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2024年7月16日火曜日

株式会社元天コーポレーション 代表取締役社長 水野起業氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社元天コーポレーション 代表取締役社長 水野起業氏登場。

本文より~

看板メニューはネギ蛸。

たこ焼きは、旨くて、定番。だから、浮き沈みがない。むかしはソース味だけだったが、今は、しょうゆ、マヨネーズ、ポン酢、塩と、進化している。
ねぎと蛸。たこ焼きの主要なパーツは、やはり、このふたつ。ねぎは、彩りにもいい。「だったら、ねぎをあとから、ふりかけたらインパクトもあって、ええんちゃう?」。
青々したねぎが、たこ焼きにたっぷり散りばめられる。
「乗せ放題にしとったからね。ねぎをいっぱい仕入れて、最初は店で切っとんたんです。そりゃ、たいへん。評判になって、切る時間もなくなって(笑)」。
今ではねぎがトッピングされたタイプのたこ焼きもめずらしくない。
「絶対とは言えませんが、あれを最初に始めたのは、たぶん、私。もともと素人やから、できたんちゃうかなと思っています(笑)」。
たしかに、ねぎのトッピングは、異次元の進化。
今では、このスタイルも定番のひとつになっている。
「うちは、この『ねぎ蛸』が看板メニューです。ほかになかったからインパクトもあったんですが、いまは『ねぎかかっているだけやん!』みたいな(笑)」。
「それだけちゃうで、うちは、といいたいんですが」。
その後も、笑いながら、いろいろな話をうかがった。
社名の話になると、「中国の会社と間違われます」と、こちらの笑いを誘ってくる。さすが、関西人。で、「それだけちゃうで、うちは」のつづきはこうなる。
水は電解還元水、小麦とネギはもちろん、国産。主役の蛸は、新鮮な生蛸。「生の蛸をつかっているのは、めずらしいです。こっちのほうが断然、うまいんです」。
ただし、材料を厳選するぶん、原価が高くなる。「みなさん、粉もんやから、利益率が高いと思ったはるでしょ。でもね、うちみたいに水からこだわっていたら、原価は、想像以上に、高いんです。でも、そのぶん、おいしいって、いうてくれはるからね」。
関西弁が、耳にここちいい。飾らない人柄が、声にのってやってくる。さて、遅くなったが、今回は、「ねぎ蛸」が旨い、元天コーポレーションの代表、水野さんにご登場いただいた。

12歳から、働く人生。

「ちっちゃい頃は、おやじが商売をしとったんです。従業員も10人くらい抱えていましたから、ええ時もあったんでしょうね。でも、私が小学生にあがってから倒産して、両親は離婚。兄妹は、姉と弟の3人。みんなで母親についていって、ちっちゃいアパートで生活します」。
アパートがあったのは、「今里」。大阪のなかでも、ディープな街の一つ。
「なんでかしらんけど、今里だけ物価が安い。私は、中学から新聞配達を始めるんですが、今里はバイト代も安かった(笑)」。
新聞配達は、朝5時から。ねむい目をこすりながら、走り出す。
「勉強は、アホやなかったけど、『できる』ほうでもなかった。ただ、スポーツはできた。小学生の頃は今でいうボーイズリーグで野球をしていました。ピッチャーで6番。けっこう強いチームで、甲子園にでた仲間もいます。私もそれなりやったんですが、何しろ金がない。私学の強豪にいかんと、プロにはなれへん。だから、ふつうの公立に行って、バイト1本です」、
好きな野球と離れ、どんな思いで朝の町を走っていたんだろうか。
「あのね、大人になってもそうなんですが、苦労を苦労と思わない性格なんです。鈍感いうたら、そうなんでしょうが、母親の苦労をみていましたから」。
バイト代は、月2万円。うち1万円を母親に渡した。
「残り? 残りはあそんでたんやろね」。月1万円、中学生にしたら大金だ。ちなみに、水野さん。「12歳から、働く人生」と言っている。

