2014年6月16日月曜日

【4年後の肩書きはグループ会社の海外執行役員(20代対象)】株式会社どん。

吉野家グループの“ステーキのどん”
(JR京浜東北線・中央線・総武線・埼京線に中吊り広告掲示/16・17日)




日本のフードサービスには、大きな可能性があります。

もっと世界に発信していくには、やはり人財です。


インターンシップを実施されます。

詳しくはこちらまで→リアル経済大学

2014年6月15日日曜日

日々感謝。

・仕事があるということ
・取引先が多いこと
・働いてくれる仲間がいること
・優秀なブレーンの皆さんにサポート頂いてること
・身体が元気なこと

本当にありがたいです。

任せて頂ける企業様がいてくださるがゆえ、
頑張ねばと思えます。

飲食の戦士たちのおかげで、
複数の企業様のトップと接点持たせて頂きました。

退職していった社員が基礎作ってくれ、
厳しい時でも辞めずに頑張ってくれた社員がいたからこそ今があります。

1年以上も納品すら出来てないのに自分勝手なブレーンがいるおかげで、
今のブレーンの方の有難味がわかります。

家内ご毎朝の野菜ジュースを作ってくれ 
食事にも気を使ってくれるのでハードな日々が続いても独立して22年ずっと元気です。

昔は当たり前と思ってたことが、
今では日々感謝と有難さ実感してます。

2014年6月10日火曜日

リストランテMASSA オーナーシェフ 神戸勝彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”リストランテMASSA オーナーシェフ 神戸勝彦氏登場。
本文より~

果樹園の下で。

果樹園が広がっていた。神戸勝彦の小さな頃の記憶である。
「もともと祖父が稲作をやり、次に果樹園を始めた。それを私の父親が引き継いだんです。兄弟は3人。弟と妹がいました。小学校は1クラスだけで40人です」。
山梨市。県名と同じだが、山梨の県庁所在地は、山梨市より西にある甲府市である。「人口3万人くらい」と神戸。「農業やっていると結婚できないんです。嫁さんが来ないから(笑)」。過疎化は、現在進行形だそうだ。
神戸が子どもの頃も、人口が多かったわけではない。もっとも山梨市の駅の近くには料理店も多く、うち2軒の中華調理店は、神戸の親戚が経営されていたそうである。「子どもの頃は良く食べに連れてもらった」といって目を細める。
神戸が初めて料理をしたのは、小学校4年生の時。
「同級生に和菓子屋の子供がいて、その子のうちでクッキーをつくったのが最初ですね。小学4年生でした」。
中学校になると生徒も増え、6クラスになった。高校では11クラス。高校は山梨でも有名な日川高校。
「林 真理子さんやジャンボ鶴田さんも卒業生なんです」と神戸。ちなみに調べてみると両氏以外にも、有名人、著名人、政治家も名を連ねていた。彼らの中には、山梨に残った人もいるのだろうが、大半は山梨をあとにして、東京へと旅立っていったのではないか。神戸も、その1人である。

海外1人旅。

「色々なものを見たかった」と神戸。神戸もまた山梨を離れ、東京の駒澤大学に進学する。むろん、独り暮らし。「授業にはちゃんと出席していました。その一方で、バイトにも精を出しました。もっともバイト先は一か所で下北沢の和食店です。4年間働きました」。
「食材に対する考え方を教えていただいたのはこちらの店。卒業する頃には、すでにイタリア料理をしようと決意していたのですが、それもこちらの大将の影響が大きかったように思います」。
神戸にとって、かけがえのない一つの縁がそこにはあった。
一方、色々なものを見たかったという思い通り、海外も旅行した。2年の夏にアメリカへ2ヵ月、3年夏にヨーロッパへ2ヵ月半。春休みには、東南アジアへ3週間。
大学4年時には既にイタリア料理をやりたいと思っていたので、フィレンツェの語学学校へ3ヵ月留学。卒業時、1ヵ月さらに留学した。こちらもまた縁である。
海外を見て、また留学して、「自分のちっぽけさ」を痛感したという。
ちなみに、旅行といっても、優雅な旅ではない。リュックサック一つ背負ってグレイハウンドバスに乗り旅に出た。
「アメリカはサンフランシスコから入って、オレゴン、バンクーバー方面に行き、飛行機でワシントンまで行って、ニューヨークへ、そこから南下してマイアミ、キーウェストまで行きヒューストン、ダラスを回り、テキサス州に行き、ラスベガス、ロサンゼルスに行って、そこからアウトしました」。3日に1回はずっとバスの中だった。1泊10ドルほどのユースホテルにも泊まった。2ヵ月間の旅費が30~40万円。「困らない程度には英語が話せるようになった」そうだ。ヨーロッパの旅もある意味凄まじい。
「ロンドンから入って、アムステルダム、ドイツ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリアに行きイスタンブールから飛行機でチューリッヒへ行き、パリ、スペイン、ポルトガル、ニースの方に行きベニス、イタリアを回った」とのこと。
いずれも独り旅である。
未知なるものに対する強い想い。そういう想いが神戸のなかに渦巻いている証の一つだろう。むろん、「イタリア料理を」と思ったのも、この旅のお土産の一つだった。
そして、留学して分かったことは、自分の小ささと、自分は色々な人に支えられてここまで生きてこれたということだった。
帰国後、料理人を目指すと打ち明けたところ、家族や親戚に大反対された。ただ、せっかくの1度の自分の人生、とのことで神戸は料理人として目指すことを決意した。・・・続き
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

