2016年5月6日金曜日

GW少しゆっくりさせてもらいました。

このGW(ゴールデンウィーク)、少しゆっくりさせてもらいました。
おかげで充電出来ました。
元気発信企業で、かつトップは元気でないとシャレになりませんからね(笑)


2016年5月4日水曜日

都内各エリアのマンション高騰率(東京都内)

曳舟エリアが、山手線外側エリアでマンシヨン高騰率4位。
また、品川エリアは相変わらず高く、山手線内側でマンション高騰率2位。

もしかして、先見の眼があるのでは…(笑)

2016年5月3日火曜日

久々に昔の自分の姿見てるようで嬉しい!

前職時代の20代の頃、ほぼ未達成の営業所の悪い環境ややる気の無い人もいるなかで、自分は個人も営業所も1位獲りたくて他人にも自分にも厳しかったな。
よくいつでも辞めてやるって言ってました(笑)
それから30年の時が経ち、今よく似た営業マン時が巡り会え、若かりし頃を思い出させてくれ意欲湧かしてくれます。
良くしようとすると当然のこと。
こんな奴がトップになれる環境を作らねば…。

2016年5月2日月曜日

箱根ロープウェイ、大涌谷駅までの運転が再開されました。

箱根ロープウェイ、大涌谷駅までの運転が再開されましたので行ってきました。
名物『黒たまご』も4月28日からくろたまご館4(旧ロッヂ富士見苑)で販売。
1個で7年長寿になるということですが、父親が食べれるようになれば食べさせてやりたいです。
(大涌谷駅より)
(芦ノ湖&富士山)

株式会社エキサイト 代表取締役社長 井口孝志氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社エキサイト 代表取締役社長 井口孝志氏登場。
本文より~

ラグビー少年、船に乗る。

中学からラグビーを始めた。中学2年からは、スクールに通うほどのちからの入れようだった。
「札幌で唯一、花園に出ている公立高校に受かるために勉強もしました」。花園とはいうまでもなく、高校ラグビーの聖地である。
「私が進学したのは、札幌では毎年優勝している公立学校です。でも、あくまで札幌での話で、毎年、札幌ではいちばんでしたが、北海道の大会では勝ちきれず、ついに花園の切符は手に入りませんでした」。
今回ご登場いただいた、株式会社エキサイトの代表取締役社長、井口孝志氏は1974年7月2日、札幌市に生まれる。小さな頃はからだが大きかったが、中学では背丈が伸びず、ラグビーではフォワードのなかでも、小柄な選手が多いフランカーというポジションだったそうだ。
大学でも、ラグビーをつづけた。
進学したのは、現東京海洋大学。船舶関係の国立大学である。この大学にもラグビー部はあった。だが、井口氏いわく「伝統はあったが、弱い大学だった」そうである。
大学の4年間は、寮生活を送っている。「バイトは、基本、船関係しか許されません。私も、港湾などでバイトをしました。海洋にも出ます。ある意味、優遇されていました。学費も安いし、大学生活の最後には国からお金をもらって、76日かけ世界一周もさせてもらいました」。もっとも4人で暮らす寮生活も、船のうえの生活も、過酷だった。海洋に出ると、海が荒れ、甲板で波にさらわれそうになったこともある。卒業生の1/3~1/2は、外航船などの船乗りになった。
しかし、井口氏は、技術系の仕事に就くため大学院に進んだ。船乗りにならなかったのは、船酔いがきつかったからだそうだ。とはいえ、この4年間は、井口氏の視界を広げた4年間ではなかったか。いままで経験したことのない、息が詰まる寮生活もそうだし、世界一周も、その要因の一つである。
ラグビーで鍛えたからだがモノを言った4年間ということもできるだろう。

日揮、入社。インドネシア、滞在。

「就職したのは、日揮」と井口氏はいう。日揮といえば、世界的なエンジニアリング会社である。「私の動機も、日揮なら、『船より大きなモノがつくれる』でした。スケールの大きさに惹かれたんです」。海外に行けることも、動機の一つ。
「海外にはもともと興味があって、20歳の時に1ヵ月だけですが、語学留学もしました」。
「大きなモノづくり」「海外」。この2つが決め手となったそうだ。
狙い通り、本社で3年半勤務したのち、海外に旅立っている。
「インドネシアです。こちらで1年半くらい仕事をさせていただきました。日本人は私を含め8人、従業員は400名です。衣食住も手当され、60万円の給料とは別にお小遣いまで支給されました。でも、残念なことに街まで3時間。週末以外は、遊びにもいけませんでした(笑)」。
海外での暮らし。お金もあって贅沢な暮らしができたが、井口氏は「もういい」と思ったそうだ。その思いを証明するように、帰国後、「日揮」を退職している。会社勤めが、どうも性に合わなかったからだ。

