見出しで、大塚商会の大塚裕司社長に関する記事が出ていました。しかし、いずれの記事にも「カリスマについての説明」は見られませんでした。
 実は三十年ほど前に『カリスマ経営者』(日本経済新聞社)という本が出版されたことがあります。その本を捨ててしまったのでタイトルが少し間違っているかも知れませんが、その本の中でもカリスマに対する説明はありませんでした。ただ「直観力が鋭い」というような感性に関する言葉がしきりに使われていたことを覚えています。
 私はそのころから「カリスマ性」という言葉に強くひかれていました。しかし、オウム真理教事件が発生し、麻原という教祖にカリスマ性があるということが知られていらい、歪んだイメージを感じて、この言葉を忘れるようにしていました。それなのに、いつの間にか、流行語として復活してきたのです。オウム真理教事件が、この言葉を日常語にしてしまうという効果をあげたのです。気づいてみると面白いものです。
 私たちは長い間、カリスマ的現象を非常識なこととして遠ざけていました。しかし、それは大きな間違いだったのです。なぜなら、説明をしにくい不思議な現象、つまり、カリスマ的現象は、どこででも見られるからです。すでにいくつもの実例を紹介してきましたが、広い意味でのカリスマ的現象をまとめると、つぎのようになります。



 ◎カリスマ(大衆を心服させる能力)の実例
1 商売上手な人
2 人気のある人
3 トップ・セールスマン
4 カリスマ美容師、カリスマ店員
5 カリスマ経営者
6 名優、名歌手、名選手
7 名監督、名リーダー


 ただし、これらのカリスマ性に対して反応する「敏感な大衆」が存在していることを忘れてはなりません。私も、そのことに最近、ようやく気づいたのでした。
 マーケティングは本来「大衆がどのようなものに敏感に飛びつくか」ということの研究です。マーケティングに強くなるということは、大衆の感覚の敏感なところを見つけ出すということです。


■古くて新しいものを作るとヒットする


 大衆は、どのような感性を持っているのでしょうか。大衆が敏感に反応する感覚の本質をつかめば、売れるに違いありません。そのことを示すものの一つに「流行(ファッション)」があります。ファッションの本質は、好奇心と模倣です。好奇心は本能の一種ですが、人はだれでも新しいものを好むのです。逆にいえば、古いものに対して飽きやすいのです。飽きたなぁと思ったときに人気をつかむファッションが登場すると、あっという間にたくさんの人が飛びつきます。
 名前は忘れましたが有名な作曲家が、つぎのような名せりふをいったことがあります。


「古くて新しいものを作るとヒットする」
 私は、この言葉を新聞で見たのですが、すごい言葉だなぁと感動したものです。その意味を私なりに説明すると、つぎのようになります。
 人間には、思い出をなつかしむ感情があります。古里に帰ると心にジーンとこみ上げてくるものがあります。これが、郷愁心。郷愁心は、集団本能(群れ本能)から生まれます。それは正反対の本能が好奇心。初物喰いという言葉のように、珍しいものに飛びつきたがる傾向があります。このように矛盾した二つの本能を持っていますから、どちらかに片寄っていると売れません。だから「古くて新しいものを作るとヒットする」ということになるのです。
 新しすぎるものを作ると不安になります。古すぎるものを作ると、見向きもしません。
大衆は、バランス感覚がよいので、どちらに片寄っても大ヒットにはならないのです。
このように微妙な大衆の感覚に敏感な人は、いくらでもヒット商品を作ります。でも、努力しないで、そういうことができるのではありません。閑を見つけては、あちらこちらと見て廻り、何が売れているかと、じっくりウォッチング(観察)することが大切です。
そのようにしていると、新しい流行の気配を体で感じることができるようになります。
これが前にのべた「商売上手の二大秘訣の一つ、着眼法(ウォッチング法)」です。
 もう一つは、閑を見つけてはお客様に「何かご不満なことはありませんか?」と聞いて廻る苦情法です。こういうことをしつづけていると、いろいろな不満をつかめるようになります。
 人間は、好奇心が強いので新しいことに敏感です。また、いやなことには数万倍も敏感です。だから苦情法と着眼法をやっているとお客様の心をつかめるようになり不思議なくらい売れます。しかし、それは感覚的なことですから、説明のしにくいことですし、説明しても理解しにくいのです。そこで、売れる人が不思議に見えて「カリスマ・セールス」という不思議な言葉を使うようになるのです。


