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2025年10月21日火曜日

THANK合同会社 代表 田邉雄二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にTHANK合同会社 代表 田邉雄二氏登場。

本文より~

さらば、日本。アメリカへ、

今回、ご登場いただいたのは「鶏ポタラーメン」で有名、食べログ「ベストラーメン」をはじめ、数々の賞を受賞している「THANK合同会社」の代表、田邉雄二さん。
田邉さんは1980年、東京都の昭島に生まれている。兄、妹と、ご両親の5人家族。お父様は千葉大学出身のエリートで、今も大学でキャリアコンサルタントを務められている。
「小学校は3クラス、中学校は5クラスだったかな」と田邉さん。
「大社長になる」と、小さいながら大きな目標を掲げつつ、サッカーにも打ち込み、ピッチを駆け回った。小学生では市の選抜にも選ばれ、中学生では東京都大会で準優勝を果たしている。
サッカーでは評価されたが、それ以外は。
「それ以外は、問題児で。じつは、高校に進学してからはサッカーまで辞めて、ともだちとつるんでばかりいました」と田邉さんは笑う。
なんでも、ご両親にも迷惑をかけたそうだ。
「母は私を車に乗せて、学校に連行するんです。こっちは、だりぃなぁって思っているのに『卒業しなきゃ』って(笑)」。
今、改めて、田邉さんをみると、やんちゃだった少年の頃の面影はない。むしろ、秀才といったイメージだ。そう思いながら、話のつづきを聞いた。
「高校になってなにかに打ち込むことがなくなります。そんななかで、突然、英語を勉強しようと思い立ったんです」。
<英語?>というと、「ええ」と田邉さん。
「母に『留学したい』と言ったら、反対されるどころか『行っておいで』って」。
さらば日本、話は昭島からニューヨークにとぶ。

ニューヨークの片田舎。

<海外は初めて?>
「初めての海外です。選んだのは、アメリカ、ニューヨーク。語学留学で3ヵ月」と田邉さん。帰国後、1年間、日本で英語を学び、ふたたびニューヨークへ。
「今度は、2年間、ハーキマー・カウンティ・コミュニティカレッジという州立のコミュニティカレッジに入学し、インターナショナルビジネスを専攻して、そのあと、ニューヨーク州立の大学、オールバニ校に編入します」。
これだけ聞くと、国際的なビジネスマンへの道を進んでいるようにみえる。気になるのは、ラーメンとの出会い。
<ところで、どういう縁で、ラーメンの道に?>
「高校1年生のとき、初めて豚骨ラーメンを食べて、大ファンになるんです。もちろん、食べるほう専門で、ラーメンを仕事にするなんて思ってもなかったです」。
「ただ」と田邉さん。
「留学時に、ルームシェアをしていて料理担当だったんです。そのとき、料理にめざめたかもしれません」。
エクアドル人が2人、日本人が3人。ちなみに、このとき出会った日本人の女性が今の奥様である。
「コミュニティカレッジの2年間、ともにルームシェアで過ごして。彼女は、そのあとマンハッタンのファッション系の大学に進みます。私はさきほどいったようにオールバニ校に編入します。オールバニ校もそうですが、ハーキマーも、どちらもマンハッタンから4~5時間はかかる田舎でした」。
ニューヨークの片田舎だそう。「北海道の酪農地帯のようなイメージ」と田邉さん。
その大学を「やりたいことが決まった」と中退。突然、なにかに突き動かされたように、新たな物語が始まる。

彼女の予言。

「アメリカで出会った彼女は、ファッションというやりたいことが決まっていました。それに刺激されたのかもしれません」と田邉さんは、当時を思い浮かべるように目を閉じる。
「私が暮らしていたニューヨークの片田舎は、マンハッタンなどの国際都市とはちがって、アメリカの文化を色濃く残しています。その、アメリカの文化にふれていると、逆に日本の文化を、アメリカ人に教えたくなったんです」。
「日本の文化をアメリカへ」
<その文化が、ラーメンだった?>
「そうなんです。ラーメン=ジャパニーズ・カルチャー、その図式は、もう少しあとで決まるんですが、彼女、つまり、今の奥さんは、私が何をするか決めていない頃から、『雄二はラーメン店をすると思うよ』って言ったらしいんです」。
奥様の予言はよく当たる。
奥様は「いつか2人は結婚する」とも思っていたそうだ。
大学を中退した田邉さんは奥様が住むマンハッタンに移り住み、日本人がオーナーシェフだったレストランで勤務する。
「飲食の経験を積むことはもちろん、アメリカでの永住権を取得するためだった」そう。しかし、9.11が影を落とす。
「9.11は私が学生だった頃のことなんですが、それ以来、永住権取得のハードルが格段に上がりました。3年勤めましたが取得できず、先に帰国していた彼女を追いかけるように帰国します」。
舞台は、ふたたび日本に戻る。

