2010年7月14日水曜日

株式会社一家ダイニングプロジェクト 代表取締役社長 武長太郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社一家ダイニングプロジェクト 代表取締役社長 武長太郎氏登場。


一家


本文より~


母親が始めたスナックで、受け取った1万円のチップ。大学進学を決めるまで。


武長が生まれたのは1977年1月24日。千葉県出身である。兄弟は2人。父は自営業を営んでいた。この父の事業が上手くいかなくなり、母が、スナックに勤め始める。子どもたち2人が家に残り、ある日、ストーブが原因で火事になった。自分たちの不始末以外、なにものでもない。にもかかわらず、怒られなかった。いつもなら、子どもたちを正座させ怒っているはずの父が、逆に謝っている。武長は改めて、両親の愛情を感じたに違いない。だが、この事件が両親の離婚を決定づけた。武長が小学校3年生の時だ。母親は、自ら店を経営し始めた。「中学生時代から母の店を手伝った」と武長。中学から高校へはエスカレーター方式で進学。武長は好奇心旺盛な青年に育っていた。
母のお店で鍵をかってに持ち出し、お客様のキープされているボトルを1cmずつばれないように友人と飲んだり、車を無免許で運転したり…。高校2年の頃、「母親の車に轢かれる」というのは、バイク禁止の学校で母親が語った作り話。実際はバイクで転倒し、1ヵ月入院することになった。この入院時に、自分のやりたいことはなにかと問い、ともかく大学に行って…と猛勉強を開始した。友だちはそんな武長をみて目を白黒させていた、そうだ。・・・。


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株式会社アバ 代表取締役社長 徳永 弘氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アバ 代表取締役社長 徳永 弘氏登場。


アバ


本文より~


社会を舐めきった青年が出会った一人の経営者。


「国籍・学歴一切関係なし」。求人雑誌をみていたとき、たまたま目を留めた、ある金融会社の広告に惹かれ応募した。これが徳永の人生を大きく変える出会いを生む。徳永、20歳。面接で、いきなり怒られた。「面接の時ぐらいスーツで来い」。実を言うと、「金融会社は仕事がラク」と友人から教えられていた。ヤクザっぽい人たちがいるのでは、と思っていたのも事実である。だが、まるで違っていた。遅刻をすると激しく怒られた。8時前には会社に入り、21時前後まで毎日、はたらいた。だが、包容力のある社長に、徳永は魅了される。「ウソをつくな」「人の足をひっぱるような人間にはなるな」、一言、一言がしみ込んでくる。「人間としてどう生きるかを教えていただきました」。社会を舐めきっていた青年が、社会と初めて真摯に向き合うことができたのは、間違いなくこの時に出会った社長のおかげだった。いまも2人の付き合いはつづいている。その社長のまえにでると、いまでも徳永は小さくなってしまうらしい。徳永にとって、人生の恩人、もう一人の父親のような存在といえる人だ。・・・。



2010年7月7日水曜日

株式会社KUURAKU GROUP 代表取締役 福原裕一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社KUURAKU GROUP 代表取締役 福原裕一氏登場。


福原
本文より~


返済の日々。


500万円まで借金は膨らんだ。消費者金融の利息は高い。利息だけで相当な額になる。返済のために、保険会社に就職。9時~18時まではたらき、会社には黙ってカラオケBOXで真夜中まではたらいた。「死にたい」と思ったこともある。オレって何なんだ。頭を抱え込んだ日々もあった。だが、それでは何の解決にもならない。甘かった事業計画に、甘かった資金の借り入れに、けりをつける。そのために寝食を忘れ、懸命にはたらいた。ようやく借金返済のメドが立ったのは29歳の頃。そんな中、浮かれて友人とスノーボードに行き骨折。1ヵ月の入院生活を余儀なくされる。入院費がかさむ。目の前がふたたび真っ暗になった。時を同じくして地下鉄サリン事件が起こった。TVを観ながら、心に衝撃が走った。一度、死ぬことも考えた男が、簡単に多くの人の命を奪った凶悪な犯罪を観て、「全力で生きよう」と思った。人生がリセットする。過去を振り返り、たのしかった仕事は何か、と模索した時に思い浮かんだのが、ラーメン店でのアルバイトであり、日本マクドナルド時代だった。「飲食業」。このとき福原のなかに明確な指針ができる。「お客様やスタッフたちに喜ばれる」仕事をしよう、と。・・・・。


