2026年4月22日水曜日

株式会社アオギリコーポレーション 代表取締役 澤出晃良氏登場。

“飲食の戦士たち”株式会社アオギリコーポレーション 代表取締役 澤出晃良氏を取り上げました。

本文より~

六畳一間の孤独と、写真にしか残っていない記憶。

今回、ご登場いただいたのは目黒区で「西口アオギリ」「呑家」「居酒屋ホドケバ」「大衆酒場はんろく」「警視鳥」を展開する株式会社アオギリコーポレーションの代表取締役、澤出晃良さん。
1973年生まれ。
「生まれたのは武蔵小金井。ぼくらはやんちゃな時代で。ビーバップハイスクールに影響されて不良の全盛期」と笑う。
「きょうだいは3人で姉がふたり」と澤出さん。
ご両親は澤出さんが中学に上がるときに離婚。
母親は家を離れ、のちにふたりの姉も家を出る。狭い部屋に残されたのは父親と澤出さん。
「親父は帰ってこないから、すぐに友達の溜まり場になった」と苦笑する。
父親が家にいたとき、電話がかかってくるのは決まって借金取りから。そのたび「いないと言え」と父親の罵声がとぶ。
「恥ずかしかったですよ。だって、4000円の給食費も払えない。部屋も欲しかったね。ぼくが中学までは六畳一間にきょうだい3人ですからね」。
小さい頃、澤出さんは、わがままを一つだけいった。
「部屋が欲しいってね」。
そのたびに傷ついた。
「部屋が欲しいから、『引っ越して』っていうんです。そうしたら『よし、来年は引っ越すよ』っていうんです。嘘つくんですよ。必ず言うんですよ。期待させるんです。で、ぼくも子供だったから必ず期待しちゃうんですよ。『来年になったら、ぼくの部屋ができる』って」。
「でも、毎年、絶対引っ越さない」。
「で、いうんです。『来年は、絶対だよ』って。すると『よし、わかった。来年は引っ越しだ』って」。
何年、そんなやり取りを繰り返したんだろう。
中学生になった澤出さんは、もうわがままを繰り返さなくなった。
小学校の話を聞くと、澤出さんは記憶がないという。父親と公園で凧揚げをしたこと、発表会でワニを演じたこと。すべて写真の記憶だった。
「ピーター・パンで、ぼくはいちばん脇役のワニだった」と笑う。ただ、勉強はできた。「姉ふたりもそうですが、きょうだいみんな優秀でした。もっともぼくは小学校までだけどね」。

え? 塾行ってたの?

「頭がいいって勘違いしていたんですね。小学校のときは、なにもしなくてもクラスでいいほうだったから。でも、中学になってやんなきゃ、そりゃついてけない。1学期に早くもトップに離されまくって。そうなるとつまらなくなるでしょ」。
教室じゃなく、非常階段で授業のベルを聴くようになった。
「非常階段で、悪い先輩らとつるんでいるのが楽しくなっちゃってね」。
澤出家が溜まり場になるには、そう時間がかからなかった。
「でもね。そうやってつるんでいた先輩も、友達も、なんだかんだって高校に進むんですよね。『え? 塾、行ってたんだ!?』って。で、けっきょく3人かな。義務教育で、終了したのは(笑)」。
澤出さんは16歳で内装工事の仕事をはじめる。
「先輩の紹介で、いっしょにはたらいたのは、ぜんぜん学校に来なかった奴。でも、そいつ、仕事をはじめたら急にマジメ人間になって。それで、すぐに独立するんです。『おいおいみんなどうしたんだよ』です。だって、ぼくは、仕事もすぐサボって行かない(笑)」。
結局、長くつづかなかった。
「退職して、ブラブラしてました。新宿とかで。とにかく夜遊びが好きで、20歳のときかな。ライブハウスや、クラブで仕事を始めます。夜は案外、得意なんです」。
ライブハウス、クラブ、そして24歳のとき先輩に誘われ大阪に向かう。

