2013年10月1日火曜日

有限会社ジュン・アンド・タン 代表取締役 平 高行氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー飲食の戦士たち有限会社ジュン・アンド・タン 代表取締役 平 高行氏登場。
本文より~

高校卒業までの話。

当時はまだ幼くてわからなかったが、いまとなれば「自慢の父」ということになるだろう。平の父は、60名程度の設計事務所を経営する社長であり、有能な設計士でもあった。
49歳、突然病に襲われ亡くなった時には「横浜ベイブリッジ」を設計されていたそうだ。
仕事の関係もあったのだろう。「子どもの頃、休みの日には『つくば万博』などの建物を家族で観に行った」と平。もっとも平のほうは、建造物ではなく、旅の帰りに寄る、叔父が経営する「フランス料理店」の食事のほうに興味津々だった。
「私が料理に興味を持つようになるのは、この叔父の影響も少なからずあったと思います。まだ小学4~5年だったと思いますが、将来は、料理人になろうと。そんな風に考えていました」。
それでも、まっすぐ料理人へとは、さすがに行かない。中学ではやんちゃもし、高校時代はディスコで毎日ダンスを踊っていた。その中で明確な上下関係など組織のルールも学び、様々な人間との知己も得た。そして垣間見た黒服の世界は、大人のルールに縛られている組織ではあったが、たしかにプロの世界でもあった。どこかで彼らに憧れた。

高校を卒業した少年は、ベルギーへ向かった。

「実は、中学を卒業する時にはもうヨーロッパへ行きたかったんです。でも、母から『高校だけは出なさい。あとは何をやってもいいから』と甘い言葉をかけられ、高校へ。それで高校生活を堪能したあと、すぐにベルギーに飛んだんです。何故、ベルギーかというと、フランス料理店をやっていた叔父が、その時にはベルギーで店を開いていたからです」。
叔父を頼ってベルギーに行く。叔父は、この国で新たに「フランス料理店」を営んでいた。叔父の店で働きながら、たびたびフランスへ渡り、ミシュランの星つきレストランの数々でスタジエとして2~3ヶ月ずつ働くことを繰り返した。本場の料理に触れ、改めてフランス料理に魅了される。
海外で料理修業に精進する平に、母の危篤の報告が入る。とんで帰った。しかし、母もこの時に亡くしてしまった。
再度、ベルギーへ。料理の最後を飾る「お菓子」を学びたいと考えて、ベルギーでいちばんと言われていたお菓子の店『サントレー』の門を叩く。調子がいい話で「いまは無理だが、半年後なら仕事がある」と言われ、半年待つ間、地元のイタリア料理店で働いた。しかし半年後も『サントレー』で仕事はなかった。そこで本場のイタリアンを見てみようとイタリアへ渡り、トラットリアを中心に各地の店で働いた。「このとき一つわかったことがあるんです。一定のカテゴリーをクリアすると、美味しいものをつくれないわけがなくなるということです。つまり、一定のバーを越えた者には、『美味しい料理』をつくるちからが授けられるんです」。
一定のカテゴリーというのは料理の本質を理解するということだろうか。ともかく悟りを開く過程のなかで、平は、黙々と修業を重ねる。「それでも、『サントレー』で一度は働いてみたかったもんですから、もう少しベルギーに残ろうと思っていたんです。ところがある人から、『8年も、10年もいると浦島太郎になるぞ』と脅かされて(笑)。それでようやく日本に帰る決意をしたんです」。
平、24歳。高校を卒業し、海を渡って5年以上経っていた。・・・続き
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