1億円、5年分割で、「ひもの屋」を買った。

「海外が、もういいっていうより、やっぱりサラリーマンだとできることも限られてしまう。日揮にはむろん感謝はしていますが、もっと自由に海外とも接したかった。そうするためには、起業するしかありませんでした」。
「起業する」と、簡単に宣言しても、すぐにできるわけはない。この時、すでに井口氏は31歳。技術一筋のエンジニアである。できることも限られている。
「そうですね。ふつう、起業、独立なんていうと、すぐにできるわけはないと思われがちですが、私の場合は、案外スムーズでした」。
どういうことだろう?
「『つぼ八』を創業された石井誠二さんの本を読んで、すべてがスタートします。当時、石井さんは、八百八町を創業され、『八百八町』『ひもの屋』を展開されていました。ビジネスのスキームも独特で、私は、『ひもの屋』を1億円で買いました」。買った?「そう、5年分割です。もちろん、石井さんに認められた者しか起業でないスキームです。私は、何名もいた候補生のなかでも、いち早く起業させていただいた方です」。
井口氏と同様のスキームで起業した人もいたが、全員が成功したわけではないそうだ。「だめなら、店ごと石井さんに返すことになっていました。確率的には40人いて10人が成功するかどうかです。それでも、多くのチャレンジャーが挑戦しました」。

・・・続き

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株式会社マル安 会長 中山 望氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社マル安 会長 中山 望氏登場。
本文より~

中国河南省。

中国河南省は、黄河の下流にあり、殷の都をはじめ、中国の歴史のなかでも重要な都市が置かれたところだそうだ。ちなみに、殷は紀元前17世紀頃に建国されたという。日本ではまだ縄文時代である。
さて、今回、ご登場いただいた中山氏が、この河南省に生まれたのは、1963年である。兄弟は3人で、弟と妹がいる。両親は学校の先生をされていた。中山氏が初来日したのは、23歳の時。1986年のことである。
「当時の日本は、バブルの只中です。私は、中小企業の研修制度に応募し、初めて日本に来ました。研修という名目ですが、人手不足の解消が狙いだったんだと思います」。
勤務したのは、沼津の水産会社。
「研修期間は1年でしたので、初めての日本はわずか1年です。ですが、この1年はとても濃い1年です。上司に銀座に連れて行ってもらったのも、この時です。衝撃を受けました(笑)」。
もともと中山氏は、研修団の副団長という肩書で来日していた。当時の中国は改革解放政策を行っていて、資本主義について学ぶことが一つの目的だったそうだ。
1年の研修期間を経て、帰国した中山氏は、今度は学留学生として再来日。それが26歳の時だ。
「当時の中国は留学ブームだったんですね。私は日本で、日本語学校に通いました。この時、ラーメン店や居酒屋、ホテルの配膳などのアルバイトを経験します。今の原点と言えるかもしれません」。

33歳、経営者への道。

「26歳で再来日し、いろいろなアルバイトをやりながら生計を立て暮らしました。33歳の時に、在日中国人の先輩に『店をやらないか』と声をかけてもらい、新宿歌舞伎町にあった和風居酒屋店の店主となります。同時に、内装業も開始しました」。
33歳、中山氏の人生が大きく動く時である。アルバイトから、経営者へ。結局、この時は失敗に終わるが、それも、一つの経験であり、財産となったはずである。
「内装のほうでは愛知万博にもかかわったんですが、どうもうまくいかない。結局、どちらも行き詰まってしまったんです」。
店も、内装事業も手放した中山氏は、中国人向けの新聞発行を手伝ったり、貿易の仕事に手を出したりした。
「やりたいと思ったことには、なんでもチャレンジしました。2005年、横浜市中区で料金均一の居酒屋をオープンしたのも、この挑戦の延長と言えるかもしれません。『遊食家 楽店』というお店です」。

料金均一。

中山氏は、「楽店」で2つの仕掛けをした。一つは、営業時間である。
「当時は、深夜帯に営業しているお店が少なかったんです。私は、歌舞伎町で店をやっていたもんですから、深夜帯にもお客さんがいることがわかっていました。だから、営業時間を深夜から朝9時までとしたんです」。
もう一つはすでに書いたが「料金均一」である。のち、この料金均一はブームとなるが、その先鞭をつけたのが、この中山氏がオープンした「楽店」である。
「もともとは、古民家風の高級なお店だったんです。しかし、もうバブルの頃でもないし、いわゆるデフレです。デフレ時代に、いままでと同じ発想では、通用しない。それで、思いついたのが、料金均一です」。
バブルの頃から日本に来た中山氏は、日本人以上に日本を観てきた人である。
「いまでは、かなりの数になりましたが、当時、何百円均一なんてお店は、まだまだ少なかったんです」。
デフレの風に乗った。「料金均一」と銘打ったお店は、すぐに客の心をつかんだ。営業を開始すると同時に、客が殺到する。ようやくつかんだ勝機である。

・・・続き

株式会社マル安 会長 中山 望氏
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2016年5月1日日曜日

性格は変わらないが人格は変わると…。

またまた、こんな内容書かれてるブログ見つけました。

人間どなたも
性格は変わりません
ですから性格は
いじらないことです 
性格は変わりませんが
人格が変わります


なるほど…

あと期待はしますが、過度な期待はしないことですかね

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