2013年10月1日火曜日

株式会社aqua L style 代表取締役 齊藤健一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー飲食の戦士たち株式会社aqua L style 代表取締役 齊藤健一郎氏登場。
本文より~

ベースボール一色の日々。

「私だけではなく、家族も全員、野球漬けになった」と齊藤は、野球に熱中した当時のことを話してくれた。小学4年生から野球を始めた齊藤は、みるみる頭角を表す。齊藤は、キャプテンでキャッチャーだったそうだ。中学に上がると「硬式クラブ」に入部した。中学の硬式チームはいくつかの団体に分かれている。齊藤が所属していたのは「ヤングリーグ」と言われていた。そのなかで、まったく負けなし。北海道にも、岡山にも、九州にも遠征したが、齊藤のチームに土を付けられるチームはどこにもなかった。
団体の交流戦でもあり、真のいちばんを決めるチャンピオン大会でも、優勝した。決勝戦の相手は、巨人軍の杉内投手率いるチームだった。
「高校からも『チーム全員で来てくれ』って言われるぐらい、凄いチームでした。なんで、あれだけ強かったのか、言葉にはできないですね。でも、バランスが取れていたんだと思います。火がつけば、止まらない打線でした(笑)」。
全員ではなかったが、数名いっしょに「神戸弘陵学園高等学校」の門を潜った。当時は特に、高校野球の名門で、現中日の山井大介投手は、齊藤の2つ上の先輩。キャッチャーだったから、山井投手のボールを何度か受けたことがある。

大学も野球推薦で、奈良産業大学に進学。ところが。

小学校では副キャプテン、中学校ではキャプテン。高校でもボイコット事件を起こすまでは、キャプテンだった。ボイコット事件とは、野球部全員で監督に反抗し、クラブも、授業もボイコットした事件である。この時にはキャプテンを下されたが、有能な選手たちのなかでも齊藤はつねに中心メンバーだった。キャッチャーというポジションも、広い目でチーム全体を観ることができたから与えられつづけたのだろう。
「プロになるつもりはなかったんですが、オリンピックには出たいな、そんなことを考えていました」。大学も推薦で入った。「奈良産業大学」野球部。しかし、指導者の方針と巧くかみ合わず、「野球バカにはなりたくない」と退部してしまう。もともと兵庫から奈良県に通っていたものだから、大学までは相当な時間がかかった。クラブを辞めれば気持ち的に更に遠のく。「大学には、週に2~3時間しかいなかった」そうだ。
反面、バイトに明け暮れる。飲食との出会いも、学生時代のアルバイトが始まりだ。

「そらぁ、おもしろかった」。飲食の「はじめの一歩」。

18歳の頃からまる3年、齊藤のホームグランドは「ガスト」だった。「オープニングで参加したんです。もちろん最初は、気軽な気分だったんですが、だんだんはまってしまうんです。結局、3年間もこちらでアルバイトをさせてもらいました。飲食の楽しみはもちろんですが、『いらっしゃいませ』から『ありがとうございました』までの仕組みを勉強させていただけた気がしています」。
アルバイトといえども3年。店舗では主要なメンバーの1人になっていたはずである。こののち宅配ピザの「ピザーラ」でもアルバイトを経験。そんな時、偶然目にした「カフェレストランアクア」にほれ込み、入社。大阪心斎橋にオープンした「W cafe」の立ち上げにも関わっている。・・・・続き
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