会員である武田のゲストとして参加させてもらったが、12月の卓話でリブセンス村上太一社長が登場。
皆さまから大人気だった。
この13日、テレビ東京系『カンブリア宮殿』に、こちらも最年少で登場されます。
(恵比寿ロータリー 例会にて) 村上太一社長は、学生対象のセミナー・講演は本来一切せず。
会員である武田のゲストとして参加させてもらったが、12月の卓話でリブセンス村上太一社長が登場。
皆さまから大人気だった。
この13日、テレビ東京系『カンブリア宮殿』に、こちらも最年少で登場されます。
(恵比寿ロータリー 例会にて) 村上太一社長は、学生対象のセミナー・講演は本来一切せず。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“はなまるうどん”の株式会社はなまる 代表取締役 成瀨哲也氏登場。
「偏差値は高くないのに倍率は高かったんです。新設校ということもあったんでしょうが、制服がブレザーだったんです。学ランじゃなく、ブレザーでしょ。私も惹かれた1人です」。制服が進路の判断材料になる。案外、そんなものかもしれない。
「私たちは1期生でしたから先輩がいないのも大きな魅力でした。私は剣道部に入るんですが、1年の時から最上級生です(笑)」。
ブレザーを着た少年たちは徒党を組んで街を歩いた。「俺たち学ランじゃないから、たぶん社会人にみえるで」。
社会人にみられるはずはないのに、堂々とタバコを口にしたこともあった。女の子にも少しモテた。楽しい時間ほど過ぎるのは早い。成瀨の3年間もあっという間だった。ちなみに剣道では、この高校時代に市で優勝を経験している。
「推薦で近畿大学を受験したんですが、断られた(笑)。大阪に行きたかったから残念でした。代わりに通してくれたのが中京大学だったんです」。中京大学は名古屋市内にある。
成瀨は富山から1人名古屋に向かい、独り暮らしを始める。
入学後すぐにアルバイトも始めた。それが「吉野家」との出会い。1986年のことである。
吉野家の年表で調べてみると、吉野家は1980年に会社更生手続きを申請。3年後の1983年に更生計画が認可されセゾングループが資本参加し、資本金5億円で再スタートを切っている。
1987年には、早くも更生債権の100億円を完全返済するのだが、とりあえず、このような激動期に、成瀨と吉野家は出会ったことになる。
成瀨のほうも激動期といえなくもなかった。吉野家でバイト漬けの日々を送る成瀨は、ついに大学を辞め「吉野家」に就職する。大学2年のことである。翌年には、1度目の結婚もした。
「私が吉野家に入社したのは1988年です。両国にトレーニングセンターができたばかり。私だけではなく、アルバイト経験が豊富な人間も少なくないんですが、とにかく1ヵ月の間は基礎からやり直す研修です。同期は3人だったんですが、そのなかにはアルバイト時代にグランドチャンピオンになった奴もいました。負けるわけにはいなかい。とにかく毎日が勉強です。大学でもぜんぜん勉強したことがないのに」。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にオーガニック野菜スウィーツ専門店の株式会社イヌイ 代表取締役 柿沢直紀氏登場。
幼少期の柿沢は、水泳スクールに通っていた。それもただのスクールではない。オリンピック出場選手の育成に力を入れているような所だ。100m×100本などという特訓を乗り越え、小学生時代には県大会の平泳ぎで1位に輝いている。また小4以降はサッカーに没頭するが、高校時代には宇都宮の代表メンバーに選抜されているほどだった。
さらに学業の方も優秀だったのだろうと想像する。これについて、柿沢本人は何も言わない。ただ学習院大学に進学したことについては「当時は欧米、特にイギリスへの憧れが強く、向こうの大学と提携していて留学が可能だと思ったからです」と、興味本位だったことを強調した。
一方で、中学以降は音楽とそのファッションにハマった。特に好んだのがポール・ウェラーだ。60年代のムーブメント『モッズ』色が強く、以降の時代に流されず、一貫してクールなものを追求するその姿勢から『モッド・ファーザー』と呼ばれ愛されるイギリスのミュージシャンである。彼のそんな姿勢などは、柿沢に大きな影響を与えたのではないだろうか。
あらゆることに追求姿勢が強い柿沢だが、大学時代はブズーキという少々マニアックな楽器にのめりこんだことがある。ギリシャ音楽で中心となる楽器で、マンドリンに似た弦楽器だ。金属的な音が特徴的とされるが、「わび・さびのある音が好きで、教室に通って練習していました」と笑う。ちなみに当時はUKミュージシャン張りの服装で、ファッションにもかなりこだわっていたそうだ。柿沢のそんな「とことん」も、周囲には「変わった人」と映ることが多かったようである。
柿沢は、大学生の頃にはすでに独立志向を強めていた。「食品や飲食といったジャンルは決めていませんでしたし、具体的なビジネスモデルも未定でしたが、まず数年間、実社会を学んだ上でと考えていました」。そして、それが徐々に具体化するきっかけとなったのが、現在の奥様である安耶氏との出会いである。
大学に入ると、柿沢は広告研究会に籍を置いた。その1年後、勧誘した新入生たちの中にいたのが安耶氏だったのである。安耶氏は10代から料理を志し、ある料理研究家の下で料理を学んでいた。大学時代にはフレンチレストランやケーキ店などで働き、フレンチの王道リッツエスコフィエにも短期留学した筋金入りの料理人志向を持った女性だった。
「二人でどこかに出かけるといえば、カフェやレストランばかり。行き先は、妻が関心のある店です。そこに否応なく着いて行くといった感じでした」。柿沢は当時のデートを照れくさそうにそう振り返った。
やがて卒業すると、紆余曲折を経て柿沢はセールスプロモーションを手がける中堅の広告代理店へ、安耶氏はカフェやレストランを営む企業へ、それぞれ就職する。しかし柿沢が企画営業として提案力・折衝力を磨く一方で、安耶氏は肝心のキッチン業務を任されなかった。「自分の好きな料理をするために独立して自分の店を持ちたい。そんな思いが彼女の中でもいよいよ高まってきていました。それで思い切ってアクションを興すことにしました」。
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人生、ちょっとだけ長く生きてくると「継続」っていかに大変で、いかに大事なことかわかる。
続けることで信用は増し、続けることでノウハウ貯まり、続けることで自信になる。
自信がなければ、行動面でなにかを「継続」する。
信用なければ、定期的な訪問、ブログ、資料作りなど「継続」する。
最近、「継続」してきたことで、一つ一つが好転している。
あきらめない、怒らない、無理しない、過度な期待しない。
とにかく、今やってることを1歩でも、1日でもやり続けると必ずうまくいくと思う。
ただ、ウラでこそこそやり裏切ってきたり、口だけでなにもしなかったり、自分だけしか考えてない方は、サヨナラ。20年やってわかりました、世の中見てますよ。
戦略型総合人材採用サービス会社
キイストン
たぶん、2013年は“海外”がキーワードのひとつになる予感がしている。
今年は触り程度だが、仕組みを作れれば形になる。
年度内(3月迄)にフィジー、オーストラリア、カナダ、そしてアジアと立て続けに行ってみたい。
その為にも業績上げないと…。
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キイストン