2013年7月16日火曜日

「味噌」を武器に海外にも展開する株式会社トライ・インターナショナル 代表取締役社長 田所史之氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に「味噌」を武器に海外にも展開する株式会社トライ・インターナショナル 代表取締役社長 田所史之氏登場。
本文より~

「味噌屋」の息子の少年時代。

田所は、人口わずか1~2万人の小さな町、福島県白河市、通称「中通り」で産声を上げた。実家は、明治から続く「味噌」の製造店。兄妹は、4つ下に妹が1人いる。
「代々、続いていましたが、そんなに大きな味噌屋ではありません。父は、別に仕事を持っていたぐらいですから」と田所。
規模の大小はともかく、この味噌屋が田所を育てたことになる。むろん、朝餉には旨い味噌汁が出されたことだろう。
田所に少年時代を振り返ってもらった。
「そうですね。子どもの頃は、ぜんぜん勉強しませんでした。テストでは30点取ればいいほう。勉強に興味がなかったから、寿司職人になりたいと思っていたんです」。
勉強より、スポーツが得意な少年だった。
特に小学校から始めた野球では、メキメキ頭角を表し、キャッチャーで打順も3番など、主要なメンバーとしてプレイした。
「高校では、県でベスト4。チームはそれ止まりでしたが、私は、それなりに評価され、社会人野球からも誘っていただきました。いただいたんですが、私も高校生になるとバイクに熱中したりして。もう、野球はいいかなと思っていたんです」。


野球とバイクと好きな子を追いかけて。

野球は好きだったが、勉強はイマイチ好きになれない。バイクに熱中し、ろくに学校にも行かなかった。だから、卒業の段になっても、単位が足らなかった。社会人野球の話ももらったが、それどころでもなかったのが実情である。
「いい先生というか、まぁ、おかげで卒業できたんだけど、真冬の2月にプールですよ。25メートル泳いだら単位をくれるっていうんです。それで、海パンになって(笑)」。
25メートル無事、完泳。それで、無事に高校も卒業することができた。進路は、決めていた。「好きな子が東京に行くっていうから、とにかく私も東京へと」。・・・・続き
「味噌」を武器に海外にも展開する株式会社トライ・インターナショナル 代表取締役社長 田所史之氏
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