2025年3月18日火曜日

麺JAPAN株式会社 代表取締役 坂田敦宏氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”麺JAPAN株式会社 代表取締役 坂田敦宏氏登場。

本文より~

中卒、日雇いバイト。21歳で起業す。

「中学3年の時、日雇いのバイトで日給が3000円。悪くなかったから中学を卒業して、それを仕事にした」と、今回ご登場いただいた麺JAPANの代表、坂田 敦宏さん。
 じつは、坂田さんには2020年、「飲食の戦士たち」にご登場いただいている。今回で2回目。以前の坂田さんがアップデートして、もどってきてくださった。そんな感じで話がスタートした。
 「だから、中卒。こればっかりは何年経っても変わらないね(笑)」。
 中学を卒業した坂田さんは、建設現場を転々とした。鳶職もしたし、塗装もした。基本は日雇いバイト。それでいて、21歳で起業しているからユニークだ。
 <「成り上がり」ですよね?>
 「そう。永ちゃんの本を読んでね」。
 <きっかけはたしか、ダンプのなかの会話でしたね?>
 親方がダンプのなかで言うんだよね。『坂田さぁ、学歴がない奴が金持ちになろうと思ったら独立しかないんだぜ』って。毎日のように聞かされていたから、刷り込まれちゃって。19歳の時に、今まで漫画本しか買ったことがなかったのに本屋に行って」。
「成り上がり」は、いうまでもなく、矢沢永吉氏のベストセラー。「独立しかない」×「成り上がり」。2つのワードが交錯する。
「20歳で起業しようと決意して、21歳でハウスクリーニングで独立します。バブルの時だったけど、あんまり儲からなかった(笑)」。
それでも、のちに法人化し、ビルメンテナンス業を中心にフランチャイズを展開。リフォームや人材派遣、業務請負、IT、芸能、コンサルティングと次々と事業を立ち上げ、11社のグループ会社を育てている。
<まさに「成り上がり」ですね?>
「21歳で起業して、30代前半までは、そうですね。たしかに、成り上がっていました。売上も、グループで20億円くらいあったからね」。ただ、不慮の事故をきっかけに30代後半から、舞台は暗転する。

絶対、治るから。奇跡の復活。

その時の様子をもう一度、うかがった。
「40歳の時に倒産です。地元に戻ってタクシーの運転手を3ヵ月半しています。そして、43歳ですね。脳幹出血です」。
「幸い命は取りとめましたが、『半身不随は免れない』と言われました。当時あった仕事はすべてキャンセルして、2年間はリハビリに専念。ドクターから言語障害と半身不随といわれた絶望のなかで、看護師さんとリハビリの先生だけが『立てるようになれるかも』と励ましてくれたんです。それが、嬉しくて、力にもなって」。
今、坂田さんはYouTubeでも登場されているが、一般の人とまったくかわらない。「ここまで回復するのは珍しいです。以前にも言いましたが、NHKから取材も受け、珍しい症例としてテレビ出演しているんです」。
奇跡のような話は、それで終わらない。
<それからまた起業されますね?>
「リハビリが終わって、奇跡的な回復をするんですが、それは、支援してくださった看護師さんやリハビリの先生のおかげ。だから、そういう医療従事者の人に恩返しする事業を、と。もう一度、事業を開始します。今度は、リハビリをサポートしてくれた人たちに恩返しする事業です」。
2014年、坂田さんは「訪問看護ステーションリカバリー」を運営するRecovery International株式会社を設立する。訪問看護ステーション事業だ。坂田さん自身が、つい数ヵ月前まで利用者だったから訪問看護のニーズはだれよりわかっていた。
ちなみに、このRecovery Internationalは、2024年現在、東証に上場している。坂田さんは、当時、取締役会長職を経て、現在は株主という立場で事業を支援しているそうだ。
からだも、事業も、不死鳥のように蘇っている。
「そりゃ、つらかったよね。倒産でしょ。半身不随でしょ。天国から、真っ逆さまです。でもね。看護師さんとリハビリの先生の『立てるようになれるかも』って。あの一言のおかげで、からだはもちろん、事業まで復活することができました」。
「この数年で、性格も温厚になり、怒らなくなった」と笑っておられたのが印象的だった。その話をすると、「でも、実は温厚になったというより、怒ると血圧が上がるから注意しているだけ」と、笑った。

・・・続き

麺JAPAN株式会社 代表取締役 坂田敦宏氏

<2020年7月掲載 株式会社和僑ホールディングス 代表取締役社長 坂田敦宏氏>

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2025年3月11日火曜日

C-United株式会社 代表取締役社長 友成勇樹氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”C-United株式会社 代表取締役社長 友成勇樹氏登場。

