2022年11月22日火曜日

ここにきて「飲食の戦士たち」が少しずつですが認められてきた気がします!!

ようやく「飲食の戦士たち」が認められてきた気がします。

最初は、

こんなの無料で取材やってどうなんですか、売上上がるんですか?

20〜30回くらいまでしか続かないんじゃないんですか?

なぜ過去の出来事を書くんです、今からの展開じゃないんですか?

まあ、振り返ってみるといろんな意見がありましたね!!

でも、諦めずに続けてきて良かったです。


この「飲食の戦士たち」は、多くのアルバイト、インターン、社員(元社員含む)の人たちが一生懸命取材のアポイントを取ってくれました。  

その成果の賜物です。

次は1,000掲載ですね。






戦略型総合人材採用会社キイストン

2022年11月16日水曜日

株式会社カオカオカオ 代表取締役 新井勇佑氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社カオカオカオ 代表取締役 新井勇佑氏登場。

本文より~

あこがれは、ドクター。

学生時代は頭がいい方だと言われていたらしい。もちろん、成績はオール5。女の子にも人気だった。好きな子が同時期に5人いた時もあったが、それぞれの好みに合わせた男子を演じていたらしい。恋も戦略で成就させる、そんな幼少期。
父親は高校時代、全国の建築コンクールで3位に入賞。大手建設会社からのオファーを受け、以来、そちらで建築畑を歩まれている。そんなエリートの父親だが、父親から「勉強しろ」と言われたことがないらしい。むしろ、好奇心を持ったものには、自由に取り組ませてくれたそう。
ユニークな話が一つ。
「ふつう子どもがつくるといったら、プラモデルだと思うんです。でも、あれはパーツをくっつけるだけ。うちの場合は、五重塔なら、塔を設計するところからスタートするんです」。
なるほど、建築家の教育はちがう。
新井氏は自身の人間形成に、父親の教育がもっとも影響しているという。
新井氏が生まれたのは、1984年。池尻大橋に生まれ、3歳で町田へ引っ越している。小学校は地元の公立小学校だが、中・高は、「攻玉社」に進んでいる。
「ぼくから言い出したんです。受験させて欲しいと」。
「攻玉社」といえば、150年以上もつづく、有名な進学校。卒業生は総理大臣から学者、宇宙飛行士まで、多士済々。むろん、受験は新井少年にとっても高いハードル。
どうして、険しい道を選択したんだろうか?
「小学2年生の時に盲腸になります。体質的に麻酔が効かないなかでの手術だったんですが、その痛みより、手術をしてくれたドクターがカッコよくて。それで、ぼくも、あんな人になりたいと思います」。
それで、選んだのが「攻玉社」?
「そうです。医学部志望の生徒もたくさんいますし、東大は当然。それ以下は、負け組という学校です。ただ、この学校も、父親といっしょで勉強しろとは言わない(笑)」。
記憶にあるのは、20キロの遠泳や、30キロのマラソンなど。マラソンでは先生の目を潜り抜け、タクシーで快走していたそうだ。

臨床心理学と、飲食。

「最初は、いいほうだったんですが、だんだん成績が下がり、最後は下からうん番目。もちろん、めざすのは医学部です。ただ、不合格。かなり高いカベを知りました。でも、白衣は着たい(笑)」
それで臨床心理学ですか?
「そうです。『臨床心理学』という比較的新しい分野に挑戦します。おなじやるなら、大学のブランドをすて、トップになれる大学に進みます」。
それが帝京平成大学ですね?
「そうです。創立も新しく、たぶん、トップ層での合格です。大学では自由を謳歌します。卒論を認めていただいて、大学院にも進みました。ただ、研究者タイプではなかったんでしょうね。どこかで、『違う』と思いはじめます」。
どこがどう違った?
「仕事をつづけるという意味で、NOだったんだと思います」。
それで、真逆の職人気質の世界に飛び込んだんですか?
「職人の世界のなかでも、飲食に進んだのは、もともと父親が美食家で、ぼくも利き蕎麦ができるくらい、繊細で敏感だったからです。もちろん、飲食の世界に入ったのが26歳だったので、今から職人は無理です」。
ただし、という。
「大学や大学院で専攻した心理学や、昔から得意だったマーケティングやコミュニケーション、またマネジメントのスキルを掛け合わすことで、飲食の世界に、また職人という世界に、何か新しいイノベーションが起こせるんじゃないかと思ったんです」。
新井氏は「存在意義」という言葉を遣う。
「鶏口牛後」ではないが、どうすれば、自身の存在意義を明確に示せるかを、冷静に分析し、その確度を高める道を進む。飲食の世界も、その一つだったに違いない。

