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2014年4月1日火曜日

飲食業界の皆さんに少しでも恩返しを。

飲食経営者との接点も“飲食の戦士たち”により
約500社の経営者の生い立ちから生き様、独立までのお話を聴かせて頂き
おかげさまで業界ナンバーワンの飲食社長ネットワーク出来ました。
1社1社、直接弊社のスタッフがアポイント取らせていただき
最近ではインターンシップ制度を導入し、
学生たちの社会人人材育成にも役立っています。

だからこそ、今度は飲食業界の皆さんに少しでも恩返しをって考え
4月2日(大安吉日)より、
弊社運営の求人サイト“in-職hyper”の掲載費無料をスタートさせます。


(in-職hyper)








もちろん、この“in-職hyper”は新たに内容を一新しましたから、
効果面もこれからで構築段階スタート地点です。
しかし、半年後、1年後、そして2年後には
飲食業界No.1のサイトに仕上げる予定です。

できることをコツコツやり飲食業界No.1の件数と実績作ります。
同時に、飲食業界の労働条件の悪さから
業界離れも少なくありません。
働く方からの視点から飲食企業の経営者の皆さんに提案していくつもりです。

2014年度も新しい試みにチャレンジしていきますので、
これからもご贔屓ください。

2013年10月8日火曜日

祝 “飲食の戦士たち”400回掲載 !! ありがとうございました。

 
(祝 “飲食の戦士たち”400回掲載 !! )


2005年から飲食業界にシフトし、
2008年2月から本格的に今の内容になった 
本日の更新で400回となりました。


ご登場頂きました飲食経営者の皆様
誠にありがとうございました。


まだ道半ばですが、
【400社掲載】
しかもほとんど私が取材させて頂きました。

コツコツと1社1社お聴きしたことで
すごい人的なネットワークと
飲食業界のことが分かってきました。

これからが大事です。
飲食業界の皆様のお役に立てる様
新しい試みをドンドンチャレンジしていきます。

引き続きご贔屓ください。

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(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2013年9月6日金曜日

夕刊フジのアプリ版、いいですよ。

“夕刊フジ”
“夕刊フジ”のアプリ版(月額945円)のPRカードが出来あがりました。
“夕刊フジ”応援団として、試験的にご協力頂いた特定の飲食店に設置させて頂きます。


アプリ・iPhone版(http://ow.ly/aQ8pJ)
私も個人的にアプリ購入しました。
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2013年8月22日木曜日

2013年8月9日金曜日

今年もやります!!

in-職hyper (フードビジネスに特化した就職情報マガジン)
昨年に次いで、今年も第2回目の“調理師会場・求人冊子配布企画”を実施します!!
(表紙デザイン)
 
少しずつではありますがコツコツと継続することでよくなっている。
24日(土)、社員全員で冊子配布します。


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2013年7月9日火曜日

“野菜を食べるカレーcamp”の株式会社バックパッカーズ 代表 佐藤 卓(たかし)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“野菜を食べるカレーcamp”の株式会社バックパッカーズ 代表 佐藤 卓(たかし)氏登場。
本文より~

日産自動車に入社するまで。

佐藤が生まれたのは1967年3月22日。埼玉県出身である。父親は、不動産関連の企業を経営。芸能プロダクションも経営したこともある敏腕経営者である。両親の印象を伺うと、父は寡黙で優しく、母は陰でそんな父を支えるタイプということ。佐藤自身は頭が良く、お調子者でクラスでは人気者だったそうだ。
中・高では剣道部に所属していた。中・高とおなじ部活動だったが、勉強の方は、まるで別人のように落差があった。中学では悪くても3位以下に落ちたことはない。反面、高校ではビリから数えたほうが断然早い位置にいた。中学ではいずれは東大へと周囲も思っていたが、高校では大学進学まであやぶまれるまでに落ち込んだ。
「高校に行ってからは勉強に熱が入らなかったんです。中学時代はたしかに成績は良かったんですが、ガリ勉でも、マジメでもなかった。授業中もノートの一つとらないんですから。いま考えれば、良く先生も怒らなかったものです(笑)。高校は、県立浦和高校に進学します。でも、勉強しなくなっちゃったんで大学は結局2浪。現役の時は一ツ橋と早稲田を受け、失敗。1浪の時は、京都大学を受けて失敗。2浪の時も、まだまだと思ったんですが、父から『負けたことを認め次に進め』と言われ、その一言で踏ん切りがつき、中央大学に進みました。大学では法学会というサークルに入り、弁論大会では全国2位にもなりました。もともとお調子者ということもあって、この頃は、ちょっとした有名人でした」。
「法学会」とは中央大学公認の法律討論サークル。歴史のある中央大学でも最古のサークルと言われている。HPによれば、「法学会は関東学生法学連盟に所属しており、毎年4~5の法律討論会に参加します」とある。佐藤が全国2位になったのは、このような法律討論会のことだろう。
こんな佐藤を企業がほっておくはずがない。
「就職は、司法試験受けて弁護士になるか、民間でユニークな仕事をするか、卒業ギリギリまで悩んでいました」。選り取り見取りといえばほめすぎかもしれないが、時代はバブル真っ盛り。企業の門戸は、史上最大にまで開かれていた時代でもある。この時、佐藤は日産自動車を受験し、合格。以来、13年、日産が佐藤のフィールドとなる。・・・続き
“野菜を食べるカレーcamp”の株式会社バックパッカーズ 代表 佐藤 卓(たかし)氏
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株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎氏登場。
本文より~

