2010年4月14日水曜日

株式会社玉寿司 代表取締役社長 中野里陽平氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社玉寿司 代表取締役社長 中野里陽平氏登場。


玉寿司
本文より~


映画「少林寺」に衝撃を受けた少年は、やがて武道館で戦う青年になった。


中野里は4人兄弟の末っ子として誕生する。一番上の姉とは7つ違い。4人の兄弟が、にぎやかな家のなかでスクスクと育っていった。家業は「築地玉寿司」。老舗の寿司店である。中野里が生まれた頃には、3代目である父が斬新なアイデアを取り入れ、人気を博し、次々と出店を重ねていった頃である。中野里自身は5つ年の離れた兄の影響もあり、ブルースリーや少林寺にはまっていく。10歳の時には、映画「少林寺」に衝撃を受け、その頃から本格的に武道の道を歩み始める。高校時代には、沖縄空手を習い、大学に進学後は、少林寺憲法部で主将まで務めている。トーナメント戦では2度優勝。個人戦では武道館で開かれた関東選手権で2位になり優秀賞を獲得している。格闘技にのめり込む一方で中野里は、少年時代から家業を引き継ぐことを当然のように受け入れてきた。高校生になると将来のために、現場も進んで経験した。他店でも経験を積んだ。だが、他店に出ると現場は想像以上に歪んでいた。子どもの頃から憧れていた飲食業に疑問を持ち始める。「飲食業は誇りが持てる仕事だと、父から教わって育ちました。父は、たいへんな時でも、愚痴一つこぼしたことがありません。そういう姿をみて飲食に憧れを感じていたのです。しかし、現実は、違った。飲食の負の部分が明らかになっていくのです。・・・。 


株式会社玉寿司 代表取締役社長 中野里陽平氏


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2010年4月10日土曜日

「ヤマハ大人の音楽レッスン」に武田登場!!

「ヤマハ大人の音楽レッスン」のPR用のポスターに武田が出ていま~す。


ぜひ、音楽にチャレンジしたい方は一度「ヤマハ大人の音楽レッスン」会場に顔出してみてください。


あっ、そうそう今日10日(土)の読売新聞にも大きく広告出てるので見てください。


ヤマハ



2010年4月8日木曜日

株式会社エイジアキッチン 代表取締役 吉﨑英司氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社エイジアキッチン 代表取締役 吉﨑英司氏登場。


エイジアン 
本文より~


自立した青年が選んだのは、海外への進出だった。


普通、オーナーの子息であれば初めから、跡継ぎとして迎えられる場合が多い。しかも、まだ小さな会社である。家族経営があたりまえだ。しかし、吉﨑家では、母も、息子らも一線を設けていた。「自分の力で」という教育が行き届いていた結果ではないか。ともかく吉﨑も、兄も、葛藤しながら、店の運営、会社の運営に関与するポストを手に入れていく。
さて、先を急げば、吉﨑は、この数年後、この母の会社を退職する。親が経営する順調な会社を退職するという決断は、なかなかできることではない。「アメリカなど海外に憧れていて、そこで勝負したかったから」と吉﨑は振り返る。
しかし、この吉﨑の決断がちょっとした波乱を引き起こす。大ボスと呼んでいた責任者が、吉﨑が店を去ることをきっかけに、社員を引き連れ、店を離れてしまったのだ。当然、店の運営は成り立たなくなった。「それで1年間、海外に行くのを先に延ばし、兄といっしょに立て直しに邁進した」と吉﨑。信頼していた人間に裏切られたという気持ちも少なからずあっただろう。
吉﨑は人間を大事にする。なぜか。こんな逸話がある。吉﨑が3号店の店長になった時、他の店の業績が落ち込んだ。「どうして、他の店は業績が落ちたのでしょう?」というインタビュアーの質問に答え、「やはり人間だと思いますね。たとえば、店が終わってから飲みに行く。翌日は二日酔いの赤い目でやってくる。そういう人間が包丁をふるう。それを見ている周りの人間がよしがんばろうなんて気持ちにはなりませんよね」と。たしかに飲食業は、人がすべてである。・・・。 