本文より~

C-Unitedの代表、友成勇樹が描くビジョン。

とにかく、話のスケールが大きい。
「日本飲食業株式会社のような気持ちで経営している」と、今回ご登場いただいたC-United株式会社の代表、友成勇樹さん。
その友成さんが率いる「C-United」は、2021年4月、珈琲館株式会社と株式会社シャノアールが統合することで誕生している。現在は「カフェ・ド・クリエ」も加わり、首都圏の様々な街で“一杯のコーヒーに心をこめて“提供。カフェ業界の頂点に立つ会社の1社となっている。
主要ブランドは「珈琲館」「カフェ・ベローチェ」「カフェ・ド・クリエ」。
ところで、友成さんにインタビューするのは今回が2回目となる。初回時にご紹介したプロフィールは以下。
<1963年、東京都文京区生まれ。中央大学卒。「日本マクドナルド」に入社し、異例のスピード昇進を重ねる。34歳から米国マクドナルド本社(シカゴ)へ。米国KGSMにてMBA修了。4年の海外勤務を経て帰国したあと、新会社の社長に抜擢。その後日本マクドナルドを退社し、独立後、飲食関連会社を立ち上げる。以降、モスフードサービスの顧問に就任。関連会社の会長職などを務めたのち、2018年7月に珈琲館の社長に就任する>
「日本マクドナルド」「モスフードサービス」、そして「珈琲館」。 いずれも日本を代表する飲食チェーンである。

34歳の青年が手にした辞令は「シカゴに行け」だった。

「日本マクドナルド」に入社し、25歳で店長に、30歳でスーパーバイザーに昇進。そして、34歳になった友成さんに下りた辞令は「シカゴに行け」だった。
「最初の辞令では『長野(冬季オリンピック担当)に行け』だったんですが、すぐに取り消され、『もう少し遠いところになった』と言われた」と、一度目のインタビュー時に面白可笑しく話してくださったのを記憶している。
そのシカゴで、MBAを取得。3年目からはアメリカ本社でプロフェッサーとして勤務。「世界のマクドナルドの本社ですからね。いい経験にもなりました」と軽くおっしゃったが、むろん、異例の人事。世界でも数名しかいないプロフェッサーへの抜擢だった。
38歳で、帰国。そして、新会社の社長に就任する。
友成さんの事業プロフィールは学生時代からスタート。中央大学在学中、新宿にレストランを開業する。だが、卒業前にクローズ。2000万円の借金を背負って「日本マクドナルド」に就職している。
25歳での店長昇進は、有能な人材が多い「日本マクドナルド」のなかでも異例の人事。「借金があったから頑張らないわけにはいかなかった」と友成さんは笑う。
さて、数年ぶりにお会いした友成さんは、「珈琲館」の社長から「C-United」の社長になっていた。その経緯から、今回のインタビューが始まった。

珈琲館の再生と、シャノアール(ベローチェ)の買収。

「珈琲館の社長になったのは、2018年の7月です。私が社長に就任した当初は、さすがに厳しい状況でした。珈琲館はフランチャイズがメイン事業ですが、本部機能が脆弱で、フランチャイズを支援する体制が十分に整っていませんでした」。
FCオーナーとの会話を重ね、同時に本部機能を整備するなどして「珈琲館」のリブランディングに着手する。
その結果、400万円~450万円だった平均月商(直営店)が、数年で約1.8倍になる(FC店の売上も約1.4倍アップ)。店舗数は、2025年1月現在、200店(内、直営100店)、最盛期に比べると30店舗くらい少ないが、法人契約が1.8倍にアップしている。
「今までは、個人オーナー、いわゆるシングルストアが多かったんですが、法人契約が進んでいることで、今まで以上に店舗数の拡大が期待できます」とのこと。
この「珈琲館」再生の最中の2020年、友成さんは株式会社シャノアールを買収している。
「シャノアールが運営するカフェ・ベローチェは、珈琲館とは違って、都会のオアシスとしてビジネスパーソンに支持されているのがストロングポイントでした」。
「from toの中間点」と友成さんは表現する。簡単にいうと、移動の合間に「いっぷくする」ということだろう。この「いっぷく」需要は案外、大きい。
今なら、プレゼンテーションに向かう途中に立ち寄り、ノートパソコンを起動し、企画書を作成しているビジネスパーソンもいるだろう。
友成さんが言う通り、シナジー効果も期待できる。
だから、新星、「C-United」は、新たな期待を背負いつつも、華々しくスタートする。そのはずだった。しかし、スタート直後、友成さんは大きな溜息をつくことになる。