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2010年7月6日火曜日

株式会社OEC 代表取締役社長 長谷川秀人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社OEC 代表取締役社長 長谷川秀人氏登場。


長谷川
本文より~


バブル崩壊。倒産。父と母とは連絡が取れなくなる。長谷川は借金を一身に背負った。


「10日で7キロ痩せた」と、長谷川。1989年10月27日にグランドオープンしたこの「飲茶店」は、4日間で420万円を売り上げた。アルコールもないお店だから、かなりのハイスコアだ。社員は3名。残りはアルバイトと建機部門からの応援で店舗を切り盛りした。利益も相当上がったようだ。後に2号店も出店している。時代は、バブルの前後。バブルの崩壊により経済も、社会も、シーソーのように反対方向に傾いた。直接、傾いたのは、長谷川が指揮していた飲食部門ではなく、主要事業の方だった。1993年、負債総額50億円弱で倒産。いきなり会社は債権者で埋め尽くされた。父とも、母とも連絡がつかなくなった。呆然と立ち尽くす暇もなく、長谷川は、社長の息子ということで対応に追われた。「また10キロ痩せた」と笑わしてくれるが、それほど強烈な状況だったのだろう。3日間、駆けずりまわって金策に走る。「幸いに、都銀以外からの借金はなかった。スジの悪いところから借金がなかったので救われました」。とはいえ、債権者からは針のムシロである。当時長谷川は30歳。飲食部門を、どうにも出来なかった7億5000万円の負債と共に引き継いだ。 ・・・。


株式会社OEC 代表取締役社長 長谷川秀人氏


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株式会社プランズ 代表取締役 深見浩一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社プランズ 代表取締役 深見浩一氏登場。


深見
本文より~


目指すは飲食ビジネス


だが、大学入学と同時に夢中になったのは勉強ではなくアルバイトだった。居酒屋、スナック、バー、フレンチ、弁当屋...。様々な業態を経験する中で大繁盛している店を目の当たりにし、飲食の面白さにハマっていく。「しかもその店は店長が繁忙期に抜け出したり、料理人が厨房で喧嘩したりしている店なんですよね。これで繁盛するなら自分ならもっと凄い人気店を出せると思ったわけです」。
独立に向けて勉強しようとまずは大手飲食企業を目指すが、「それなら業務用の世界を学んで人脈を作ってからでも遅くないよ」という父親のアドバイスで、深見氏は大手飲料メーカーに就職する。ちょうどその会社はリキュールブームで業績がよく、営業職に就けば多くの飲食店を見る機会に恵まれると深見氏は考えたのだった。しかし入社後の配属は、なんと本社マーケティング部門だった。
結果的に深見氏は、その大手飲料メーカーを2年で退職してしまうが、この時の経験が今、大いに役立っているという。例えば書類や企画書の作り方、数字の組み立て方、予算の作り方、プレゼンの仕方…。マーケティング部門で徹底的に“仕込まれた”おかげで、独立後、銀行やディベロッパーの説得に力を発揮し、4号店の準備資金として8000万円の融資に成功している。・・・。 


株式会社プランズ 代表取締役 深見浩一氏


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株式会社シークレットテーブル 代表取締役社長 薬師寺祥行氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社シークレットテーブル 代表取締役社長 薬師寺祥行氏登場。


薬師寺
本文より~


バイトと音楽と、フリーな生活に終止符を打ったのは30歳。


卒業を控え、サークル活動は次第に縮小されていく。日毎、夜毎に語り合った仲間たちも、スーツに着替え、ネクタイを締め、就職活動に入り込んでいく。薬師寺はそんな友人たちを眺めつつ、1年間、留年し、大学時代最後のアルバイト先だった会社に就職する。電話回線の営業だった。コミッションセールスだったが、売上が良く、報酬もそれなりにあった。だが、仕事内容が肌に合わず退職。バンド活動を続けつつ、TV番組の制作会社にも2年間ほど勤務する。しかし、楽しい日々はすぐに過ぎていった。やがて30歳という節目を迎える。「だんだん大人になったんでしょうね。もう、潮時だって思いもあって音楽は趣味にすることにしました」と薬師寺は、その時の決断を語っている。ここに至るまで、年齢と共に強くなる、社会的なプレッシャーとも戦ってきたはずだ。それらすべてをいったんリセットすることで、つぎの模索を始めたに違いない。・・・。


株式会社シークレットテーブル 代表取締役社長 薬師寺祥行氏


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この視点の先には・・・。

豊島園


(西武池袋線構内にて  TSM48のポスターを見る男性)