■バカになると心が美しくなる


 カリスマ・セールスのもっとも素朴な姿を一つ紹介しましょう。大阪駅の近くの地下街に小さな売店がいくつもありました。その中の一つの店が段トツによく売れていました。その店の売り子の女性は中年で、決して美人ではありませんでした。しかし、新聞一つ、タバコ一つ買う客にも「ありがとう!」「ありがとう!」と大きな声で挨拶しているのです。そしてその声で魔法にかけられたように、その店に続々客が寄っていくのです。私は、しばらくの間、その情景を見ていました。そのおばさんは、その仕事がいかにも楽しそうでした。だから美人ではないのに、すばらしい魅力の磁場ができていました。そしてその磁石の引力に引きつけられるように客が寄っていくのを私はウットリとして見とれていたものです。この実例を思うと、カリスマ・セールスというのは決して難しいものではないことがわかるでしょう。
 人は顔の美しさにも反応しますが「心の美しさ」にはもっと反応するものです。それなのに「心の美しさ」というものは、ともすると忘れられてしまうのです。それは、私たち人間が自己中心で、わがままで、欲張りで、他人にはきびしくて、怒りやすい性格を持っているからです。
 私も長い間、そうでした。人の気持ちのことなど少しもわかりませんでした。気くばりなどは、まったくできていませんでした。その結果、だれにも嫌われるようになってしまい、行きづまりました。(これだけ一生懸命やっているのに、どうして仕事がうまくいかないのだろうか?)と悩んでいるうち、ようやく気づいたのは、「私が自己主張が多くて、人の話を少しも聞かない」ということでした。そのことに気づいてやっと目がさめました。私は、自分にいいつけました。(人の話は、間違っていると思っても全部聞け。間違っている話だと思っても、バカになって全部聞け。腹が立ったら、ありがとうと思え!)(人の欠点に気づいたら、その裏にかくれている長所を探せ。長所を見つけて尊敬せよ!)私は、人と話していて腹立たしくなるたびに、これらの言葉を呪文のように心の中で唱えました。そのようなことを三年やっていたら、我ながら別人のようになりました。
 私は、ようやく「心の美しさ」というものに気づくようになり、見えるようになりました。「商売上手の二大秘訣(苦情法・着眼法)」を発見したのは、その直後、五十一歳のときでした。今にして思えば、この二大秘訣は「心の美しさ」を育てる秘訣だったのです。


2007年9月2日日曜日

セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第八回 『嫌われたら商売は、おしまいだ』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■売りこめばすぐ嫌われる



 「嫌われたらセールスはおしまい」なのですが、嫌われる最大の原因は「売りこむこと」です。ベテランのセールスマンにいわせると「セールスマンが売りたがっているのは当たりまえで、そんなこといわないでもよい」のです。それなのに、慣れない人や売れない人は、お客様と親しくなってもいないのに売りこみをしてしまいます。
そこで客は断わります。断わると嫌なもので二度と顔を見たくないという気持ちになります。セールスマンも、二度と訪問できない気持ちになります。
 私が親しくしている五味久樹さんはトップ・セールスマンの一人ですが、ある出版社のセールスになったとき、三カ月は売ろうとしませんでした。私のところへよく遊びに来て、あっけらかんと「まだ、売上げはゼロや」といっていたものです。
「東京の本社から、何をやっているのやと、うるさいことですわ」といいながらも馬耳東風で聞き流し、売ろうとはしませんでした。そのかわり根気よく書店に通って、チャンスを見つけてバイヤーを喫茶店に誘ったり、食事に誘ったりしていました。
要するに、人間関係を育てていたのです。
 どんなものでも種をまいて芽が出て、肥しをやって育てたあとでないと収穫はできません。それと同じことが、セールスにもいえます。違いは、畠ではなく、心の中に種まきをするということなのです。五味さんは、半年ほど根気よくそいういうことをやっていました。本社の方では成果が少しも上がらないので、うるさいくらい文句をいってきました。私の所へよく来たのは、今から思うとそのストレスの解消のためだったと思います。



 五味さんの話は面白いのです。奈良県で書店を経営していたときには、奈良県の書店で売上げが二位だったという人ですから、普通の人とはちょっと違います。カンがよくて、面白い話がポンポンと出てくるのです。そういう人と半年もつき合っていると、たいていのバイヤーは好きになってしまうでしょう。案の定、半年もしたら急に売上げが上がってきました。そして「こんなもんですわ」と涼しい顔をしていました。
 この五味さんのことを思うと、セールスのイロハがわかっていない人が多いことに気づきます。人間としての魅力がなくて、ただ売りたがっているのです。それでは嫌われるだけ。だから売れないのです。