天才に出会う。

新井氏が天才というのだから、飲食の世界に棲む大天才ということになるんだろうか?
新井氏は、たまたま縁がって「旅人食堂」「ニライカナイ」を運営する有限会社コパアミューズメントに就職する。同社では、運営や戦略の立案など経営的な業務を行っていたそうだ。
そのコパアミューズメントの社長が、新井氏がいう大天才。とにかく、ヒットを連発する人だという。「真似ができない。いうなら、カリスマですね。今は、沖縄で仕事をされているはずです」。
このコパアミューズメントでタイ料理にハマるんですね?
「そう。研修でタイに行くんですが、衝撃的でした。日本で食べるのとはまったく違います」。
雑多、喧噪。
ガチャガチャと食器が音を立てる。意味不明な言葉が頭上でシャッフルする。後方で、ブルブルというのは、バイクの音。
「そういった日本にはない世界観ですね。そういったものも含め、惹かれてしまいます」。
ちなみに、日本で一般に食べられているのは、タイの王宮料理。新井氏によれば、王宮料理はフランスなどヨーロッパにルーツがあり、どちらかというとソースが決めてとなる濃い味。逆に屋台料理は中国から伝わったあっさりした薄味だそう。
「ぼくが、食べたのは屋台料理です。テーブルには、知らない人がいる。料理もフリー。飾らない世界で、これぞ、タイの食のカルチャーだ、と」。
大天才とはちがうが、ひらめきがあった。
「日本にはないタイ料理と、日本人の居酒屋文化の融合です。もちろん、ぼくはロジカルに物事を進めるタイプなので、飲食店の視察や調査も念入りに行い、ロケーションにもこだわりました。そして、2014年、『タイ料理×居酒屋』がコンセプトの『タイ屋台999』を東京・中野に出店します」。

パクチー鍋、TV局を動かす。

「創業店は12坪で32席です。ロケーションにこだわったと言いましたが、家賃も比較的安い路地裏で、隠れ家的なイメージがわく、ロケーションに出店します」。
資金は父親の退職金ほか。出資金をお願いした時に、ご両親はすぐに了解してくださったそうだ。
「当初は、400万円くらいの月商を見込んでいたんですが、半分くらいしかいかない。お客様がいらっしゃらない時もありました。性格的に焦るタイプじゃないんですが、もちろん、何もしないわけにはいきませんし、逆に課題が明確だったので、あとは解決するだけ。そういうのは、大好きですからね」。
----------戦略① 奥様が民族衣装を着る。
「まずは、知ってもらわないといけないので、妻に民族衣装を着てもらって、ビラを配ってもらいます。駅と、キリンビール本社前。ビールメーカーの人は、飲食店の利用率が高いんです。もちろん、1度来店いただけばリピートしていただける自信あったからこそ、できた戦略です」。
----------結果① 200万円前後の売上が300万円をオーバーする。
----------戦略② 平日の週末化。
「つぎに、週の売り上げデータから、平日の週末化を狙った動きを開始します。9日、19日、29日は『カオマンガイの日』に設定。パクチーブームの到来で2日、8日、9日をパクチー食べ放題の『パクチーの日』に。つまり、平日にも『週末のように楽しめる時間』をつくりだします」。
----------結果② 連日、満席。月商は400万円をクリアする。
----------戦略③ マスコミを動かせ。
「毎日、満席になるんですが、まだ、中野の人だけなんですね。東京から人を連れてくるために、マスコミを利用します。その仕掛けのためのコンテンツが、パクチー鍋です。SNSでアナウンスしたら、狙い通りTV局が動いてくれました。そのおかげで、狙い通り中野以外からも集客することができたんで、じゃぁ次は東京のど真ん中だと、新宿三丁目に2号店を出店します」。
----------結果③ 中野以外のお客様の集客に成功する。
すでにと言っていいだろうか、「タイ屋台999」は、タイ料理のスタンダードになっている。むろん、このブランドコンセプトはぶれない。だから、料理もけっして日本人の味覚に寄せないという。この潔さもまた、新井氏が設計した、飲食のデザインの一つだろう。
2022年8月現在、6店舗を展開。一つひとつに出店の意味がある。コロナ禍の下でも出店を行っている。

・・・続き

株式会社カオカオカオ 代表取締役 新井勇佑氏

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2022年11月8日火曜日

11月4日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」『テイクファイブ』様を取り上げました。

11月4日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は3年連続の焼肉百名店にも選ばれてる亀戸ホルモンなど運営されてる『テイクファイブ』様を取り上げました。

株式会社KRフードサービス 代表取締役社長 望月 進氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社KRフードサービス 代表取締役社長 望月 進氏登場。