バブル、弾ける。

バブルが弾けるのは意外にはやい。1992年、景気は下降線をたどりはじめ、「弾ける」という言葉がぴったりなぐらい、あっというまに暗転する。父の会社の経営が苦しくなったのもこの頃である。
「仕事がないもんですから、工場にも行かず家で飲んだくれているような時もありました。幸い、叔父がおなじような仕事をしていたので、会社を畳んで、一時はそちらで世話になっていましたが、結局、母と離婚し、高知に帰ります。私たち3人の生活が始まりました」。
大学進学と重なった。高校時代のバイトといままで貰ったお年玉を全部使って100万円の入学金と授業料を支払った。ただ、大学に行ってみると、それほど意味があるように思えなかった。
「籍がある限り、年間100万円ぐらいかかるんです。いまから3年通ったとして計300万円。その金があれば、独立できるんじゃないかと。それに大学にも週1回ぐらいしか行ってなかったもんですから、関西人らしく『もったない』と思って(笑)。退学することを決意しました」。
大学を辞め、独立の資金づくりにまい進した。23歳の時には、600万円がたまっていた。目標に向かってまっすぐ進む、意志の強さが伺える。

23歳の独立。

いつ頃から独立しようと思っていたのですか?という質問に、谷は、「そうですね」といったん考えるしぐさをして話だした。「高校3年の時に、『秋吉』という有名なやきとりチェーンでバイトをしていたんです。あの頃からでしょうか。ただ、独立しようと心を決めたのは大学生になってから。大学を辞めるのは、ほかに道がなくなるわけですから、この時にはいっぱしの覚悟をしていました」。
大学中退。ある意味、「独立」にジブンを追い込んだことになる。
「大学を辞めてからは、日本料理割烹で料理を勉強しました。いままで影響を受けた人と聞かれたらいつもまっさきに挙げるのが、この時の店長です。料理をするたのしさも、この店長から教えてもらいました。たった4つしか違わないのに、とてもかなわないような人でした」。
秋吉では、経営のノウハウをかじった。割烹では、料理をもう一度、勉強した。資金600万円もたまった。国民金融公庫に行き、600万円を融資してもらって、計1200万。いよいよ独立、これがまだわずか23歳の時のことである。・・・・続き
株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎氏
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2013年7月2日火曜日

株式会社CANVAS 代表取締役社長 本間保憲氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社CANVAS 代表取締役社長 本間保憲氏登場。
本文より~

変化を感じ取った日々を送る。

海軍のレーダー技師だった本間の祖父は、あの戦艦大和にも搭乗したことがあるそうだ。戦後、復員した祖父は山形で「本間ラジオ」という電器店を開業。母は箱入り娘で、絵に描いたような裕福な家庭だったそうである。
しかし、昭和50年、本間が10歳の時に酒田市を大火が襲い電器店も全焼。跡地に100坪5階建のビルを建設したが、投資が負担になり、次第に経営が厳しくなる。大手が進出し、町の電器店の経営が構造的に不振に陥っていた頃に、思い切った投資したのが響いたようだ。
「結局、家も土地も売却することになってしまった」と本間。
まだ小学高学年だった本間に、すべてがわかるわけもなかったが、家庭内の空気がいっぺん。空気の変化は、敏感に感じ取っていた。
「それまでは、甘やかされて育ちました。私は勉強も良くできた優等生でした」。ところが、家庭内の空気がかわると、本間にもトゲがでてくるようになる。
家庭でも、学校でも衝突することが増えたのではないか。

フレンチレストランにて修業。

中学生の頃からバイトに精を出した。新聞配達をメインに、スーパーのお惣菜コーナーではたらいたこともある。
「いま思えば、これも一つの反抗だったんだと思います。『だれが食べさせてやっているんだ』という父に、それなら、と。そうですね。その時から、親にお金を無心したことは一度もありません」。
新聞配達は3年間続けている。いうのはたやすいが、どれだけの忍耐力がいるかは想像できる。しかし、少年の矜持は、親に頼ることを拒みつづけた。
しかし、さすがに高校も中退となると親の意見も聞かざるをえなかったのだろう。言われるまま、父の知り合いがオーナーのフレンチレストランに就職。せめて「手に職を」という父の意志に従った。
2年半、このレストランで料理のイロハを叩きこまれた。
悪友とは縁が切れた。「なにしろ朝8時~夜11時までの仕事です。それでいて手取り7万円。カネも、ヒマもない。からだもつかれているから、バイクに乗る気もしません(笑)。そんな毎日にイヤ気がさしたわけではないんですが、2年半後、退職。簡単にいえば、逃げ出してしまったわけです」。
ただし、この2年半は、その後に大きな意味を持つことになる。ちなみにこのレストランは岩手でも1、2を争う有名で、関東圏からもお客さまがみえられたそうだ。・・・続き
株式会社CANVAS 代表取締役社長 本間保憲氏


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