2023年8月9日水曜日

キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏登場。

本文より~

スポーツ推薦で、難関を突破する。芸は身を助く。

附属高からの大学への内部進学ができたとしても成績的には夜間しかなかったと波多野氏。内部進学率は9割あったそうだが、そのうちの数%は夜間に進学ということだったらしい。ところが一転、救いの制度が始まって、なんと法学部に進学している。
中央大学の法学部といえばエリート中のエリート。仲間からも大ブーイングが起こったと笑う。
その救いの制度とは、この年スタートしたスポーツ推薦のこと。波多野氏はその一期生として、まんまと中央大学法学部に進学することになる。
もっとも大学時代は、楕円形のボールと一緒に走り続けた4年間だった。
「アメリカンフットボールを始めたのは高校時代。実はラグビーをやりたかったんですが、進学した中央大学の附属高校にラグビー部がなかったんです」。
日本ではラグビーの方がどちらかといえばポピュラーなスポーツにもかかわらず、アメフト部があってラグビー部がない高校があったというのは驚き。
「部員は総勢70名程度で、同期は20名程度。私は2年からレギュラーになります」。
高校時代には全国大会で2度決勝まで進んでいる。このチームで、「低く、速く、強く」というアメフトの基本を叩き込まれたそうだ。
大学でのチームポリシーは真っ直ぐ。部則では、20歳になっても意外にも禁酒・禁煙だったらしい。
アメリカンフットボールと聞くとグラウンド外でも華やかで、ジョッキをにぎれば煽るように豪快に飲む、といったイメージだったが、改めないといけない。
いずれにしても、スポーツ推薦のおかげで難関を突破。芸は身を助くとは、まさにこのことだ。

アメリカンフットボールとキリンビール。

波多野氏は1976年、東京都武蔵村山市に生まれている。「足が速くて運動が好き」な少年だったらしい。スポーツは野球とサッカー。習い事は結構やっていて、小学3年から4年にかけピアノも習っていた。
「中学ではバトミントン部に入ります。塾があったんで、ゆるい部活を選びます。ただ、都大会まで進んでいます。高校は中央大学附属高等学校に進学します」。
そこでアメリカンフットボールと出会うわけですね?
「そうです。それから大学、社会人と14年間現役を続けるわけですから、不思議な縁と言いますか」。
奥様もチアリーダーというから、縁は縁を呼ぶ。
「現役を卒業してからは、9年間母校でコーチをやります」。
2003年、選手として所属する社会人チームの大会の決勝で宿敵アサヒビールを打倒。グラウンドが歓声に包まれた。その記憶はお金に変え難い財産の一つ。
アメフトと社会人の二刀流ですね。ところで、キリンビールに入社されますが、第一志望だったんですか?
「結果的にはそうなります。私自身、アルコールは苦手だったんですが、ビールは人の喜怒哀楽に寄り添う、そういうイメージがあって。競合も4社でライバルが明確という点にも惹かれました」。
アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーですね?
「私はキリンともう1社から内定をいただきました。キリンは紳士的でもう1社はフレンドリー。最初はもう1社に魅力を感じていたのですが、内定が決まるとだんだんとフレンドリーさがなくなって(笑)。強烈な囲い込みが始まって心が離れます。その一方で、キリンは常に親身になってくれて。『ビールで人の人生に寄り添いたいと言ってませんでしたか』って。初心を思い出させてくれるんですね。あぁ、そうだったみたいな(笑)」。
ビールといえばもちろんキリン。祖母のアドバイスも効いた。「せっかく天下のキリンから内定をいただいたのに、なんでそんなに悩むんだい?」
もっとも祖母にとっては天下のキリンビールだが、もはやガリバーではなくなっていた。2023年現在も、キリンとアサヒでシェアの争奪戦が繰り広げられている。

キリンビールというフィールドを駆ける。

ビール事業の同期は60人程度、うち営業は30人くらいだった。波多野氏は西東京支店に配属されている。「仕事では酒屋さんや地元のスーパーを回ります。当時の西東京支店はキリンビールの中でも売上No.1を誇る大きな支店でした」。
担当エリアは八王子、町田、立川、多摩、稲城、日野と広い。アメリカンフットボールで鍛え抜いた体で駆け回る。もちろん、前述通り社会人になっても7年間は現役を続けている。
入社後の経歴を追うと、1999年4月、キリンビール株式会社に入社。翌年3月、西東京支店に配属。2005年1月、株式会社キリンコミュニケーションステージ量販事業本部 首都圏量販東京1エリア SMGに就任。2006年にはキリンビール 広域販売推進統括本部販売推進1部に異動。モンテローザ、すかいらーくグループ、HUB、グローバルダイニングなど、錚々たる企業を担当する。ちなみに、モンテローザは社内公募にチャレンジして担当になったそうだ。当時、モンテローザは1500~2000店に拡大する時期だったという。拡大期をサポートした波多野氏だけに、今でもグリップは強い、つよい。
「2010年に近畿圏統括本部で担当部長に就任します。2014年にはマーケティング部に異動になり、宣伝担当メディアグループリーダーに。そして、2018年10月に九州統括本部 沖縄支社長に抜擢いただきました」。
沖縄ですか、いいですね?
「毎年家族で行くくらい大好きだったんですが、仕事ですから空港を降りたとたん戦闘モードです(笑)」。
マリンブルーの海よりも、琥珀色のビールを追いかけた。
「今もそうですが、沖縄っていったらオリオンビールですからね。キリンビールっていったって、なんだそれは…って(笑)」。
酒は泡盛と一緒なんだろうか。
「部長職は経験していましたが、沖縄支社長になって初めて組織のトップに立ちます。部下は30名程度。ほとんど沖縄県出身者です。シェアは先ほどいった通り、オリオンビールが圧倒的でキリンビールは20%くらいでした」。
ミッションは、もちろんキリンビールのシェア拡大。ただし、オリオンビールの牙城はそう崩れない。「3年後の2021年、九州流通支社長に任命されます」。

・・・続き

キリンシティ株式会社 代表取締役社長 波多野 潤氏

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