“飲食の戦士たち”に炭火と藁焼き 滾(たぎる) オーナー 北岡健吾氏を取り上げました。
1日のフィニッシュは「ごちそうさま」。
「18時厳守だった」と、今回、ご登場いただいた北岡健吾さんは笑う。北岡さんは、「炭火と藁焼き 滾」(2025年12月オープン)ほか、分倍河原にドミナントで3店舗の飲食店を展開する、1991年生まれの若き経営者。
少年時代から活発で、友達も多く、習い事は片手でおさまらない。ボーイスカウト、サッカー、空手、野球、卓球、ECC、パソコン教室…。
空手は仮面ライダーになりたくて、サッカーは2002年に開催された日韓ワールドカップで観たイングランド代表のマイケル・オーウェンに魅了されて。
ちなみに、空手は10年、ボーイスカウトは8年、プロを目指したサッカーは大学までつづけている。
数々のスポーツで敵をけちらす北岡さんだったが、母と祖母にはかなわなかった。大好きだったから。
門限は18時。「車にひかれて、骨が曲がったときだって遅れまいと思って、うちに走った」と笑う。
「小学6年生のとき、父と母が離婚して。それから母と祖母と私の3人の生活が始まります。銀行員だった母は仕事人間で、社交性のある祖母もまた、沢山の友達と常に一緒で」。
「おかげで習い事もたくさんできて、勉強をしなくてよくて、なにをするにも自由だったんです。ただ、時間にだけはうるさかった。18時に帰って、家族で晩御飯を食べる。これが北岡家の絶対的なルール。1日のフィニッシュは、『ごちそうさま』の一言と決まっていたんです」。
怒り、悲しみ、痛みが生む莫大なエネルギー。
母と祖母。
話を聞いていると、お二人は北岡さんにとって先生以上にリスペクトする存在だった。その様子が言葉の端々に浮かび上がる。
「私は、大阪で生まれ育ち、大学まで家族と暮らします」。
難病で祖母が亡くなり、大学では、友達を亡くした。
「ゼミで知り合った後輩の女の子でした。とても明るい子で、いっしょにコンサートに行こうと言っていたのに。いちばん近くにいたのに、彼女の苦しみに気づいてあげられなかった」。
頭の回路が、狂った。復讐をするかと、ナイフを探したこともあった。
「でも、そうじゃないって気づくんです。彼女が私に向けていた、あの明るい表情はカムフラージュでもなんでもない。彼女の、心からの表現だったんです。だから、彼女のぶんまで、私はつよく、明るく生きないといけないんです」。
祖母の闘病中の時に15歳の北岡さんが「死ぬのがこわい?」と聞いたことがあるそうだ。
「『こわくないよ!私のことを覚えてくれている人たちが沢山いるから』と。その一言が僕の死生観を形成してくれました」。
そんな祖母の最後の教えは、後悔しないことだった。
「怒り、悲しみ、痛みは莫大なエネルギーを生む」と、北岡さんはいう。そのエネルギーをどうコントロールするか。トップギアか、バックギアか。それによって人生がかわる。
北岡さんは、怒りや、悲しみ、痛みを知るたびに、トップギアで加速した。
大学の卒業式、大学で首席だった北岡さんは、壇上で「大学を卒業して、オーストラリアに渡る」と宣言する。
さぞ、会場はざわめいたことだろう。
目標、教科書に載ること。でも、どうしたらいい?
