“飲食の戦士たち”で株式会社BOUT 代表取締役社長 尾坂 亮氏を取り上げました。
街と人が行き交う日常を原体験に。
鳥取市の中心部、JR鳥取駅にほど近い商店街の一角にある、ひときわレトロな佇まいの建物。「ヲサカ文具店」――尾坂亮氏は創業80年を数えるこの老舗の3代目として生まれた。1階が店舗で、2階に祖父母、3階には両親と尾坂氏、妹の4人が暮らす。家族と街の人が公私の境なく出入りする環境――これが彼の原風景だ。
本業のかたわら、地元サッカー協会の仕事も務める父の周りには、いつも多くの人が集まっていた。尾坂氏自身「頑固で、それほど器用なタイプではない」と評する父だが、地域に根ざし、自然と人が訪ねてくるその姿は、「場」に対する氏の感覚に少なからぬ影響を及ぼしていた。
鳥取大学附属の小・中学校から、県内屈指の進学校である鳥取西高校へ。クラス委員を任されるタイプの真面目な生徒で、勉強もスポーツもそつなくこなした。建築への興味から横浜国立大学を選び、関東での新しい生活をスタートさせた。
飲食店での居心地の良さと、マイナビで学んだ「場」の意義。
人生の転機は、横浜駅そばの鶴屋町にあったダイニングバーでのアルバイトだった。スタッフと客が一体となって楽しむその店は、そこにいるだけで心が弾む、不思議な居心地の良さに満ちていた。さらに、周りの店との垣根を越えた交流が日常的にあり、街そのものへの愛着が自然と育まれていった。
「中学のころ、料理人になりたいって思ったことがあるんです。地元にあんかけかつ丼の美味しい店があって、図書館で料理本を見ては餡のレシピを家で試したりして。学校の文集に『将来は料理人になりたい』って書いたこともありました。でも飲食に進みたいって本気で思ったのは、あのアルバイトがきっかけです」。
現場での経験を通じ、かつて抱いた食への関心が「自分が歩むべき道」に変化した瞬間だった。
一方で、自身の進路を再考し、留年。5年生の就職活動では人材業界に焦点を当て、人材大手のマイナビ(当時・毎日コミュニケーションズ)への入社を決める。
「同業他社の圧倒的な『熱さ』よりも、マイナビの持つ程よい『ゆるさ』が自分には合っていました」。
面接を担当した人事部長の目に留まり、人事部へと配属。尾坂氏はそこで、自然体のまま着実にキャリアを積んでいく。新卒・中途採用の最前線で全国を飛び回り、数多の面接をこなす中、そのビジョンは少しずつ形を変えていった。
「ただ飲食店をやりたいだけではなく、人が集まる場、そこで誰かと誰かが出会って何かが始まる、そんな場を作りたいと思うようになりました」。
20代のうちに面白いことをやろうという気持ちは常にあった。高校時代からの親友とよく飲んでは、そんな話で盛り上がっていた。その勢いのまま、27歳を迎えた2009年8月、尾坂氏は一歩を踏み出す。
「マグロマート」の広がりと、独創的な試行錯誤の数々。
2010年、中野のマンションの一室を借り、わずか80万円の投資で開いたバー「0番酒場」。BOUTの出発点はこの店だったが、当初は売り上げが思うように伸びず、翌年中野富士見町に「城ヶ島マグロマート」をオープン。親友とよく通った渋谷の店で食べたマグロの美味しさに惹かれ、港町三崎の業者を紹介してもらったことがきっかけだった。
「素人だからこそ、これは面白いと素直に思えたのがよかったんだと思います」。
マグロの脳天や骨身など希少部位を主役に据えた、当時としては珍しい試みだった。しかし当初はそのコンセプトにメニューや品数が追いつかず、試行錯誤しながら少しずつ売り上げを積み上げていったそう。
次に丼と地方食材をフィーチャーした3号店を出店。また1号店のバーをマグロの店にするなど、業態変更や統合によるトライ&エラーを繰り返しながらの経営が3~4年続いた。
そんな「マグロマート」に、ついに転機が訪れる。仕入れ先の新規開拓や関係強化と合わせて、マグロの魅力をより伝えられるメニューが充実していくにつれ、テレビをはじめとするマスメディアへの露出も増えてきた。国産生本マグロのさまざまな部位を楽しむスタイルが様々なメディアで拡散。SNSが台頭してきたこともあり、マグロの帽子を被って楽しむ姿も投稿され盛り上がった。満席の日も増え、少しずつ予約困難店へと成長していったのだ。
しかし、尾坂氏に成功者の気負いは見られない。「マーケティングを徹底したわけではなく、ひとつひとつがうまくハマっていった感じ」と謙虚に過去を振り返る。その飾らない姿勢が、スタッフや顧客を惹きつける氏の魅力なのだろう。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)


0 件のコメント:
コメントを投稿