“飲食の戦士たち”で 株式会社麺魚 代表取締役 橋本友則氏を取り上げました。
ゴルフと、DJと、アフロヘアー。
今回ご登場いただいたのは、株式会社麺魚を率いる橋本友則さん。
橋本さんは、1976年、千葉県船橋市生まれ。 お父様は外資系に勤めるビジネスマン。お父様は海外出張が多く家にいることは少なかったが、代わりに、こわい4歳上のお兄さんがいた。
「兄貴はからだが大きくて、今では193センチあるんですが、子どもの頃から何をするにしてもセンスがあって、私は生まれた時から完全に兄の部下でした(笑)」。
―――逆らえない?
「逆らうなんてとんでもない」と橋本さんは笑う。ちなみに、今、橋本さんはスキンヘッドだ。強面のようだが、笑うと、柔和な性格が現れる。
その父と兄の影響で、小学校から野球と空手をはじめ、高校は「東京学館浦安」に進みゴルフ部へ。「小さな頃から、父に打ちっぱなしに連れていかれたりしていましたから、多少は腕に覚えもあったんです。でも、プロゴルファーを何人も輩出している強豪校でしょ。世界がちがいました」。
「70台で回るバケモノがゴロゴロいた」と橋本さんは苦笑する。「かないっこないと、早々と見切りをつけた」と、笑う。ただし、橋本さんも80台前半で回ったというから、ふつうの人からみたらバケモノだ。
―――それでDJ?
「そうなんです。音楽とクラブカルチャーに惹かれて、夜な夜な六本木のクラブでターンテーブルを回す日々が始まります。頭ですか? そのときは、アフロでした(笑)」。
ちょっと想像がつかないと笑うと、「でしょ」といって頭をなでる。
頭のなかで、橋本さんのスキンヘッドにアフロヘアーをのせてみたが、やはりどうもピンとこない。高校を卒業してからは、六本木だけでなく、ロスにも渡り、レコードを買い漁っていたそう。
―――アフロを卒業したのは、いつ頃ですか?
「20歳を過ぎた頃です。ふと我に返って、『今のままじゃ、絶対にろくな人間にならない』って、悟りをひらくんです(笑)」。
音楽、クラブカルチャー、DJ、未来が好きなことで溶けていく。「そう、だからリセットしようと、今更ながら大学に進学するんです」。
―――どこの大学ですか?
「沖縄」といって橋本さんはニヤリと笑った。
沖縄の海。
―――はるばる沖縄ですか? 「完全リセットするなら、遠くがいいでしょ。でもちゃんと語学という目的もあったんです。沖縄では米軍基地のレストラン・バーで働き、米国人とも会話ができるようになりました。その一方で、サーフィンに出会って、以来、こちらとは25年以上の付き合いです」。
青い海と、サンゴ礁と、米国人。「そのまま沖縄でもよかったんですが、20代半ばで東京に帰還して、新たなページをめくります」。
橋本さんの話を聞いていると、とにかくいそがしい。東京にもどった橋本さん。今度は調理師専門学校に入学している。
「手に職だって思って料理の道に進もうと決めるんです。高校時代に寿司屋でバイトをしていた経験もあったんで。そういうのも頭にあったんだと思います」。
「料理も好きだったから」と橋本さん。ただし、インタビューのなかで「料理」の二文字がでてきたのは、これが最初。好きなモノも多すぎる。
そして、たいてい巧くなる。
―――何でもできる。才能ありってやつですね。
「いやぁ、そうでもないんです。ちゃんと計算しているんです」。
「和食の料理人になるのも、まず、専門学校で基礎でしょ。学校で習うのは知識がメインだから、つぎに築地の仲卸で1年間。目利きができても、さばけないといけないでしょ。だからつぎは大手回転寿司チェーンの加工工場です」。
ひたすら魚の目をみて、つぎにはひたすらさばいた。
「おかげで、ぱっとみただけで鮮度はわかるようになったし、魚の骨の構造も、からだに染み込みました。 そして、紹介してもらって、いよいよ最後の仕上げ、ホテルの和食・割烹の世界へ飛び込んでいきました」。
高級割烹で、新たに修行を開始する。
さばいた数なら、そんじょそこらの料理人に負けない。花形の世界へ駆け上がるプランは、そう、最終コーナーだった。
リーマンショックと。
「ターニングポイントは2008年のリーマン・ショックです。リーマン・ショックは高級割烹のビジネスモデルを直撃しました。接待がないでしょ。数万円のコース料理の需要がなくなっていくんです」。
ただ、橋本さんがいう、ターニングポイントはそのあと。
「麺屋武蔵ってご存知ですか?」。
頷くと、「麺屋武蔵の創業メンバーにサーフィン仲間がいて、『だったら、うちに来ないか?』って誘ってくれたんです。あの一言が、ほんとうの意味でのターニングポイント。私の運命が大きく動きます」。
―――高級割烹からラーメン店、落差は感じなかったですか?
「まったく逆です。和食や寿司っていうのは、どうしても食材のロスが生まれます。でも、ラーメンはちがうんです。仕入れた食材をスープや具材にあますことなく利用するんです」。
「ロスのない圧倒的な効率と爆発力に衝撃を受けた」と橋本さんはいう。和の料理人が、一杯のラーメンに、そしてラーメンビジネスに魅了されていく。
ラーメン店で修行を重ねたあと、親分からオファーがあった。
「兄はパチンコ店を経営しているんですが、多角化ということで飲食をスタートします。そのときに声がかかるんです」。
―――お兄さんに飲食の経験は?
「私より、何でもできる兄ですが、さすがにないです。だから、兄が資金をだし、私が運営するといったスキームです」。
―――いかがでした?
「おかげさまで、大ヒットしました。経営視点だとわかるんですが、ラーメンのパワーってやはりすごいんです」。
「旨いラーメン屋ができた」と、つぎつぎ客が来る。客足はとぎれない。
ところで、橋本さんには天性の才能が、じつはちゃんとあった。「一度食べた味は、頭の中でほぼ再現できるんです」とのこと。
この才能に、テクニックが加わるから、まさに、鬼に金棒だ。
・・・続き
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