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2024年6月4日火曜日

株式会社カシュ・カシュ 代表取締役 石神秀幸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社カシュ・カシュ 代表取締役 石神秀幸氏登場。

本文より~

始まりは、美味しんぼ。

ランクが0番~5番まである。4番になると「激辛」となり「思わず口から火をふく」レベルだそう。5番になると「激辛」が「極辛」にかわる。「一度はチャレンジを!」と、こちらの興味を煽ってくる。
この辛さと旨みとはなやかな香りが人気の「七宝麻辣湯」の生みの親である、株式会社カシュ・カシュの石神さんにご登場いただいた。石神さんは「神の舌」をもつともいわれている。その始まりは、食べ歩きらしい。
そこから、話がスタートする。
「私の食べ歩き人生は、中学2年の14歳から。だから、年季がちがいます(笑)」。
<食べることが好きだったんですか?>
「そうでもなかった。どちらかというと偏食だった気がします。中学1年の時は、食べることより、がむしゃらに勉強をしていましたしね。食べ歩きのきっかけは、雁屋哲さん原作の『美味しんぼ』です」。
<「美味しんぼ」というと、ビッグコミックスピリッツに連載されていましたね>
「そうです。主人公は料理人ではなく、東西新聞の文化部の記者。ただ、料理に対するうんちくがすごい。その主人公が『究極のメニュー』をつくるために、色々な料理を食べ歩くんですね。それを真似て」。
<ということは、今、石神さんがあるのは、『美味しんぼ』のおかげですね>
「食に関心をもったのは、まちがいなく『美味しんぼ』のおかげですね(笑)」。
のちの話になるが、石神さんもフードライターとして活動をはじめ、ワイン本、レシピ本など30冊以上の著書を上梓している。
ある意味、主人公、「山岡」をトレースされている。

TVチャンピオン、麻辣湯にであう。

14歳から食べ歩き、23歳の時に、テレビ東京系「TVチャンピオン、ラーメン王選手権」に出場し、優勝。2年連続、チャンピオンになり、「神の舌」とも評価された。
当時の彼女に「出場してみたら」と言われたそう。「まだ、23歳で、ほかの人と比べると若かったですし、2年連続っていうのも印象に残ったんでしょう。様々なところから声をかけていただきます」。
<彼女の一言のおかげで、人生が動き出したんですね>
そういうと、石神は小さく、頷く。
さて、連覇を果たした「神の舌」をうならせたのが、冒頭の「七宝麻辣湯」をうみだすきっかけとなった「麻辣湯」。シンガポールで出会ったそう。
「食べておいしく、たのしく、身体にいい」と石神さん。かつてのチャンピオンがいま全力を注ぐ、料理の一つだ。
「衝撃を受けたのは事実ですが、シンガポールの麻辣湯自体は、贔屓目にいっても料理というレベルではなかったですね。それをアレンジしたというと、日本人向けにカスタマイズしたと思われてしまうんですが、そうではなく、料理といえるレベルに仕上げたのが、うちの七宝麻辣湯です」。
<中国でも食べ歩いたとうかがっています>
「はい、シンガポールで麻辣湯と出会ってから、今度は中国に渡り、中国でも200軒以上で「麻辣湯」を食べています。うち3軒では、実際にはたらき、研究させていただきました」。
<その積み重ねが、料理のアップデートとなったわけですね?>
「その通りです。だから、今いったように日本人の舌にあうようにアレンジしてはいません。むしろ、純度を高めたといったほうがいいと思います」。
一杯食べれば、くせになる。ただし、日本人は、まだその世界を十分に知っているわけではない。