本文より~

祖父と父親は公務員、母親は教師という絵に描いたような“お堅い”家庭に生まれ育つ。

いわゆる“お堅い”家庭に生まれ育った望月氏。生まれたのは兵庫県神戸市。1973(昭和48)年のことだ。
「秋田出身の祖父の代から父まで、公務員の家庭に育ちました。厳密に言えば、祖父は生糸関連を扱う国家公務員、三人兄妹の次男だった父も公務員でした。母は兵庫県加古郡出身で中学校の音楽教師でした。母方の祖母も教師でした」。世間一般から見れば公務員の父、教師の母という家庭は、ある意味では“真面目な家庭”“羨まれる家庭”と受け取られたのかもしれない。すべての公務員に当てはまるわけではないが、一方では公務員には公務員ならではの価値観があるようで、望月氏も“公務員ならではの価値観”の環境で育てられたともいえる。
「両親は厳しかったです。“〇〇すべき”という“べき論”に価値を見出していたのか、あるいは教育方針なのか、どちらかと言えば、学校教育にしても躾や礼儀作法など家庭教育にしても型にはめ込むような教育でした」。
「また、大学に行くまでですが、祖父、両親、3歳下の妹を含む三世代同居だったことも影響していたのかも知れませんね」。因みに、関西地方は“三世代同居”の比率が関東に比べて高いという。望月氏は、そんな家庭で育った。

自我に目覚めた中学時代、親の考えとの違いに気づく。

小学校、中学校とも地元の公立校で学んだ望月氏。
「小学校の頃、公務員一家のためなのか両親に中学受験を薦められ塾に通ったんですが、5年生のとき受験することを辞めました。あまり覚えていませんでしたが勉強は嫌いでした」。
1973(昭和48)年生まれの望月氏。いわゆる第二次ベビーブームにあたり“団塊ジュニア”と称される世代で新生児の数も200万人と多い(参考までに2021年は約80万人)。必然的に小学校も中学校も、高校もクラス数は多い。
「中学校は8クラスでした。あまり勉強をしたつもりはないのですが、成績は学年で5番目くらいだったと思いますし、生徒会の活動を務めたこともありました。その一方で、番長と呼ばれる不良的な連中とも仲が良かったですね」。
一般的に“14歳の壁”“中2の壁”ともいわれる年頃、“自分は何者であるか”という疑問を自分に投げかける時期だといわれている。望月氏も「親が言うこと、つまり親の希望と自分の考えが違うなと感じていました」と振り返る。

固定的な価値観から解き放された人生を送りたい。

そして高等学校は県立高へ進学。
「兵庫県の公立高校で県立長田高校と県立星稜高校で悩み、結果、星稜高校に進みました」。
因みに県立長田高校は2020年創立100周年。県立星稜高校は1878年に前身の神戸商業講習所と、両校とも歴史のある高校である。
「自宅からもいちばん近い学校で服装も自由。男女共学で生徒数は1学年500人以上、12クラス編成でした」。高校3年間、よく遊び、悪友との付き合いも生まれるなど、学業とはかけ離れるばかり。当然ながら成績は下降の一途だったと語る。
「成績は最終的には500人の下から数えたほうが早いくらいまで落ちました」。
人生には多彩な「教師」が存在する。最も身近な教師は“親”だろう。なぜなら“親”は子どもが出会う最初の“人生の見本”だからだ。良きにつけ悪しきにつけ、“親”の影響は絶大なものがあり、結果的には逃れられないものだ。
「先ほども言いましたが、祖父も父も公務員、母は教師でしたから固定的な価値観が強かったように思います。そうした、両親のような生き方が平凡な人生に見えたんですね。だから自分は高校生なりに、親の価値観に左右されず自分なりの人生を創ろうと思いました」。
『平凡は非凡なり』。その意味するところは、簡単にいえば“平凡に生きることが、実はいちばん難しい”ということだが、反面、没個性に写るもかもしれない。どこかで“平凡ではない、没個性ではない個性的な人生”を送りたいと思うのも当然だろう。
「振り返ってみれば親が反面教師だったことは間違いなく、そこを起点に将来の人生を思い描いたように思います。ただ、お金持ちにはなりたかったですね」。
親が描いた固定的な価値観の呪縛から逃れ、自身の価値観に沿った“自立”への歩みは、大学時代から始まった。

飲食業への道を歩みはじめた学生時代。

「両親には調理師学校に行きたいと言ったのですが、大学だけは行きなさい、調理師学校に行くなら卒業して自分のお金で行きなさいと諭されました」。
1年目は受験せず、一浪して大阪経済大学へ進学。大学時代は実家を離れ下宿生活をしていたとか。
「入学後間もなく梅田にあったイタリアンレストランの厨房でアルバイトを始めました。厨房スタッフが4~5人、40~50席の本格的なイタリアンの店でした。時給が良かったこともありますが、卒業まで4年間、続けたんですよ。しんどいこともありましたが職場環境が良かったことと、料理長のスキルに憧れたことも続けられた要因だと思います」。
学業とアルバイトに明け暮れていた日々。大学2年も終わろうとしていた1995(平成7)年1月17日、神戸を中心に未曽有の大地震が襲った。『阪神淡路大震災』である。ある意味で人生観が変わるような災害だった。
「さっきまであった街並みが一変した景色に言葉を失いました。幸いなことに家族は無事でしたが実家は半壊、大規模火災が起きた長田地区の友人も亡くなったりしました。ある種の虚しさとでも言うのか、いつ死んでもおかしくないなと思いましたね」と震災がもたらした心的影響や人生観への影響を振り返る。
4年間の学生時代を経て卒業。元来、高校卒業時に調理師学校へ行きたいと希望していた望月氏。つまり、調理師学校へ進むということは視点を変えれば飲食業へ進むということに結び付く。

