“飲食の戦士たち”で【特別企画(過去掲載からの再取材)】株式会社トライ・インターナショナル 代表取締役社長 田所史之氏を取り上げました。
味噌らーめん専門店「麺場 田所商店」。
ブラジルのサンパウロ、アメリカのニューヨーク。今年(2026年)には、トライ・インターナショナル単独で味噌の展示会を開催するそうだ。
2013年、1回目のインタビュー時、国内は5店舗(FC45店舗)だったが、当時から海外へ目をむけ、海外でも味噌らーめん専門店を複数店舗オープンされていた。ブランドは「麺場 田所商店」。看板代わりにそびえる大きな味噌樽が味噌専門店であることを誇っている。
2026年現在の店舗数はFC合わせ国内外で200店舗以上ある。田所さんは店舗を“出口”と表現する。対になる入口は、約70社ある取引先。味噌蔵である。なかにはグループ化した味噌蔵もある。
「宮崎にある1社が顆粒の味噌を製造しているんです。面白いでしょ。この会社もグループ化しています。味噌を顆粒化し、世界中で手軽に使える調味料として広げていく取り組みも進めています」。すでに60歳を超えた田所さんだが、前回同様、ハリのある声でユーモアを交えながら淡々とお話をしてくださった。
では、今回のお話を始める前に、13年前にうかがった少年期からの話をはじめよう。
野球よりバイク。大学よりバイト。
田所さんが生まれたのは、福島県白河市近郊だった。実家は明治から続く味噌蔵。
子どもの頃の話を聞くと、「テストは30点とればいいほう」とこちらを笑わせてくれた。
勉強は苦手だったが、スポーツは得意。得意な野球では高校で県ベスト4。社会人野球からも誘いがあったそう。ただ、本人は、野球よりバイク。学校にいかなかったから、卒業に赤信号が灯った。
真冬の2月のプール。「25メートルを泳ぐことができたら卒業させてやる」。「先生のむちゃくちゃな課題をなんとかクリアして卒業できた」とおっしゃっていた。
その時の話をすると、「そんな話をしていましたよね。昭和だからある話で。」と笑う。
大学に進学したが、3年生に進級できず除籍。2年間の在学中、田所さんがキャンパスに現れたのは通算で5日。
「バイトに明け暮れていました。当時のマルイシティ新宿でウエイターをしていたんです」。
<大学どころじゃなかったんでしたよね?>というと、田所さんは力強く頷く。
「親も商売をしていたからでしょうね。商売がしたくなって、大学を辞めてとあるラーメン店に就職しました」。
自己破産という選択と、再起と。
「そのラーメン店で修業させていただいて、21歳のときに独立します」。
フランチャイズ店として、居酒屋。商才があったんだろう。バブルの波にも乗り事業は快調に滑り出す。
「ところが、29歳でバブルが弾けて、ラーメンの2号店で躓きました。その一方で、父親が経営していた会社も厳しくなって」。
バブルが弾けると、だれもがとたんに財布の紐をしめた。
「私が経営していた飲食店もそうですし、父親の会社もますます厳しくなって。35歳になるまで厳しい状況が続き、ついに、にっちもさっちもいかなくなり、自己破産を選択するしかなくなりました」。
田所さんは、以前同様、苦しげな表情をする。
「なんとか、FC本部で仕事をさせていただけたおかげで生活はできましたが、制約があって事業は起こせませんでした」。
日々の仕事に地道に向き合った。
「はずかしくて。周囲の目を気にしてしまうほど精神的に追い込まれた時期もありました。あれだけやりたかった商売もやりたくなくなった。でも、事業をする、それ以外の選択肢がなかったのも事実なんです」。
田所さんは自己破産から5年後の話をする。
<再度、ラーメン店でしたよね?>
「いえ、復活の1号店は味噌をメインとした味噌居酒屋だったんです。ところが」。
そういって、もう一度、昔を振り返る。
「ちょうど、うちがオープンしたタイミングで、道路交通法が改正されたんです。簡単にいうと、飲酒運転の取り締まりがむちゃくちゃ厳しくなったんです」。
「しかもね」と田所さん。「うちの店の前で検問が始まったんですよ」と笑う。
盛和塾と再スタートと。
再起をかけてスタートしたが、タイミングが悪く出鼻をくじかれる。
「見事に水をさされました。でも、今思えばそれが幸いして。味噌らーめん店をスタートすることができたんです」。
田所さんは淡々と、話をつづける。
「私の一大転機は、盛和塾に参加させていただいて、あの稲盛さんから指導をいただいたこと。そして、おなじ塾生の人たちに刺激を受けたことだと今でも感謝しています」。
<13年前のインタビューでは、すでに直営5店舗とおっしゃっていました>
「稲盛さんの経営哲学をもとに、今度こそ本当の再スタートです。おかげ様で事業は軌道に乗り、インタビューしてもらったときには直営5店舗、FC45店舗。それ以降も順調に拡大し、今は直営が60店舗、FCが130店舗。当時から海外進出もしていましたが、今はカナダ、アメリカ、ブラジルに店舗をオープンしていて、ベトナムでは製麺所を運営しています」。
「もともとはお店もオープンしていたんですが、コロナ禍にクローズさせていただいて製麺事業だけ残したんです」。
ベトナムでは製麺事業も手がけており、現地のラーメン市場の中で着実に存在感を高めている。「現地でも多くの店舗で当社の麺を使っていただいています」と田所さんは語る。
しかも、ベトナムだけの話ではないようだ。「カナダの大手小売業向けの冷凍麺もつくっているんです」。
話は世界へと広がっていく。卒業と引き換えに25メートルプールを泳いだ、少年の姿はどこにもなかった。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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