2011年9月10日土曜日

強い会社は人材受け入れの間口が広い。

株式会社HUGE(新川社長)の採用ページを見たところ、


「2012年度の新卒エントリー」の他に


『海外留学経験者・秋採用』を設けておられる。



Huge 
 


やはり、強い会社は間口を広くされ、


人材採用に積極的である。


これからの飲食企業は、


海外で通じる人材確保も大きなポイントになってくる。


キイストンは海外経験者の就職も応援していきます!!


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2011年9月9日金曜日

「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」。

この「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」とは、
学術名で筋肉応用覚醒伸展法といい
筋弾性の左右差やバランス、全身の筋肉のミリ単位まで計算して
「脳幹」を活性化させて、深い精神的リラックスを得るものです。

私も先生にやって頂いたところ、ストレスが無いと思っていたら、
なんとストレス指数11段階→7段階らしく、意外に高いのでビックリしました。
※8段階以上で警戒値。


知らない間に、ストレスって受けてるんですね・・・・。

このホメオストレッチとは、体を曲げたり伸ばしたり、軽く押したりされるだけで、マッサージより断然ソフトでうとうと寝てしまうくらい、痛くもなんともない短時間の施術でした。
おかけで、1回で4段階に減りすごく身体と頭が楽になりました。

平均残業時間80時間以上の方で、ホメオストレッチ介入後休職率が半減し、
ウツなど新たな発病者が出ていないという実績があるため弊社でも
スタッフやお客様はじめストレス耐性を強めるために導入推進していく予定です。


ストレスの多いこの世の中、一度ウツになったらなかなか治りませんからね・・・。


ちなみに、初回5,250円、2回目以降3,675円です。
もし、試してみたいとなればおっしゃってください。


「脳緊張を解きほぐすホメオストレッチ」



2011年9月8日木曜日

自宅近くの香港食卓 品川店へ。

昨日、お奨めのメニューがあるということで、香港食卓(ホンコン テーブル) 品川店へ行った。


ここのお奨めの赤火鍋麺の麺は、あの有名な札幌の西山製麺!!


スープは数種類の生薬をスープに盛り込み、疲労回復や滋養強壮満点。


夏バテしやすいこの時期にお奨めかも・・・。


麺 

コチラも個人的に超お奨め!!


サラダ なすび
マーボー かくに
(パクチーのサラダ、山椒となすびの揚げ物、山椒の効いた麻婆豆腐、鉄板の上で焼いたチャーシュー)


近くに住んでいながら・・・・・・・、まさに灯台下暗しだった。



2011年9月7日水曜日

若者に留学志向が再燃。

減少が続いている日本人の海外留学が回復の兆しを見せている。語学力やビジネススキルに磨きをかけようとする若者が増えてきた。


就職難に加え、企業のグローバル化が加速していることで学生らの意識が高まっているようだ
◆相談者2、3割増
今年1~3月の長期・短期留学の相談者数が大学生・社会人ともに昨年より2、3割増えた。※留学ジャーナルより 

相談者数は例年5月にピークを迎えるが、今年は東日本大震災の影響で1カ月ずれこみ、6月は昨年比26%増。ピークを逃した3~5月もほぼ前年並みで推移した。
◆企業のニーズに対応
日本人の留学者数は平成16年をピークに減少が続いている。文部科学省の集計によると、20年に海外の大学などに留学した日本人は前年より11%少ない6万6833人。学生の「内向き志向」、不況、就職活動の早期化などの影響が指摘されていた。
留学ジャーナルの調査でも、相談に訪れた大学生の8割が「企業のグローバル化の流れが自身の留学に影響を与えている」と回答。

■大学生の8割「企業のグローバル化が留学に影響」
「企業のグローバル化の流れはあなたの留学に影響を与えていますか」との質問に、大学生の80%、社会人の67%が「そう思う」「ややそう思う」と答えた。

「留学で身につけたいもの」(複数回答)としては「語学力」「コミュニケーション能力」「海外経験」の順に回答が多かった。

(産経新聞 2011.9.1)

これからの飲食業界の人材は留学経験者が必ず必要な時代がすぐ近くに訪れると思う。


2011年9月6日火曜日

『武田あかねの食の応援団』今月のゲスト“株式会社プリントモ 代表取締役社長 宋 基東氏”。

『武田あかねの食の応援団』9月のゲストは“株式会社プリントモ 代表取締役社長 宋(ソン) 基東氏”です。


武田

話を伺っているともう敵なしという感じがしますが、少し、いまの事業と離れ、宋社長の昔話も聞かせてください。どんな風に育ってこられたんですか? 

宋社長

私は、1975年、ソウルとプサンのほぼ真ん中にある大田(デジョン)で生まれました。父は農家を営み、兄弟は3人いました。男ばかりで、私は末っ子です。私が小学校5年生の時に、父を亡くしました。それからは6歳違いの長男が親代わりになって育ててくれます。彼は中学を出るとソウルに行き、やがて家族をソウルに呼びます。母も働き、決して裕福ではありませんでしたが、仲のいい家族でした。さきほど、兄が印刷ショップをやっているとお話しましたが、彼はソウルで印刷の技術を修得しました。私は、この、良く働く兄の背中をみて育ちました。

武田

韓国には兵役の制度がありますね。宋社長も兵役に服されたのですか?