マネージャーの響きに誘われて、東京脱出。

「『大阪でカフェするからついてこない?』って言われて。『マネージャーやらせてやるよ』って。いいでしょ。『え? マジっすか?』って、ルンルン気分で電車に乗ります」。
「マネージャーって響きに釣られた」と澤出さん。実際は副店長。
「副店長でも悪くはないんですが、カフェがだめでした。夜じゃなくって、昼でしょ。夜専用のタイプでしたから、昼の人とは言葉のニュアンスもちがうし。だんだん、怖くなっちゃって。手がふるえるもんだから、お出しするコーヒーまでふるえだすんです」。
キッチンに逃げ込んだ。ひたすら食器を洗った。横目で白い目が注がれるのをみた。
「副店長でしたからね。『副店長やのに、なんやねんあいつ!』みたいなね。『あいつのほうが給料ええの、許せへんわ!』といって辞めていくやつもいて。店長にむちゃくちゃ怒られて」。
東京と大阪。言葉のカベもあった。澤出さんは「健全な少年少女と話したことがなかったから」と苦笑する。
関西弁もマスターして、夜行性の習性を修正する。「なんか、そうしているうちにしゃべりも、うまなってきて『大阪ってええやん!』ってなって」。
新たな環境を好きになるのに時間がかかるタイプ。かたい殻を脱ぐ、そこからスタートするからだ。でも、いったん好きになると、ちがった澤出さんが現れる。
「カフェは2年間です。26歳までですね。大阪もそうですが、後輩もできて『飲食って楽しいな』って少しずつね。で、気づくんです。『なんか、世界が明るいぞ』って(笑)」。

やきいもと、商売と。

「で、どっかで調子に乗ってたんかな。さそってくれた先輩と喧嘩をして『辞める』っていって、26歳で退職。一度、喧嘩すると、ぼく頑固なんで二度と電話にもできませんでした。ま、そっちはいいんですが、家賃を払わないといけないから、仕事はしないといけないでしょ。で、焼き芋屋を始めます」。
<焼き芋?>
「ハイ。あの移動販売です。大阪や京都、滋賀をまわって。でも、ぜんぜん売れへんかったですね(笑)」。
1日のノルマは30キロ。走るほうじゃなく、重さのほう。
「30キロいったら、そこからが利益なんですが、ぜんぜん。だから、芋ばっかり食べていました」。
面白い話も聞かせていただいた。
「大阪でやっていたら、子どもとかくるでしょ。たいてい500円もってくるんです。でも、なかには50円分ちょうだいっていう子もいてね。『そんなのないよ~』ていうしかないでしょ。で、あれ、芦屋ですね。イカリスーパーっていう高級スーパーがあるんですが、その駐車場で疲れ果てて昼寝しちゃってたんです」。
「すいません」と声がする。目がさめたら子どもがこちらをみていた。
「また、子どもかって思って『ないよ~~』っていったら、その子ね、5000円もっていたんです。急にシャッキとして、『なになに?』って。そしたら『5000円分ください』って」。
「芦屋には、たまげた」という話である。
冬は焼き芋、夏はわらび餅。
「それ、2年くらいつづけたんです。正直、楽しくもなかったし、生活で精一杯でしんどいし、ぜんぜん儲からなかったんですが、なんて言ったらいいんかな、商売やってるなって感じになって」。
「で、大阪でなんだかんだあって、ちょとだけ楽しいことをみつけたんだけど、けっきょく27歳のときに東京に帰ります」。

2500万円の衝撃と。

27歳、東京にもどり、鉄板焼の店でアルバイトをはじめ、朝8時から夜2時まではたらいた。給料は40万円オーバー。
「はたらくのは、もう抵抗なかった。でも、40万円ももらっちゃうと、社長が『正社員になれ』って言ってくるんです」。
<イヤだったんですね?>
「そう、根拠のない反骨精神ですね。で、葉山のほうでもはたらいて。35歳のときに『根室食堂』でアルバイトをはじめます」。
「そのときは、とにかくはたらくしかなかったんです」。
理由を聞くと「父親が逮捕されたから」という。
「詐欺という容疑です。そのとき、父親は会社を経営していることになっていました。ぼくが監査役で印鑑を貸していて。突然『2500万円払え』って」。
「もちろん、そんな大金あるわけないし、払えません。だから、裁判になって、けっきょく請求は却下されるんですが、2年くらい真っ暗な日々がつづきました」。
<だから、はたらくしかなかったんですね?>
「そう、計算するんです。月に20万円返して何年かかるかって。そしたらもうクラクラしてきて」。2年間、澤出さんは「ぼくは、無実といいつづけた」という。
澤出さんはいう。
「どう計算しても、完済するのは50過ぎているんです。なんかね。『ちょっと一回死んじゃおうかな』と思ったりして。で。『一回死んじゃおうかな』と思ったら、『あれ、何でもできんじゃないかな』と思って。さっきの反骨精神じゃないですが、『プライドもぜんぶ捨てていいんじゃないかな』と思って。で、そのときですね。『根室食堂』でバイトを始めるんです」。
もちろん、ふつうじゃ返済できない。だから、独立するしかないと、心を決めていた。

