2010年8月11日水曜日

株式会社スプラウトインベストメント 代表取締役社長 高橋誠太郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スプラウトインベストメント 代表取締役社長 高橋誠太郎氏登場。


高橋

本文より~


大学時代、海外旅行が高橋を育てる。


高橋の人生を語るとき、一つのターニングポイントとなるのが、大学時代だ。大学に入り、弁護士を志望する。だが、「同じ弁護士を志望している学生たちをみていると、ほんとに勉強が好きなんです。オレは、ここまで好きじゃないな」と、距離を感じる。代わりに留学生たちと親しくなった。彼らが国に帰るときに、一緒について彼らの国を巡ったのが海外旅行の始まりだった。最初に行った「韓国」で衝撃を受けた。「お隣の国なのに、何から何まで違う」。韓国でこうなのだからほかの国はどうなんだろう。好奇心が止められなくなった。中国にも行った。フィリピンやタイ、メキシコやケニアにも出かけている。オススメはベトナム。もとフランス領のこの国は、「料理がとてもおいしい」らしい。一人旅より、2人で出かけることのほうが多かったというが、バックパッカーのような貧乏旅行だ。香港でメイドインジャパンの時計を安く買い、その足でケニアに行って、現地でみつけた品と物々交換もした。まるで沢木耕太郎氏の「深夜特急」に登場しそうな一コマである。「一度、行けば1~2ヵ月帰ってこなかった」。学生の長い休みが始まると、高橋はいつも空港に駆け込んだ。 ・・・。


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株式会社モトックス 取締役社長 平岡篤氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社モトックス 取締役社長 平岡篤氏登場。


平岡


 本文より~


平凡なサラリーマンになるつもりで入社した大手アパレル会社を3年で退職。
中堅企業で、経験のない酒類の卸営業を始める。


平岡が生まれたのは、1949年6月。出身は大阪府八尾市である。四人兄弟の末っ子。実家は、戦後から繊維会社を営んでいたが、のちにガソリンスタンドを経営するようになる。
実家が事業をしている場合、子ども達もそれを見習うかのように事業を興すケースが多い。むろん2代目や3代目として事業を引き継ぐケースも少なくない。しかし、平岡は、「平凡なサラリーマンでいい」と思っていたそうだ。実際、大学卒業後は、大手アパレルメーカーに就職。ごく普通のサラリーマンとして社会人生活を送り始めた。
平岡が社会に出た1972年といえば日本中に活気があり、経済も急上昇していた頃である。平岡が就職したメーカーも、入社当時360億円程度だった売上が、3年で1000億円を超えるまでになったそうだ。1970年に開催された万国博覧会が幕を閉じ、経済が立ち上がるにつれ生活が豊かになり、日本人の多くがファッションに目覚めた頃だった。海外ブランドも輸入され、色鮮やかな時代を迎える。平岡の営業数字も気持ちよく伸びていったに違いない。
そんなファンションの黎明期。大手アパレルメーカーで、誰もが憧れるような先端を走る仕事をしていた平岡だったが、会社が大きくなるにつれ、将来に疑問を抱き始める。平岡の言葉を借りれば、「先が見え、つまらなくなってしまった」のである。いまでいうなら、ベンチャー志向といえばいいのだろうか。ともかく平岡は、巨大組織で自己が埋没してしまうことを怖れ、小さくても自らが舵を取る可能性の高い企業にこそ、己の未来を託すべき何かがあるのではないか、と思うようになるのである。
むろん父親は猛烈に反対した。それはそうだろう。誰もが認める大手企業をわずか3年で辞め中小企業に転職するなど、当時でいえば信じられない冒険である。父の目には愚行以外の何物でもないと映ったのだろう。・・・。



2010年8月6日金曜日

テレビでの仕掛け開始!!

飲食企業の最大のPRとしてやはりテレビは欠かせない。


8月、ある会社の仕掛けを仕込んでいる。


これがうまくいけば、さらにキイストンのサービスが内容拡大する。


併せてテレビ制作会社が作るweb動画も同時進行中。


こちらは9月から試作品の作成開始。


楽しみ!!



