“飲食の戦士たち”で株式会社ワイズテーブルコーポレーション 代表取締役社長 船曵睦雄氏を取り上げました。
文武両道から掴み取った東工大への切符。
神戸に生まれ育った船曵氏は、幼少期から運動が得意で小学校では野球クラブで活躍し、中学から始めた陸上では、入部直後の1500メートル走でいきなり5分10秒という好タイムを叩き出し、周囲を驚かせる。その後、名門・神戸高校へ進学。サッカー部のレギュラーとして活躍する一方でアルバイトにも精を出す。しかし部活動との両立は容易ではなく、一時は成績が低迷した。
しかし、「このままではいけない」と一念発起。高校3年の夏休みから猛烈な追い上げを開始し、図書館でひとり参考書と向き合った。そして見事、東京工業大学への合格を果たした。
マッキンゼーでの研鑽とワイズテーブルとの邂逅。
就職活動では当初商社を志望していたが、船曵氏の関心は次第に「人の感情を動かす仕事」へと移っていく。きっかけは、ディズニーランドで目にした光景だった。
「エレクトリカルパレードを見て、心の底から感動している外国人観光客たちの姿に、僕が感動してしまったんです。世界中の人を喜ばせる、エンターテインメントの場を作りたいと強く思いました」。
その夢をかなえる修行の場として選んだのが、戦略コンサルティング大手のマッキンゼーだ。
しかし、そこで待っていたのは想像を絶するハードワークだった。「僕らの仕事は9時5時(朝9時から翌朝5時)だよ」と冗談を言い合う日々。数百億円規模のプロジェクトに携わり、論理的思考の極致を叩き込まれたが、一方で「手触り感」の欠如も感じ始めていた。
「もっと経営者の体温が感じられる場所で、人が直接喜ぶビジネスをしたい」。
そんな時に出会ったのが、設立間もないワイズテーブルだった。求人案件は「社長の右腕募集」。創業者・金山精三郎氏(現会長)の人柄に惹かれ、実際に訪れた同社系列のレストランで、かつて夢見た「人を感動させる場作り」がここにあると確信した。弱冠24歳、ここから船曵氏とワイズテーブルの二人三脚が始まる。
苦難のリーマン・ショックと「全責任を負う経営」への挑戦。
入社後は、現場の声に耳を傾けながら人事制度や管理会計システムの構築に奔走し、組織の土台を築き上げた。2004年に東証マザーズ(当時)上場、2006年には海外進出と順調に規模を拡大したが、2008年の上海進出直後にリーマン・ショックが直撃する。
副社長として再建に尽力する船曵氏。責任ある仕事にやりがいを感じる一方で、心の奥底には閉塞感が漂い始める。
「最終決定はやはり創業社長。二番手でいる限り、自分自身の成長はない」。
黒字化を達成した船曵氏はワイズテーブルを辞し、2016年に株式会社フレッシュネスの代表取締役に就任。創業者の懐を離れ、自らが「全責任を負う経営者」として生きるための挑戦だった。
フレッシュネスでの経験は、船曵氏を大きく変えた。
「最終決裁者として、社員全員の人生を背負う。その重みを知ることで、仕事に対する誠実さがより深まりました」。
180店舗、売上80億円規模の事業を自らの手で動かし、ブランドを再構築した貴重な経験。それが、予期せぬ形で生かされることになる。2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、外食産業はかつてない窮地に立たされた。
コロナ禍での電撃復帰と、誠実さが手繰り寄せた再起の奇跡。
古巣ワイズテーブルの経営もまた、危機に瀕していた。金山氏は船曵氏に復帰を打診。かつてのような二番手ではなく、経営を任せる社長として――2020年5月、船曵はワイズテーブルの代表取締役に就任した。
船曵氏を待っていたのは、銀行交渉や補助金申請といったコロナ危機対応業務の連続だった。2021年には債務超過に陥り、上場廃止も危惧された。
「銀行への返済はリスケという形で保留してもらえましたが、ニューマネー(新たな資金)がなければ次の一手は打てません。債務超過に陥るということの本当の意味での厳しさはそこにあります。資本力がなければ従業員を守れないのですから」。
再起をかけて孤軍奮闘する船曵氏。金山会長とともに身を切る改革に挑むその誠実な姿は、取引先や個人の心を動かし、コロナ禍において異例ともいえる計10億円の資金調達を成功させた。こうして2022年、同社は債務超過を解消。東証スタンダード銘柄として、再び市場と株主からの信頼を勝ち取った。
・・・続き
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