「私は、凡人で、なにをやっても才能なんかないんです。ただ、ちょっとかわった奴なんです」。
高校時代、サッカーの強豪校に入ると、中学までチームでいちばんうまかった北岡さんが、いちばんヘタになった。だから、だれより努力した。かなわない相手を前にしても、退かない。
「やりきれ」と母は言った。
今もその言葉に従っている。
「だからね。教科書に載らないといけないんです」と、北岡さん。
<教科書に?>と思わず聞き返すと、「かわった奴でしょ」と言ってから、「でも、一度、決めたからにはやりきらないといけない。それに、祖母に教えてもらった“一人でも多くの人に覚えてもらっていれば、死ぬことが怖くなくなる。”という考え方。だから教科書に載れれば、いつどうなっても、後悔なく生きられると考えたんです。だから、大学を卒業して、3年間、日本を離れました。日本じゃ、あのソフトバンクの孫さんだって、教科書に載っていないから、海外で勝負しようと思って」。
大学生になった北岡さんには、とんでもない野心が生まれていた。たぶん、生きた証。
「突然、思いついたわけじゃなく、大学1年から計画していて。2年までで徹底的に単位をとって、3年からはバイトです」。
「やると決めたからにはやりきれ」。
母の言葉が背中を押しつづける。
「バイトで500万円をためた」と聞いて驚いた。「週6日、1日16時間、仕事漬けだった」と笑う。
500万円を握りしめて向かったのは、オーストラリアのブリスベン。日本人がまだいないエリアだった。
ブリスベンだった理由を聞くと、「日本人がいないエリアじゃないと海外に行く意味がないでしょ」と返答。
ただし、そのぶん、苦労もした。
「苦労する自分が、好きなんです。サッカーのときもそうですが、這い上がるのが大好きな、マゾなんでしょうね(笑)」という。
だれとも比較しない。だから、これくらいでいいとはならない。とことん、やる。これが、北岡さんがいうマゾの正体。
オーストラリアで、披露した高速、皿洗い。
「ワーホリじゃなく、留学でしたら、学校に通いながら仕事を探しました。ただ、うまくいきません。日本の大学では首席でしたが、英会話がろくにできなかったんです(笑)」。
それだけじゃなく、ファッションもなかなか、就職のハードルをあげていた。
オーストラリアへ向かう息子にお母様がいった。
「いい? 日本人なんて思われたら、お金を取られちゃうんだからね。向こうは、あったかいからユニクロで買ったボロボロの服を着ていきなさい」。
そして、ボロボロの半袖、半パンの、虫取り小僧がオーストラリアの街をあるくことになる。
「仕事をしたくて、学校の先生に履歴書を書いてもらったんですが、そんな格好だから、どこに行っても門前払いです(笑)」。
「でも、ある飲食店のトビラを叩いたとき、たぶん、浮浪者に間違われたんでしょうね。仕事はくれなかったけど、飯を恵んでくれたんです」。
「初めて、親切にしてくださった人だったので、お礼に皿洗いをさせてくれとジャスチャーで頼んだんです」。
シンクにたまっていた皿が次々ときれいになっていく。人がいい店長の目が丸くする。
「なにしろ、高校から皿洗いしていますからね。高速で、きれいに洗いまくっていると、採用だって(笑)」。
「そんな感じで、そこで働くことになって」。
オーストラリアに2年、帰国してからもルワンダなど貧困国に渡っている。
海外を訪れて感じたことは、日本人に生まれてよかったこと。「日本に生まれただけで運をもっている」と北岡さんはいう。
「それなのに、だれだれと比較して落ち込んだり、立ち止まったりして、その運を、無駄遣いする。そんなことしちゃダメなんです」。
オーストラリアで日本の飲食のレベルの高さに気づいた北岡さんは、世界で勝負する、そして、教科書に載るなら飲食だと狙いを定めた。
満を持して帰国した北岡さんは、数ある飲食店のなかから、株式会社subLimeを選択する。
経営者は、この飲食の戦士たちにも何度もご登場いただいている花光雅丸さん。現、株式会社beagleの代表である。
subLimeで加速する、飲食人生。
subLimeに入社した北岡さんは、いきなりトップランナーに躍り出て、飲食人生を加速させていく。
subLimeのM&A戦略を実質、リードしてきた中村英樹さん(現GYRO HOLDINGS株式会社の取締役)との出会いが、加速装置となった。
「subLimeでは、『牛タン大衆酒場 べこたん』という、新たなブランドの2号店を任されます。オペレーションも確立していなかったし、そもそもどんな業態でオープンしても長続きしなかった最悪の店舗だったんです」。
だれがやっても、うまくいかない。起死回生を託された格好の北岡さん。ただし、意欲はあっても、経験値は少ない。
どうなっていくんだろう?
「マニュアルないから、『自由にしていいよ』と。そりゃそうですよね。自由以外、何があるっていうんでしょう(笑)」。
思案しても、始まらない。凡人らしく、やることをやる。ただし、「やる」のレベルがちがった。
「昔からそうなんです。できるできないじゃなく、やる。やるなら、自分の最高レベルで。失敗はしてもいいけど、悔いを残したくありませんから」。
悔いを残さないこと、やさしくて、つよい祖母の生き様だった。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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