2023年11月28日火曜日

エス・フィールド株式会社 代表取締役 菅原尚也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”エス・フィールド株式会社 代表取締役 菅原尚也氏登場。

本文より~

高校時代からアルバイト、開始。

「兄も、弟も母に似て芸術関係なんです」と、今回、ご登場いただいたエス・フィールド株式会社の代表取締役、菅原さんは笑う。兄は写真家で、芸術大学で客員教授もされている。弟も、芸術の道を進んでいる。ご自身はそうではないらしい。
「音楽は好きなほうだったと思います。とくに中学時代はハードロックにハマっていました。もっとも音楽の才があったわけじゃありません。高校時代ですか? 高校時代は、コンビニや生協でアルバイトをしていました。私にとっては、アルバイトがクラブ活動のようなもんでした」。
<大学は武蔵工業大学ですね?>
「車が好きだったんです。ホンダがF1で頑張っていた頃に育っていますから、その影響もあって。大学3年の時には中古車ですが、ホンダのインテグラを買ってもらって乗っていました」。
「大学時代もアルバイトは色々しました。ピザショップのデリバリーとかですね。ほかにも、これが今の原点だと思うんですが、ホテルや飲食店で配膳の仕事をします。当時でも、フレンチだと時給1800円くらいあったかな。結婚式場では、新郎新婦のメインテーブルはベテランがするんですが、私は学生なのに、その仕事を任されます」。
月に20~30万円になったというから、アルバイトの域を超えている。
「大学時代からスキーにはハマリました。夏はテニス、冬はスキー。スキーには一時期、毎週、出かけるほどハマっていました」。
スキーはそれなりにお金がかかるが、アルバイトで資金は潤沢だったんだろう。
絵に描いたような青春である。

F1メカニック、改め、清水建設へ。

<就職はホンダじゃなく、清水建設ですね?>
「そうですね。もちろん、最初は自動車メーカーに就職し、F1のメカニックになることを目指し、武蔵工業大学に進んですが、4年間、理系にいて、私は根っ子からの技術屋じゃないと気づくんです。だとしても、就職はしないといけません。F1のメカニック以外で興味があるものといえば再開発事業だけで」。
<スケールが大きいですね>
「実をいうと、TV局もいいかな、と。でも、けっきょく、清水建設に入社しました。その時、飲食をするとはもちろん思っていなかったです」。
少しだけ、当時の菅原さんを追いかけてみよう。
無事、清水建設に就職した菅原さんだったが、配属先は、土木本部。担当は機械電気設計や施工管理業務だったそう。菅原さん曰く、希望とかけ離れていたこともあって、開発の部署への異動を願いでる。
希望が通り、2003年にエンジニアリング事業本部へ異動となった。
「こちらでは、土壌環境本部という部署に所属します。再開発には土壌調査をすることが法律で定められていますので、直接ではありませんが、開発に関わることができるようになりました」。
<いいキャリアですね>
「そうですね。わざわざ飲食をすることもなかったですね。家族に最初に言った時には、バカじゃないのって一言です(笑)」。家族じゃなくても、誰でもそう言うだろう。実際、融資を受ける際、銀行員にもおなじことを言われている。

人生賭けた、転職。

「会社に対する不満というより、マネジメントの楽しさを知ったというか。実は、清水建設で部署長になってメンバーをまとめて、おなじ目標に向かって組織を動かす仕事をするんですが、それに、たいへんやりがいっていうのを感じるんです」。
<やりがいは分かりますが、どうして、飲食に結びつくんでしょう?>
「もちろん、学生時代の経験も大きいですし、あと一つ。実は、私を動かす存在があったんです」。
<存在?>
「はい。清水建設の同僚で、現在、ケーズカラナリーブランニングという会社の社長を勤めている越野氏という男性です。彼は事務系だったんですが、なぜだか気があって。プライベートでもしょっちゅう2人でつるんでいました。彼は、清水建設をすぐに退職し、マネックス証券などを経て、32歳で独立します。実は『いっしょにやらないか』とも言ってくれたんですが、その時は、さすがに準備も何もできていませんでしたから」。
<それで、先に、越野氏が飲食店をオープンされるんですね>
「彼の性格は知っていますから、起業すると聞いても驚きませんでした。ただ、うらやましいな、と(笑)」。
<独立の相談は、越野氏にもされましたか?>
「私が独立したのは42歳です。家族には、以前、反対されましたから事後報告です。もちろん、普通の人からみたら、正気の沙汰じゃないんですが、人生やりたいことをやろう、と、それだけは決めていましたから。越野氏にはもちろん相談しました。その時、彼のブランドである『MADOy』のフランチャイズをしないかって提案されたんです」。
42歳。思い切った、人生賭けた、転職でもある。

