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2023年3月1日水曜日

株式会社ガーデン 代表取締役社長 川島 賢氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ガーデン 代表取締役社長 川島 賢氏登場。

本文より~

高校卒業までの川島氏。

足が速いと色々有利だ。運動もできるし、なにより、注目される。トークも楽しく、人気者。「あの頃は、モテモテだったんですよ」と笑うのは、1971年生まれの川島社長。株式会社ガーデン、代表取締役である。
「勉強はできる方だったと思いますが、勉強そのものはまったくしなかったですね。何をしても飽き性でつづかない。そんな少年でした(笑)」。
足が速いから、中学生になると陸上部に入る。だが、本人曰く、ぐうたらだからサボってばかり。
高校は、どちらに進まれたんですか?
「港区にある芝商業高校です。商業を選択したのは早く独立したいと思っていましたし、じつは、私の小さい頃にセブンイレブンが出店を開始した頃で、ちかくに次々とセブンイレブンができていったんです」。
それに、興味を持った?
「そうなんです。小さいながらにも。イトーヨーカドーにも買い物によく行っていて、それで創業者の伊藤正敏さんに興味をもって、本も読ませていただきました。中学生くらいですから、十分、理解はしていなかったと思うんですが、伊藤さんが、芝商業高校の出身だと知って、行くならここだろうと」。
早くも事業に関心を抱いていたことを示すエピソードだ。
ただ、志は高かったが、飽き性が顔をだす。
「週5日は学校に行きました、ちゃんとね。でも、遅刻ばかり。高校1年までは勉強しなくても、なんとかついていくことができましたが、高校2年の頃には、何が何だか、やばいくらいわからない(笑)。だから、益々、勉強をしない。学年でビリが指定席です(笑)」。
バレー部にも入ったが、辛くてすぐに逃げ出した。
「高校時代は清掃のアルバイトで月10万円くらい稼いでいました。バイトもまぁ言えば大人の世界ですが、じつは麻雀にハマって、雀荘に行っては大人相手にリーチ!ロン!の世界です」。
進学どころの話ではなかったそう。「私の卒業が決まったのは、卒業式の1週間前。担任の先生が職員室で教職員や教頭に泣きながら土下座してくれたおかげなんです」。
高校は卒業できたが、むろん、大事なのは、そこから。風船のような少年は、どんな青年になっていくんだろうか?

事業再生、手始めは不採算のカラオケBOX。

「マジメに仕事はするんですが、指示されるのがイヤな性格だからそもそも正社員は向いていなかったんでしょうね」。職も転々としたが、引っ越しも30回以上と、回数を重ねる。引っ越し代だけでたいへんだ。あいつはいまどこだ?という話が、とびかったにちがいない。
ただ、どこにいっても注目されたんじゃないだろうか? ポジティブで、話も、面白い。「たしかに、ネットワークはそれなりに広がりましたね。縁あって起業したのは25歳の時です。知人の紹介で、不採算のカラオケBOXをもらい受け、事業を開始しました。カラオケBOXってだいたい1億円くらいの初期投資がいるんですが、うちは0円。0円でもいいからやらないかと言われスタートしたわけですから」。
いかがでしたか?
「最初の数ヵ月は月商300万円程度でうろちょろするんですが、半年くらいで1000万円をオーバーします」。
まさに、V字回復ですね?
「ありがたいことにそうですね。当時、社員は私1人。むちゃくちゃ効率的です(笑)」。
話を聞くと、割り切った戦略だった。「初期投資がないから、むちゃくちゃ安くしました。極端な話、0円でもいいんです。かわりにジュースとかで、利益を取ることができますから」。
平日から満員御礼。
「ちょっといけなかったのは、高校生が学校に行かずにうちにきちゃうようになったことですね(笑)」。安くて、楽しめる。そりゃ、人がくる。
「2店舗目を出店する際に、はじめて社員を採用するんですが、それが、今の専務です」。
専務はもとバンドマンで、デビューも決まりかけていたらしい。カラオケBOXには、もってこいの人材だ。