となりは、6坪のたこ焼き屋さん。

高校に進学してからも、もちろん、「働く人生」は続く。
「学校が終わって、夕方5時から晩の10時まで喫茶店で仕事をしていました」。時給600円。1日3000円。30日働けば、けっこうな額になる。
子どもが大きくなるにつれ、お母様も、楽になっていかれたことだろう。
「それは、どうでしょうね。少しは楽になったんかな。母から、弱音を聞いたこともない。だから、ようわからんですね。自分で仕事をしとったから。真面目な人で、私ら兄妹にも『人の3倍働かな、あかん』っていっていました」。
小学生のボーイズリーグ時代の話。
「最後の試合だけ観に来てくれた」という。大好きな息子が投げる豪速球を、お母様は、どんな風に観ておられたんだろうか。
高校を卒業した息子は、さらに遠い存在になっていく。
「ゲーム喫茶を経営している会社に就職します。当時で月給23万円。むちゃくちゃ高い。せやけど、さすがにちょっとやばいんちゃうかって思うようになって。給料と、天秤にかけたんですけど、やっぱり、やばいと逃げ出します」。
<それから、どうしました?>
「25歳で独立するまで、職を転々としました。営業職が多かったですね。最初に起業したのは、ゴルフ会員権を売買する仕事です。これを、13年続けます」。
ちょうど、バブルの頃、さぞ儲かっただろうと思ってうかがうと。「波にのれんかった」と笑う。なんでも、お金がなかったから、大きなビジネスはできなかったらしい。
「でもね。会員権を買い取って、おっきな仕事しとった会社は、みんなつぶれました。私らは、そのぶん、長く仕事ができたと思っています。まぁ、長くは続けたけど、借金もできて、また、新聞配達からやり直さなあかんようになってしまうんですが」。
新聞配達ではなく、縁があって、フードコートの飲食店を委託されることになる。「ラーメンから丼まで、なんでもある30坪の、わりと大きなショップです。その隣にあったのが、たこ焼き屋だったんです」。
たこ焼き屋は6坪。だが、やたら儲かっている。

・・・続き

株式会社元天コーポレーション 代表取締役社長 水野起業氏

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2023年8月9日水曜日

キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏登場。

本文より~

スポーツ推薦で、難関を突破する。芸は身を助く。

附属高からの大学への内部進学ができたとしても成績的には夜間しかなかったと波多野氏。内部進学率は9割あったそうだが、そのうちの数%は夜間に進学ということだったらしい。ところが一転、救いの制度が始まって、なんと法学部に進学している。
中央大学の法学部といえばエリート中のエリート。仲間からも大ブーイングが起こったと笑う。
その救いの制度とは、この年スタートしたスポーツ推薦のこと。波多野氏はその一期生として、まんまと中央大学法学部に進学することになる。
もっとも大学時代は、楕円形のボールと一緒に走り続けた4年間だった。
「アメリカンフットボールを始めたのは高校時代。実はラグビーをやりたかったんですが、進学した中央大学の附属高校にラグビー部がなかったんです」。
日本ではラグビーの方がどちらかといえばポピュラーなスポーツにもかかわらず、アメフト部があってラグビー部がない高校があったというのは驚き。
「部員は総勢70名程度で、同期は20名程度。私は2年からレギュラーになります」。
高校時代には全国大会で2度決勝まで進んでいる。このチームで、「低く、速く、強く」というアメフトの基本を叩き込まれたそうだ。
大学でのチームポリシーは真っ直ぐ。部則では、20歳になっても意外にも禁酒・禁煙だったらしい。
アメリカンフットボールと聞くとグラウンド外でも華やかで、ジョッキをにぎれば煽るように豪快に飲む、といったイメージだったが、改めないといけない。
いずれにしても、スポーツ推薦のおかげで難関を突破。芸は身を助くとは、まさにこのことだ。