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エス・フィールド株式会社 代表取締役 菅原尚也

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2023年11月22日水曜日

店舗ナンバーワンホールディングス株式会社 代表取締役 三浦正臣氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”店舗ナンバーワンホールディングス株式会社 代表取締役 三浦正臣氏登場。

本文より~

親子2人の安アパートと、6+9=と。

「私の曽祖父は黒澤明さんと同期で、映画『ゴジラ』の初代監督です。祖母は女優で、父は自由人。私が生まれたのは、父が18歳、母が14歳。母の両親が猛反対するなかで私は生まれ、育ちます。ただ、私が2歳の時に母がでていってしまったので、育ての親は父だけです」。
親子、2人の安アパート。
「私が、中学3年の時。帰宅すると父がアパートで亡くなっていました」。
生前の父と同じく、引越し業者で仕事をしながら、定時制の高校に通った。
「大変でしたが、働かないと食べていけないし、アパートも追いだされる。だから、仕事で手を抜くことはできませんでした」。
仕事では、遅刻をしたことがない。
学生時代はどうだったんだろう?
「小・中とまったく勉強どころかノートを取ったこともありません。もちろん、高校でも。でも、高校入試には合格していますよ」と三浦氏。種明かしは、こう。
「だってね。数学の問題1)が、6+9=ですからね(笑)」
高校では三浦軍団ができ、卒業式では生徒代表を務めている。その時、披露されたスピーチも気になるところだが、先を進めよう。

「おめでとう。うかったよ」

「高校を卒業してから、いい金になると誘われて穴掘りをはじめます。危険な仕事でしたが、日当1万5000円、悪くありません。でも、アホだから、命をかけても月50万が限界でした」。
当時、三浦氏はギャングのボスに憧れていたそうだ。
「オールバックで、スーツをバッチリきめて。ワインを飲んで、みたいな笑。でも、オレはっていうと、爪の中まで真っ黒。指をみる度、なんだかなって。春になると仕事がなくなり、プータローになっちゃうような仕事でしたし」。
指をみては、ため息をついていたある日のこと。後輩が、お菓子とジュースと求人誌をもって部屋にやってくる。「違う仕事をしましょうよ」っていう後輩の言葉を聞きながら、何気なく、ページをめくっていた三浦氏の手が止まる。
「『18歳以上。学歴不問。やったら、やった分だけかせげる」って、コピーが載っていたんです」。
「やったら、やった分」、文字が頭のなかを駆け回る。
「無知だから、ベンチャー? 上場?って、なに言ってんのか、ぜんぜんわかんないんです。でも、ひょっとしたら50万円のカベを超えられるんじゃないかって。ソッコーで電話をかけました」。
その後の話を少し。
「『来週木曜日16時に面接をします』ってことになって。向かったのは池袋北口。都内に行くのも初めてだから、当時の彼女について来てもらって。着いたところは8階建のでっかいビルです、『デケェ』ってつぶやくと、彼女に背中をドンと押されます」。
「行ってきな」。
成人式で買ったスーツを着て、ロン毛の青年がエレベータに乗る。ふりむけばわかるが、眉毛は1本もない。
「部屋に通され、履歴書をだしたとたん爆笑されました」。
特技は「アーク溶接」と「玉掛け」。
「『そうなんだ、玉掛けができるんだ』って」。
「ブルーカラーとかホワイトカラーとか、相手が何言ってんのかわかんなかったんですけど、とにかく、赤裸々に話をさせてもらって。帰りには新宿に寄って、人生初のスターバックスです。好きでもない珈琲を飲みながら、洒落込んで、ね。これで、オレも山手線のなかの住人になるのかなって、ドキドキしながらね」。
「合否の通知がくる日のことです。当時はPHSで、穴掘りしているとなかまで電波がとどかないんです。で、PHSを彼女に託して仕事にでます。その日に来るのがわかっていましたから、仕事が終わって一目散に帰ります。でも、きったねぇから、一旦、風呂に入んないと部屋に上がらせてもらえません」。
「服ぬいで、頭と体を大急ぎで洗って。パンツ一丁で、ガラガラと障子を開けたら、彼女がケーキをもって待っていてくれて。『おめでとう、うかったよ』って」。
2人して、ケーキを頬張る。甘い未来が口のなかに広がる。