株式会社エイジアキッチン 代表取締役 吉﨑英司氏



株式会社麻布スタイル 代表取締役 猪野悦史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社麻布スタイル 代表取締役 猪野悦史氏登場。


麻布スタイル 本文より~


ヒーローになりたかった少年は、バスケットボールで実業団まで昇り詰める。


子どもの頃から勉強も、スポーツもできる少年だった。そんな少年猪野が憧れていたのは、ウルトラマンや仮面ライダーといったヒーローたち。悪を退治する正義の味方に、多くの少年同様、猪野もまた惹かれていったに違いない。一方、好奇心も旺盛で、エレクトーン、水泳、野球、塾、書道と、習い事にも進んで通い始めたそうだ。その後も、さまざまなスポーツにチャレンジするが、猪野を一番虜にしたのは、バスケットボールだった。当時バスケットボールにプロリーグはなく、実業団が日本最高峰のリーグだったが、猪野はその実業団に入ることができるほどの腕前だった。だが、入団後、1年で「通用しない」と見切りをつけなければならなかった。どのようなスポーツも抜群の運動能力で軽々とこなしてきた猪野だったが、日本最高峰のリーグの壁は厚かったとしかいいようがない。「バスケットで飯を食っていく」道は断念した猪野だったが、「するからには楽しい、おもしろいと思えるような仕事でなければ」と大好きなスポーツからは離れようとしなかった。・・・・。 



2010年4月2日金曜日

実家からお米と味噌が・・・。

ちょうど無くなるあたりに実家の父親からお米と地元で作った味噌が送られてきた。


うれしい。


なかなか帰れないし、墓参りもできていない。







2010年4月1日木曜日

株式会社由ら 代表取締役 吉崎俊朗氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社由ら 代表取締役 吉崎俊朗氏登場。


8o 
本文より~


高校卒業後、「株式会社楽コーポレーション」に入社。入社2~3日で手がグローブに。


高校は私立に進む。「バイクが好きになり、高校生で750ccの大型バイクを乗り回していた」という。当時、大好きだった漫画の影響をモロに受けた。大学への進学は考えていなかった。高校卒業と同時に、18歳ぐらいからアルバイトで働いてた、宇野隆史氏が経営する「楽コーポレーション」に入社する。宇野氏は、現在の居酒屋文化に大きな影響を与えたコンセプト「くいものや楽」の創業経営者であり、300名近い人材を輩出したことでも知られるカリスマ経営者だ。この宇野氏の店で吉崎はゼロから教育されていくことになるのだが、最初の一歩が特に鮮烈だった。「いきなり、六本木『楽』の立ち上げに参加したんです。5時20分に、まず1回目の満席があって、そこから4回転するんです。20坪強の店で日商50~60万はいってたんじゃないでしょうか」。そのとき、洗い場を任されていた吉崎の手は、「2~3日でグローブのように膨れ上がった」そうである。 ・・・。 


株式会社由ら 代表取締役 吉崎俊朗氏


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有限会社YDR 代表取締役 大村孝雄氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社YDR 代表取締役 大村孝雄氏登場。


よだれ屋
本文より~


楽コーポレーションとの出会いで独立を志す。


「偶然だった」と大村。「たまたま下北沢で友だちと飲もうということになって、はじめて『楽』に行ったんです。衝撃を受けました。へぇ、凄いな、こういう居酒屋もあるんだ、と」。友人がたまたま店長を知っていたこともあって、すぐに面接を受け、働き始める。これが大村にとっては、大きな転機となる。いまでも「おやじさん」と呼ぶ、社長の宇野氏と出合ったからだ。すでに述べたように、忙しさには苦痛を感じなかった大村だが、「学食の時は客である生徒たちと話すことはなかった。それに比べて『楽』は、当然、接客業ですから、最初はそこに戸惑いました」と、入社当時を振り返る。「料理を作りながらも、お客様と話したり、料理を運んだり。そういうさまざまなことが勉強になった」そうだ。独立という二文字も、この頃から、はっきりと意識するようになった。 ・・・。