海外からの案件増えています。

アラブ首長国連邦以外に、オーストラリアのカフェチェーン、フィリピンの最大手飲食グループ、中国のファーストフーズに日本食出店と急に海外から日本飲食企業との提携、日本食出店案件が入ってきてます。
キイストンのビジネス構想の一つである海外ビジネス展開。
コツコツと着実に動いています。


2014年6月6日金曜日

6月6日(金)の夕刊フジに「やぶやグループ」の横瀬武夫社長登場。

6月6日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”(細見連載企画)に
「やぶやグループ」の横瀬武夫社長取り上げさせてもらいました。 
今は全て東京集約でやってますが、当時名古屋オフィス立ち上げた時、大変お世話になったことで、現在の東海地区との基盤作らせてもらいました。
もう直ぐ、新たなに横瀬社長の書籍出ます。乞うご期待ください。


PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

2014年6月3日火曜日

株式会社ケンコー 代表取締役 藤井 健氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ケンコー 代表取締役 藤井 健氏登場。
本文より~

福建省、出身。

藤井は1978年5月15日、中国の福建省に生まれる。福建省といえばウーロン茶の宣伝で知られた日本人の我々にもなじみがある。だが、CMの映像から勝手に内陸部だと思い込んできた。今回、藤井をインタビューするなかで「魚や貝を良く食べた」という話が出てきたので、改めて調べてみると台湾の対岸に位置する沿岸の都市だった。
「うちのお婆ちゃんが、残留孤児だったんです。私が12歳の時にお婆ちゃんが日本に帰国することになりました。祖母と叔父が私たちより1年早く日本に向かい、翌年の1990年に親族合わせて200人くらいで日本に渡りました。そうですね、当時の日本といったらバブルの真っ最中です。不安よりもむしろ凄い国に移住するんだという期待の方が大きかった気がします」。
「父は福建省ではタクシーの運転手をしていました。タクシーと言いましたが、日本のタクシーとは違って三輪車です。15人くらい乗れる大型の三輪車で、生活はそれほど貧しくありませんでした。それでも、経済大国の日本には憧れていました。大人たちは、我々子どもと違って不安もあったんでしょうが…。」
12歳。日本では小学6年生となる。
「日本に来て住んだのは、横浜の本牧というところです。来日して、しばらくは3階建ての住居の3階に3家族が住んでいました。ちょうど1Fと2Fが弁当屋で、親族そろってそちらでアルバイトをさせてもらっていたからです」。
当時、横浜の本牧には中国の方がたくさん住んでおられたそうだ。

12歳の少年、バナナに驚く。

日本に来ていちばん驚いたことはなんですか?という問いに、藤井は、可笑しげに「バナナ」といった。「当時、中国ではバナナは高価だったんです。年に1度食べられるかどうかという。それが日本に来たら食べ放題だったわけで、それがいちばん驚いたことです(笑)」。
バナナは腹いっぱい食べられたが、けっして裕福なわけではなかった。残留孤児といっても、国からの支援は何もなかったという。
「父は自動車関連の工場で勤務していました。工場内は、とても暑いといっていました。耐えきれず辞める人も多かったようです。ただ、中国人の父は辞めるわけにはいかなかった。お金を稼がなければいけないから、残業する人を募られると真っ先に手を挙げていたそうです」。
父は勤勉を絵に描いたような人だった。母も父も倹約家で、とことん切り詰めた生活。
「当時、いちばんたいへんだったのは、父が仕事の最中に誤って指を切断してしまったこと」と藤井。
母も仕事をしていたが、父が家族の生活を支えていたからだ。幸い、父は半年で復帰。話を聞いていると、父の頑張りが目に浮かぶようだ。交通費を切り詰めるため、1時間半かけ工場と自宅を自転車で往復されていたらしい。会社からの評価は高く、契約社員から正社員に昇格している。・・・・続き
株式会社ケンコー 代表取締役 藤井 健氏
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)