2026年7月21日火曜日

株式会社POC 代表取締役 佐野健治氏登場。

 “飲食の戦士たち”株式会社POC 代表取締役 佐野健治氏を取り上げました。

本文より~

爆音のなかで、望んだ未来。

5歳のときだった。
こどもたちは埼玉県にある戸田競艇場にいた。ボートレース好きの父親に連れて来られていた。爆音に耳をふさぐ妹をみながら、佐野さんも両手で耳をふさいだ。
「うちの父親は、ザ・昭和の人間で、とにかくめっちゃこわい大人でした。ボートレースに入れ込んでいて、週末になると、私ら兄妹を競艇場に連れていきました。競艇場には、こども用のエリアがあるんです。3歳下の妹と2人して、そこで、父親を待つんです」。
勝てばエビスが、負ければオニが現れたに違いない。
最初は、爆音に耳をふさぐ少年だったが、プールを疾走するボートを観て、心が動く。
「競艇に行くのは好きじゃなかったんですが、週末ごとに連れていかれていたので、だんだんとレースに魅了されて、将来、競艇選手になってやろうと思うようになっていきます」。
<格好よかった?>と聞くと、「ですね」と相槌を打ったあと、「なによりおカネになるでしょ」と一言。
父親の支配から、母と妹を連れ出すにはカネがいる。少年は、爆音にすべてがかき消される、そのなかでも少年は現実をちゃんとみつめていた。

170cmオーバー。これも、一つの現実。

小学生の頃の話を聞くと「これといった特徴もない、平均的な少年だった」と回答。
「第二次ベビーブームの生まれなので、生徒数は今とは比較にならないです。とにかく、こどもが多く、中学や高校は11クラスあったんじゃないかな」と笑う。
たしかに、今とは比較にならない。
子育ても、今の時代とはちがう。キゲンが悪いと、父の拳骨がとんだ。希望は競艇選手。しかし、中学2年生で背丈が170cmをオーバーして断念するしかなかった。
調べてみると、競艇選手には身長制限があって「175cm以下」となっていた。
「そう。今はそうなんですが、当時は170cm以下だったんです」。

念願の一人暮らしと、カラオケボックス。

今回、ご登場いただいた佐野さんが生まれたのは1973年12月24日、クリスマスイブだ。
兄妹は、3人。下に妹が2人いる。
「とにかく、はやく独立したいと思っていて、高校では学校が終わるとアルバイトにでかけました」。
授業が終わる夕方からシフトに入る。
「親戚が経営する焼肉店で、高校を卒業して18歳になった時に店長に昇進しました。アルバイトの採用からシフト管理、給与計算も任せてくれたのが、いい経験になりました」。
社会人として、自立する一方で、念願の一人暮らしをはじめている。
高校を卒業して23歳になるまで、勤務。その後、あるカラオケボックスのチェーン店に転職する。
「大手のカラオケチェーンのエリアマネージャーから、オファーをいただいたのは23歳の時です。うちの常連客のお一人です」。
「当時はカラオケボックスの全盛期で、そこだけバブルが残っているようでした。だから、採用にも積極的だったんだと思います」。
実際、採用数はハンパなかった。ただ、その一方で退職者が多かったのも事実である。
「同期20人が一斉に入社して、3ヵ月後には3人しか残らない世界でした」と佐野さん。
ハードな勤務に逃げ出す同期が少なくないなかで、佐野さんは逆に「仕事に惹かれていった」という。
「カラオケボックスって、じつは空間をセールスする仕事なんです。時間を課金化するしくみがあって。運営のポイントは効率的な集客。そのスキームをつくって、多くのスタッフを使い、何十ルームを運営する。これが楽しくて完全にのめり込んだんです」。
残った社員同士の競争もまた、佐野さんを刺激した。仕事はきつい。ただ、前職でも深夜まで働いていた佐野さんにとっては苦にならない。
責任ある仕事が任される。それがまた、楽しかった。
「仕事だから厳しい時もなくはないですが、当事者意識で仕事をしていれば面白くないわけがないんです」。
ビジネスというプールを疾走する。カラオケボックスは、次々にオープンされ、80店舗以上に広がる。佐野さんは営業トップをサポートするキープレイヤーとなって事業を推進する。
「面白い」という言葉にも頷ける。
ただし、仕事が面白いのは、会社がおなじ方向を向いていればの話である。

複合カフェで出会ったダーツビジネス。

「元々、いろいろな事業に関心がある経営者でした。カラオケボックスは主体だったんですが、あるホテルを買収してからは、ホテル事業が大きく成長したこともあり、カラオケ業界のダウントレンドと共に事業ポートフォリオが変わっていきました」。
「会社の戦略も変わり、事業の成長期と共に育った私からするとやりがいが薄れてきていたのが事実です」と佐野さんは言う。
向くべき方向がずれる。
「そうなると、私自身の熱量も下がって、37歳の時に、14年在籍した会社を去りました」。
<思い切った決断ですね?>
「そうですね。でも、やりきったという思いがつよく、新たな道をさがそう、と」。
<わくわくする方向へ、ですか?>
「そうです。それで、2009年、信頼する上司の誘いで、カラオケ機器ディーラー母体の企業に転職しました」。
それが、今につながるターニングポイントだった。
「その会社の事業の一つではじめて複合カフェを担当した」と、佐野さん。
「お世話になったのは愛知に本社のある会社で、東京で『カラオケボックス事業』をスタートするという事で、その責任者に誘っていただいたんです」。
「事業M&Aに積極的な会社で、カラオケボックスの展開より、たまたま複合カフェの買収が案件として多く、経験のない複合カフェ事業の営業管理職を任命されました。その時に初めてダーツとも出会いました」と佐野さんは言う。
「後にダーツマシンのレンタル・リースのディーラー事業もM&Aすることになりました。当時は複合カフェの責任者をやりながらダーツマシンの営業もついでにやってましたね。複合カフェ事業もそもそも不採算店舗を買収しているので収益性も低く、ダーツのディーラー事業もカラオケディーラーとは勝手が違う世界だったので、業界関係者からは悪い意味で目立つ存在にもなっていて…」。
どちらの事業も会社の事業の中ではお荷物扱い。そこで、ダーツディーラー事業の責任者をやらせて欲しいと自ら手を挙げたそうだ。
「私は、その事業を立て直すために奔走するんですが、けっきょく、ファンドのメスが入って事業は切り売りされてしまいました」。
10年、在籍した。
「残務処理が最後の仕事となってしまった」と、佐野さん残念そうな表情をする。
「私が採用したスタッフや、部下を、リストラするのも仕事の一つです。あれほど辛い経験はほかになかったですね」。
どうしようもない、抗うことができない力に屈する。力のなかった少年時代といっしょだった。
時代の変化は、ピュアな佐野さんを弄んだ。しかし、それによって新たな道も広がっていく。2020年2月、残務処理を行っている佐野さんに、ある人物が声をかけた。

・・・続き

株式会社POC 代表取締役 佐野健治氏


キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)  

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