上場企業、最年少、役員。

「アホですからね。『髪の毛を切ってこい』って言われていたのに、ちょっとだけ切って。自己紹介でアホをさらけだすんです。『え、あ~』って言いながら、一瞥をくれてやって、『だれにも負けないんで、よろしく~』って」。
合格をだした面接官が、オフィスの端っこで縮こまっている。
「なんでヤンキーを採用するんだよ」。
うん? どうなっている?
「仕事はテレアポです。給料は15万円。名刺交換もしたことがないし、FAXも使ったことがない。いまだったら、絶対、採用されてませんよね。ある日、朝礼で社長が『三浦くん、前でてください』っていうんです。で、みんなのほうを向かされて。『みなさん、こいつの格好と髪型をどう思いますか』っていうんです。そうしたら『よくないと思います』って。デキレースですよね」。
「カーッと来ちゃって、ムスーとしていると『よくねぇんだよ。その格好も、頭も。来月トップ取れなきゃ、頭、丸めて、リクルートスーツ着て来い」って社長が怒鳴ります。そのあと『国歌斉唱だ』っていうんです。口を閉じていると『どうしてお前は、歌わねぇんだ』って凄むから、ちからいっぱい言い返します。『国歌を知りません』って。本当に知らなかったんです(笑)」。
翌日。
「もう、腹も立つし、凹むし。くそめんどくせぇなって」。
つよがってみせるが、オレにはやっぱり無理かな。ギャングのボスも、都内でスーツも、と心のなかで、弱音を吐く。
「でも、仕事は休まないっていう、昔からの習性で、翌日も会社にはちゃんと行くんです。出勤すると社長が呼んでいるっていうんで、『上等だ』って思って、社長室に乗り込みます。そうしたら『いやー』って。えびす顔で(笑)」。
「『昨日は、くやしかっただろ』っていうから『はい、ぶん殴って辞めてやろうと思いました』って、正直に言いました。そしたら、やっぱり怖い顔になって、『勘違いすんなよって。町田で、いくら喧嘩がつよくって、有名でも、会社では通用しないんだよ。いきがりたきゃ、結果で周りを黙らせてみろ』って」。
結果として、尻を叩かれた格好だ。期待の表れでもある。社長は、当然、恩人の1人。
しかし、当時は、そうは思わない。
「上等じゃねぇか」と腹が座る。
テレアポの件数は、日に800件を超えた。1人、真っ暗なオフィスに残った。
「最初にアポイントをもらったのはゼンショーさんです。ロイヤルホストさんにもアポが取れたんですが、こちらでは2時間ちかく説教されます笑。でも、それがトークを磨くきっかけになり、いまも感謝しています」。
ちなみに、社長の指令は翌月から果たしている。翌月から23ヵ月連続営業成績トップ。三浦氏の成績がダントツすぎて、成績争いは、実質、2位争いだった。壇上に上がるたび、社長が「またお前か」と言って笑った。
この当時、三浦氏は、1人で月1億円の利益を叩き出している。
「役職も、給与も、天井知らずです。24歳の時、店舗流通ネット株式会社が名古屋証券取引所セントレックス株式を上場し、私は、当時最年少で、上場企業の役員になりました」。

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店舗ナンバーワンホールディングス株式会社 代表取締役 三浦正臣氏

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花は心を癒すます。

うちの母親は、花が大好きで、戒名にも華を入れまてます。
なので私もなかなか飾れてませんが、花や植物は好きです。

余裕がないとなかなか飾れませんが、今日入口に 二輪の花を飾りました。

コロナ禍では皆が集まる機会なかったですが、ちょっとほっこりしたり落ち着きます。

併せて神棚も造花をやめ、日々の感謝の気持ちを込め榊を飾りました。

こんなちょっとしたこと大事ですね。


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2023年11月16日木曜日

「飲食の戦士たち」の社長取材、続々と。

2人の若手 新人営業マンの加入に伴い、皆頑張ってくれ「飲食の戦士たち」の社長取材が十数社と続々と入ってきてます。

顧問業務もかなりの数やらせて頂きながら、こなしていきたいと思います。

「飲食の戦士たち」悲願の1,000連載早まりそうです!!


