“飲食の戦士たち”で株式会社ペゴパ 代表取締役 松本光希氏を取り上げました。
父から受け継いだ起業家のDNA。
東京都大田区。下町の活気と職人気質が残るこの街で、松本氏は産声を上げた。両親は同い年で中学時代からの顔見知りという、絵に描いたような地元カップル。18歳で第一子である兄を授かり、若くして家庭を築いた父は、家族を養うため必死で働いた。焼き鳥屋や引越し業など、ありとあらゆるアルバイトを掛け持ちしながら食いつなぐ日々。しかし、父の心には常に「独立」の二文字が燻り続けていた。
24歳の時、父は内装業で独立を果たす。店舗の内装を手掛ける中で飲食ビジネスの可能性に触れ、自らもプレイヤーとして参入。イタリアン、焼き鳥、居酒屋……最盛期には20店舗を運営するまでになった。松本氏にとって、父は「商売人」そのものだった。
しかし、商売の世界はそれほど甘くない。急拡大の裏で経営の波に翻弄され、一家はどん底も経験した。自宅の電気やガスが止められるほどの窮乏。普通の子どもならトラウマになりかねない光景だが、松本氏は事もなげにこう振り返る。
「僕がまだ小さい時でよかったですよ。そんなに苦労した記憶はないんです」。
この屈託のなさが、彼の最大の魅力といえよう。
父の事業閉鎖という危機に直面する家族。しかしバラバラになるどころか、より一層その絆を深めていく。親族や友人たちの温かいサポートもあり、松本氏は荒れることもなく真っ直ぐに育っていった。
そんな氏の憧れは、8歳上の兄だった。 兄は弱冠20歳で美容・化粧品関連の広告代理店を起業。さらに自社での製造販売まで手掛け、父譲りの商才を遺憾なく発揮していた。オフィスを広げ、成功の果実を臆せず享受する兄の姿を見るたび、人生における「当然の選択肢」として、「起業」の二文字が宿命のごとく松本氏の胸に居座るようになっていった。
「起業して成功したらこうなるんだって思いました。起業するのが当たり前っていう感覚でしたね」 。
起業という生き方以外の選択肢はない。その確信が、のちの型破りな行動力を支える礎になった。
自由奔放な学生時代と、人生初の目標。
起業への意欲は人一倍強かった。しかし、既存の教育システムという窮屈な服を、松本氏は最後まで着こなすことができなかった。高校に入学したものの、授業に興味が持てずわずか1年で中退。通信制高校に転入するも通学は月2回、テストは自宅で受けるという、まさに「形だけ」の高校生活だった。卒業までの3年間はアルバイトに明け暮れた。大学には推薦入学を果たしたものの、片道2時間半の通学に耐えきれず、2年で中退してしまった。
周囲から見れば「もったいない」の一言に尽きるだろう。しかし学生という肩書きは、起業家魂を宿す松本氏にとって、無用の長物だったのかもしれない。
大学中退後、一部上場のデジタル広告会社にアルバイトとして入社。大手美容メーカーを担当し、後に自身の生業となる広告営業のノウハウを学んだ。
「兄と同じ美容系の広告会社を作りたい」という強い願望。それは、自由奔放に生きてきた松本氏が、人生で初めて明確に掲げる「目標」となった。
「10か月間売上ゼロ」を打破した強運と、執念のウルトラC。
学時代の2年間、学業の面では目に見える成果もなく、ただいたずらに時が流れていった。しかし、そこで得た「友人」という財産が、松本氏の運命を大きく変えることになる。
22歳で広告代理店を設立。共同経営者として代表に据えたのは、学生時代からの友人だった。 彼の両親から資本金200万円を借り、事務方を任せた松本氏は、営業職としてたった一人で最前線へ斬り込んでいった。
華々しい船出になるはずだった起業生活。しかし、現実は非情だった。創業から10か月間、売上はゼロ。刻一刻と通帳の残高は減り続け、やがて資本金も底を突いた。責任感の強い友人はプレッシャーに押しつぶされ、松本氏の前で涙を見せることもあった。
「僕がどうにかしなければ」。
そんな松本氏に焦りはなく、むしろ「確信」に近いものがあった。
「僕は、『やれば絶対に顧客を捕まえられる』と信じていました」。
最後まで諦めないその姿勢が、奇跡を呼んだ。資金繰り目的でとりあえずアルバイトをしようと面接に臨んだある会社から、仕事の依頼を受けるというウルトラCをやってのけたのだ。
「面接で応募理由を聞かれたので、『実は広告代理店をやっているが、仕事がない』と事情を説明しました。そしたら逆に発注してくれることになって、月100万円ほどの売り上げを得ることができたんです」。
なんという強運の持ち主だろう。その時期から今でも取引しているという美容系のクライアントも急成長を遂げ、月30万円という小規模な取引から、松本氏の会社に投じる広告費も、それに見合う規模へと拡大していった。気が付けば数年後、松本氏の会社は売上5億円規模の組織へと変貌を遂げていた。
「まず動く。直接ぶつかる」スタイルこそが、まさに松本氏の真骨頂といえるだろう。
父の居場所を守るための新業態。
広告事業が絶好調となり、経営者として安定期に入った松本氏。2020年、彼は経験のない「飲食業」への参入を決意する。当時、世界は新型コロナウイルスの猛威にさらされ、飲食業界は未曾有の危機に瀕していたにもかかわらず、だ。
その決断の根底には、戦略的な勝算よりも、相手の心に寄り添おうとする松本氏なりの矜持があった。数年前、兄が郵便局店頭での冷凍ケーキ販売事業を手掛けた際、現場の責任者として采配を振るっていたのは、かつて20もの店を経営していた父だった。父にとってそれは、自身の再起を託す大切な居場所でもあったのだ。
しかし、コロナ禍で対面販売が不可能になる。次の一手として兄は飲食業を検討していたが、フランチャイズ展開になる可能性が高かった。
「FCだとしたら、父が現場で活躍できるポジションがないかもしれない。なら、父はこれからどうやって、どこで輝けばいいのか」。
松本氏は動いた。2020年、世の中が自粛ムード一色に染まり、多くの店がシャッターを下ろす中、「周りが閉めている今こそがチャンスだ」とする逆転の発想で「株式会社ペゴパ」を設立。大森に1号店をオープンし、現場の責任を父に委ねた。
政府からの補助金が一切支給されない時期の開業。深夜営業やアルコール提供のニーズを真っ向から受け止め、攻めの営業姿勢を貫いた。加えて父の豊富な飲食業経験も奏功、やがて連日満席の繁盛店が完成した。現在は「新世界・焼肉ホルモンぺごぱ」を始めとする焼き肉店2店舗と、韓国料理店の合計3店舗を展開。今後は焼肉店に注力していくそうだ。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)


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