2010年9月9日木曜日

山口百恵の人格者ぶり(たまたま朝見た記事から)。

山口百恵の人格者ぶり見習うべき。


昔よく見ていたあの伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』に出演したときのことらしい。『この番組は生放送のため、歌手ひとりの持ち時間が3分ぐらいしか無かった。


それなのに当時、歌番組に出演することがなかった松山千春が約8分間を使った結果、最後の山口百恵は歌う時間が無くなり記念撮影のためだけに登場した。


それも自分が遅れてきて歌えなくなったように見せるため、回転ドアから慌てて出てきたのだ。歌えなくなったのは誰の責任でも無く、自分が悪かったからだと視聴者に思ってもらうために装った山口百恵。


当然、番組スタッフは彼女に対して平謝りだった。それに対して「分かってます。大丈夫ですよ。」と、何も責める言葉を口にしなかったという。


しかし山口百恵以外の出演者の方が、怒り心頭だったそうだ。 (TechinsightJapan編集部 みやび)より』


社長やってたり、年齢重ねると、こんな気遣いついつい忘れがち。


忘れてなくてもなかなかできないものだ。



『第70回東京ギフト・ショー』。

ギフトショーに顔を出し情報収集しに行ってきた。


いろいろな会社、また商材があるもんだ。


常日頃とはちょっと違うものを見たり、情報収集するのは大事である。


※もちろん、タダでは帰りません!!


ギフトショー2
ギフトショー ギフトシヨー3



2010年9月7日火曜日

株式会社サービスビジネスコンサルティング 代表取締役社長 日賀野俊雄氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サービスビジネスコンサルティング 代表取締役社長 日賀野俊雄氏登場。


日賀野氏
本文より~


大学中退し、バーテンダーの道を進みはじめる。


兄は、芸術関係の大学に進学するため九州に渡った。2年後、今度は日賀野が進学する番だ。日賀野は東京に出た。進学したのは「学習院大学」。名門である。しかし、19歳になって始めたアルバイトをきっかけに日賀野は、この大学を1年半で退学してしまう。「田町にある「すっぽん料理」のお店でアルバイトをさせていただいたんです。当時、大学生だったんですが、腕に職をつけようと考えたんです。およそ1年、学校に通いながら板前修業をしました」「その店では調理もそうなのですが、実は、先輩にあたる人が、板場にいるにもかかわらずとても人気者だったんです。どうしてだろう。観ていると気配りや気遣いができているんですね。元々ホストをやられていたと聞いて、なるほどな、と。こういう人になりたいと思い始めるんです。それで大学を中退し、バーを経営する会社に就職したんです」。・・・。


株式会社サービスビジネスコンサルティング 代表取締役社長 日賀野俊雄氏


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株式会社ビーエム 代表取締役社長 青沼 弘氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビーエム 代表取締役社長 青沼 弘氏登場。


青沼氏
本文より~


木材工場から運送会社に。人生の旅が始まった。


「農業高校」を卒業した青沼は、母方の親戚が営む木材工場に就職した。当時からオートメーション化を進めた近代的な工場だった。この就職で初めて山梨を離れ、千葉で暮らすことになる。「木材を黙々とカットしながらも、何かやろう、やろう、と。気持ちははやるのですが、では何をするか、それがわからなかった」と青沼。焦燥感が青年の心を揺らす。3年後、青沼は焦燥の出口を探すために、もしくは希望の入口を探すために、会社を後にした。新たに就職したのは「日本運送」という運送会社。運転手からのスタート。この会社で青沼は10数年間勤務し、身体も心もたくましい青年に育っていく。「ドライバーですから、いろんな社会に商品をお届けします。これが私の世界観を広げてくれました」。入社して数年後には、寡黙にはたらく姿が社長の目にとまり別部署に移ることになる。その部署とは「事故係」だった。問題が起こったときに頭を下げに行く係といってもよかった。この部署では「問題が起こったときにどう対処すればいいかを学んだ」という。ここでの経験も、青沼を強くした。 ・・・・。