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2023年11月14日火曜日

株式会社CHIYO 代表取締役 千代谷崇史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社CHIYO 代表取締役 千代谷崇史氏登場。

本文より~

モデルで活躍。高校時代の話。

読者モデルだった。
「あの当時は、読者モデルの全盛期。私が高校1年生、2年生の頃のことです。付き合いで、派手なグループのメンバーに所属していたのも、この頃。そういえば、今、TVで人気の女子アナもメンバーの1人でした」。
雑誌名をたずねると「egg」「ポップティーン」などの名が挙がる。
ホームグラウンドは渋谷。ラジオでDJとしゃべっていたとも言っている。千代谷氏にとっても全盛期。
この話からは、その昔、千葉に引っ越し、カルチャーショックを受けたナイーブな少年の姿は想像できない。
千代谷氏は1977年東京都目黒区に生まれる。父親の仕事の関係で幼稚園から小学4年生の1学期までは福岡。千葉に引っ越したのは、小学4年生の2学期からで、この時にカルチャーショックを受けている。
「子どもの頃は、いい子ちゃんだったと思いますね。ただ、周りを察知することに長けていたんでしょうね。相手によって顔を使い分けていたように思います」。
走るのがはやく、野球が巧い。たぶん、明るい少年だったんだろう。
「勉強はぜんぜんしなかったですね。あれは、性格的に合わない笑。親から『勉強しろ』とは言われましたが、結果についてはとやかく言われなかった。だから、まぁ、やったふりというか笑」。
とにかく、「やりたいことをやらせてくれた」と、ご両親には感謝しているとのこと。
「小学校で野球をはじめ、中学でも野球部です。高校の時の、モデルの話はもうしましたが、じつは、もう一つ、高校時代から、マーケティングの仕事もしていました」。
月20万円くらいになったというからびっくりする。

グローバルダイニングへ。人生の舵が飲食に向く。

2浪人して進んだのは、大学ではなくマーケティング会社。「とくにやりたいこともなかったんで進学を希望していたんですが、2浪目になってマーケティングをしたいと思いはじめたんです」。
それで就職?
「そうです。今は、かなり大きなイベント会社になっていますが、私が就職した頃はまだ5~6名の小さなマーケティング会社でした。高校生のネットワークをつかって、マーケティングするのが主な事業でした」。
やりたいと思ってはじめた仕事だったが、色々あって、ストレスもたまる。
「ある人の紹介で、当時の、グローバルダイニングのトッププレイヤーにお会いして、新しい道がはじまります」。
それが飲食の始まりですね?
「当時、いちばんやりたくなかったのが飲食です笑。けっきょく、グローバルダイニングで仕事をするようになって、大好きになるんですが」。
ウェイターを補佐するバスという役割だったそう。「デザートだけはオーダーを取ることが許された」と笑う。

バイト時代のスター、店長になって輝きを失う。

千代谷氏が仕事をはじめたのは、ラ・ボエム。グローバルダイニングの基幹ブランドの一つ。26歳で、店長にも昇格している。要因は「おそらく人材がいなかったから」とこちらを笑わせる。
「バイトの時は、スターだったんですが、店長になったとたんなにもできない。マネジメントができなかったんです。クレームの嵐。社長にまで、わざわざ大クレームをいれた人までいました」。
凹みますね。
「マネジメントなんてしたことがないですからね。空回りばかりしていました。ただ、ある時からスタッフを信じて任せる方針に転換。社長にも、店長職にとどまるように言っていただいたこともあって、店長をつづけていくと、ある時から状況が一変し、売上はもちろん利益率でもトップになります」。
26歳から27歳までのわずか1年だったが、何年にも匹敵したのではないか。濃厚な日々。会社の評価も上がり、27歳でエリアマネージャーに昇格している。

40代、50代の,はたらき盛りがいない事実。

「グローバルダイニングを退職したのは29歳の時です。もともとは、もっと早くやめるつもりだったんですが」。
ホームページで千代谷氏は「一般企業でいう、はたらき盛りの40~50代が飲食店の現場には少ないことに気づいた」と言っている。
たしかに、その通り!と膝を叩きたくなった。千代谷氏の指摘は、飲食の問題にズバリ切り込んでいる。じつは、これが起業の背景だともいう。
「飲食というのは、若い人中心のビジネスなんですね。色々な要因がありますが、私は、その問題に切り込んでいかない限り、飲食の未来ないと思うようになるんです」。
その話にも頷ける。
「それで、私が選択したのが、運営代行というスタイルです。経験を積んだスペシャリストたちが、オペレーションすることで高品質のサービスをお客様に提供できると考えたんです」。
「もちろん、資金がなかったことも、運営代行を選択した理由の一つ」と言っている。

