2013年10月22日火曜日

スピル株式会社 代表取締役社長 穂崎芳幸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”スピル株式会社 代表取締役社長 穂崎芳幸氏登場。
本文より~

子どもの頃の穂崎の話。

穂崎が生まれたのは1963年1月6日。東京都生まれ、千葉育ちである。男3人兄弟の長男。「父は千葉の市原出身、母は九州の小倉出身です。父はタクシーの運転手をしていました。ギャンブルとは無縁の父でしたが、酒は大好きで、とにかく怖かった。言葉より先に手がでるような人でしたから(笑)」。
「私自身は、ふつうの少年でした。中学に進学するまでは背も低く1メートル38センチしかなかった。かわりに中学になると毎年10センチずつ伸びて、いまに至ります」。
中学生の頃の穂崎は、群れるのがきらいで、これといったグループにも属していなかったそう。子どもの頃からどこか自立した少年だったとのことである。
「いま思えば、中学自体が私のガラじゃなかったんでしょうね。公立だったんですがエリート中学で、のちに東大に合格する人間も少なからずいました。わざわざ越境してくる生徒もいて。学校が終わると塾じゃなく、予備校に通うような生徒が大半でした。私は、勉強はできませんでしたが、それなりに運動神経は良くって入ったサッカー部でも中心選手でした」。

拓大紅陵、花の1期生のはずが。

中学はハダに合わなかったが、高校は逆にピッタリマッチした。穂崎が進んだのは「拓大紅陵」。1期生である。
希望に燃えて入学した学校は、全国から不良が集結したような学校だったそうである。「もともと男女100名ずつ募集していたんです。でも、入ってみてビックリ。話がまったく違って、ぐるり全員、男子。女子の影すらありません(笑)。しかも、顔に不良とレッテルが貼ってある奴ばかり。そんな連中600名でスタートしたんです。共学のはずが、3年間、男子ばかりですからたまったもんじゃありません」。
1年間で、1期生600人のうち10分の1ちかくの50名が退学。停学者数は150名にものぼった。おもしろい話がある。当時、穂崎は1年目から学生寮に入っていたが、そこがのちに「鑑別所」と称されるようになるのである。「最初は、普通の寮だったんですが、両親にサジを投げられた不良どもが、次々、収監されてくるんです」。たしかにたまったもんじゃない。だが、穂崎も負けてはいなかった。野球部に入っていたが、2年で肩をこわして退部。それ以降は、立派な不良生活を送っている。・・・・続き
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