2010年10月29日金曜日

祝 ダイヤモンドダイニング100店舗達成。

DD 
昨日、5店舗同時のレセプションに行かせてもらった。わらやき屋からスタートし、3店舗を回る。


有言実行されたダイヤモンドダイニングの松村社長含め社員の皆様、おめでとうございます。


業界引っ張ってください。


DD2 DD3

いつも佐藤こうぞうさんと遠山さんに会う(笑)



2010年10月27日水曜日

XEX日本橋。

日々、お世話になっている株式会社ワイズテーブルコーポレーション様の新店舗「XEX日本橋」のレセプションに行ってきた。


XEX復活で、飲食業界全体が元気になるキッカケになってほしい。


Xex1 XEX3


XEX4 XEX2 XEX5



2010年10月26日火曜日

株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久氏登場。


安田 
本文より~


めざす家は5キロ先の暗闇の向こうにあった。


秋田県男鹿市は、秋田県の西部に位置し、日本海にひょいと突き出た男鹿半島の大部分を占める。「なまはげ」でも有名で、「男鹿のなまはげ」は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。人口は4万人足らず。株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久が、この市に生まれたのは1962年。父親は自衛隊の職員だったが、農業も営み小さな畑で野菜などを収穫し、生計を立てているような家だった。むろん、当時、コンビニもない。一軒のレストランもない。夜になると月明かりだけが頼りという辺鄙な田舎町だった。「小学校6年生の同級生は17人」だったと安田。中学校は5キロ先の隣町。夏は自転車で、冬は1日に5本というバスで通学した。野球部に入っていたこともあって、練習が遅くなって、このバスに乗り遅れるとさぁ、たいへん。灯りもない山道を一人歩いて帰らなければならなかった。「怖かったよね」と安田は当時のことを振り返る。ただ、怖いだけではなかった。家では、両親が毎晩のようにケンカをする。豚を飼っていたために、部屋のなかまで匂いが侵入する。TVで東京の生活を観たとたん、コンプレックスが生まれた。この田舎者の生活から、逃げ出したくてしかたなかった。・・・。


株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久氏



株式会社ビッグイーツ 代表取締役社長 後藤 順氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビッグイーツ 代表取締役社長 後藤 順氏登場。


ビックイーツ 
本文より~


1浪の末、進んだのは、「飲食業」という学校だった。


一方、後藤はどのような家庭で育ってきたのだろうか。「父親は出版関係の会社に勤めていました。父を亡くしたのは高校3年生のときでした」と後藤。母親は、息子の後藤を信じ、「たいていのことは許し、希望も叶えてくれた」という。高校になると遠征も多くなる。経済的な負担も少なくない。何一つ文句を言わず、母親は、その費用を捻出してくれたそうだ。大学進学はもちろん考えた。1浪までしたが、アルバイトで入った「オープンカフェ」がたのしく、勉強よりもバイトに気持ちが傾き予備校にも行かなくなってしまった。結局、このカフェに就職。これが飲食業の始まりだった。この会社は、大型レストランやディスコも経営しており、当時の社長を尊敬していた後藤は「新店舗の立ち上げをはじめ、さまざまなことを経験させてもらった」という。19歳から数えて5年、24歳になるまで勤務。後藤の社会人としてのベースをつくったのは間違いなくこの会社だろう。その5年間で、多彩な人脈もできた。後藤はこういっている。「人脈はもちろんですが、人とのコミュニケーションの大事さ、店舗づくりのノウハウ、フード(商品)の大事さを、この5年間で学び、それがいまの財産になっています」。・・・。


株式会社ビッグイーツ 代表取締役社長 後藤 順氏



2010年10月22日金曜日

フードアナリストお奨めの“鮮度の一滴”。

フードアナリストの里井真由美さんお奨めのヤマサ醤油の“鮮度の一滴”減塩しょうゆを日本フードアナリスト協会の横井理事長より頂いた。


ヤマサ 


社員はじめ取引先やお客様含め皆喜んでもらった。


まだまだほしい方が多かったが、それは次回のお楽しみということで・・・・。


横井さん、そしてヤマサ醤油様ありがとうございました。



1992年10月22日会社設立から早18年。

早いものである。


1992年10月22日に武田とキイストンを設立し、この10月22日で丸18年になる。


いつも夢・目標持ってワクワクした気持ちで、その時その時を一生懸命やってきたから今がある。


これからもコツコツ、お客様の視点で喜んでいただける仕事していこう。


仕事できるだけでありがたい。


社員には、自ら機会を作ってその機会でワクワクし、今の仕事量の3倍はやってほしいが・・・(笑)


 



2010年10月19日火曜日

株式会社ハートランド 代表取締役社長 竹 麓輔(佐藤 薫)氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ハートランド 代表取締役社長 竹 麓輔(佐藤 薫)氏登場。


竹 
本文より~


人が離れていく、それが一番辛かった。竹の人間性はこの一言にも現れている。


「人が離れていく、それが一番辛かった」と竹は当時を振り返る。「どんなにたいへんでも信じ合える仲間がいればなんとか乗り越えられる。だけど、その時は、仲間のすべてを失いました」。傷心を癒すすべもなく、追い討ちをかけるように迫る借金返済の催促。竹は、命を絶つことを考えた。「最後に迷惑をかけた友人に電話をしたんです。遠く離れた九州のね。電話をすると、いまどこにいるんですか、というので、海が良く見えるドコドコだと。迷惑をかけたから一言謝っておきたかったんです。すると30分も経たないうちに、ヘリとか、パトカーとかが押し寄せてきたんです。枝が折れたりして、手間取っている間に」。だが、この未遂だけではなかった。もう一度、竹は未遂をしている。その時は枝ではなくバスルームの渡し棒が折れた。「生きろ」という啓示だったのではないだろうか。そんな竹を救ったのは、軟禁されるというもう一つの事件だった。むろん借金がらみである。「軟禁といっても、別段危害を加えられるわけでもなく、ただ、その屋敷で寝起きするだけでした」。2ヵ月間、軟禁されたことですっかり毒気が抜けた。世話になっていた社長から連絡があったのは、解放されてしばらくしてのことだった。・・・・。


株式会社ハートランド 代表取締役社長 竹 麓輔(佐藤 薫)氏


PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)