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2023年8月23日水曜日

株式会社BAKA SOUL 代表取締役 山田能正氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社BAKA SOUL 代表取締役 山田能正氏登場。

本文より~

食事の風景にみる山田家。

食事の時は脇をしめる。背筋はまっすぐと。定規で角度を正された。今回、ご登場いただいた株式会社BAKA SOULの代表取締役、山田 能正氏が小さい頃の、山田家の食事風景である。
「父親は教育委員会に勤める厳格な性格で、就寝時間は9時頃、朝は6時頃には起床と決まっていました」。
「何かにつけ、自由が少なかった」と笑う。高学年になると、自由に溢れた外の世界に興味を持つようになる。
「とにかく、学校が終わっても家には帰らず外で過ごしていました」。
何をされていたんですか?
「外でドッジボールばかりです(笑)」。
親戚が買ってくれるまでゲーム機もなかったし、ギターなど楽器もダメ。外で友達とボールを投げ合うしかなかった。ただし、練習にはなっていたかも知れない。
「たしかに、そうですね。中学に進んでハンドボールを始めるんですが、1年生から試合に出してもらいました。ただ正義感が強く、曲がったことが府に落とせない性格でした。この部活も、活動スタイルが変わり、実は2年生の時に辞めていました」。
それでも、当時ハンドボールが強かった横浜商科大学高等学校にスポーツ推薦で入学している。本人曰く「親と担任との間で勝手に決まっていた」とのこと。冒頭の食事の話と異なるが根っこは同じ。こうあるべきだという敷かれたレールの上を歩き生きてきた。

ハンドボール。ブランク明けエースに勝つ。

一つの反発なのだろうか。ハンドボールのスポーツ推薦入学をした山田氏は、軽音部に入部する。
「ただ、入学から2ヵ月くらい経った頃に顧問に呼び出されて、渋々、練習に参加します。最初は掛け持ちだったんですが、最終的には軽音部を辞め、ハンドボール1本に絞ります」。
中学時代のポジションはゴールキーパー。
「ボールが当たると無茶苦茶痛いんです。だから、やりたくない(笑)」。
それで2ヵ月、顔を出さなかったわけですね?
「そうなんです。でも、顧問に呼び出されて。推薦で進学しているわけですし。仕方なく部活に行くと、テストと称したPK試合を申し込んでくるんですね」。
PK試合?
「私がゴールキーパーです。相手は当時の2年生のエース」。
3年も含め、みんなが見ている中での勝負だったそう。
結果は?
「素直に負けときゃよかったんです。でも、試合だと思ったら、燃えちゃって勝っちゃったんです」。
ブランク明けのキーパーが、エースに勝つ。
「その結果、軽音部との二足の草鞋が許されるんですが、やっぱりハンドボールが好きなんでしょうね。やり始めると軸足がすっかりハンドボールに傾いて、軽音部を辞めます。顧問の先生が理解のある方だったので、キーパーじゃないポジションで使ってくれたこともあって(笑)」。
3年生ではエースのポジションに抜擢される。スポーツ推薦なら内部進学だけではなく有名な大学への道もあったかもしれないが、がさっさと就職に駒を進めた。
「中学のことがあったんで、親がでてくる前に決めちゃおうと(笑)。とにかく、自立したい、そればかりでした。就職すれば経済的にも自立できますから」。
担任と相談し、進んだのは横浜の「住友電工」。いうまでもなくトップクラスの企業である。

合計7社。転職のたびに知人が増える。

「住友電工にいたのは1年くらい。住友電工を辞めて整備士として『ヤナセ』に転職します。杉並区の営業所に配属されて。実はこちらも1年ほどです。そこからCAD設計や佐川急便やリサイクル事業など、個人事業主を含め合計7社くらい転々とします。長いところでは3年、1年ちょっとのところが大半ですね(笑)」。
辞めるという話を聞くと、次々と次の話が舞い込んだ。「じゃあ、次はウチでどうだ?」と。
ただ、誘われるままに転々としていたわけでもない。
「20代半ばの頃ですね。転々としてきたし、性格的に就職より独立がいいんじゃないかなと思いはじめて。それからですね。独立を目指して佐川急便とか、営業とか、そういう給料がいい仕事をはじめ、貯金を開始しました」。
飲食で独立と思ったのは?
「変な性格ですが、社交性はあったんですね。お酒も大好きだったし。今うちの会社には、出資者の一人でもある榊原さんっていう『ローカルダイニング』の社長さんが役員で入ってくださっているんですが、彼が当時、私が住んでいた溝の口で『えんがわ』っていう店をオープンするんです。お店で頑張っている榊原さんを見ていると応援したかったし、同い年ってことも知って。『えんがわ』の常連になり、飲食にもより惹かれていったんだと思います」。
修業はゼロ。経験してきたのは、畑違いの仕事ばかり。
「2009年に武蔵新城で焼き鳥をはじめます。榊原さんからはまだ早いってアドバイスされたんですが。始めちゃいました(笑)。小さな頃から鍵っ子だったこともあって、自分で何もかもしていたんです。お料理では冷蔵庫から食材を引っ張り出して。幼少期からそういう体験をしていますから、なんでもできるって。正直、自信しかなかったですね」。
家賃10万円。24席。順調に滑りだす。
「初月は130万円、それがだんだんとアップし、200万円くらいまでいきました。7社も転々としていますが、そのたびに知人が増えていたんですね。知り合った彼、彼女らも来てくれて。ラッキーですよね。17時~24時まで。F/Lコストも何にも知らない若造が、そう儲かったわけではありませんが、なんとか食べていくことができました」。
ただ、飲食の世界は、そう簡単な世界ではない。