株式会社ビーエム 代表取締役社長 青沼 弘氏


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2010年9月3日金曜日

『第24回東京ビジネス・サミット2010』 。

もう、24回開催している東京ビジネス・サミット。お付き合いあるベンチャー・リンクさんが主催なのに初めての参加である。


新商品や新しいビジネスが主のため、なかなかおもしろい。


いい刺激と発想が生まれる。


東京サミット3


東京サミット2 東京サミット1

 



2010年9月1日水曜日

株式会社ジー・ピー・アイ 代表取締役社長 岩崎肇氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ジー・ピー・アイ 代表取締役社長 岩崎肇氏登場。


ジーピーアイ
本文より~


目標のない就職活動への違和感


「企業活動を通して人々のクオリティオブライフの向上に貢献する」。これは株式会社ジー・ピー・アイの企業哲学だ。そして面白いのはこの続き。例えば「緑あふれる惑星を目指し、かけがえのない緑を感じ“地球の緑は美しい”と言ってもらえる努力をする」とある。
飲食事業を展開する企業として1999年4月に誕生した同社は、実は10年スパンで事業領域を広げ、2030年には“衣食住”のトータルで人々の生活向上に貢献する企業となることを目標としている。もちろん事業展開や企業としての使命、ビジョンを先頭に立って考え実践しているのは、若干36歳の社長、岩崎氏だ。
1974年8月、千葉県に生まれた岩崎氏は、父、母、妹の4人家族で育つ。幼少期からサービス精神旺盛なキャラクターで、遊びに来る従姉妹のためにイベントを企画したり、いつものゲームがよりエキサイトするようなルールを考えてはみんなを楽しませたという。
父親は半導体製造装置メーカーや大手金融機関など、主に外資系企業の経営に携わっており、そんな岩崎氏の自主性を大切に育もうとしたのか、息子の進路や就職には寛容だった。
「大学4年で就職活動をはじめたのですが物凄く違和感がありました。やりたいことが分からないのに会社を選ばなければならないことが胸の引っ掛かりになって...」。社会と対峙することとなった岩崎氏は、自分が何がしたいのか、何をすべきなのか見つからぬままの就職活動に疑問を感じたという。そして出した答えはアメリカ留学。非日常に身を置き刺激を与えれば、自身がシャッフルされおのずと答えが出てくると考えたからだった。・・・。


株式会社ジー・ピー・アイ 代表取締役社長 岩崎肇氏



株式会社スモルストン 代表取締役社長 石田盛人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スモルストン 代表取締役社長 石田盛人氏登場。


スモルストン
本文より~


放蕩な生活を送った青年時代。


中学になった石田は、バスケットボールを始める。姉の影響がたぶんにあったそうだ。このバスケットボールにのめり込んでいく。勉強はおろそかになったが、高校へはバスケットボールのおかげで、特待生として進学することができた。もちろん、クラブ活動のみに専念できたわけではない。生活のために、レストランでアルバイトを始めた。これが、石田の原点になる。ホールとカウンターを経験し、飲食のおもしろさに惹かれていったのだ。とはいえ、まだ高校生、起業するという思いにまでは至らない。ファッション関連の専門学校に進んだのも、漠然と将来を捉えていたことの証だろう。あいまいな動機では続かない。1年も経たず、石田は専門学校を辞めてしまった。遊び仲間がたくさんいたのだろう。高校3年の頃から友人宅に転がりこみ、ハタチになるまで家にはほとんど帰らなかったという。家族、特に母のことを思えば遊んでいられなかったはずだ。だが、なにをすればいいかわからない。気持ちだけが空回りし、現実に向かい合うことができなかったのではないだろうか。ともあれ、そんなときに、兄から「しっかりしろ」と諭された。その一言が、石田を救った。高校時代にアルバイトをしていたレストランに戻り、自宅から通った。石田の生活が、初めて地に足を付けて動き始めたのはこの時からだろう。・・・。


株式会社スモルストン 代表取締役社長 石田盛人氏


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