2013年9月3日火曜日

激セマ立ち飲み焼き肉店「六花界」のモリタ空間デザイン事務所 CEO/COO 森田隼人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に激セマ立ち飲み焼き肉店「六花界」のモリタ空間デザイン事務所 CEO/COO 森田隼人氏登場。
本文より

スパルタ親父。

一級建築士の父親は、剣道にも精通し、スパルタを絵に描いたような人だった。森田が高校生になっても、晩ご飯は7時きっかりに家族全員が食卓に揃わなければ始まらなかった。
森田家は、父母、妹と森田の4人家族。父は、家族のうえに君臨する「我が家のボス」だった。「それでも、妹はタメ語話をしていましたが、私はいまでも父には敬語を使っています(笑)。上下関係のきびしい格闘技をやってきたこともその理由だと思いますが、正直いうと、とにかく怖くて、タメ語を使うなんて想像もできないんです」。
この父の影響もあって、子どもの頃から少林寺をはじめ、水泳、空手などにもチャレンジした。ボーイスカウトでは、リーダーも務めている。
近畿大学の付属高校に進学した森田は、1年からボクシングを始めた。「反抗期だったんだと思います。本気でボクシングを極めてやろうと。どこかで父に勝ちたいと思っていたんでしょうね。負けず嫌いなところはそっくりでしたから(笑)」。
とにかくボクシングである。学校のクラブもやったが、ジムにも通った。そのジムでのこと。最初の相手は日本ランキング3位の選手だった。リングに上がるなり、いきなりボディをくらった。息ができなくなって、立てなくなる。リング下から、「こんなことで立てなくてどうする」と怒号がとんでくる。必死に立ち上がった森田にふたたび強烈なストレートが襲う。当時から背は高く182センチ、60キロ。スーパーフェザー級だった。

6歳の誕生日の贈物。

「あれは私が6歳の誕生日です。父は6歳の息子に向かって、『財産も、地位も、会社も何にも渡さん。せやけど、おまえが20歳になった時、独りで生きていけるような知識と経験と教養はつけさせてやる』っていうんです。いま考えれば、父が子育ての覚悟を語ったという気もしますが、当時はさすがに何のことかさっぱりわからない。でも、わからないと言ったら、何をされるかわからないんで、うんうん、と頷いていました」。
この時の父の言葉はまやかしでも、なんでもなかった。父は息子にきびしく接したが、その結果、息子は25歳で独立。社会のなかで、立派な生き様を示すようになる。
高校の時の話がおもしろい。こういう教育方法もあるのか、と思わず感嘆してしまった。
「信じられないと思いますが、私はお小遣いをもらったことがないんです(笑)。でも、高校になるとラジカセとか欲しくなるじゃないですか。でも、そんなこと父に言えません。それである時、覚悟を決め、学校でパチンコが流行っているって話をしたんです。その話で、みんなはお小遣いをもらっていると、婉曲に伝えたかったんです。でも、父はストレートに受け取ったんでしょうね。『そうか、パチンコが流行っているんか』といって、そそくさと出かける用意をして、『じゃぁ、ついてこい』って」。
「そうです。パチンコ店に連れていかれたんです。それで渡されたのが1万円。私の人生で初めてのお小遣いです。いままで小遣いをもらったことないので、まずそれに驚き、その1万円が5分も経たないうちになくなってしまったことに、また驚きました。どこかでみていたんでしょうね。タイミング良く父がやってきて…」。
「すいませんでした。いただいた1万円なくなってしまいました」と律儀に頭を下げる息子に向かって、「ええか、これがギャンブルや」と一言。森田がギャンブルをしたのは、後にも先にも、この時だけ。これも、父の豪快な教えの一つなのである。・・・続き
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