独立、それしかないと、覚悟を決めた。

「根室食堂にいったら、もうむちゃくちゃはたらかされるんです(笑)。でも、ぼくにはちょうどよかった。2階もあるから、料理もって階段を駆け上がるんです。1日中、走っているから、へたへたで。何も考えなくていいんです」。
ひたすら、階段を上下した。そんなある日のこと、昔の友達と店の前で出会った。
「ぼく昔から大ぼらふいていて『オレ、絶対、独立して成功するから』って言ってたんですよ。でね、渋谷とかで遊んでいたときの友達が、『根室食堂』も渋谷だったからか、店の前で偶然、出会って、『お、澤出くん、キミの店か、すごいじゃん!』って」。
言葉が終わらないうちに背中から声がどんできた。「澤出くん、何やってんの。中入って、忙しいんだから」って。
声の主は二十歳の店長だった。
「たぶん、親父の逮捕で、ぜんぶかわったと思いますね。たまたま彼女にも振られたタイミングだったし、借金の話をしたら、友達も『頑張れよ』って言って離れていくんです。だから、ぼくは『頑張れ』は言わないようにしているんです」。
<なぜ?>って聞くと、「『頑張れ』って、むちゃくちゃ薄情な一言なんです」。
街道をバイクで駆けて「バカヤロー」と叫びつづけたのも、この頃の話。

貯めに、貯めた400万円が飛んでいく。

こののち、2012年、澤出さんは独立して学芸大学に「大衆酒場アオギリ」をオープンする(後に「呑家」に店名変更)。
「大家さんに『作文書いて』って言われて、作文なんか小学生以来だから困っちゃって。でもね。紹介してくれた不動産会社の女の人、『私、作文コンクールで優勝したことあるから、澤出さんが書いた作文を書き直してあげる』って、女神が現れて。作文みせたら大家さんが『君、気に入った。めちゃくちゃ気に入った。君みたいな人にやってもらいたい』なんてベタ褒めでね。13坪くらいで16万円だから、家賃は破格だったんだけど、『頭金だけ先に払ってくれ』って。それも、120万円」。
<払ったんですか?>
「そう、払いました。そのときの貯金が400万円だったから、残り280万円。スケルトンからだったから、280万円じゃとても工事ができません。でも工事業者の人は準備をはじめてくれているし、それで国金へいくんですが相手にされません」。
ひどい言葉も浴びせられた。
「『頭金が担保だ』っていったり。緊張してね、地酒を言い間違えちゃったりして。だからぼくもわるいんだけど、『君、ぜんぜん素人でしょ。すべて嘘でしょ、これすべて』って、書類を叩きながらね」。
嘘じゃなかった。すべてほんとう。いや、すべてをほんとうにするために、今、お金がいるんだ。
「捨てる神あれば、拾う神あり」というが、ほんとうだった。
「今もうちのメインバンクなんですが、さわやか信用金庫の担当の人が『キミ、面白いね』っていって、480万円、貸してくれたんです。もう、大恩人です。するとね。会計士の人も、業者さんも応援してくれてね。店に寝泊まりするつもりだったから、借りてた家もでて、生活費を削る。そんな真剣な覚悟をみんなみてくれていたと思うんだ」。
「営業は、夕方5時から朝5時まで。それから仕入れにいって。『素人』って言われたのも、その通りでさ。とにかく安くすればいいと思ってた。さしみ380円、ホッピー中100円とかね。お客さんは来たけど、お客さんがきているわりにはお金が残んないんだ(笑)」。
戦略は、とにかく、安く! だから、人件費もケチる。
「どうだったかな。3年間は380~400万円くらいだったかな。アホだからさ。とにかく安く、人件費もケチって、お金が入れば返済する。でもね。あるとき、1人スタッフを入れたら売上がポンって上がったんです。あれ? あ、そうか。これだよなって」。 新店もオープンした。
「でも、戦略なんかない。芋売ってたときとぜんぜんかわってなかったんです。じつは、2年前ね、ビール会社さんから『株式会社ぐっとくるダイニング』の代表、岩田 聡さんを紹介してもらって、あちらの会社の副店長のミーティングに招待してもらうんです」。

・・・続き

株式会社アオギリコーポレーション 代表取締役 澤出晃良氏


キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)  


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