“飲食の戦士たち”に登場頂いた飲食の社長も来年1月にはいよいよ200人になる。
その前に、トップページのレイアウトを大幅リニューアルする。
プロントコーポレーションの竹村社長、ダイヤモンドダイニングの松村社長、クリエイト・レストランツ・ホールディングスの岡本社長を既に取材させてもらっているが、年内にダイキチシステムの牟田社長、それにがんこフードサービスの小嶋会長にも取材させてもらうため1月はお楽しみ!! 乞うご期待ください。
“飲食の戦士たち”に登場頂いた飲食の社長も来年1月にはいよいよ200人になる。
その前に、トップページのレイアウトを大幅リニューアルする。
プロントコーポレーションの竹村社長、ダイヤモンドダイニングの松村社長、クリエイト・レストランツ・ホールディングスの岡本社長を既に取材させてもらっているが、年内にダイキチシステムの牟田社長、それにがんこフードサービスの小嶋会長にも取材させてもらうため1月はお楽しみ!! 乞うご期待ください。
プロ野球でいうと他球団の4番打者の加入で、キイストンが益々楽しみになってきた。
まだ名刺もできていないのに、入社時1ヵ月の目標を来週早々には達成する。今週の月曜に導入研修してたから一週間も経っていない。
普通に考えて、なかなかできるものではない。それをやるからすごいもんだ!!
伝説を作ってほしいし、いや伝説を作るだろうな。
それに加えて、今までとは違う雇用体系の営業チームを結成し教育指導中。ここが戦力になると大きく裾野が広がる。
「いい人材を採用してもらう。そのために何をするか」
型にはまらない提案もできる提案力とヒアリング力を付けるため日々皆が真剣に取り組める環境作りとキイストンイズムの継承をしていこう。
“より多くの人に夢・希望を与える”の経営理念のもとに・・・。
楽しみ。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に井筒まい泉株式会社 代表取締役社長 岡本 猛氏登場。
岡本伊三美というプロ野球選手を覚えているだろうか。現役引退後は、関西テレビ野球解説者を経て、サンケイ、南海、阪神、近鉄のコーチを歴任。1984年から1987年の3年間は、監督として近鉄バッファローズを率いている。今回、ご登場いただく株式会社「まい泉」代表取締役社長 岡本猛は、この元プロ野球選手の長男。母方の祖父は、富士火災の社長を務めた財界人でもある。「物心がついた頃には、父はもう、現役を引退していました。なので、私には解説者や、コーチ、監督としての岡本伊三美のほうがしっくりくるんです」。岡本が生まれたのは、大阪府茨木市だが、すぐに帝塚山に転居。小学校から、高校までは、教育大学付属の小・中・高で過ごしている。余談だが、岡本は、父とキャッチボールをした記憶がない。運動神経には恵まれていたが、根っからの野球オンチだという。岡本のその後をたどれば、アスリートの父よりもむしろ、大経営者であり、財界人でもある母型の祖父の血を色濃く受け継いだ気もする。もっとも岡本伊三美氏も近鉄専務取締役球団代表も務めるなど、財界人との交流は祖父に負けないものがあったに違いないが。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社ジョカーレ・ヴィゴーレ 代表取締役 森川秀一氏登場。
「中学卒業時に、憧れのホテルで修行をしようと門を叩いたのですが、高卒でなければだめだと断られました。だから、高校に行ったのはあくまで<高卒>の肩書を手に入れるためだったのです」と、森川。むろん、その3年間も無駄にしなかった。1年生からファミリーレストランでアルバイトを開始。飲食業を体験する。授業では、先生に頼み込み、一人、女子に交じって家庭科で料理を学んだ。そこまでするか、と一般人は思ってしまうが、料理人に一歩でも近づきたい森川にとっては、あたりまえの選択だった。何しろ小学校から、料理人に憧れ、卒業文集にそう記していたぐらいだから。これが、明確な料理人への第一歩となる。・・・。
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in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に未来貢献株式会社 代表取締役 山本友大氏登場。
「兄たちと仲が悪かった」。長男とは6つ、次男とは4つ。年の離れた兄たちからすれば、最初は、からかっていただけかもしれない。だが、三男の山本は、すべてを真剣にとらえた。小さな隙間が大きな隔たりとなり、山本はどちらかといえば大人しい兄たちと正反対の生きかたをするようになる。「唯一、妹とは仲が良かったのですが、兄たちとはいまも連絡を取らないような関係です(笑)」と山本。一度、掘られた溝はいまでも埋まっていないようだ。それはともかく小学1年生から山本は、格闘技好きの父の薦めもあり、拳法を習い始め、中学時代には柔道で好成績を残している。一方、新聞配達のアルバイトを開始。家を出るための資金作りだ。「ともかく早く家を出たい」。そう思うようになったのは、兄たちと暮らす日々がわずらわしかったからにほかならない。そういう意味では、兄たちとの関係が山本の自立心を育てたことになる。
中学になると心に溜まった鬱憤を晴らすように、悪友たちともツルむようになる。柔道をやっていたからだろう。ケンカも強く3年生になると「番長」となって仲間たちを仕切るようになる。警察沙汰を起こしたり、新聞に載ったりしたのも、この頃だ。大人たちも手を焼く少年だったに違いない。だが、この、すさみ、荒れた生活から山本を救うのは、母のやさしさだった。「何をしても、母は私をかばってくれました。何をやってもこの子は悪くない、と」。もしこの時、母が見捨てていたとしたら、むろんいまの山本はない。母のために、山本は高校に進学し、ギリギリの出席日数だったが卒業もちゃんとしている。・・・。
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in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ベイサイド・ダイニング 代表取締役 小林大悟氏登場。
4年の夏、まったく就職する気のなかった小林は将来について、バーなどの飲食店を経営するか、また面白くなりはじめたピアノの腕を磨いてプロのジャズピアニストを目指すかで迷っていた。父親はどちらの道でも応援すると言ってくれた。ところが母親はどちらにも大反対。もともと「公務員になってほしい」と願っていた母親にとって、息子が夜の街に入り浸り、食べていけるかどうかもわからない仕事を目指していることが許せなかったのだ。「普通に就職して! 今からでも就職活動をして!」と半ば泣きつかれた小林は、渋々ながらこれを承諾。ただ、採用試験を受けたのは1社。様々な業態の飲食業を見ることができ、経営も学べるという理由で選んだ「リンク・ワン」のみ。しかしこの就職がまた将来を大きく変えることとなり、小林は「いまの自分があるのは母のおかげ」と感謝している。・・・。