2010年8月5日木曜日

大阪プロレス参上。

大阪プロレスのブラックバッファローとタイガースマスクがキイストンに乱入?


大阪プロレス


8月20日、18:30試合開始 「大阪プロレス後楽園大会」 ~後楽園ホール~ チケットはこちら


大阪プロレス



2010年8月4日水曜日

有限会社WEEDS(ウィーズ) 代表取締役 小西正英氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社WEEDS(ウィーズ) 代表取締役 小西正英氏登場。


ウィーズ 


本文より~


オーナー人生の幕開け


2002年6月、小西氏は千葉中央駅から歩いてすぐの場所に『辛辛』という韓国料理の店を出す。きっかけは前職で構築した人脈だった。元同僚が福岡で経営する『辛辛』は、専門性と特色に富み「これなら首都圏でもイケル」と感じた小西氏は、さっそく出店交渉を行なったという。もちろんFC契約などといった堅苦しいものではなく、謝礼を払っての出店。同じ看板を掲げる兄弟店として元同僚も全面バックアップしてくれた。
しかし店長経験は豊富にあれど、社長業、新規店をゼロから立ち上げる仕事は初体験。2カ月の準備期間の出来事はすべてが手探りだったという。
まず立地。ゴミゴミした繁華街を避けたかったため、あえて駅の逆側に着目。T字路の角という目立つ場所に“坪を埋め込んだユニークな外壁”の店を作ることで店舗自体に広告宣伝効果を出した。そしてスタッフ採用の求人誌広告掲載、面接も一人で行なった。仕入れ先などの業者も電話帳で調べ、信頼を得るまでは現金商売を続けたという。オープニングスタッフは18名。もちろんオーナー本人も毎日フロアに立ち、接客の陣頭指揮をとっていった。
小西氏は人に恵まれている。家出直後に迎え入れてくれた先輩、独立出店をサポートしてくれた元同僚、出店資金のすべてを引き受けてくれた父上などなど…。節目に必ず大切な人の助けがあるのだ。小西氏は今も社員と共に遊び食事をするというが、ポケットマネーを使うのだろう。それは前職の店長時代も同じだったのではないだろうか。周りのためにお金や神経を使い、それが常に自分に帰ってきている。情けは人のためならず、なのではと思うのだ。そうするとサラリーマン時代に独立資金の貯金が殆どできなかった理由も想像できるし、人との関わりでオーナーとして成功の階段を着実に登っていけていることも理解できる。・・・。


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2010年8月3日火曜日

株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏登場。


イチラン 
 本文より~


19歳。新規開業の店舗で、アルバイトを始める。


1964年12月5日、福岡県北九州市に生まれる。4人家族の長男。姉が一人いる。サラリーマンの父。母は専業主婦。ごく一般的な家庭のなかで育っていく。小学生の頃にはソフトボール。中学時代には野球に取り組んだ。運動神経はよく、とにかくスポーツならなんでもできるタイプの少年だった。一方、小学生の頃からリーダーシップに長けていたそうだ。とはいえ、10代の頃はたいした目標もなくその日暮らし。とくに何かに打ち込んだこともなかった。そんな吉冨に一つの転機が訪れたのは19歳。父が病魔に侵され闘病生活を始めたのだ。当時、吉冨は、第一経済大学の学生。仕送りがなくなったため、食堂でアルバイトを開始した。これが飲食業との出会いである。新規開業の、オープニングスタッフの募集に応募して採用される。店主とチーフと吉冨の3人が立ち上げメンバーだった。「開業の企画からその後の運営までを経験することができた」と吉冨。「けっして楽ではなかったが、この間に経営をまなび、ラーメンビジネスにも興味を持ち始めた」とも言っている。・・・。


株式会社一蘭 代表取締役社長 吉冨 学氏


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2010年8月1日日曜日

今こそ、人材確保する時、出来る時。

求人ニーズが増えだしてきた感じが、求人業界のものと話していても実感がある。


あと1年後には、飲食業界は今よりももっと採れなくなるはず。


今こそ、チャンス!!