・・・続き

株式会社BAKA SOUL 代表取締役 山田能正氏

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2017年12月26日火曜日

株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏登場。
本文より~

100年品質。その源流。

静岡県清水市は、富士山を望む港町である。この港町に代々つづく、ふぐ料理の名店がある。「いま5代目の長兄が継いでいて、およそ100年の歴史があるお店です」。今回、ご登場いただいた株式会社ローカルダイニングの代表取締役、榊原浩二氏の実家である。
榊原氏は子どもの頃から「将来、社長になる」と言っていた。理由は「社長が、いちばん偉いと思い込んでいたから」だそう。
「社長になる」と宣言した少年榊原氏は、静岡の港町ですくすくと育ち、進学校の一つである「清水東高校」に進学する。
幼少期を振り返り、ホームページでは<実家が料理屋で、幼い頃から祖母や両親がはたいている姿をみてきた><仕込みや清掃時間等の裏方の仕事ばかりみていたせいか、本当にたいへんな仕事だなと感じた>と書かれている。
100年つづく、由緒あるお店。それはいうまでもなく榊原氏の源流でもあるのだが、当時は、まだ、その流れに気づいてはいなかったということだろう。

いちばん苦手な仕事をしよう。

1年浪人して、上智に進学。「進学したのはいいんですが、勉強はしないし、何かに打ち込むわけでもない。最低な無気力人間でした」。
自分をそう評する榊原氏にひとつのターニングポイントが訪れる。
「やりたいことがみつからず、自分探しの旅に出かけました。アメリカ、メキシコ、べトナム、インド。そうそう、メキシコにいた時に9.11があって、3日間足止めを食らいました」。
海外はトラブルも多く、何かあっても1人で対処しなければならない。初めての町は知らないことばかり。不安もなくはない。
「窮地に追い込まれるでしょ。トラブルも起こる。日本にいたら、出会わないシーンでしょ。でも、そういうことを一つひとつクリアして、少しずつ何かがみえてきた。周りの人たちにいかに支えられているかということも、みえてきたことの一つでした」。
自称、無気力な人間が少しずつ変化する。
ただし、何かをしたいというコアはまだなかった。「就職の時も、『これをしよう』『これをやりたい』ってことはなかったですね。ただ、一つのルールを課したんです。『いちばん苦手な仕事をしよう。そして、3年つづけて、成果をだそう』って」。榊原氏がいちばん苦手な仕事と思ったのは、営業職だった。

営業時代。

営業時代の榊原氏の仕事ぶりは、愚直でまじめを絵に描いたようなものだった。「もともと人と話すのが苦手でした。だから、営業には向いていない人間なんです。仕事ができる人は、数字を上げるプロセスを知っていますが、そのプロセスを知っても、私にはできませんでした。だから、『質より量だ』と飛び込みまくるというスタイルの営業をつづけました」。
「無駄なスタイルだ」と榊原氏はいうがけっしてそうではないだろう。血肉は、いつもいちばんたいへんなことをしてはじめて身になる。「私の実力というより、みんなのおかげで成果を残すこともでき、ルール通り、3年が終わって退職しました」。
このあと、榊原氏は飲食に進むのだが、その時の様子をホームページには以下のように綴られている。<異業種で働き、お客様の立場で自分が飲食店で食事をすることが増えていくにつれて、改めてサービス業、飲食業の魅力に気づき、自然とこの道でいきていこうと決心するようになりました>。
そう、榊原氏と飲食が重なる。偶然ではなく、必然。ようやく、方向が決まる。いったん向かうべき方向が決まれば、あとは突き進むのみ。目標は、30歳で独立すること。
・・・続き
株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏

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