成功のチャンス、偉くなるチャンスは飲食業にあり。

望月氏が卒業したのは1996(平成8)年。1986年(昭和61)年12月から51か月間続いたバブル景気が崩壊した後のことだ。
「各企業とも求人を減らしたのか、大学の就職課には思うような企業はありませんでしたが、就職するなら飲食業にと限定していました。なぜなら飲食業であれば成功できるチャンス、偉くなれるチャンスがあると思ったからです」
就職にあたり優先的に考えたことがあった。
「経営と仕組みを学びたかったことと結婚を控えていたので、企業を中心に受けました」。
因みに奥様は大学1年のときに知り合った女性で、卒業後の23歳で結婚、27歳で父となった。
「ロイヤルホストやサイゼリアも受けましたが、最終的に大阪ガスの子会社に決まりました。ガス会社が飲食と思われるかもしれませんが、子会社を通して大阪ガスがガス供給のできるエリア内で飲食業を展開していたんです。当時は“かごの屋”が7店舗ほど、他業種で数店舗ほどでした」。
職場は長時間労働が日常的で9:00~23:00まで、14時間働いたという(現在なら過労死ラインを越えて問題になる筈だ)。
「同期は40人くらいいましたが、その中の1人、戦友でありライバルでもある男が経営企画に異動、私は入社1年経った頃に自らが希望して商品開発に異動しました」。
その後2年ほどして望月氏は店長に。「ちょうどその時期は、売上があがる時期でした」とのこと。一方で、ある意味では目標にしていた“社長になりたい”“偉くなりたい”という思いだったが、社長になれないことに気が付く。時計の針を入社時に戻してみよう。
「同期入社は40人くらいでした。実は入社早々、同期の前で社長になる宣言をしたんですが、不可能だということに気が付きました」。
その理由は、経営母体が大阪ガスの子会社ということ。つまり社長(に限らず幹部も)大阪ガスからの出向というのが慣例というか仕組みで、プロパーである望月氏が社長になれる道は、最初からなかったことに他ならない。
ところが思わぬ展開が繰り広げられることになる。それは経営母体が“ファンド”に変更になったことだ。

“ファンド”による経営は、東京進出という道を切り拓いた。

大阪ガスが子会社の株をファンドに売却。その結果、社長以下役員を含む約40人が会社を去り人事が一新した。
「中枢の人たちはファンドから補充され、その他の幹部職は中途採用した人たちで構成されました。30歳代そこそこだった私は部長職に昇格しました」。と同時に経営思想も大きく変わった。
「ファンドって、飲食業かどうかは別としてどのような事業であれ“儲かるか、儲からないか”が判断基準なんですね。中身が変わっただけではなく、根本的に話が合わないんです。ただ、いつまでも“話が合わない”では進展もありませんから、MBA研修で経営などについて学びました」。
一方でファンドによる経営は、東京への進出という新たな事業拡大のきっかけになった。
「当時、“かごの屋”は大阪で展開していた60店舗からの拡大が難しい状況でした。しかし、ファンドによる経営は、東京への進出という新たな事業拡大のきっかけとなり東京進出が実現されました」。

・・・続き

株式会社KRフードサービス 代表取締役社長 望月 進氏

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2022年11月7日月曜日

11月5日YouTube「松尾チャンネル」に武田あかねが特別出演版がアップされました。

証券アナリスト松尾範久氏のYouTube『松尾チャンネル』に武田あかねが特別出演し、「飲食の戦士たち」の再現動画版誕生秘話などお話しさせて頂きました。

松尾氏、最新のダイヤモンドZAi(ザイ) におすすめ株掲載中です。

松尾チャンネルの登録もよろしくお願いします。 

ニュースリリースはこちらです。





戦略型総合人材採用会社キイストン

11月2日(水)発行の日刊ゲンダイに「飲食の戦士たち」再現動画の記事が出ました。

11月2日(水)発行の日刊ゲンダイに「飲食の戦士たち」再現動画の記事が出ました。
しっかりした内容で伝わりやすくとてもよかったです。

ニュースリリースはこちらです。





戦略型総合人材採用会社キイストン