1億円の融資。

「不採算のカラオケBOXを買い取り、再生するビジネスモデルで合計10店舗まで突っ走ります。3年で年商10億円。もう、イケイケです。ただ、イケイケすぎて、そのあと本厚木、ひばりが丘、熊谷に3店舗同時オープンしたりするんですが、ちょっとヤバかったですね。本厚木は閉店。ひばりが丘、熊谷も苦戦。競合店が勝手にコケてくれたおかげで、なんとか黒字化したんですが。手当たり次第、買い取ったり、出店したりしたもんだから、資金繰りができなくなって大ピンチです」。
どうされたんですか?
「ある銀行さんの新宿東口にある支店に、アポなしで突撃です。担当から支店長につないでもらって、支店長に包み隠すことなく現状をお話しました」。
「融資していただかないと、今月末で潰れます」。むろん、頼んだからと言って融資が下りるわけがない。支店長は、川島氏になにをみたんだろうか?
「ありがたいことに1億円を融資いただきました。それだけではなく、事業モデルを絶賛いただいて、アドバイスというか約束を色々交わしてもう1億円、融資いただけたんです」。
その時の話を聞くと、支店長のアドバイスは、1億円以上の価値があったように思う。事業モデルも評価されたが、何より川島という人間が評価された証だろう。学年ビリの生徒が、億単位の評価を受けた証でもある。

カラオケ事業、売却。こちらも、大胆な一手。

カラオケ事業は、専務に任せ、自身はラーメン店の事業にチャレンジする。
ただ、カラオケとラーメン店は、ぜんぜん違う。大丈夫なんだろうか?
「たしかに、そうなんですよね。でも、その頃には、私もちょっと有名人になっていて、再生の話が向こうからくるんです。もともと、そのラーメン店は、潜在的なちからはあったんですね。ただ、私も慎重になって、いったん部長として入社して、この財務なら間違いなく再生できるだろうと確信して再生を開始します」。
なんと、8000万円の赤字が8000万の黒字化まで改善したそうだ。それが、今の「壱角家」の始まり。ホームページには、家系ラーメンの最高峰と記されている。
「株式の上場を狙うくらいにまでは、大きくなりましたが、もうおわかりのように、けっして順風満帆だったわけではありません。リーマン・ショックの時はとにかくきつかったですね。飲食自体は、それほどダメージを受けたわけではないんですが、うち借入金が少なくなかったもんですから」。
融資を断られるだけではなく、貸し剥がしにもあったと乾いた声で笑う。「『もう辞めだ』っていいたかったんですが、そういうわけにはいきません」。
銀行にはとびこむな、と、例の恩人の支店長に、その昔、釘をさされていた。「メインバンクからして、貸し剥がしですからね。もう、どうすることもできない。でも、できないなら、潰れるしかない」。
電話をかけまくる。
「沖縄から北海道までのすべて銀行をリスト化して、北から次々、電話をかけていきました。相談に乗ってくれる銀行なんて、ぜんぜん現れない。でも、徳島まで進んだ時に、神の声ですね。徳島の銀行がビジネスローンを組んでくれたんです。そのあと、何行かでビジネスローンを組んで、なんとかピンチ乗り切ることができたました。この経験は、私にとって、違う意味で財産になっています。コロナ禍でも、うちは、びくともしなかった。たまたま組織を固めたタイミングだったことも幸いしたわけですが、この時の経験をいかし、キャッシュをつねにもっていたからです」。
ところで、カラオケ事業は、売却されていますね。
「そうですね。カラオケは大手が独占しているし、国内需要だけですからね。頭打ちだと思っていましたので、創業の事業でしたが、第一興商さんに売却させていただき、飲食に主軸を移しました」。
2022年12月22日、現在、ガーデンは国内だけではなく、タイ、マレーシアを含め、3ヵ国に210店舗ある。むろん、指揮者は、川島氏。
「じつは一度、会長職になったんですが、組織がうまく回らなくなって、売上も落ち込み、会社が傾きはじめてしまって。それで、社長職にもどり、今度は自社の再生です。もちろん、V字回復。ただ、コロナ禍になり、またまたピンチ。もっとも、今度は、さきほどもいったように資金は潤沢にありましたから、右往左往することはなかったんです。ピンチは乗り越えることで、ちからにも、財産にもなるという好例だと思っています」。
M&Aはガーデンのビジネスモデルの一つ。資金がなければ、スピード勝負についていけない。しかし、飽き性でつづかず、転々とした青年が、いつ、これほどまでにスイッチが入ったのだろうか。

・・・続き

株式会社ガーデン 代表取締役社長 川島 賢氏

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2017年9月5日火曜日

株式会社神戸らんぷ亭 取締役社長 井上陵太氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社神戸らんぷ亭 取締役社長 井上陵太氏登場。
本文より~

