2013年9月24日火曜日

株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー飲食の戦士たち株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏登場。
本文より~

フランスとパンと。

女優でいえば、カトリーヌ・ドヌーヴ、男優ならアラン・ドロン。中学生時代、フランス映画の世界に憧れた。「あれがフランスというのを意識した始まりかもしれない」と藤森。高校時代にはカナダに半年、留学した。「ホームステイ先の親父さんが、丸太みたいな腕で休みともなればパンを焼いてくれたんだ。あれも格好いいと思ったなぁ」と言っている。
帰国した藤森はカナダの親父さんを真似て土・日になるとキッチンに立ってパンを焼いた。「翌日、焼いたパンを抱えて学校に行って休憩時間に教室の端っこでパンを配ったんです。もちろん、タダ。もちろん、女の子だけ(笑)」。
学校中の人気者になった。
「そうだね。最初はクラスの子だけだったんだけど、いつのまにか全学年の女の子が列をつくっていましたっけ」。褒められれば、悪い気はしない。パンづくりにも熱がこもったことだろう。フランス映画を観てフランスを意識し、女子を意識しパンづくりをはじめ、料理のたのしさを知っていったに違いない。
「でも、そうそう、バレンタインの時のこと。チョコをつくってくれっていうリクエストがあったんでつくってあげたら、なんとそのチョコを男子に渡しているんです。あれには、ちょっと参った。藤森は男子にはつくらない主義。だから、藤森のお店は閉店、となってしまったわけです(笑)」。
タダと言っても、繊細な女の子たちが列をつくるぐらいだから見た目も、味も良かったのだろう。ともあれ、いま考えれば、その時の女の子たちは「世界でも有名な藤森のパン」を最初に食べた幸せな人たちである。

「明治学院大学法学部」入学。

「女の子がたくさんいるところを選択しました」。
大学受験の話である。
「大学はバラ色生活だと思っていたんですね。バラ色に染まるためには、やっぱり女子でしょ。だから女子が多い大学を狙って戦略を立てて、傾向も対策も整えて受験に臨みました。立教も受けたし、そうそう早稲田も受験しました。ただし、早稲田は記念受験。1時間目の英語の長文読解がまるでわからず、それで失礼しました(笑)。立教は惜しくもダメで、結局、明治学院大学法学部に進みました。こちらは結構楽勝でしたから」。
「そうですね。もしこの時、早稲田や立教に合格していたら、いまの藤森はいなかったかもしれません。そういう意味では受験に失敗して良かった。案外、人生とはこういうもんです」。
早稲田や立教なら、就職にも不利ではない。ただ、明治学院だとレベルは下に見られてしまう。それがイヤで、リクルートスーツを着るのもイヤで、就活もせずにツテを頼って、とある横浜のパティスリーに就職した。
学生生活はバラ色だったかどうかは別にして、楽しい時代だったのはたしかである。一方、就職してからは過酷な修業時代が幕を上げる。しかし、そちらのほうが藤森にとっては楽しい時代だったかもしれない。大好きなお菓子やパンづくりに没頭できたからである。
このパティスリーを経て、かねてから憧れていた「フィリップ・ビゴ」の下へと神戸に向かった。
「フィリップ・ビゴ」はいうまでもなく、フランスパンを日本に広めた有名なブーランジェ(パン職人)である。当時、パンと言えばアメリカから来たふわふわしたものが主流だった。フランスパンもあるにはあったが、塩味がきつく、堅いコッペパンと思っていた人が多かったそうだ。
しかし、「フィリップ・ビゴ」が焼いたフランスパンは皮がパリッとして香ばしく、なかはしっとりやわらかいと、それまでのイメージを払しょくするものだった。
「フランス映画には良く、食事のシーンが登場するんです。そのなかで、主人公たちが食べていたフランスパンがそれだったんですね」。中学の頃に憧れたフランス映画と、食卓に上ったパンが一つになる。藤森は、ビゴ氏が焼くフランスパンはもちろんだが、改めてフランスというものに惹かれたのではないか。ともかく、ビゴ氏の下で、新たな修業の時代がスタートする。当然それは、ブーランジェ(パン職人)へと転身を意味する。・・・続き
株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏
PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

0 件のコメント:

コメントを投稿