コロナ禍と、一杯の珈琲の価値と。

「シャノアール社買収については、旧珈琲館株式会社の社員でも一部の人間しか知りませんでしたし、あちらも同様です」。
友成さんが、初めてシャノアール社を訪れた際の話。
「買収について、初めて聞くスタッフもいたようです。だからか、みんな私をみて、『こいつはだれだ?!』って(笑)」。
見解のちがいもあった。
「現場のスタッフたちは『店は儲かっている』っていうんです。マーケティングのメンバーも『プロモーションを仕掛け、売上は上がっている』っていうんです。たしかに、部署ごとでいえばPLは黒字。でも、全体は赤字だったんです」。
「だれも財務を理解していなかった」と友成さんは溜息をつく。だが、友成さんの溜息は、これだけではなかった。
「C-Unitedは2020年2月1日にスタートします」。
<コロナですね?>
「そう、ズバリ、コロナとおなじタイミングでした。都心ではビジネスパーソンの移動がなくなります。だから、ベローチェは大変だったんです」。
<資金繰りが苦しくなる?>
「そもそも赤字ですからね。そこに、コロナです。いつ終焉するかもわかりませんでした」。
ついに友成さんの口から深い溜息が漏れる。溜息を耳にした前任の社長が役員報酬の全額カットを申し出たほどだ。
その後もコロナ禍はつづいたが、行政から「協力金」が支給されるようになり、一息つくことができた。
もちろん、友成さんも黙っていたわけではない。
「シャノアールが所有していた研修施設があって、そこがいい値段で売却できたんです」。ほかにも「オープンが目の前だった新業態があったんですが、結局、オープンしないまま撤退させてもらいました」。カフェ以外、重荷になるブランドはすべてクローズする。
大胆な行動は、友成さんの真骨頂だ。
だが、コロナ禍は世界中を覆い尽くしたまま。
「コーヒーショップは『不要不急』の代表と言われた」と友成さんは笑う。
「たしかに、定食とかじゃないですからね。だからといって、ほんとに『いらない』わけじゃありません。必要だからこそ、珈琲館は50年以上つづいてきたんです」。
「くつろぎといった目に見えない部分で、コーヒーショップの役割がある」と、友成さんは語る。
「コーヒーそのものは不要不急かもしれませんが、くつろいで、ひといきつく空間もコーヒーショップの役割なんです。その役割からいうと、けっして不要じゃないんです。だから、閉めたくなかった」とも。
友成さんのなかでも、葛藤があったにちがいない。
だが、歩みは止めない。
コロナ禍の渦中の2022年には「カフェ・ド・クリエ」を買収している。そして、コロナ禍が終焉した今、業績はV字回復。
「2023年度でいうと、飲食全体の戻りが約80%ですが、カフェは約90%なんです。そのなかで私たち、C-Unitedは約140%を実現しています」。
そう言って、胸を張る。社会にとって、コーヒーショップがいかに重要な存在かを改めて示す結果になったからだ。

・・・続き

C-United株式会社 代表取締役社長 友成勇樹氏

<2019年9月掲載 珈琲館株式会社 代表取締役社長 友成勇樹氏>

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2025年3月4日火曜日

株式会社beagle 代表取締役 花光雅丸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社beagle 代表取締役 花光雅丸氏登場。

本文より~

稀代の経営者であり、飲食人である、花光雅丸さん、登場。

「もう一度、食の世界に戻ります」。
仲間を集めたいので取材をしてください、とリクエストをいただいた。
リクエストをいただいたのは、飲食人で知らない人を探すのはむずかしいほどのカリスマ経営者。
2005年「サブライム」を設立したのち、M&Aを活用するなどして、90ブランド500店舗を展開する飲食グループを育てあげる。その一方、社員独立制度を導入し、独立希望者を育成・サポート・輩出してきたことでも知られている。
その数、100人を超える。
今も花光さんを慕う飲食経営者は多い。この「飲食の戦士たち」の取材でも、「花光さんのブログを読み漁った」という経営者に何度も出会ったことがある。
そして、花光さんが38歳の時の2019年11月1日。サブライムはカフェ・カンパニーと経営統合。「GYRO HOLDINGS」を設立する。
<コロナ禍がなければ、どうなっていましたか?>という質問に、花光さんは「そうですね。今頃は1000店舗にはなっていたかと思います」と回答。
もちろん、今やコロナも過去形だ。だが、このコロナ禍の下で飲食の経営者が翻弄されたのも事実である。花光さんも、翻弄された1人である。