アメリカンフットボールとキリンビール。

波多野氏は1976年、東京都武蔵村山市に生まれている。「足が速くて運動が好き」な少年だったらしい。スポーツは野球とサッカー。習い事は結構やっていて、小学3年から4年にかけピアノも習っていた。
「中学ではバトミントン部に入ります。塾があったんで、ゆるい部活を選びます。ただ、都大会まで進んでいます。高校は中央大学附属高等学校に進学します」。
そこでアメリカンフットボールと出会うわけですね?
「そうです。それから大学、社会人と14年間現役を続けるわけですから、不思議な縁と言いますか」。
奥様もチアリーダーというから、縁は縁を呼ぶ。
「現役を卒業してからは、9年間母校でコーチをやります」。
2003年、選手として所属する社会人チームの大会の決勝で宿敵アサヒビールを打倒。グラウンドが歓声に包まれた。その記憶はお金に変え難い財産の一つ。
アメフトと社会人の二刀流ですね。ところで、キリンビールに入社されますが、第一志望だったんですか?
「結果的にはそうなります。私自身、アルコールは苦手だったんですが、ビールは人の喜怒哀楽に寄り添う、そういうイメージがあって。競合も4社でライバルが明確という点にも惹かれました」。
アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーですね?
「私はキリンともう1社から内定をいただきました。キリンは紳士的でもう1社はフレンドリー。最初はもう1社に魅力を感じていたのですが、内定が決まるとだんだんとフレンドリーさがなくなって(笑)。強烈な囲い込みが始まって心が離れます。その一方で、キリンは常に親身になってくれて。『ビールで人の人生に寄り添いたいと言ってませんでしたか』って。初心を思い出させてくれるんですね。あぁ、そうだったみたいな(笑)」。
ビールといえばもちろんキリン。祖母のアドバイスも効いた。「せっかく天下のキリンから内定をいただいたのに、なんでそんなに悩むんだい?」
もっとも祖母にとっては天下のキリンビールだが、もはやガリバーではなくなっていた。2023年現在も、キリンとアサヒでシェアの争奪戦が繰り広げられている。

キリンビールというフィールドを駆ける。

ビール事業の同期は60人程度、うち営業は30人くらいだった。波多野氏は西東京支店に配属されている。「仕事では酒屋さんや地元のスーパーを回ります。当時の西東京支店はキリンビールの中でも売上No.1を誇る大きな支店でした」。
担当エリアは八王子、町田、立川、多摩、稲城、日野と広い。アメリカンフットボールで鍛え抜いた体で駆け回る。もちろん、前述通り社会人になっても7年間は現役を続けている。
入社後の経歴を追うと、1999年4月、キリンビール株式会社に入社。翌年3月、西東京支店に配属。2005年1月、株式会社キリンコミュニケーションステージ量販事業本部 首都圏量販東京1エリア SMGに就任。2006年にはキリンビール 広域販売推進統括本部販売推進1部に異動。モンテローザ、すかいらーくグループ、HUB、グローバルダイニングなど、錚々たる企業を担当する。ちなみに、モンテローザは社内公募にチャレンジして担当になったそうだ。当時、モンテローザは1500~2000店に拡大する時期だったという。拡大期をサポートした波多野氏だけに、今でもグリップは強い、つよい。
「2010年に近畿圏統括本部で担当部長に就任します。2014年にはマーケティング部に異動になり、宣伝担当メディアグループリーダーに。そして、2018年10月に九州統括本部 沖縄支社長に抜擢いただきました」。
沖縄ですか、いいですね?
「毎年家族で行くくらい大好きだったんですが、仕事ですから空港を降りたとたん戦闘モードです(笑)」。
マリンブルーの海よりも、琥珀色のビールを追いかけた。
「今もそうですが、沖縄っていったらオリオンビールですからね。キリンビールっていったって、なんだそれは…って(笑)」。
酒は泡盛と一緒なんだろうか。
「部長職は経験していましたが、沖縄支社長になって初めて組織のトップに立ちます。部下は30名程度。ほとんど沖縄県出身者です。シェアは先ほどいった通り、オリオンビールが圧倒的でキリンビールは20%くらいでした」。
ミッションは、もちろんキリンビールのシェア拡大。ただし、オリオンビールの牙城はそう崩れない。「3年後の2021年、九州流通支社長に任命されます」。

・・・続き

キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏

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2022年2月12日土曜日

今こそ改革のチャンスです。!

飲食業界は、今までと同じことしててはコロナ収束後、業績は戻りません。
もっと思いきった試みやもっと視点を変えたり、今こそ大きく変わるチャンスです!!

もう補助金出ません。
もう誰も助けてくれません。
もう逃げられません。

だからこそ、新たな試みを実施するチャンス!
考え方ややり方変えるチャンス!

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