■笑いは魔力を持っている


 原一平という伝説的なセールスマンがいました。明治生命で役員待遇にまでなった人です。彼が書いた本の裏表紙には、元首相の福田さんが、すいせん文を書いていました。「セールスの神様」といわれた原一平さんですが、若いころは、セールスが下手でした。あるお寺へセールスに行ったときのことです。「まあ、上がりなさい」といわれて喜んで上がりこみ、生命保険の話をしました。話がひととおり終わったとき、住職がポツンといいました。「だめだなぁ。魅力がない。それでは売れないでしょう」原さんは、びっくりしてしまいました。立場が一変してしまいました。「どうしたら魅力のある人になれますか」「そうやなぁ。あなたにも親しい人がいろいろいますやろ。そういう人に集まってもらって批判してもらったらどうですか」原さんのすごい
ところは、その忠告をすぐ実行してしまったことです。親しい人たちに頼んで集まってもらい「原一平を批判する会」を開き、自分のどこに欠点があるかを、とことん聞きました。そういうことを数年やったあと、つぎには信用調査会社に頼んで、原一平さんの悪口を集めたのです。そのように努力しているうちに「表情」ということの重要さに気づきました。つまり、表情によって魅力が決まってしまうということに気づいたのです。
 表情とは「感情によって変る顔つき」(『広辞林』三省堂)のことです。表情は、
心の中に思うこと、喜怒哀楽の感情によって微妙に変ります。そういうことに興味を持って観察していると、人の心をいくらでもつかむことができるようになります。
顔は、心の中を映す鏡だからです。
 原一平さんは、表情を研究するようになりました。そして笑顔に興味を持ちました。
笑顔と一口にいっても、いろいろな笑顔があります。そのことに興味を持って「晴れ晴れとする高笑い」「嬉し泣き笑い」「相手を安心させる笑い」というように笑顔のスタイルを書きとめていくうちに三十七種にまでなってしまいました。『新・心を動かすセールス』(原一平 日本経済通信社)という本には「笑顔をつくる法」という一章がつくられており、四十ページにわたって笑顔のことが説いてあります。その中に「笑いは魔力を持っている」という言葉があります。笑顔はまさに魔力といいたいほどの影響力をもっているのです。
 原さんは、笑顔の不思議な力に気づき、鏡を見て、自分の笑顔の研究をしたといい
ます。その笑顔の魅力が、原さんを「セールスの神様」にしたのです。ここにカリスマ・セールスの秘密が見えていると思うのです。


■笑顔は福を呼び暗い顔は不幸を呼ぶ


 人間は自己中心ですから、自分は尊敬されることは大好きなのに、人に軽べつされることは大嫌いなのです。ところで、人を尊敬すると、やさしい気持ちになり、甘く、のんびり、明るく、おおらかな感じになるものです。それに対して、人を軽べつすると、きつい気持ちになり、きびしく、いらいらし、暗い感じになるものです。私は、そういうイメージを連想して言葉の輪をつくって並べてみました。二つの輪を見比べると、尊敬したときのイメージの輪は、いかにも楽しく「人に好かれる」という感じがしました。それに対して、軽べつしたときのイメージは、いかにも暗く、「人に嫌われる」という感じがしました。
 残念ながら、自分の暗い顔には気がつきにくいものです。怒っているときには鏡を見たことがないことを思うと、自分の嫌な顔に気づきにくいことがわかるでしょう。
 前にも書いたように人間は、嫌なことに数万倍敏感なのです。そのことを思うと、暗い笑顔を人に見せるということが、どれほど罪深いことかわかるでしょう。
 明るい笑顔を忘れないことです。そのようにすることが大きなサービスになります。それはささいな努力でできますが、人には大きく喜ばれ、幸運の女神がやってくるのです。「笑う門には福、来たる」のことわざは本当なのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第七回 『商品を売るな、セールスマンを売れ』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■君はバカ顔をしているからすばらしい



