2013年7月23日火曜日

株式会社アティックプラニング 代表取締役社長 五味 啓氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アティックプラニング 代表取締役社長 五味 啓氏登場。
本文より~

選択肢を広げる選択。

父は、東大から国鉄に入社した国家公務員。母は山梨出身で、母の父、つまり祖父は鉱山会社を経営する敏腕事業家。実家は武田信玄に兵糧米を納めていた由緒ある家柄で、地主だったそうである。
兄弟は3人。五味は長男である。
高校生になるまで父が転勤する度に、家族5人で引っ越した。茨城県出身だが、関西にも6~7年住んでいる。
あちこちに引っ越したが、どこにいっても成績は群を抜いていた。
「長男ということもあったと思う」と断りつつ、「とにかく期待も寄せられ、勉強も強いられた」という。習い事も多くさせられたが、そのなかでバイオリンは、本人の意思で長く習っていたそうだ。「勉強はできたが、スポーツは苦手」。そんな少年だったという。
「子どもの頃は、両親とも勉強しろと、ともかくうるさかった。ところが、大学に進学したとたん何も言わなくなるんです。父は良く『いい大学に入れ、そうすれば選択肢が広がる』とそんな風に言っていました」。子ども時代は、「ゲームやスポーツもやらず、テレビすら見ない生活だった」と語っている。
とはいえ、小・中は公立。ただの英才教育とは少しちがう。雑多な生徒たちのなかで、五味の人間教育も行われていた気がする。

いちばん最初に内定をもらった会社へ。

中学を卒業すると、早稲田の付属高校に進んだ。父母にとっては一つの既定路線だったかもしれない。ただし、五味本人は意外な事実を知ることになる。
「小・中まではスポーツはできないけど、頭はいいほうでした。ところが、高校に入るとぼくより頭のいい奴がいっぱいいるんです。でも、代わりにスポーツがぜんぜんできない(笑)。『アレ? オレってスポーツできるんだ!』って高校で初めて知ったんです。それで初めてスポーツ部に入りました。バスケット部です」。
当時は、高校から入学した生徒は、ストレートで早稲田大学に進学できるシステムだったそうだ。だから、早稲田大学への進学はもう間違いなし。自由な校風だったこともあって、文字通り青春を謳歌した。
その大学時代は、バイトもしたが、思い切り遊んだ4年間だったそうだ。ただ、4年経っても、これといった目標はなかった。卒業後、JTBに入社するのだが、それも「いちばん早く内定をもらったから」だそう。選択肢は多かったが、心が定まっていなかった。・・・・続き
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