2013年10月8日火曜日

株式会社リンクワーク 代表取締役 福島優作氏登場

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社リンクワーク 代表取締役 福島優作氏登場。
本文より~

柔道に明け暮れた日々の記憶。

福島には兄が1人いる。1歳しか年が違わないこともあって、四六時中ケンカをしていたそうだ。父の勧めで2人は柔道をはじめ、福島は中学生の時、都の大会でベストエイトまで進んでいる。
「小さい頃から兄とケンカ三昧でしたから、武道はある意味、私たち兄弟の進むべき方向だった気がします。ただ、兄とはその後、違う道を進むようになるんですが、いい意味でも悪い意味でも、2人とも中学の時に出会った監督から大きな刺激を受けました。とにかく練習が厳しくて。いまなら体罰と言われてできないんでしょうが、昔は、暴力まがいの指導もまかり通っていましたから」。
「代わりに、厳しい練習に耐えているうちに、みんなドンドン上達して大会でもいい成績を収めることができました。団体でもそうですし、個人では東京上位の常連になれました。おかげで、高校進学時には8校から推薦をいただくことができました」。
厳しい練習に3年間、耐えた。1つ上の兄は、兄弟でも先輩だから敬語である。徹底した「しつけ」も行われていたのだろう。むろん体罰だけではなく、理不尽なこともあったに違いない。でも、福島はドンと構えて、それらを受け入れた。精神的にもたくましかった証拠だろう。しかし、高校で柔道を続けるつもりはなかった。だから8校あった推薦はぜんぶ断った。

柔道抜きでは、進学する学校がみあたらない。

もう、柔道はやらないと推薦を断ったのは良かったものの、推薦がなければ行く、正しくは行ける高校がなかった。
「柔道ばっかりで勉強なんてちっともしていなかったから、都立に落っこちて。2次募集で、とある高校にスベリ込んだんですが、その時の面接官が中学時代の柔道部の監督で…。面接ルームに入るなり、互いにびっくりです(笑)。監督からは『おまえがくるような学校じゃないだろう』と怒られてしまいました。監督は、推薦をくれた学校のいずれかに進んだと思っていたんです」。
事情を説明したが、「柔道をすることを条件」に進学が認められた。結局、柔道から逃げられなかったことになる。ただし、推薦で入学できた学校とは違い、こちらはまだまだ弱小の柔道部だった。
だが、いま振り返れば、かえってそれが良かったのかもしれない。「柔道部を強くしよう」。違った意味で福島のなかに火がついたからだ。ふたたび、柔道漬けの日々が始まった。今度は、己1人が強くなればいいわけではない。悪戦苦闘の日々がスタートする。
「結局、最後まで強豪校にはできませんでした。でも、支部で一回戦負けの常連校をなんとか準決勝、決勝まで勝ち上がれるぐらいまで強くすることができました」。
この事実は、間違いなくいまの福島の財産になっているはずだ。・・・・続き
株式会社リンクワーク 代表取締役 福島優作氏
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