・・続き

株式会社CHIYO 代表取締役 千代谷崇史氏

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(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2023年11月13日月曜日

お問い合わせに対応してるのに、お礼も無しはないでしょ。

弊社は「飲食の戦士たち」の掲載企業様への問い合わせに対して、少しでもいいご縁を繋がれたらと問い合わせ対応させてもらってます。

今回FC希望で資料のお願いがあったので、こちらから電話をし4通ほどきめ細かく明記して送ったのにお礼の返信すらない。

わざわざFC希望企業に送らず、まだ前段階なのでと気持ちはわかるが、送ってもらって当然とかあるのかな…。

お礼すら言えない人が、飲食店なんてできるのかな・・・・。


戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2023年11月7日火曜日

RICE REPUBLIC株式会社 取締役社長 川原田美雪氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち” RICE REPUBLIC株式会社 取締役社長 川原田美雪氏登場。

本文より~

青森県弘前市。

弘前市。津軽地方の中心都市。なんでも、日本で最初に市制を施行した都市の一つだそうで、青森で唯一の国立大学も弘前にある。ちなみに、「弘前」と書いて、「ひろさき」と読む。
今回ご登場いただいたRICE REPUBLICの社長、川原田さんは1996年に、この弘前市に生まれる。父親は新聞記者、母親は看護師。ご両親とも仕事をされていたから保育園はもちろん親戚の家にも預けられることが多かったらしい。
「いちばん多くいたのは児童館。高校3年生まで児童館で勉強していました」。
川原田さんは、よく通る声で、弘前での暮らしを話してくれる。
「小学校は合唱部に所属。習い事も多くって、12くらいはしていたように思います。私が通っていた小学校は、40人のクラスが3つと、それとは別に8人の実験的な選抜クラスがあって、私は、そちらで勉強させていただきました」。
のちにストレートで東京大学に進学されているだけあって、小さな頃から頭がいい。川原田さんの言葉では「悪くはなかった」となる。
全国模試は1位。
「1位っていっても、全教科満点の人は全員1位ですから」と謙そん。そのうえで「父からは口だけ回る小賢しい子と言われていた」といって笑う。
小賢しいのは口だけではなかった。
「将棋やチェスを父とするんですが、最初は全部、父が勝ちます。でも、すぐに父は私に敵わなくなるんです」。敵わなくなると、違ったゲームを持ってくる。それも、しばらくすると、父は娘に敵わなくなる。
仏頂面で内心を隠しながら、喜んでおられたのではないだろうか。いずれにしても、ゲームにかぎっては「小賢しい」ではなく、手に負えない少女だった。
ちなみに、津軽弁は今も健在。今でも時々でちゃいますね、と津軽弁を披露してくださった。

天才少女、5位で叱られる。

「実をいうと、小学生から高校を卒業するまでトップ3じゃなかったのは、1回きりなんです」。
<1回?> 「中学生の時、テストの成績が5位だったらしくって。先生がみんなの前で『川原田、5位だぞ』って(笑)」。
凡人なら、5位で喜んでいるところだ。
<部活動は?>
「中学は演劇部で、高校はダンス部。運動系とは距離を置いていました」。
<高校時代も成績は一番なんですよね?>
「首席で入学して、首席で卒業しています」。
<もう天才ですね?>
「いえいえ、ぜんぜんです。周りが1位って目でみるから、1位を獲らないとマズイみたいな(笑)。強迫観念ってやつで守り抜くことになったって感じですね。当時は、みんなから『川原田はいいよね』って言われて。やらなくてもできる子だと思われていました。そんなわけないのに」。
だれもみていないところが、川原田さんの勉強タイム。
「うちでも、学校でも、教科書にかじりついているような姿はみせていなかったから、川原田はいいよね、ってなるんでしょうね」。
弘前から離れた東京大学に進んだのも、天才の響きがうっとうしく、「対等におしゃべりができる相手が欲しかったから」と言っている。