 H社長は、リクルートにいたときにはトップ・セールスマンでならした人です。
そのHさんがいうのです。「人は好き嫌いに敏感でしょう。そして、嫌われたら商売はダメなんです」そして思い出したようにいうのです。「伊吹さんに初めて会ったとき『君はバカ顔しているからいいよ』といわれてビックリしました」
 それはもう十年も前のことで私は、すっかり忘れていて、そんな失礼なことを初対面でいったのかとあわてました。しかし、私ならいった可能性は大ありです。
いつもそういうことを、ほめるつもりでいっているのですから。でも「バカ顔」という言葉だけを取り出してしまうと、非常に失礼な感じがするので恐縮してしまうのです。
「バカ顔」ということは、豊臣秀吉の「サル顔」に似ています。いわば動物的な顔です。こういう顔は、暖く、やわらかく、人なつこい感じがして、だれにでも好かれるのです。かしこそうな顔は、りっぱそうには見えますが、実は冷く、堅く、人を寄せつけない感じがします。このような顔では営業はできません。



 Hさんの顔は、そういう意味で人に好かれる顔でした。私が彼に「バカ顔」といったのなら、そういう意味でいっていたのです。
 実は私は、新しい訪問客にはたいてい「バカ」か「アホ」の尊稱をプレゼントしています。「僕の事務所に来る人は、すごい人ばかりなのです。天才だといいたいのです。でも、そんなことをいっていると僕までそうであるかのようになってしまい世間を歩けなくなります。だいたい、バカな伊吹のところへ来てくださったのだから、あなたもバカなんでしょう。そういわせてくださいよ」「それでけっこうです。私も本当にバカなんです」こんなわけで、私の事務所では「バカ」ということは天才の代名詞になっているのです。もっとも、この場合の天才は「だれでも天才になれる」という意味なのですが・・・。
 このような話が通じる人は、どういうわけか、感覚的なことに敏感です。そして「人に嫌われたらセールスは、おしまいだ」というような味のあることをいうのです。
私がこの言葉に初めて出会ったのは、二十年ほど前のこと。明治生命でトップ・セールスマンとして鳴らしていた阪本享一さんからでした。


■セールスは、断られたらおしまいだ


阪本さんは、明治生命のトップ・セールスマンに与えられるダイヤモンド賞を三十年ももらいつづけた人でした。縁があって長い間、つき合わせてもらっていますが、阪本さんには、たくさんのことを教えてもらいました。彼は「セールスは断れたら、おしまいだ」といいました。あわてて売りこむと、すぐ断られてしまいます。
 断った経験は、だれでもたくさん持っていると思いますが、そういうときは実に不愉快な気持ちになっているものです。セールスマンは売りたいに違いありませんが、客は、すべてのセールスマンから買うわけにはいかないのです。その確率は1パーセント以下ではないでしょうか。
 私の事務所にもずいぶんセールスマンが来ますが、そういうセールスマンから買ったことというと、二十年の間にリコーとキャノンと他に二社からしか買ったことがありません。つまり、二十年で五回、平均して四年に一回にすぎません。飛び込みセールスの率の悪さが目につきます。
 それは、不要なもの、すでにある物を売りにくるから断わらざるを得ないのです。はっきりいって、押売りばかりです。だからすぐ断わるのです。断わるのはいやなものですが、断わられるのもいやなものです。私の事務所にいた梅宮和男コンサルタント(故人)は、梅宮流販売術を開発してヒットさせた人です(『新規開拓必勝マニュアル』 PHP研究所)が、彼はいつも「売りこみをするのはタブーだ」といっていました。
                     
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 セールスマンは売るのが仕事です。それなのに「売りこみをしてはいけない」というのであっては、何をしたらよいのかととまどわれることでしょう。そのことに悩んでいるだけではだめです。悩んで葛藤して、その壁を突き抜けることが大切です。その壁を突き抜けるための手がかりとして「商品を売るな。セールスマンを売れ」という言葉があります。この言葉を知っている人は時々いますが、禅問答のようなもので意味ということになると「さっぱりわからない」ということが多いものです。
 でも、この言葉は大切です。セールスのカギが、その言葉の中にあります。だから、この言葉を思いつづけていてください。そうすると、いつか(こういうことだったのか!)と体でわかるときがやってくるでしょう。私なりに気づいたことを書くと、つぎのようになります。