宋社長

韓国では男子であれば、全員、兵役に服さなければいけません。私も、体験しています。私は、韓国憲兵教育部隊教官として従事しました。それは、それは厳しい訓練が行われます。ただ、その時の体験はビジネス社会に出ても無駄にならないと思っています。

武田

韓国の人とお話していると、とてもパワーを感じます。そういう体験をされていること自体、韓国の人たちの強さの秘密なのかもしれません。

宋社長

もう一ついうならば、申がそうなんですが、彼は、貿易協会という国の機関で鍛えられています。全国からIT関係の優秀な人間を集め、1年から1年半かけ育てるんです。国を挙げたこういう活動が、先端の分野でも、海外でも通用する韓国人を育てているんだと思います。

武田

ところで申副社長とは、どちらでお知り合いになられたんですか?

宋社長

「日職会」という韓国から日本に来て働いている人たちの会があり、そこで出会いました。およそ120人、120社ぐらいの会ですが、サムスンなど大手からベンチャーまでさまざまな企業や人が顔を揃えています。申と出会ったのもこの会で、最初は兄貴、弟みたいな関係だったんです。もともと彼はITに長けていましたから、事業を始める時に1年がかりで口説いて一緒に会社を立ち上げたんです。それが2008年。今年が4期目です。

武田

お2人で始められてどうでしたか?


宋社長

申にはとても申し訳なく思っているのですが、実をいうとスタッフたちになかなか給料が出せない状態が続いたんです(笑)。申には、申の持っていたお金まで出させました。奥さんも、子どももいましたから頭が上がりません。でも、そうやって頑張ってきたからこそ、いまがあるんだと思うんです。2人は戦友です。

武田

なかなか軌道に
乗らなかったんですね?

宋社長

薄利多売です。最初はブランドもあってないようなものだし、私が韓国人だったこともあるんでしょう。飛び込んでも、なかなか相手にしてもらえません。日本語も流暢に話せませんでしたから。でも、そうですね、みなさんも良くご存じのヨン様が登場してから少し見方が変わりました。好意的に受け取られるようになってきたんです。もう、ヨン様、様です(笑)。

武田

いまではドラマはもちろんK-POPなども凄い人気です。

宋社長

そうですね。韓国人としては素直に嬉しいですね。



株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁氏登場。


サイバック 
本文より~


日本で5番目の住みやすさ。


大手タイヤメーカーがある福岡県久留米市は、ゴム工業の町として知られている。「小さな町だったが活気があった」と、今回ご登場いただく株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁は目を細める。「日本でも5番目に住みやすい町と言われていたんです」。1960年といえば昭和35年。日本がいよいよ経済発展を遂げていく時に橋本は産声を上げた。
「もともと父は三井鉱山で働いていました。それを辞めて、叔父と共同で土木建設の会社を興しました。兵隊に志願したそうですが、頭は柔らかでした。お風呂も一番最後で文句も言わなかったし、服や食にも気を使う洒落た人間でした。私はいまもできませんが、英語も、中国語も話せていました」。
一方、母親は、専業主婦。音楽好きだった。そんななか三男坊の橋本は、元気に少年時代を過ごす。小学5年生までは草野球、5年生からはサッカーに熱中した。たまたま担任がサッカー好きだった、そんな先生の影響を受けたようだ。ただ、「性格的には大人しく、それほど目立つ存在ではなかった」という。・・・。


株式会社サイバック 代表取締役社長 橋本朋郁氏


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株式会社ポッカクリエイト 代表取締役社長 飯沼 浩氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ポッカクリエイト 代表取締役社長 飯沼 浩氏登場。



ポッカ 
本文より~


ハイカラ親父へのあこがれと畏れ。


「躾やマナーなど、とにかくうるさかった」と飯沼は当時の父の印象を話しだす。
「当時でいえば、ハイカラだったんでしょうね。車が好きで、一番多い時にはシトロエンなどのフランス車を含め5台もあった(笑)。写真も現像までしていましたし、油絵も展覧会などに出展していました。当時からゴルフもやっていたし、車の整備士の資格も持っていました」。
こんな父を息子の飯沼は、怖い反面、憧れていた。小さい頃から暗室に入り、写真を現像したのも父の真似だろう。父は東京電力に勤務していた。自身が高卒だったこともあり、教育には熱心だったのかもしれない。父が、仕事で東京に行くとなると、飯沼の目が輝いた。「父はお寿司が大好きで、東京に行くたびにお寿司屋に連れて行ってくれたんです」。
当時、魚の鮮度の関係で山梨の寿司と東京の寿司はぜんぜん別物だったのである。
山梨から東京まで、親子二人はどんな会話を交わしていたのだろうか。
「ことあるごとに言われたのは<常に興味を持ちチャレンジすること>と<努力しないと駄目だ>ということ」らしい。今でもこの一言は、頭に残っていて、飯沼のモットーになっている。・・・・。


株式会社ポッカクリエイト 代表取締役社長 飯沼 浩氏


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