工学部に進んだのは、『サマーウォーズ』がきっかけ。

進んだのが「東京大学工学部」と聞いて、どうして工学部だったのか?と聞くと、かわいい答えが返ってきた。「ある夏休みにね。映画『サマーウォーズ』を観て、あの世界をつくってみたいと思ったんです」。
『サマーウォーズ』の初公開は2009年。説明するまでもないが、細田守氏初の長編オリジナル作品で、仮想空間とリアルな世界がつながり、物語りが織りなされていく。
数学が得意な、ふつうの少年が、世界を救う。結末は、なんど観ても面白い。
「『サマーウォーズ』は当時、すごく進んだ世界だったわけですが、今では特別な世界じゃない。私は、大学を卒業してLINEに就職するんですが、ある意味『サマーウォーズ』の世界ですよね」。
たしかに、仮想空間も、またリアルな世界の一つになりつつある。
「ただ大学では、そういう世界を勉強するつもりだったんですが、汗臭い世界に進みます」。
<どういうこと?>
「実は、東大って、アメリカンフットボールに力を入れているんです。日本一になるぞってハンパない熱量があって。その熱に、惹かれるように入部します」。
<アメフトですか?>
「そうです。京大が昔、日本一でしたね。だから、負けていられない。もちろん、私はプレイヤーじゃなくマネージャーですよ(笑)」。
当時、部員が100~200名。チームスタッフも50名近くいたそうだ。
「東大に入ったことよりも、アメフトに入ったことのほうが、私にとっては大きな出来事でした」。
ご両親は「毎日グラウンドで走り回る」といった娘をみて、目をまるくされたそうだ。
「運動系やチームスポーツに関することはいっさいやってこなかったからでしょうね。マネージャーになれば、「できません」は通用しません。チームの勝利のためにできることはどんなことでも自分がやろうと思っていました」。
スポーツ推薦が主流の強豪校相手に東大生が勝利を収めるためには、一瞬の妥協も許されない。小賢しさとは、対局にあるような、汗を流しつづけた4年間。「アメフトの4年間で私はかわった」と川原田さんは、言っている。

アメリカンフットボール。

「3年生の時に毎年行っている10泊11日のロングラン合宿があって、その責任者に任命されます。チームスタッフは50人。彼女たちを動かし、参加者300名をサポートする仕事です」。
「このとき、合宿先のお宿の料理人が調子を崩されて、料理がつくれなくなったっておっしゃるんですね。私たちにとっても、大きな事件です」。
料理がでないと300名の大事な選手達のパフォーマンスに影響が出てしまう。
「その時、監督から怒られるんです」。
<怒られる?>
「監督からは『どうするんだ』とお叱りを受けました。私のせいではないことは監督もご承知です。だれが悪いかではなく、どうするか? 300人分の食事をどうするんだって、ことです」。
やるしかない。川原田さんは、キッチンに駆け込んだ。
「お料理はぜんぜん得意じゃない。でも、リカバーするには、ほかに方法がありません。部員たちに事情を話して、練習に必要な選手から順番に食べてもらいました。マネージャーの子には悪かったんですが、一旦我慢してもらって」。
日本一をめざす大事な合宿。食事一つおろそかにはできない。
「あの時の監督の一言には今も感謝しています。現状を嘆くのではなくどうするのか、自分が動くことでしか何も始まらないということを教えてもらいました」。
ちなみに、川原田さんらのチームの最終戦でのこと。川原田さんは、フィールドの真ん中で大粒の涙を流している。
「勝てない相手じゃなかったんです。勝てば1部のクラスへの入替戦に出場することができました。日本一という目標はありますが、私たちの代では、鞍替えが目標でした。あと1勝、4年間やってきたことが、あと1勝で報われるところまできたんです。でも、その1勝ができなかった。過去に同じ夢を見て、試合を応援しに来てくださった先輩方の前で、『ごめんなさい、ごめんなさい』っておいおいと泣きくずれ続けます」。
青春の1ページ。フィールドで泣き崩れるマネージャーに、部員たちが駆け寄っていく。上空から観れば、フィールドにどんな絵が映し出されていたのだろうか。

LINEを、駆け抜ける。

日頃からLINEのお世話になっている。スマートフォン同様、生活の一部になっている。LINEがなければ、なにかが欠ける。そのLINEに、東大で修士となった川原田さんが就職する。
明晰な頭脳と行動力。チームマネジメントもできる。
「アメフトで、走りまわってきた分、遅れちゃいましたが、『サマーウォーズ』で描かれた世界の、プラットフォーマーになるっていう目標を追いかけるためにLINE株式会社に入社します」。
これが、2020年のこと。
中小企業向けのLINEマーケティングソリューションの営業提案、運用コンサルティング業務からスタート。インサイドセールス組織の立ち上げとデータの可視化・分析を担当したのち、大企業向けの広告商品を中心とした広告媒体の企画業務にたずさわり、広告事業本部2021年度「Best Rookie賞」を社内で唯一受賞する。
わずか2年の間に、いくつもの実績を残している。
<まん福ホールディングスに転職されたのは2022年ですよね?>
「そうです。まん福ホールディングス株式会社に入社したあと、RICE REPUBLIC株式会社へ出向し、社長になります」。
これもすごい話。
ある意味、シンデレラストーリーだが、あの「LINEから」となると話がちがう。
「実は、まん福ホールディングスの加藤社長も東大のアメフト部出身で、当時の監督が加藤さんの先輩だったんですね。そういう縁があって、監督からお話をいただきました。これが2022年の2月のことです」。
『おにぎりで世界を獲らないか?』
これが殺し文句。
「私、こういう時は悩まないんです。だから、面白そうなお話だったので、『ハイ』と。日本のソウルフードであるおにぎりは、世界一を獲れるポテンシャルを持っていると思いました」。
アメフトの時は、日本一。今度は、世界だ。