■商品を売るなセールスマンを売れ


 「商品を売るな。セールスマンを売れ」という言葉は、だれがいいだしたのか知りませんが、実に名文句です。あるトップ・セールスマンが自分の一生を振り返ってみて、(そうだったのか!)と悟りの境地で見つけたものだと思います。それだけに経験が乏しいうちは、わかるようでわからないのです。
 すでにのべたように、売りこみをすると99%、すぐ断わられてしまいます。そこで「商品を売るな」というところまではよくわかると思います。
 それでは「セールスマンを売れ」とは、いったいどういうことなのでしょうか。「売れ」という言葉が強いだけに錯覚しそうになります。一つ間違うと、自分のことを宣伝したくなるかも知れません。しかし、本当の意味はそうではないのです。売りこみ、押しつけは、どのようなことであっても嫌われるのです。
 「セールスマンを売る」ということは、まず名前を覚えてもらい、親しみを持ってもらい、安心され、信頼されるようになって「あのセールスマンはすばらしい」と評価されるように努力するすべての過程を含んでいます。前にのべた梅宮和男コンサルタントは、セールスマンを売りこむ秘訣をノウハウ化し、「ラッキー・セブン・レター」というハガキ・システムを作りましたが、そのエッセンスは「自分を売るより、客を買え」という名文句の中に凝縮されています。それは「お客様の中に長所を見つけてほめると、お客様が
感動し喜んで、セールスマンの私を評価してくれるようになる」ということです。
具体的な行動のしかたとしては
①ターゲットにしたお客様に電話をし「五分でよいから会っていただきたい」と申し入れる。たった五分ならということでOKがとりやすい。
②約束した日に訪問して会ったら話しかけ、問いかけて、相手の話の中に感動のポイントを
見つけ
③五分の約束をきっちり守って、さわやかに帰ってくる
④感動したことを中心にして七行くらいのハガキを書く
このようにすると、不思議なくらい喜んでもらえるし「また来なさい」という電話がかかってくるそうです。梅宮コンサルタントは、彼自身が、たくさんの成功体験を持っていました。
 このようなことになるのは、私たちの自尊心がきわめて大きいからです。自尊心が大きいに
もかかわらず、ほめられることが少い。そのため、心が飢えています。だから、お客様の長所
をうまくつかむと、予想以上の効果があるのです。
 お客様に好かれるようになると、売れるようになります。それが「商品を売るな。セールス
マンを売れ」ということなのです。


セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第六回 『商売上手、商売繁盛のカリスマ性』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■商売上手、繁盛、人気



 昔は、「商売上手」という言葉がよく使われました。「商売繁盛」という言葉は今でもよく使われています。少しニュアンスが違いますが「人気」という言葉があります。人気者、人気商品というように使われます。人気が出ると人でも、商品でも、よく売れます。
 舟木一夫が歌手になったばかりのことです。まだ前座で歌っていました。ところがお客さんが舟木の歌には妙に感動してノルのです。それに気づいた座長は即座に舟木を主力歌手に抜てきしたのでした。そういう記事を読んだとき、人気というものの不思議さに興味を持ったのでした。
「心の琴線(きんせん)にふれる」という言葉があります。琴線とは「感じやすい心情。心の奥にかくされている感情」(『広辞林』三省堂)のことです。若いころはこの琴線が敏感なものです。だから歌が好きなのです。歌謡大会になると、たくさんの青年が集まって、キャーキャー、ワーワーと騒ぎ立てます。あげくの果てに失心する人も出てくるのです。
 このように人間には、感じやすいところがあるのです。そういうことに興味を持つと、しだいにその感覚が鋭くなります。そして、お客様の心の動きをつかめるようになり、売れるようになります。



 私は、十代のころから「商売上手な人」に興味を持っていました。しかし、当時は、さっぱりわかりませでした。わからないまま、商売上手な人に注目していました。最初に気づいたのは「商人に学問はいらない」という言葉でした。
 名古屋にいる私の叔父は商売上手な人でしたが、私と同じ年齢の息子を大学に入れませんでした。金はいくらでも持っていました。「商人には学問は有害だ」とさえ確信していたのです。息子は、勉強が好きな子でした。そこで家出までして、親に反抗しました。それでも許しませんでした。その息子はりっぱに成長し、大きなビルを建てるほどになりました。
 私は、ますます商売上手に興味を持ちました。だから『人気の研究』(伊吹卓 日本実業出版社)『再発見・日本人の購買心理』(伊吹卓 日刊工業新聞社)など数十冊の本を書きました。それなのに「カリスマ美容師」「カリスマ店員」などという言葉が流行するようになるまで、もう一つ納得できませんでした。


■詐欺にあってカリスマ性に気づく!?