2007年、「七宝麻辣湯」オープン。

<創業は2007年ですね>
「2003年に麻辣湯にであって、試行錯誤を重ねて、そうですね。2007年、渋谷にはじめてのショップをオープンします。ロケーション的には悪くなかったですね」。
<最初からブレイクしましたか?>
「それが、イメージとはちがっていて(笑)。2号店をオープンしていますから採算は取れていたんでしょうが、5年間は鳴かず飛ばずという表現がぴったりかなと思いますね」。
<ブレイクの原因を教えてください>
「TVにでたとか、雑誌に取り上げてもらったから。ブレイクする時は、そういうきっかけがあると思うんですが、うちは、そうじゃありません。じつは、当初から多店舗展開を念頭にしていましたので、スープを外注化して、濃縮して利用していたんです」。
<濃縮だと味は安定しますね>
「そうです。味が落ちるのも事実ですが、正直、ふつうの人にはわからない。料理人にだってわかるかどうかの微妙な差です。だから、これでいいと思っていたんです。ただ、ある時、ためしに店で骨から炊くと」。
<どうなりました?>
「わからないはずなのに、反響がスグにすごいことになっていきます。うそだろ? 今まではなんだったんだ? って思うほどです(笑)」。
小さなちがい。実は、このちがいが、すべてだった。
「それからです。私が何をすべきかを悟ったのは」。
「神」レベルではないにしても、人の舌は、やはりあなどれない。その舌に挑み、その舌を喜ばす、それが、石神さんのミッションになる。
ちなみに、「七宝麻辣湯」では鶏や豚を丹念に煮込み、30種類以上の薬膳スパイスを組み合わせてスープをつくる。むろん、スープは、骨から炊いている。トッピングは50種類以上。辛さは5段階だが、じつは、無制限。様々なデトックス効果が期待できるほか、女性が大好きなコラーゲンや、脂肪を燃焼させるカプサイシンも豊富。ダイエットにも最適なヘルシーなフードである。

・・・続き

株式会社カシュ・カシュ 代表取締役 石神秀幸氏

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2023年11月2日木曜日

株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏登場

本文より~

将来は、父とおなじ経営者に。

今回ご登場いただいた請川氏は、1976年9月13日、静岡県沼津市に生まれる。兄弟は2人。請川氏は次男で、長男は現在、静岡市内で開業医をされているそうだ。
「小学校では野球を、中学ではテニスをしていました。中学から中高一貫の暁秀中学校に進みます。高校も、暁秀でもテニス部です」。
子どもの頃から経営者になりたいと思っていたのは、お父様の影響ですか?
「そうですね。それもあると思います。父は北海道生まれ。静岡で仕事をして、のちに仲間たちと起業します。ちょうど私が中学くらいの話で、立ち上げたばかりの頃は資金繰りにも困っていたようでが、もちろん、たいへんな話は聞かされていませんでしたから、サラリーマンより、かっこいいなと思っていたんじゃないでしょうか」。
大学で経営工学を専攻したのは、経営に関心があった証。
「大学時代は、兄といっしょに東京で暮していました。就職時に、いったん静岡に戻り、システム会社に入社します。こちらの会社に4年くらいいました。学生時代はピザハットや居酒屋などでアルバイトをしていましたが、飲食の世界で生きていくとは、この頃はまったく思ってもいなかったです」。
経営者と飲食が結びついていない頃の話。どうして、飲食の世界に進むことになったんだろうか? 今のところまったく畑違い。

ベンチャー・リンクってなんだ?

「ともだちがベンチャー・リンクに転職するんです。彼から話を聞いて、シンプルに楽しそうと思ったのが、この世界に入るきっかけ。ベンチャー・リンクって何者?っていうところからのスタートです」。
請川氏が26歳の頃の話。
「私は、ベンチャー・リンクではなく、実際に飲食店を経営しているレインズインターナショナルに入社します。当時、100店舗くらいの時です。土間土間の4号店に配属されます」。
せっかくいい会社で仕事をしていたのに、ご両親は反対されなかったんだろうか。
「飲食はまっとうなビジネスじゃないという時代の人ですから、そういう意味で心配はしていたと思います。私自身は、飲食というよりもレインズインターナショナルという企業に惹かれ、入社します。1年半で店長になり、そのあと、マーケティング部門に移り、販売促進やメニュー開発などを担当します」。
最終的にはマーケティングマネージャーにまで昇進。飲食の世界に足跡を残し始める。