・・・続き

 RICE REPUBLIC株式会社 取締役社長 川原田美雪氏

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営業マンの平均年齢30.2歳に。

 営業マンの平均年齢が35.5歳から30.2歳に下がりました。

出来れば30歳切りたかったですが、会社の設立より下がったのは嬉しいことです。

3年かかるのを1年で一人前にさせたい!

そのために中堅営業マンに頑張って教育してもらいます!

そして「飲食の戦士たち」をなんとか年内に1,000連載達成させたいです。


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2023年11月2日木曜日

株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち” 株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏登場

本文より~

将来は、父とおなじ経営者に。

今回ご登場いただいた請川氏は、1976年9月13日、静岡県沼津市に生まれる。兄弟は2人。請川氏は次男で、長男は現在、静岡市内で開業医をされているそうだ。
「小学校では野球を、中学ではテニスをしていました。中学から中高一貫の暁秀中学校に進みます。高校も、暁秀でもテニス部です」。
子どもの頃から経営者になりたいと思っていたのは、お父様の影響ですか?
「そうですね。それもあると思います。父は北海道生まれ。静岡で仕事をして、のちに仲間たちと起業します。ちょうど私が中学くらいの話で、立ち上げたばかりの頃は資金繰りにも困っていたようでが、もちろん、たいへんな話は聞かされていませんでしたから、サラリーマンより、かっこいいなと思っていたんじゃないでしょうか」。
大学で経営工学を専攻したのは、経営に関心があった証。
「大学時代は、兄といっしょに東京で暮していました。就職時に、いったん静岡に戻り、システム会社に入社します。こちらの会社に4年くらいいました。学生時代はピザハットや居酒屋などでアルバイトをしていましたが、飲食の世界で生きていくとは、この頃はまったく思ってもいなかったです」。
経営者と飲食が結びついていない頃の話。どうして、飲食の世界に進むことになったんだろうか? 今のところまったく畑違い。

ベンチャー・リンクってなんだ?

「ともだちがベンチャー・リンクに転職するんです。彼から話を聞いて、シンプルに楽しそうと思ったのが、この世界に入るきっかけ。ベンチャー・リンクって何者?っていうところからのスタートです」。
請川氏が26歳の頃の話。
「私は、ベンチャー・リンクではなく、実際に飲食店を経営しているレインズインターナショナルに入社します。当時、100店舗くらいの時です。土間土間の4号店に配属されます」。
せっかくいい会社で仕事をしていたのに、ご両親は反対されなかったんだろうか。
「飲食はまっとうなビジネスじゃないという時代の人ですから、そういう意味で心配はしていたと思います。私自身は、飲食というよりもレインズインターナショナルという企業に惹かれ、入社します。1年半で店長になり、そのあと、マーケティング部門に移り、販売促進やメニュー開発などを担当します」。
最終的にはマーケティングマネージャーにまで昇進。飲食の世界に足跡を残し始める。

父と兄と、3時間に及ぶ脱出劇と。

「私にとって、母はもちろん、父や兄も大きな存在です。父は、北海道生まれだからでしょうか。スキーやスノボーが好きで、よく連れていってくれました」。
アクティブで頑固者というイメージだそう。
「私が小学1年生の時に巨大な穴に落っこちちゃうんです。父に助けを求めるんですが、その父は、私がはい出すまで手を貸すことなく、みているだけ。自分でなんとかしろ、というわけです。3時間かけ、なんとか抜け出すんですが、あの経験のおかげで、あきらめない精神が身についた気がします。それが父の狙いだったかどうかわかりませんが。しかし、3時間も子どもの脱出劇を観ていた親父も相当、疲れたでしょうね」。
3時間の修業。子どもだけにインパクトはでかい。
「兄とはよく喧嘩をしました。3歳違いですから、ちょうどいい喧嘩相手だったのかもしれません。その兄は、薬剤師の母の影響もあって、先ほどいったように今は静岡で開業医をしています。私は兄の背中を追いかけていましたし、いい意味で、今も目標です」。
静岡のシステム会社を去り、レインズインターナショナルに転職した、その背景には、お兄様の存在があったかもしれない。