鶏ポタラーメン。

帰国した田邉さんは、有名なラーメン店で勤務を開始する。そのラーメン店がニューヨークに進出することを雑誌をみて知っていたからだ。
「合計3年半、アメリカでも、日本でも仕事をさせていただきました。じつは、今の『鶏ポタラーメン』も、当時のラーメンにインスパイアされています」。
創業は2012年。田邉さん32歳のこと。
「創業店は、大門にオープンします。大門といったら、サラリーマンやOLさんの街です。『鶏パイタン』でいくつもりが、はたらく人をみていると、おせっかいな話、野菜も食べて欲しくなって」。
「からだが喜ぶ」
これがテーマだった。
「それで、無化調はもちろんのことですが、野菜もふんだんに取り入れた、からだが喜ぶ『鶏パイタン×野菜ポタージュ』が生まれたんです」。
「鶏ポタラーメン」は、冒頭の通り、食べログ「ベストラーメン」をはじめ、数々の賞を受賞する。
答えは想像できたが、念のため、原価についてもうかがった。
「ふつうの鶏ガラと比較すると雲泥の差」と笑う。
鶏と10種類の野菜をじっくり煮込んだスープは、化学調味料不使用。
1杯に120gの野菜が溶け込んでいるという。
この贅沢なラーメンが、オープン当初は680円でいただけたというから驚き。2025年6月現在でも、900円と1000円を切っている。ちなみに、〆を楽しむならライスの注文がおすすめ。残ったスープにパルミジャーノチーズがたっぷりのった「チーズライス」を、投入すれば、たちまちチーズリゾットに。1杯で、2度おいしい。
もう少し、オープン時の様子を書く。
まず、大門をチョイスした理由だ。これについて、田邉さんは、単純明快に回答する。「大門は、オフィス街でしょ。オフィス街なら、飲食でも土日が休めるじゃないですか」。
13坪で17席。改修も含め、初期投資700万円、家賃20万円。損益分岐は、200万円弱。
オープンすると、損益分岐点を軽々とオーバーする。
「鶏ポタラーメン」。ネーミングがふるっている。鶏パイタン×野菜ポタージュ、斬新な響きに魅了されるように、メディアがこぞって取材に押し寄せた。「TVだけで20件、雑誌にも多数取り上げられた」と、田邉さん。
「とくに『王様のブランチ』で放映されたときは、大行列ができた」と笑う。
3年目に2号店をお茶の水に、蒲田にも出店し、好きな鎌倉にもオープンした。2025年6月現在、大門店、お茶の水店、蒲田店、そして、鎌倉小町店の4店舗。
「10坪程度ですが、その小さな店に私の思いが、そして今は私だけじゃなく、スタッフみんなの思いが詰まっています」。
コロナ禍の下、時短営業のときには、アルバイトではなく、自身の就業時間を削った。
「コロナがあって、ラーメン1本足打法だけでいいのか、という思いもあって、様々な交流会にも参加するようになり、刺激を受けています」。
スタッフにはベトナム人もいるそう。
「だから、いずれベトナムに彼らといっしょに」と、新たに「世界へ」という文字が頭のなかに浮かんでいるようだ。

・・・続き

THANK合同会社 代表 田邉雄二氏


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2025年2月10日月曜日

株式会社J-Connect 代表取締役社長 磯貝拓麻氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社J-Connect 代表取締役社長 磯貝拓麻氏登場。

本文より~

いい話のつづき。

同級生3人を誘って、創業。これが磯貝さんの始まり。設立は2015年。目標は100億円企業。まだまだ先の話だと思って聞いていたが、もうすでに20億円。加速すれば、あと数年でゴールテープを切るかもしれない。わくわくしながら、お話を聞かせていただいた。
磯貝さんが生まれたのは1994年。お父様は建築系の仕事をされている。
「姉が1人います。母は今も仕事をしていますが、人に好かれるタイプで、じつは母の知り合いが、今うちで働いてくださっています」。
母似だという磯貝さんも、周りの人に好かれるタイプ。同級生4人で創業して、10年近く経った今も全員一緒に仕事をしているのも、磯貝さんの人柄の表れに違いない。20億円企業の社長だが、謙虚で、話していて楽しい。
さて、その磯貝さんは小学生からサッカーを始め、中3まで続けている。区の選抜にも選ばれていて、強豪校のトライアルを受ける予定だったが、怪我をしてスポーツ推薦を諦めている。進んだのは、進学校。
「それから私は、建築設計を勉強するために中央工学校に進学します。彼女はアパレルのお店で就職。でも、半年で退職しました」。
<磯貝さんが?>
「いえ、彼女です。19歳の時に子どもを授かったんです」。
その時のお子さんは今、10歳。2人は結婚することになる。
「大きな反対はされなかったです」。
それ以来、いい話の続きを、2人でつむいでいくことになる。