異端児。学生時代に1000万円を貯蓄する。

10年以上も前になるが、じつは花光さんには「飲食の戦士たち」に一度ご登場いただいている。コチラ<第38回 株式会社subLime 代表取締役 花光雅丸氏>がその時の記事である。サブライム設立までの経緯は、こちらに詳しく書かしていただいたので、ここではかいつまんでお伝えする。
ちなみに、宣伝ではないが「飲食の戦士たち」は回を重ね、2025年1月時点で、1000回をオーバーしている。花光さんに最初に登場いただいたのは、38回だから、初期の初期。
花光さんは、1981年、和歌山に生まれている。
高校は進学校に進んだが、本人いわく、「勉強より遊びに熱中していた」そう。大学で東京にでた花光さんは、一転、起業を目標にアルバイトに打ち込むことになる。
改めて、当時の話を聞くと、朝9時から24時まではたらき、給料は通常月で40万円、多い月には60万円あったという。時給も今ほど高くない頃の話。当然、学生の領域を超えている。
「起業のために1000万円を貯蓄する。目標があったのもたしかですが、飲食の面白さにハマったのもアルバイトに熱中した理由です」。
漠然とした起業が、「飲食」という二文字に絞られる。
大学を卒業した花光さんは、いったん和歌山に帰り、有名な白浜海岸で軽トラックを改造した屋台をオープン。わずかな投資で大きな利益を上げた。これが、花光さんのビジネス原点となる。
ふたたび、上京した花光さんは有名チェーン店で店長を勤め、1年後の2005年、吉祥寺で屋台をオープンする。東京でも、当然、出店費用は極限まで絞ってのスタートだ。
花光さんの目標への執着は異常なほどだ。だが、設定したゴールテープを切っても、威張ることも、気取ることもない。「常に自然体」。これが、1981年生まれの花光さんのスタンス。

20代中の100店舗を目指し、仕掛けたM&A。

当時、花光さんが設定した目標は「20代のうちに100店舗をオープンする」ことだった。目標に向け、事業が加速したのは2011年に「レインボーハット」を買収したことによる。「目標達成のためにアクセルを踏んだ」と花光さんはいう。
「レインボーハット」の店舗が加わり、29歳で100店舗というゴールを駆け抜けている。
<これが初めてのM&Aですね? 相手先の業績はいかがだったんですか?>
「とくに問題点はなかったです。ただ、本部の経費が重く、それが全体の利益を圧迫していました。豪華な本部は、私たちが進める事業には不要です。利益を生むのはお店なので、それ以外の投資はしたくなかったです」。
花光さんの目に、豪華なビルは「愚の骨頂」に映る。
そういう花光さんを高く評価された人がいる。「つぼ八」の創業者である故石井誠二さんである。
「面識はなかったのですが、直接、お電話をさせていただいて。それが、始まりです」。石井さんは当時、経営されていた「八百八町」の売却先を探されていた。そういうタイミングだったそう。
「競合はもちろんたくさんあったはずです。それに、最初は金額もまったく折り合わなかったんです(笑)」。
それでも花光さんは、あきらめない。
「私が、電話をしたのは、社長の石井さんが引退を考えていると知ったからでした。『八百八町』が仲間になることで出店エリアが一気に広がります。店舗だけではなく、様々なノウハウも得られるので、そう簡単にはあきらめられません。話し合いをつづけさせていただき、最終的には『言い値でいい』とおっしゃってくださったんです」。
花光さんにとって石井さんは、今も慕う飲食人だ。
「今でも毎年命日にお参りさせていただいています」。
頭脳明晰というより、義理、人情に厚い。義理堅く、人を騙すこともない。これが、多くの人が花光さんに惹かれる理由だろう。
「『八百八町』が仲間になったのは僕が32歳の時です」。そして、38歳の2019年、カフェ・カンパニーとの経営統合に打って出る。

・・・続き
<2009年3月掲載 株式会社subLime 代表取締役 花光雅丸氏>
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1985年3月から求人一筋40年か…。

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2025年3月3日月曜日

いよいよ3月と、2024年度最後の月となりました。

 2024年度最後の月(決算月)となりました。

今期はいろんな意味で成果のある実りの年でした。

反省する点も多々あり、発見もありました!

さあ、来期が楽しみ。

やはり「飲食の戦士たち」の1,000掲載突破!は大きかったです。

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