サッカー少年。

「にいちゃんにくっついていた」と、今回ご登場いただいた井上氏は語る。井上氏が生まれたのは、埼玉県秩父市。「山の中」と井上氏がいうので調べてみると、たしかに山に囲まれている。
ウィキペディアによれば「秩父盆地の中央にあることから古くから物資の集散地として、また秩父神社の門前町として栄えた」らしい。この秩父で、井上氏は18歳になるまで暮らしている。
「小学校の頃は、時々、警報が出るんです。『熊がでたぞ』って。そのたびに学校で待機です」。たしかに熊も出そうな山間である。秩父市のホームページを観てみたが、いまも「クマに注意!!(クマ目撃最新情報)」というコンテンツがトップページにあった。その街で、兄の背中を追いかけていたのが子どもの頃の井上氏像である。
「私が、兄のあとを追いかけなくなったのは小学3年生頃からです。サッカーに取りつかれてしまったんです」。
足も速く、ボールさばきにも天性のものがあった。井上氏が6年になると、秩父エリアでは向かうところ敵なし。地方新聞には得点王として井上氏の名が何度も掲載された。
「監督のおかげですね。でも、むちゃくちゃな指導です」。試合に勝っても、2時間かけて試合が行われたグラウンドから走って帰らされた。「この相手に、なんだ、この点数は。少なすぎると怒鳴るんです(笑)」。
監督は怖かったが、それでもサッカーは楽しくてしようがない。監督がいう通りやれば、試合に負けることもなかった。「大好きでしたね。代わりに勉強はまったくしなかった。家に帰ってからも、勉強せずに、泣きながらサッカーの練習をしていました」。
いつかプロに行くと思っていた。「それは、目標じゃなく、私にとっては既定路線でした」。

大学にいても、しょうがない。

車で1時間かかったそうだ。学校からクラブチームの練習が行われるグラウンドまでの距離である。中学になった井上氏は「上里ナポレオン」という秩父から少し離れたのクラブチームに所属する。「トレセンという、選抜チームにも選ばれ、試合にもでていました。土日は遠征です。父母が車で遠征先まで送ってくれました」。
「いくつかの高校からスカウトされました。そのなかで私は『正智深谷高等学校』に進みます。いまからちからを入れていくという段階だったものですから、私にとっては、それ自体、興味深かったんです」。
高校時代もトレセンに選ばれた。むろん、選ばれるのはごく少数のエリートたちである。「大学も推薦で埼工大深谷大学に進みました。だけど、1年で中退してしまいます」。
どうしてしまったんだろう。プロはどこに行ってしまったのか。
「高校時代ですね。プロは無理かもしれないと思いはじめたのは。私自身は背丈もそうあるほうでもないですし、ユースの選手たちと比較すると明らかにちからが劣った。いままでサッカーで飯を食っていくのが当然だと思っていたわけですよ。だから、あれ? どうした、みたいな」。
明確な理由もわからぬまま、大学に進んだ。しかし、大学でも霧は晴れなかった。1年で退部届をだし、ならばと授業に出てみたいが、まったく会話の意味すらわからなかった。「そりゃぁ、そうですね。サッカーしかしてこなかったんだから。だから、大学にいてもしょうがないと思って」。

1年もかからずつくった、300万円の借金。

「ここから先は、いままでのすべての反動ですね(笑)。勉強もしなかったですが、サッカー以外は、遊ぶこともしなかったわけで。ご想像におまかせしますが、今思えば、アホです」。
気づくと、300万円の借金を抱えていたそうだ。19歳の少年には莫大な金額である。「大学を辞め、ぷらぷらして、それで300万円です。何をやってもいいという親父が久々に怒ったのもこの時です。昔から『真剣にやるなら日本一をめざせ』という親父だったのですが、この時は、こういいました。『喧嘩をやりたければ、ボクシングで日本一になればいい。悪いことをしたけりゃ、その道で日本一になるか。中途半端なことはするな』って」。
300万円に膨れた借金と父親の一言で、流れに竿差し、新たな道を模索した。ともかく、借金を返さなくっちゃ。「だからうちの会社に入社したのも、借金返済が何よりの目的だったんです。当時は、まだ10店舗くらいで、閉店もつづいていた頃でした。最初はバイトだったんですが、『正社員になれば月24万円ある。そのなかから計画的に返済すればいい』という店長のアドバイスを聞いて、社員になり、それが正確にいうと今日までつづくんです」。
ちなみに、この300万円について、井上氏は「そりゃ、なかったほうがよかったですが、ある意味、あの借金があったことで、いまがある。そういう意味では、あってよかったとなるのかもしれませんね」と言って、笑った。
…続き
株式会社神戸らんぷ亭 取締役社長 井上陵太氏

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