2013年7月9日火曜日

株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎登場。
本文より~

バブル、弾ける。

バブルが弾けるのは意外にはやい。1992年、景気は下降線をたどりはじめ、「弾ける」という言葉がぴったりなぐらい、あっというまに暗転する。父の会社の経営が苦しくなったのもこの頃である。
「仕事がないもんですから、工場にも行かず家で飲んだくれているような時もありました。幸い、叔父がおなじような仕事をしていたので、会社を畳んで、一時はそちらで世話になっていましたが、結局、母と離婚し、高知に帰ります。私たち3人の生活が始まりました」。
大学進学と重なった。高校時代のバイトといままで貰ったお年玉を全部使って100万円の入学金と授業料を支払った。ただ、大学に行ってみると、それほど意味があるように思えなかった。
「籍がある限り、年間100万円ぐらいかかるんです。いまから3年通ったとして計300万円。その金があれば、独立できるんじゃないかと。それに大学にも週1回ぐらいしか行ってなかったもんですから、関西人らしく『もったない』と思って(笑)。退学することを決意しました」。
大学を辞め、独立の資金づくりにまい進した。23歳の時には、600万円がたまっていた。目標に向かってまっすぐ進む、意志の強さが伺える。

23歳の独立。

いつ頃から独立しようと思っていたのですか?という質問に、谷は、「そうですね」といったん考えるしぐさをして話だした。「高校3年の時に、『秋吉』という有名なやきとりチェーンでバイトをしていたんです。あの頃からでしょうか。ただ、独立しようと心を決めたのは大学生になってから。大学を辞めるのは、ほかに道がなくなるわけですから、この時にはいっぱしの覚悟をしていました」。
大学中退。ある意味、「独立」にジブンを追い込んだことになる。
「大学を辞めてからは、日本料理割烹で料理を勉強しました。いままで影響を受けた人と聞かれたらいつもまっさきに挙げるのが、この時の店長です。料理をするたのしさも、この店長から教えてもらいました。たった4つしか違わないのに、とてもかなわないような人でした」。
秋吉では、経営のノウハウをかじった。割烹では、料理をもう一度、勉強した。資金600万円もたまった。国民金融公庫に行き、600万円を融資してもらって、計1200万。いよいよ独立、これがまだわずか23歳の時のことである。・・・・続き
株式会社ユウ・フード・サービス 代表取締役社長 谷 祐一郎
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