起業と、プレッシャーと。

19歳、専門学校生。定職があるわけでもない。
<結婚生活は?>
気になって聞いてみた。
「最初はお金がないので、うちの実家で両親と同居です」。
<磯貝さんのご両親と一緒に?>
「ええ、だから、彼女は大変だったと思います。しかも、起業してからは、なかなか家にも帰れなかったもんですから」。
話を聞くと「なかなか」どころか、まったく帰れなかったらしい。
あらかじめ磯貝さんからいただいた自身のプロフィールによると、「中央工学校へ進学し建築設計を学びながら同級生を引き連れ居酒屋にアルバイトとして勤める。学生の傍ら前記の店舗にてバイトリーダーを経て、店長を任される中で同級生と起業を志し、中退を決断。株式会社J-Connectを設立する」とある。
思い切った選択だ。
「捨て身の覚悟です。仲間の1人は、親に勘当までされています。私が誘ったわけですから、もちろん、プレッシャーはハンパないです。それに、私には妻も、子もいましたから」。
「退路などなかった」と磯貝さんは笑う。
<1号店は運営を受託されたんですよね?>
「そうです。屋号はそのままでオペレーションを任せていただきました」。
経験といえば、バイトと、創業当初に手伝ってくれた料理人から教わっただけ。
「実質、経験者は1人もいなかった」と笑う。
ただし、そこから手探りの快進撃がスタートする。
家では、両親と妻と子どもが待つ。だが、帰れない。パパ以上にママが頑張ってくれた。奥様の応援がなければ、もちろん、今の磯貝さんも今の会社もない。当時の話をもう少し。
「とにかく、食べさせていかないといけない。でも、食べられればいいってわけじゃない。じつは、3人のうち2人は、私と一緒に大学まで辞めていますから」。
プレッシャーは、今だけの話ではない。家族はもちろん、彼らの将来に対しても重圧がのしかかる。
「でも、性格的にそういうプレッシャーを楽しむタイプなので。それに、みんな腹を決めていましたから」。
「結束」。そんな言葉が頭に浮かぶ。
「業務委託でスタートしたのは、40席程度の海鮮居酒屋です。ランチからスタートし、24時まで。利益は少し。とにかく、創業メンバーが4人ですから、それだけで人件費がかかる」。
同級生は20万円程度、磯貝さんは5万円だけ。
みんなで店に泊まり込んだ。どんな会話がなされていたんだろうか?
語っていたのは、野心か、望みか。その一方、5万円という現実はきつい。「嫁さんからのプレッシャーもきつかったですね(笑)」。
それは、そうだろう。
「でも、もうスタートしてしまいましたから」。
どうなっていくんだろう。

東京→千葉→静岡→埼玉、つぎは。

「創業時のメンバーをとにかく食べさせていかないといけません」。そのためには早く出店しないといけない。だから、磯貝さんは自身の報酬を5万円のみにした。ほかのメンバーに給与を支給し、残った分は貯蓄する。そして、10ヵ月後に新店をオープンしている。
「当時は店舗開発の知識もないし、経験もない。お金もありませんから、とにかく、初期投資が少なくて済む居抜きの物件をネットで探し回って」。
<ちょうどいい物件があったんですね?>。
「ええ、我孫子だったんですが」。
<我孫子と聞いて、あの我孫子?>と反芻した。「ええ」といって、笑う。
「創業店は大塚ですから、距離があります。行き来するとしたら大変です。ただ、うちには創業メンバーがいたので人手はあるし、当時は泊まり込みでしたから、二手に別れれば問題がありませんでした」と磯貝さんはこともなげにいう。
我孫子の店舗のスケールは40坪で80席。空中階。「当時は宴会需要を狙っていました。業態は総合居酒屋で客単価3500円。ただ、好調というわけではなく苦戦はしています。それでも、初期投資が安く、家賃も20万円程度だったので、創業の店と合わせて100万円くらいはキャッシュが残りました」。
ふんだんに資金があったわけではない。でも、未来へのプレッシャーか出店を急いだ。「3号店は、その2ヵ月後です」。東京、千葉、そして、3号店はなんと静岡。
「地方がいいぞって、そういう噂を鵜呑みにして(笑)」。距離はあったが、創業メンバーの誰かが行けばいい。
「静岡っていうとみんな驚かれるかもしれませんが、うちの戦略にはマッチしています。とにかく、初期投資が少なく、家賃も安いのでランニングコストも少なくて済む。それに実際、静岡に行ってみてびっくりするんです。さすが、新幹線が止まる駅があるだけあって、我孫子より人が多い!って」。
こちらは20坪、家賃20万円、450万円程度を売り上げた。さらに、春日部へ。わずか1年と少しで、4都道府県を制覇している。その後も、年間4~5店舗のペースでオープンを続ける。しかも、10店舗まで自己資金のみというから、それにも驚かされてしまった。

・・・続き

株式会社J-Connect 代表取締役社長 磯貝拓麻氏

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