 カリスマ美容師という言葉がマスコミに登場したのは2000年のことだったと思います。しかし、その言葉を見たとき、私はもう一つピンときていませんでした。ところが一つの事件に出会ったあと、しばらくして(あれがカリスマ・セールスの実態なのではな
いか?)と気づいたのでした。
 その事件は、私の事務所に訪れたあるセールスマンの名刺から始まりました。来客でいそがしい日に来たセールスマンが、名刺を置いて帰っていきました。お客さんが帰ってから名刺を見ると、伊藤銭一(仮名)という珍しい名前がついていました。私の好奇心はムクムクと大きくなりました。しばらくして銭一君がやってきました。「君の名前、すばらしいね。お父さんがつけたんですか」「はい、父です」「すごいお父さんですね」「いえ、すごいことではないのです。何代も前、江戸時代のおじいさんに銭兵衛という人がいたのです。その名前をもじってつけたのです」「そうか、そうだったのか。そんなに古い家だったのか」私の好奇心はもういっぱいにふくらんでいました。銭一君は、さらにいいます。「僕は吉本興業のタレント学校にいました。でも、タレントとして生きていくのは怖くなってセールスマンになったのです」
 私は、ほれっぽい性格です。いっぺんに銭一君が好きになってしまいました。そこで彼がすすめるデジタル電話を二つ返事で買うことにしました。心の中では、二十万円か三十万円くらいだろうと勝手に想像していました。私は、価格も台数も何も確めずに、サインだけしました。
 翌日やってきて、契約書を書き直してくれといいます。私は、何も考えないで、またサインをしました。そして、これが大間違いでした。私が安易にしたサインの結果、七年間で550万円もの支払いをしなければならないことになっていたのです。そのことを二つのリース会社への支払いが始まってから気がつきました。
 友人が来て契約書を見ていうのです。「何だ!買っていないものまで買ったことになっているではないか。すぐ○○リースに電話しなさい」その忠告のおかげで、300万円分が助かりました。
 実は、三年前に買った電話がすでに、デジタル電話だったそうです。私は本当に愚かでした。しかし、この愚かなことをしたおかげで「カリスマ・セールスの心理」というもの
に実感を持てるようになりました。


■ほれてしまえばあばたも笑くぼ


 私は何人もの友人に、バカなことをしてしまったと話しました。こういう話をすると、だれでも面白がるものです。それが好きで、いつも失敗談を話しているのです。
 ある友人が教えてくれました。「ある老人が、商品取引のセールスマンにだまされて大きな損をしました。どうして商品取引のようにあぶないことに手を出したのかとたずねたら『あのお兄ちゃんくらいやさしい人はいなかった。親切な、いい人だった。一人暮らしの私に、しばらく楽しい思いをさせてくれました』というのです。悪い商売をする奴は、そういうテクニックを使っているのです」
 そういえば銭一君も、本当に明るい、いい顔をしていました。そのいい顔を詐欺的テクニックに使ったのです。それにのせられた私が幼稚なのですが、二十四歳という若さと、あの明るい笑顔に、まったく無警戒になっていたのです。ところが、あの若さで、りっぱに詐欺的な商売をしていのでした。
 私はくやしい思いをしながら、どうしてあのようなことになってしまったのかを考えていました。そのうち(そうだ。あれがカリスマ・セールスの心理だ!)と気づいたのでした。
そうしたら続々、イメージが拡がってきました。
 「ほれてしまえば、あばたも笑くぼ」といいます。人間というものは、人を好きになると欠点が見えなくなり、警戒心を失うのです。今になってみると、どうしてあのとき、あんなに無警戒に銭一君を信じてしまったのか、自分でもさっぱりわかりません。
 私は今までに何回も詐欺にひっかかっており、そのことはわかっているつもりでした。
それなのに銭一君の、あの若い、無邪気な笑顔にすっかりはめられてしまったのです。そして、セールスマンを好きになると買いたくなってしまうこと。それがカリスマ・セールスの本質なのだと気づいたのでした。
 私は、すべての商売がこの心理を利用していると思います。ただし、悪意を持ってやると詐欺になり、善意を持ってやると、カリスマ・セールスになるのです。悪意を持ってやると、いつかはバレます。だから、罪は雪だるまのように大きくなっていきますから、客が客を呼ぶというわけにはいきません。それに対して善意でカリスマ型の心理を使うと、喜んだ客が何回でもくり返して買ってくれるだけでなく、客が客をつれてくるようなことにさえなります。
 ところが売れない人から見ると、なぜ、カリスマ・セールスのようなことがなりたつのか、さっぱりわかりません。それは理屈で考えているからです。もっと素直に平常の私たちの感情を素直に思い出すことが大切です。