父と兄と、3時間に及ぶ脱出劇と。

「私にとって、母はもちろん、父や兄も大きな存在です。父は、北海道生まれだからでしょうか。スキーやスノボーが好きで、よく連れていってくれました」。
アクティブで頑固者というイメージだそう。
「私が小学1年生の時に巨大な穴に落っこちちゃうんです。父に助けを求めるんですが、その父は、私がはい出すまで手を貸すことなく、みているだけ。自分でなんとかしろ、というわけです。3時間かけ、なんとか抜け出すんですが、あの経験のおかげで、あきらめない精神が身についた気がします。それが父の狙いだったかどうかわかりませんが。しかし、3時間も子どもの脱出劇を観ていた親父も相当、疲れたでしょうね」。
3時間の修業。子どもだけにインパクトはでかい。
「兄とはよく喧嘩をしました。3歳違いですから、ちょうどいい喧嘩相手だったのかもしれません。その兄は、薬剤師の母の影響もあって、先ほどいったように今は静岡で開業医をしています。私は兄の背中を追いかけていましたし、いい意味で、今も目標です」。
静岡のシステム会社を去り、レインズインターナショナルに転職した、その背景には、お兄様の存在があったかもしれない。

組織作りとマーケティングと経営管理とコミュニケーション。

「レインズインターナショナルに在籍していたのは2002年~2016年です。もともとシステム会社にいたもんですからネットにもそれなりに詳しくて、社長の西山さんともTwitterなどのSNSで話がよく話をしました」。
当時の話をもう少し。
「牛角に配属されるもんだと勝手に思い込んでいたんですが、実際に配属されたのは、新業態の土間土間。それまで、まったく畑違いのシステム会社で仕事をしていたもんですから、ついていくだけで精一杯でした。あの頃は、飲食の大半がハードワークだった頃でしょ。たとえば、月イチで店長会議があるんですが、朝、始発で自宅に帰り、スーツに着替えて参加するといった今では信じられない強行スケジュールでやっていました笑」。
それでも、気持ちの温度は下がらない。
ちなみに、レインズインターナショナルは教育にも注力している。その点もうかがった。
「そうですね。人材育成にはかなりの投資をしていました。社員全員が参加するベンチマークプログラムも、その一つ。いわゆる勉強会の一種ですが、一つのテーマに沿ってブレストを重ねていきます。私も最初は、なかなかしゃべれませんでした」。
人材育成は組織づくりそのもの。組織作りの目的はお客様の笑顔をつくること。
「その一点で、私たちがブレたことがありません」。
「西山さんは、人材育成のほかに、体系化された経営管理、データに則したマーケティング、すべてのものを網羅するコミュニケーションが大事だと言っていました。それが、レインズインターナショナルのつよみでもあったように思います」。
その一つ、マーケティングを任されたいただけに、当時から西山氏からの信頼が厚かったに違いない。

日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)へ。そして、ふたたび。

2016年から2019年までKFCで仕事をされていますね?
「14年間、レインズインターナショナルで主にマーケティングを担当してきたわけですが、人材紹介を通して、KFCに転職します。マーケティング部門のアシスタントマネージャーからスタートして、プロダクトマネージャーに昇格しました」。
いったん、レインズインターナショナルとも、西山さんとも、別々の道を進まれたわけですね?
「そうです。ただ、ダイニングイノベーションのことも知っていましたし、レインズインターナショナルのコアメンバーだった人たちが入社されていることも知っていましたので、『声がかからないかな』と、心のどこかで期待していたのも事実です」。
でも、実際に声がかかるんですよね?
「そうなんです。ある日、Facebookで、西山さんからあそびに来ないかと誘っていただいたんです」。
手土産は、もちろん、ケンタッキーのフライドチキン。
「フライドチキンを食べながら、社長室でお話させていただきました。その日のうちに、『じゃぁ、うちにこいよ』と言っていただいたんですが、いったん保留していただき、3日後に返事をさせていただきました」。
入社して1週間後、請川氏は空の上にいた。
「当時は、海外展開のフェーズだったんです。ジョイントベンチャーの立ち上げを調査するために、10日間かけインドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、韓国の5ヵ国をまわります。海外出張も初めてだったので、なにが、なんだか。でも、これが、西山さんなんです。とにかく、スピードが早い。じつは、この私のミッションも、1ヵ月くらいでなくなってしまうんです」。
うかうかも、ゆっくりもしていられない。

・・・続き

株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏

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