組織作りとマーケティングと経営管理とコミュニケーション。

「レインズインターナショナルに在籍していたのは2002年~2016年です。もともとシステム会社にいたもんですからネットにもそれなりに詳しくて、社長の西山さんともTwitterなどのSNSで話がよく話をしました」。
当時の話をもう少し。
「牛角に配属されるもんだと勝手に思い込んでいたんですが、実際に配属されたのは、新業態の土間土間。それまで、まったく畑違いのシステム会社で仕事をしていたもんですから、ついていくだけで精一杯でした。あの頃は、飲食の大半がハードワークだった頃でしょ。たとえば、月イチで店長会議があるんですが、朝、始発で自宅に帰り、スーツに着替えて参加するといった今では信じられない強行スケジュールでやっていました笑」。
それでも、気持ちの温度は下がらない。
ちなみに、レインズインターナショナルは教育にも注力している。その点もうかがった。
「そうですね。人材育成にはかなりの投資をしていました。社員全員が参加するベンチマークプログラムも、その一つ。いわゆる勉強会の一種ですが、一つのテーマに沿ってブレストを重ねていきます。私も最初は、なかなかしゃべれませんでした」。
人材育成は組織づくりそのもの。組織作りの目的はお客様の笑顔をつくること。
「その一点で、私たちがブレたことがありません」。
「西山さんは、人材育成のほかに、体系化された経営管理、データに則したマーケティング、すべてのものを網羅するコミュニケーションが大事だと言っていました。それが、レインズインターナショナルのつよみでもあったように思います」。
その一つ、マーケティングを任されたいただけに、当時から西山氏からの信頼が厚かったに違いない。

日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)へ。そして、ふたたび。

2016年から2019年までKFCで仕事をされていますね?
「14年間、レインズインターナショナルで主にマーケティングを担当してきたわけですが、人材紹介を通して、KFCに転職します。マーケティング部門のアシスタントマネージャーからスタートして、プロダクトマネージャーに昇格しました」。
いったん、レインズインターナショナルとも、西山さんとも、別々の道を進まれたわけですね?
「そうです。ただ、ダイニングイノベーションのことも知っていましたし、レインズインターナショナルのコアメンバーだった人たちが入社されていることも知っていましたので、『声がかからないかな』と、心のどこかで期待していたのも事実です」。
でも、実際に声がかかるんですよね?
「そうなんです。ある日、Facebookで、西山さんからあそびに来ないかと誘っていただいたんです」。
手土産は、もちろん、ケンタッキーのフライドチキン。
「フライドチキンを食べながら、社長室でお話させていただきました。その日のうちに、『じゃぁ、うちにこいよ』と言っていただいたんですが、いったん保留していただき、3日後に返事をさせていただきました」。
入社して1週間後、請川氏は空の上にいた。
「当時は、海外展開のフェーズだったんです。ジョイントベンチャーの立ち上げを調査するために、10日間かけインドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、韓国の5ヵ国をまわります。海外出張も初めてだったので、なにが、なんだか。でも、これが、西山さんなんです。とにかく、スピードが早い。じつは、この私のミッションも、1ヵ月くらいでなくなってしまうんです」。
うかうかも、ゆっくりもしていられない。

・・・続き

株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏

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2023年11月1日水曜日

新人営業マン2人入社決定!

なんと若手営業マン募集してますが、福利厚生にNetflix見放題付はとても大きなメリットですね。
なんと20代前半が2人入社決まりました。
ひとりは21歳で11月1日付、もうひとり23歳で11月6日付の入社です。

活躍してくれるかは、現先輩社員がお手本見せれるかと成長させようとする教育の熱量次第ですが、とても楽しみです。

20代前半で成功体験はもちろん失敗体験も無いので、固定概念ありません。
だから成功体験繰り返すと、とてつもなく成長してくれます。
新人と育てる側の先輩営業マンの成長見守っていきたいと思います。

一方で今以上に業績伸ばさねば…。
32年目突入のキイストンと同じくらいの平均年齢にするにはまだまだ若い人材が必要ですからね!


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